本日の朝日新聞朝刊の記事
今朝の朝日新聞朝刊の「日曜に想う」という欄に編集委員の大野博人という方が「壁崩壊30年 マルクス未完の問い」という記事を書いている。そこでは、ベルリンにありマルクス・エンゲルス全集(MEGA)を刊行中の財団が紹介されている。このMEGAは1970年代のソ連と東ドイツを拠点に刊行が始まったのだそうであるが、「30年前のベルリンの壁開放とその後の共産主義独裁体制の崩壊」で事情が一変し、マルクス主義は「体制イデオロギーとして批判・憎悪・冷笑の的」となったため、一時、刊行継続が危ぶまれる事態となったが、国際的な研究者の協力により何とか続けていくことができることになったのだという。その再出発時の方針は脱イデオロギーであり、カントやニーチェのような思想家の一人としてマルクスも扱おうというものであった、と。そして、近年のグローバル化によって生じた不平等への不満や将来への不安への対応を考えるとき、再びマスクスが参照される頻度が増えてきているのだという。
現実の政治世界では従来の左翼政党は各国で衰退し、ポピュリスト政党が台頭してきている。このMEGAが完成するのはもう10年くらい先であるらしい。「完結するころ、問いに答えは見つかっているだろうか。政治は教条主義を遠ざけることができているだろうか」という文章でこの記事は結ばれる。
この記事を取り上げたのは最近ここにわたくしもベルリンの壁崩壊について短い記事を書いたからで、そこに書いた壁崩壊後のマスクスの思想への多くの人の反応への違和感のようなものをこの記事にも感じたからである。
マルクスがカントともニーチェとも違うのは、この地上にマルクスの考えを根底において建設されたことを標榜する国家が現実に建国されてそれが1922年から1991年まで実に70年もの間存続したということである。
そうであるなら、一番の問題はある考え方が現実の国家運営に適応された場合にいかなる問題がおきるかということであって、マルクスという人間が実際にどう考えていたかということではない。「30年前のベルリンの壁開放とその後の共産主義独裁体制の崩壊」で事情が一変してマルクス主義は「体制イデオロギーとして批判・憎悪・冷笑の的」となったとあるが、その批判・憎悪・冷笑が正しかったと考えるか否かである。
そこのところがこの記事では完全にスルーされてしまっている。現在の状況を決して是認しない、として現状を批判していく、その現状批判の見方として現在でもマスクスの思想は決して色褪せていないということがおそらく大野氏は言いたいことなのであろう。
しかしマルクスが画期的であったのは、それまでの哲学者たちは、世界を様々に解釈してきただけである。として、肝心なのは、それを変革することである、とした点にあったはずである。
大野氏の言っていることは解釈である。しかし、社会は変革されなければならないのか? もっといえばその手段として、プロレタリアートが独裁する国家が作られなければならないのか? あるいはソ連70年の歴史にみられた様々な悲惨や誤謬を顧みて、そのようなプロレタリアート独裁国家は決して構想されてはならないのか? そのような構想への動きは体を張ってでも阻止しなくてはならないのか?という、わたくしからみれば一番肝要であるように思える点に、大野氏はあえて目を向けないようにしているように思われる。
マルクスの議論が未完だったとか、リーマン・ショック後、さまざまな思想家が将来社会ビジョンを語るときにマルクスを参照することが増えているなどというのは枝葉末節のことであると思う。
このMEGAは既刊67巻で、最終的には110巻ほどになり、完成まで後10年以上かかるのだそうである。そのような書作集を作ることを企図すること自体が一種のマルクスの神格化であると思う。
われわれはある時期、ある思想に依拠して国家を構築するという壮大な実験をおこなったわけである。その実験の帰結を詳細に検討することのほうが、マルクスが読んだ本への書き込みまで網羅する全集を作ることよりはるかに重要であると思うのだが。
わたくしが中学生のころ、学校の図書館には何十巻もの「レーニン全集」とか「スターリン全集」があった。これも一種の神格化だったのだと思う。
今、堀田善衛の「若き日の詩人たちの肖像」を読んでいるのだが、昭和前期の暗い時代に出てくる名前はむしろマルクスではなくレーニンである。あの時代の若者に、ロシアにプロレタリアート独裁を標榜する国家が現実にできて実際に運営されているということがいかに大きなインパクトを持っていただろうかということを感じる。
それに比べると、この朝日新聞の記事はいかにも軽い。
ベルリンの壁
ベルリンの壁が崩壊してから30年になるらしい。
わたくしが今72歳だから、42歳の時のことだったわけである。
ひとの物心がつくというのが何歳くらいであるのかわからないが、少しものを考えることをするようになるのが小学校上級か中学初年あたりであるとすると、物心がついてからの約60年のうちのちょうど半分の時期にベルリンの壁の崩壊があったことになる。
ベルリンの壁が壊されるのを報道でみていて、かつてヨーロッパの価値観を経験した人たちというのは弱いのだな、本当の強権を発動して弾圧を続けることができないのだな、といったことを感じた。しかし、この時点でもまさかそこから2年ほどでソ連が崩壊するとは思ってもいなかった。
ソ連にゴルバチョフがでてきた時の日本の(世界の?)知識人たちの高揚感というのは大変なものがあったように記憶している。ようやくソ連にも西欧的価値観を持ち、西欧と対話できる人物がでてきたというような期待感であった。しかし、亀山郁夫氏と沼野充義氏の対談(「ロシア革命100年の謎」)を読んでいたら、「ゴルバチョフのように公式の場に奥さんを同伴してでてくるようなひとはロシアにおいては政治家として全く信用されないのだ、その点だけでもゴルバチョフは(ロシアにおいては)政治家として失格なのである」というようなことがいわれていた。
現在のロシアはロシア帝国の復活であって、現在のプーチンはなにがしかロシア皇帝のイメージを背負っているのであろうと思う。ゴルバチョフというひとには皇帝のオーラというようなものは少しも感じられなかった。
わたくしは、ベルリンの壁の崩壊をみてもソ連の崩壊を少しも予見できなかった人間だったので、自分が生きているうちに東西対立という構図がなくなることがあるだろうということはまったく頭に浮かぶことさえなかった。
それでソ連があっという間に自壊していく様子をみて、ただ呆然とした。水爆とミサイルを多数保有してアメリカと対峙している軍事大国が、その軍事力によって強圧的に政権を維持することがどうしてできないのかよくわからなかった。少なくともそれまで衛生国を軍事力によって支配することはできていたわけである(ベルリンの壁はほころびかけていたのだとしても)。
ベルリンの壁崩壊の2年後にあっけなくソ連が崩壊したときは、少なくとも知識人の間では、それならば、マルクス主義というのは何だったのかという一大議論が澎湃とわきおこるであろうと思った。
しかし、わたくしから見ると、それはほとんど起こらなかった。なにかみんなそんなこと自分にはわかっていた、という顔をしていたように思う。要するにマルクス主義は経済を基礎とする理論で、マスクスの時代にくらべると経済規模が現在ではまったくかわってしまった。市場の規模が拡大し、それがある一定の限度をこえると計画経済的なやりかたで運営することはもはや不可能となり、市場原理で(つまり資本主義的な行き方で)運営するしかなくなるのだ、というのである。経済運営体制の問題に議論が矮小化されてしまい、ソ連の崩壊はほとんど歴史の必然であって、共産主義による経済運営はテイクオフのある時期にだけ適応する過渡的な役割以上のものを果たすことはできなかったのである、といった方向の議論がほとんどだったように記憶する。
東欧の崩壊後、フクヤマの「歴史の終わり」のような西欧の勝利と同時に「末人」の跳梁跋扈する「気概」を欠いたテクノロジーだけが世界を覆うという方向と、それに対するハンチントンの「文明の衝突」といった方向がでて、結果的にはハンチントンが正しかったことになるのかと思うけれど、それでもトランプ大統領の登場のようなこともまた30年前に予見したひともいなかったであろうと思う。一寸先は闇である。
ロシア革命はフランス革命の嫡子であるか鬼子であるかは議論があるとしても、フランス革命がなければおきなかったものである。社会の仕組みを変えることによって人間をかえていこうとする試みである。
それを考えれば、何かの体制の変革によって人間をかえるという試みへの疑問あるいは反省がベルリンの壁崩壊からソ連崩壊の時期に真剣になされなかったように思えることは今でも不思議でならない。
そして、ベルリンの壁の崩壊の後、われわれはもう少し文明の方向へといくことを期待していたのではないだろうかと思う。だが、たとえば、今、香港でおきている事態である。現在の香港での事態がが、将来から振り返ると大きな分岐点であったということになるのかもしれない。しかし一寸先は闇である。未来のことは誰にもわからない。
地球の温暖化というのがこれほど大きな天候の変動をもたらすということは、少なくともわたくしは全く考えてもいなかった。プラスティックというようなものが生態系にこれからとんでもない災厄をもたらしていくらしいが、それだって対策はいつも後追いになっていくような気がする。
わたくしが若いころ、地球上の人口は爆発的に増えて遠からず、食糧は欠乏し、余った人間が海に落ちることが真剣に憂慮されていた。先進国がどこでも少子化と人口の減少に悩まされるだろうなどということをいっていたひともまずいなかったように思う。
後からみると、E・トッドや小室直樹のような具眼の士はいたということになるが、ソ連が近々崩壊して地上から消えるだろうなどということを、たとえば1980年ごろいえば、こいつはおかしいのではないかといった目でみられることは必至だっただろうと思う。
何しろベトナム戦争の頃、ドミノ理論とかいっていずれ東南アジア全体が共産化するだろうということをアメリカのベスト&ブライテストたちが真剣に憂慮していたのである。だからこそベトナム戦争もおきた。
ある時期、ベトナム戦争というのが東側の道徳的威権威を高めたことは間違いないだろうと思う。東欧に希望を抱くひとはほとんどいなかったとしても、東洋でのゲリラの戦闘には希望をつないでいた人は多数いたはずである。
ベルリンの壁の崩壊から30年である。それなら、これから先の30年後の世界というのはどうなっているのだろう?
ちくま学芸文庫版 加藤典洋「敗戦後論」の内田樹氏による解説
ちくま学芸文庫版の「敗戦後論」は2015年の刊行である。1997年に講談社より刊行された原著の出版から20年近くたっている。
本書には2005年刊のちくま文庫版「敗戦後論」に付された内田樹氏による「卑しい街の騎士」という解説と、2015年刊行のちくま学芸文庫版のためにかかれた「1995年という時代と「敗戦後論」」という伊東祐史の解説の二つの解説が付されている。1997年といえば今から22年前だから、わたくしが50歳くらい、
この「敗戦後論」は原著の刊行当時の論壇ではほとんど袋叩きという感じで、その悪評を見ていて、それほどの言われ方をするというのはどんな本なのかなと思って手にとってみたと記憶している。「敗戦後論」「戦後後論」「語り口の問題」の三つの論文をおさめた本であるが、わたくしには「戦後後論」での太宰治やサリンジャー、「語り口の問題」でのアーレントを論じた部分が面白く(要するに、政治の議論より、文学の方面の話)、加藤氏は文学の読み巧者なのだなとまず思った。それで、「イスラエルのアイヒマン」などを買ってきたことも思い出す。
なぜ袋叩きになったのかといえば、加藤氏は今次大戦で死んだ我が国の兵士や市民たちをまず悼むこと、それなしにはアジアの死者を悼むこともまたできない、ということを言ったからである。「日本の三百万の死者を悼むことを先に置いてその哀悼をつうじてアジアの二千万の死者のへの謝罪に至る道は可能か・・・」
これはすぐに靖国問題などの困難な問題につながることが避けられない。わたくしに長男が生まれた時、その名前の候補の一つに靖というのを選んで父に相談したら、靖は靖国の靖だから絶対に駄目だと血相を変えて反対されたことを思い出す。南の島に送られて九死に一生を得て帰還した父は、その戦争を美化すると思われる靖国神社といったものを絶対に許すことができなかったのだと思う。
ドイツには戦没者ならびにナチ党の暴力支配の犠牲者を追悼する記念日である「国民哀悼の日」というのがあるらしい。第二次世界大戦の日本人戦没者に対しては「全国戦没者追悼式」があるが、これは日本人だけ(兵士と市民)が対象である。しかし、加藤氏が主張しているのは、そのような式典ではない。日本の兵士(あるいは世界のすべての兵士)は汚れているのであり、その汚れのままに追悼をするといったきわめて屈折した話なのである。つまり、汚れているから追悼してはならないではなく、汚れていることを認めたうえで悼もうではないかという提言である。
これは当然、左右両派から叩かれる。
右の靖国派からいえば、そもそも靖国神社は軍人だけを祀るものであるが、日本の軍事行動に殉じた軍人はすべて英霊となるのだから、それを汚れているなどということは言語道断である。他方の左派からみれば、日本の軍事行動は侵略戦争なのであるから、その戦争に従軍して死んだ兵士を悼むことは侵略戦争を肯定することに繋がる断じて許すことのできない行為であり、まず悼まれるべきは侵略戦争の犠牲になったアジアの人々であるということになる。侵略された側は侵略した人間を非難する権利があり、われわれがその人たちを悼むことをまだ十分にはしていないにもかかわらず、それを措いて侵略戦争に加担した兵士を悼むことなどありえないことになる。これは昨今の韓国との関係にもかかわる話であるはずである。つまり、加藤氏の提言は古びていない。
ということで加藤氏は、気の毒に、四面楚歌の状態になった。
それで内田樹氏の解説である。そこで氏はいう。「「敗戦国民」という私たちの立場は、加藤の卓抜な比喩を借りれば、火事場で自分の上に身を覆い被さって焼け死んだ人の灰に守られて生き延びた人が、生きて最初に命ぜられた仕事が「自分を守って死んだその人を否定することである」という理不尽なあり方をしている。」 内田氏はいう。ここには万人が納得できるような「正解」はない。
内田氏は加藤氏の批判者である高橋哲哉氏の主張を「正しすぎる」という。高橋氏の論理を受け入れれば、世界のすべての共同体における慰霊の儀式が廃絶されなければならないからである。高橋氏は「いかなる汚れもまぬがれた無垢の政治的立場」というものがありうると想定しているのだが、そのようなものは存在しないのだ、と内田氏はいう。高橋氏の立場は、すべての存在を悪であると糾弾し、すべてのものは滅びるべきであるという論理に通じてしまう。内田氏は、加藤氏は「正しさは正しいか?」ということを問うているのだという。だから加藤氏は以下のようにいうのだ、と。「悪から善をつくるべきであり、それ以外に方法はない。」
ちくま学芸文庫版への解説を書いている伊東祐史氏は、加藤氏は「敗戦後論」の後、変わったという。その通りだろうと思う。2015年の「戦後入門」には「敗戦後論」の柔らかさは微塵もみられなくなってしまっている。そしてこの解説を書いている内田樹さんもまた、「ためらいの倫理学」のころの著作の中核にあった「ためらい」が最近の書作においてはどこかに消えてしまっているように思える。
自分の言説が現実の政治において何らかの実効性を発揮できる、あるいは発揮したいと思う、その誘惑に負けると、その言説は固くなり、柔軟性が失われていく。
林達夫氏はいう。「政治くらい、人の善意を翻弄し、実践的勇気を悪用するものはない」(「新しき幕明」)、「私は政治について人から宣伝されることも人に宣伝することも好まない。どぎつい政治的宣伝は、たといその中に幾分の正しさを含んでいる際にも私にとってはやりきれない心理的攻撃であって・・」(「共産主義的人間」)
福田恆存氏のチェーホフ論では、こんなことがいわれる。「かれ(チェーホフ)が唯物史観といふ武器を採りあげようとしなかつたのは、ほかでもない、それが武器であるといふ、ただその一事のためではなかつたか。チェーホフはひとを裁きたくなかつたのだ。・・・かれにはぜつたいに他人を裁けないのだ。・・・ロマンティックなもの、メタフィジカルなもの、センティメンタルなものを、なぜチェーホフは憎んだか。理由はかんたんだ。これら三つのものに共通する根本的な性格――それは他人の存在を忘れることであり、他人の注意を自分にひきつけることであり、他人の生活を自己の基準によって秩序づけることである。チェーホフはそのことにほとんど生理的な嫌悪感をいだいてゐた。」(福田恆存「チェーホフ」)
さらにポパーの啓蒙論では、以下のようなことがいわれる。「「啓蒙とは何か」とヴォルテールは問い、そして次のように答えています。「寛容は、われわれとは誤りを犯す人間であり、誤りを犯すことは人間的であるし、われわれのすべては終始誤りを犯している」という洞察から必然的に導かれてくる。としたら、われわれは相互に誤りを許しあおうではないか。これが自然法の基礎である。」(カール・ポパー「啓蒙と知的責任」(「よりよき世界を求めて」所収))
さらにフォースターはいう。 「残念ながら、この地上ではたしかに力が究極の現実である。しかし、それがいつでも正面に出てくるわけではなのだ。それが存在しない状態を「デカダンス」と呼ぶ人もいるが、わたくしはそれを「文明」と呼んで、こういう休止期間があることこそ、人間がしようとすることを許せる最大の根拠だと考える。」(フォースター「私の信条」)
林達夫氏はまたいう。「日本のアメリカ化は必至なものに思われた。新しき日本とはアメリカ化される日本のことであろう・・・。私は良かれ悪しかれ昔気質の明治の子である。西洋に追いつき、追い越すということが、志ある我々「洋学派」の気概であった。「洋服乞食」に成り下がることは、私の矜持が許さない。」(林達夫「新しき幕開き」) ここでいう西洋とはヨーロッパである。アメリカは含まれていない。
そして、吉田健一氏は、「文明は人智が或る段階以上に達して始めて現れるものと考えられて、この文明の状態は我々が人を人と思うということに尽きる」という。(吉田健一「ヨオロツパの世紀末」)
この何年かの世界の動きをみていると、われわれが漠然と信じてきたように思える「世界は文明の方向に向かっている」というヨーロッパ18世紀の啓蒙派に由来する信念に大きな翳がさしてきているように感じる。
要するにわれわれが奉じてきた価値観というのは18世紀のヨーロッパ啓蒙に由来する何かであった。だが、アメリカという野蛮な国だっていずれは文明化するだろうという淡い期待ははずれて、アメリカは野蛮のままいっこうに文明化する気配もみせずに、よいよ非寛容の国となって世界を支配しようとし、ロシアという辺境はロシア正教ではなく帝政ロシアのツァーの伝統を蘇らせようとし、中国は日本人が中国文明の精華と思ってきた李白と杜甫の中国ではなく(「風急に天高くして猿嘯哀し 渚清く沙白くして鳥飛廻る・・」「花間一壷の酒 独り酌みて 相親しむもの無し 盃を挙げて明月を迎え、影に対して三人と成る・・」)、科挙制度を基礎とする官僚国家として蘇ろうとしている。
そして本家本元のヨーロッパもまた何だか野蛮に戻ろうとしている気配である。
加藤氏の「敗戦後論」からのその後の後退もまた、そういう流れの中で理解できるのかもしれない。そして内田氏もまた現実政治での何かを目指して「ためらい」を捨てようとしている。
フォースターがいう「この地上ではたしかに力が究極の現実である」というのが、昨今では剥き出しに表にでてこようとしている。「われわれは相互に誤りを許しあおうではないか」などというのは薬にもしたくない時代になってきている。
わたくしがなぜ西欧啓蒙派の信者となったのか? それは自分が単に臆病だったからという気もする。大学時代、威勢のいいひとがたくさんいて、教師をつるしあげて「手前!」よばわりをすることが平然とおこなわれていた。こちらは別に育ちがよかったわけではないが、そういう風潮にはどうしてもなじめなかった。
とにかく武に通じるようなものすべてがきらいで、そういうものからただもう逃げていた。吉田健一氏が若いころ怖かったのが「兵隊さんとお巡りさん」といっているのを読んで我が意を得た。とにかく、体育会系といわれるようなものがすべて駄目で、わたくしが好きなのは唐様で書く三代目である。
現在から振り返ってみると、昭和22年生まれとして、わたくしもまた「洋学派」として生きてきたのだと思う。洋学派とはヨーロッパ派の謂いである。帝政ロシアだってヨーロッパに憧れていたし、米国もまたイギリスへのコンプレックスを隠せないできた。しかし、時代は変わった。
フォースターのいう「力」というのは武ばったもの、単的には軍隊のことであろう。戦後の日本が憲法の規定によって軍の問題を正面から見ることを回避できてきたことは、わたくしにとっても幸いであったのであろうと思う。
啓蒙とは自分が正しいとは信じない立場である。しかし、その力は、現在、世界のあらゆる地域で間違いなく後退している。
とはいっても、まだ10~20年くらいはその立場のものがゼロになってしまうということはないであろう。もともと啓蒙派が多数であったことなど世界の歴史で一度もなかったのだから、少々の後退で過度に悲観的になることもないのかもしれない。
わたくしの一生というのは20歳ごろ経験した全共闘運動というのはいったい何だったのだろうか、ということを考えている何となく過ぎてきてしまったように感じられる。
結局、あれはマウンティングの競争だったといったらあんまりであるけれど、あの運動ほど、非政治的なものはなかったという気がする。民青系の運動がとにかく嫌われたのは、それが政治の運動であったからである。自分にしか関心がない政治運動というのも奇妙奇天烈なものだけれど、自分が正しいこと、正しいが故に他の上に立っていると信じることができること、関心はただその一点にあったような気がする。
つまりこれはヨーロッパ啓蒙とは正反対のものであって、ヨーロッパ啓蒙が敵としたのはキリスト教なのであるから、敵の敵は味方という論理にしたがえば、これは宗教運動という側面を濃厚に持つ運動だったことになる。一人一派の宗教運動などというのはほとんど自己矛盾であるが、自分が教祖で信者は自分一人という宗教があるとすれば、これがまさにそうなのかもしれない。
ヨーロッパにおける反=啓蒙の動きの代表的なものとしてロマン主義がある。全共闘運動もロマン主義の系譜に属する。などといっているときりがなくなるが、わたくしにとってクラシック音楽とは、自分の中にもあるロマン主義的な何かを自己消費ししまって、そとには持ち出さないようにするための手段という側面が大きいような気がする。その手本は小林秀雄の「モオツァルト」であったかもしれない。
マウンティングという独自の観点から鹿島茂氏が、最近、ユニークな文学史の点検をおこなっている(「ドーダの近代史」など)。確か、鹿島氏は若いころ全共闘運動にかかわったひとではなかったかと思う。若き日の小林秀雄は典型的なドーダの人である。小林秀雄-ランボー路線というのは全共闘運動の一部に結構大きな影響をあたえたのではないかと思う。
庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん 気をつけて」はユニークな視点からの全共闘運動批判であったと思うが、その庄司氏が若い日に福田章ニ名義で書いた「喪失」は、若者同士のマウンティング競争を描いたものであった。
ここでとりあげた何人かの文章、林達夫、福田恆存、ポパー、フォースター、吉田健一といった人たちが言っていることは、すべて広い意味でのマウンティングの否定、あるいは他者の肯定である。
という方向に話をひろげると収拾がつかなくなるが、加藤氏がたどった軌跡をみると、なんでこのひとは政治の話題に首を突っ込んだのだろうと思う。文学の世界にとどまっていればよかったのに。林達夫氏がいうように、「政治くらい、人の善意を翻弄し、実践的勇気を悪用するものはない」のだから。
政治と文学という話題はつねに文学者の側からのみ語られ、政治家の側からは一顧だにされることはなかった。
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固定ド 移動ド
片山杜秀さんの「革命と戦争のクラシック音楽史」を読んでいたら、ベートーベンのピアノソナタ「悲愴」を論じている部分で以下のような記述があった。「とりあえず、第一楽章冒頭の一小節目を見てみましょう。出だしから強烈かつ単純の極みです。ハ短調の主和音を鳴らすのです。ハ短調のド・ミ・ソ、それつまりドとミのフラットとソということです。短三和音です。」
これがたとえば二短調の曲だったらどうだろうか? 「ニ短調の主和音を鳴らすのです。ニ短調のド・ミ・ソ、それつまりドとミのフラットとソということです。短三和音です。」となるだろうか? 二長調のド・ミ・ソはDF#Aである。その短調の主和音はド・ミのフラット・ソで、D・F・A。
わたくしは昔から、ハ短調はハ長調ともっとも近親な調で変ホ長調の平行短調であることは、それに比べればずっと遠いという感じを捨てきれないできた。しかしイ短調はハ長調の平行短調であってイ長調の同名短調であることはずっと遠いという感じもまた抱いてきた。
ピアノの鍵盤はハ長調帝国主義を表している。ピアノであれば、ハ長調の曲は原則黒鍵を必要としない。わたくしの上記の感覚はそのハ長調帝国主義に毒されているということなのだろうと思う。
横文字表記ではハ短調は、Cmoll あるいはCminorである。このCが固定ド法のドに対応する。つまりこれは絶対表記である。移動ドのドはその曲が何調であるかでどの音かが変わるから相対表記である。
片山氏の表記の「ハ短調のド・ミ・ソ」という部分のドが固定ドのド、つまりCをあらわすとすると、「ハ短調のド・ミ・ソ」という表記は微妙に変である。「ハ短調の主和音であるド・ミ♭・ソ」とすれば固定ドでの表記として問題ない。
しかし片山氏の中では、ハ短調はハ長調の同名短調という意識が強く、長調と短調の違いは第3音の音高の違いという感覚がきわめて強いとすれば、この本での表記が一番自然ということになるのであろう。
短調の場合、サブ・ドミナンテが(わたくしの感覚では)ド・ファ・ラのフラットとなり、ドミナンテは長調と同じでソ・シ・レ。それを並べると、ド・レ・ミのフラット・ファ・ソ・ラのフラット・シ・ドというきわめてぎこちない音列となり、実際には上行がド・レ・ミのフラット・ファ・ソ・ラ・シ・ド、下降がド・シのフラット・ラのフラット・ソ・ファ・ミのフラット・レ・ドが自然で、前者を和声的短音階、後者を旋律的短音階と読んだりしているのだと思う。しかし音楽的に重要なのは、主和音と属和音で、実際には属和音はドミナンテであり、もっとも大事な和音なのかもしれないわけで、それは長調でも短調でも同じの和音なのだから、長調と短調との違いは第3音の半音の差ということに帰着するとするのだとすると、片山氏の書き方は合理的ということになる。しかし、たまたま片山氏の選んだ曲がハを主音とする曲であったので、それが固定ドでも移動ドでもどちらで構わないことになり、ここでの表記が片山氏のどのような感覚を表しているのかがわかりにくい。
片山氏は「ハ短調のドレミレ」とかいて「実音ではミのフラット」と書いているので、根音をドと呼ぶという意識で書いているのであろうと思う。
わたくしも短調は長調のミが半音下がったものという感覚を捨てられないでいるので、片山氏の表記に何かわたくしの感覚に近いものを感じて、面白く感じた。しかし、それならば、イ短調はイ長調の同名短調と感じるかといえば、それよりもハ長調の平行短調という感じが強いことはうまく説明できない。ピアノの鍵盤の構成にみられるハ長調帝国主義にもまた大いに毒されているのであろう。
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小熊英二「日本社会のしくみ」(2)第一章日本社会の「三つの生き方」
第1章 日本社会の「三つの生き方」
最初に「不安な個人、立ちすくむ国家」という2017年に「経産省若手プロジェクト」が作成した文書が紹介されている。随分と評判になったものらしいが、わたくしは知らなかった。これを知っただけでも、本書を読んだ意味があったかなと思う。
最近、厚生労働省改革若手チームによる「厚生労働省業務・組織改善のための緊急提言」という90ページほどの文章も発表された。「働き方改革」を主導する立場である厚生労働省であるが、その労働環境がいか劣悪であるかを指摘し、様々な改革を提言している。
こういう若手官僚が様々な声をあげるようになってきているというのも、日本が直面している状況への危機感の表れなのであろう。
「不安な個人、立ちすくむ国家」では、「正社員になり定年まで勤めあげる」という生き方をした男性は、1950年代生まれで34%であったものが、1980年代生まれでは27%になると予想されることが紹介され、小熊氏は「昭和の時代」でもそういう生きかたは34%に過ぎなかったのだということを指摘している。「経産省若手プロジェクト」のメンバーにもこれは意外だったらしく、もっと高い数字になるだろうと思っていたので「自分たちは分かってなかったんだ」とショックを受けたのだという。
ではその34%以外のひとはどういう生き方をしているのか? 小熊氏は現代日本の生きかたを、「大企業型」「地元型」「残余型」の3類型にわけて考えることを提言している。
「大企業型」とは「正社員になり定年まで勤めあげる」という生き方をした人とその家族である。「地元型」とは「地元から離れない生き方」で、ある地方の中高をでて地元の自営業、地方公務員、建設業、地場産業、農業などに従事するものをいう。(小熊氏はあくまでこの分類は理念型であり、現状分析のための補助線であるとしている。)
地元型:収入は「大企業型」より少ないが、親から受け継いだ家に住み、地域の人間関係にめぐまれ、近隣からの(農作物などの)おすそ分けがあるため支出は少なく、定年がなくずっと働くひとが多い、という類型と小熊氏はする。地元型は上記のように経済力では「大企業型」に劣るが、地域に立脚しているので政治力は持つのだという。
「大企業型」は定年後の生活に問題があり、地域に地盤がないために育児などに問題が生じがちである。
よく日本の住宅は狭いといわれるが、それは大都市の住宅、特に賃貸住宅の場合である。従来、日本を論じるときに「大企業型」が前提に議論されることが多かった。それは論じるひとの多くが「大企業型」の生き方をしていたからである。
社会保障制度を考えてみる。日本人は「企業」か「地域」かに所属しているという前提でその制度はできている。厚生年金は「企業」に勤める人を前提にしている。「国民年金」は「地元型」を想定している。
バブルの余波が残っていた1993年でさえ、年金だけで暮らせるひとは1/3だった。
「残余型」とは、長期雇用もされていないが、地元にも基盤を持たないものである。「大企業型」と「地元型」のマイナス面を集めたような存在である。
「残余型」は政治的な声をあげにくい。(地元を持たない「大企業型」のひとであっても、労働組合を通して政治的要求を主張することはできる。)
日本はこれから「残余型」が増えていくと思われる。それは、今までの日本の制度設計が困難に直面していくということである。
定住という観点からみた「地元型」は31%~36%くらいである。
一方、「大企業型」は26~30%くらい。
日本では20~30%の「大企業型」とそれ以外の格差が開いている。
非正規雇用が増えているといわれるが、正規雇用の比率はそれほど減ってはいない。しかし非正規雇用は増えている。それは自営業種や家族従業員の数が減っているため雇用労働者数が増えているからである。(自営商店や自営食堂が減って、スーパーや飲食チェーン店が増えている。)
90年代から2000年初頭にかけての「就職氷河期」に遭遇した「団塊ジュニア」は非正規雇用の増大の象徴とされている。その背景には、この時期に高卒が減って大卒が増えているということがある。その大卒者の急増に対して大卒労働市場は一定であったので、結果として大卒就職率が下がったのである。
1985年ごろに問題とされていたのは、正規雇用者が減るであろうことよりも、団塊の世代では役職者昇進の機会が減るということであった。
日本ではまず高校進学率が伸び、その後で大学進学率が伸びたということがあるが、それにもかかわらず、最近になっても大学院進学率は伸びていない。それは大学院進学率の増加という現代世界の動向に反しており、そのため日本は世界からみると低学歴の国になってきている。
日本の就職で評価されるのは大学で何を学んだかではなく、大学入試を通過できたかどうかということにある点がその大きな原因となっている。日本では就職時、存在能力が問われるのであって大学で学んだ専門知識ではない。だから、語学力などは重視されない。とすれば、大学院進学の実績は就職には特に有利にははたらかない。
なぜ日本では専門的な学問知識が重視されないのかは、次章でくわしく議論される。
雇用労働者の増加分は、日本では自営業の減少から供給されているが、アメリカでは移民、イギリスでは人口の増加によっている。それは日本が英米よりも遅れて近代化したことの反映である。
また1970~80年代にかけて、日本では小売店の数が非常に多かった(イギリスや西独の3倍、アメリカの2倍)。それは自民党政権が小規模小売店を一つの支持基盤としてきたことにもよる。しかし80年以降、日本の非農林自営業は減少してきている。この頃から自営業から非正規労働への移行がおきているが、それはまず女性からおきてきている。
2000年以降、小企業の雇用者が減って大企業の雇用者が増えてきている。
日本の問題は「大企業型」でも「地方型」でもない「残余型」が増えてきていることである。「残余型」の増加は貧困の増加につながるからである。
日本は「会社」と「村」を基盤に社会が形成されている。しかし、それは万国共通のことではない。日本がそうであるのは日本の大企業の雇用慣行によるところが大きい。大企業は広域から人を集めるし転勤も多いため、終身雇用と地域で暮らすことは両立しにくい。
大企業と中小企業の労働市場は分断されているし、しかも大企業は中途採用者には封鎖されている。
それでは、このような日本の労働慣行はどのようにして形成されてきたのか? 第一次世界大戦後の1920年ごろからとするものが多い。
欧米では、企業の規模よりも、工員か事務職なのかといった職種のほうが収入の決定要因としては大きい。「大企業型」という類型が成り立つのは大企業の正社員であれば、どんな職種であっても収入が保証されるという構造がある場合においてのみである。
ドーアは、1973年に、ある調査に基づいて、英国ではどんな仕事をしているかと尋ねると、「自分は鋳造工でありどこそこに住んでいて〇〇社で働いている」と答えるのが普通であるが、日本では「○○社の社員である。どこそこの工場で働いて、鋳造工をしている」と答えるのが通例であるとしている。イギリスでは自分のアイデンティティは鋳造工であることにあるが、日本ではどの会社で働いているかにあるのだ、と。
このような違いがなぜ生じたかを、第2章以下で考察していくことになる。
大分以前の本であるが山本七平氏の本のどこかで、銀座の老舗の菓子屋の息子が後をつがずに三菱(だったか)の社員になることを選んだ話がでてきて、日本では有名な菓子店の店主よりも有名企業の平社員のほうが世間的な評価が高いのだというようなことが書いてあったのを思い出す。
山本氏自身は山本書店という一人出版社の店主であり、印刷や製本といった中小の業者とのかかわりの中で長く生きてきたひとなので、氏の労働観は多分にそういう自身の経歴に影響されていると思うが、鈴木正三などというひとを見つけてきて、江戸時代において農業に打ち込むことが仏行につながるとしたということの指摘などは、多分にウエーバーのプロテスタンティズムの精神が資本主義をつくったという説を意識したものであろうが、同時に日本においては会社をその筆頭とする機能集団はそれが共同体へと転化していかないかぎりはうまく機能していかないという 小室直樹氏が「危機の構造」などでいう論とも通じるものがあって、そもそも会社というのが利益の追求を第一にするものではなくて、成員それぞれに生きる意味をあたえる場であることを第一義とするのであり、そういう組織に転化しない限り会社というおはうまくまわっていかないという論などにも通じるものがあるように思う。
あるいは内田樹さんが「村上春樹にご用心」でいう「雪かき仕事」、何かを作り出すという創造的な仕事ではなく、ただ現状を維持するだけの仕事であっても立派な仕事である、あるいはそれこそが実は肝要な仕事であるとするような見方、あるいは、中井久夫さんが「分裂病と人類」で二宮尊徳などを例としていう「執着気質」の問題(「天道非なり」という見方、われわれが手を入れてようやく自然というのは現状が維持されるのであって、何もしないでいたら自然は見る間に荒廃してしまうという見方(エントロピーの増大?)など、わたくしは様々な日本人論に親しんできて、もっぱらそういう視点から日本人の仕事を考えてきた。
産業医という立場からいえば「執着気質」の問題、うつ病の背景としての「メランコリー親和型」の性格というのが、日本とドイツ以外ではそもそも医学界でも認知されていない概念である(笠原嘉「精神科医のノート」)という指摘になるほどと思ったものだが、その「メランコリー親和型」も、絶滅危惧種といわれるくらいにこの10年くらいの間にわれわれの周囲から姿を消してしまい、それにかわって「新型うつ」というのが一時騒がれたがそれもまたあまり見られなくなり、現在みられるのは「働く」ということ自体に適応を欠くのではないかと思われる人たちになってきている、そういう場で仕事をしている。
現在われわれが直面しているのは、そもそも職場にそこが共同体であることを求めていない人たちである。共同体は職場といった実体からネット上といった仮想の空間へと移ってしまったらしい。
「大企業型」と「地域型」の違いは、働くひとがどこに根を持つかという問題である。最近あまり使われなくなった言葉を使えばアイデンティティの問題である。大企業に勤めながら意識は「残余型」というような人が増えてくると、小熊氏の提唱する「大企業型」「地元型」「残余型」の分類の持つ力は薄れていくかもしれない。
第2章以下では日本の雇用慣行と他の国の雇用慣行が比較検討される。本書の大きな主張は日本の労働慣行が明治期の官庁制度に根があり、それが軍隊の階級制度と共鳴して「大企業型」の労働慣行を生んだとするものである(第4章)。軍隊組織も広義の官僚組織・官庁組織であるとすれば、日本のマインドはいまだに官優位ということなのかもしれない。それについては第2章以下をみながら考えていきたい。
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小熊英二「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」(1)
600ページ近い新書としては異例の厚さの本で、正直、非常に読みにくい。「雇用・教育・福祉の歴史社会学」という副題がつけられているが、主に論じられるのは雇用の問題で、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といったいわゆる世界から見てかなり特異とされる日本の雇用のありかたが、日本の近代の歴史のなかでどのように形成されてきたかを論じたものである。したがって学術書という側面も持つ著作であるが、学術書としての通常の書き方である、まず先行研究を紹介し、それを批判的に検討した後、自説を展開していくといった書き方はされていない。
そうかといって新書という形式の要請で、読者の関心をつないでいくために適宜興味深いエピソードも交えていくといったサービス精神はほぼゼロである。
しかもあることが論じられると、そのあとに、「ただし」とか「とはいえ」とか「しかし」とか「だが」とか「実は」とか「もっともこれは」とか、前段の議論を限定したり、ひっくり返したりする論が続くことが多く、なかなか議論が直線的に進んではいかない。
それは学問的良心なのかもしれないが、読み物としての側面も持つ新書としてはかなりつらい本となっている。
それでは、なんでわざわざそんな本を読んでいるのかというと、それはもっぱらわたくしが現在産業医という仕事をしていることによる。産業医というのはある規模以上の事業所では任用が義務づけられている、そこで働くひとが業務を遂行することによって健康を害さないように管理することなどを主たる業務とする仕事である。
しかし医者という仕事はもともときわめて一匹狼的な色彩が強い業務なので、凡そ組織といったものにはなじまないので、会社という組織体そのものが一向にぴんとこない。まして、わたくしのように産業医の仕事を60歳すぎてからはじめたものにとっては、会社という組織ではたらくひとも気持ちというのが根っこのところではよく理解できないところが多いし、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といったシステムのそとで生きてきているので、そういうシステムが会社で働くひとにとって持つ意味というのが実感としてはわかっていない。
さらに個人的事情がある。前の東京オリンピックが開催されたのはわたくしが高校3年の時で、どういうわけかそのころ根性といった言葉が猖獗をきわめていた。日紡貝塚という女子バレーボールのチームがあって、その監督の確か大松博文というひとがいて、その言葉の旗振りというか震源地だったような記憶がある。
その頃、ニュースなどを見ていると少なくとも一部の日本人は根性とかいった言葉が大好きなようであって、会社という組織でも新入社員に自衛隊に体験入隊を強制するとか、寒い時に滝に打たれさせたりている報道がやたらと目についた。小さい時から運動神経ゼロの根性なしであった人間として、高校一年のとき、それまでの文学部志向をやめにした時、さて将来どうしようかと考えたときに、すでにはじまっていた、体育会系志向のような風潮をみて、ヤバイ、とにかくサラリーマンにだけはなるまいと思った。しかし当時は「13歳のハローワーク」といった本はなく、会社員でない仕事というのも具体的なイメージがつかめず、たまたま父もまた勤務医であったという身近なモデルの存在から医者という道を選んだ。したがって、医者になるといっても、開業するといった選択を考えたことは一度もなく、研究者になるということを考えたこともない。
医者になって数年は大学で学位の取得のための研究と称することをしていて、その学位がとれる目途が34歳ごろについたので、どこか外の病院にでて臨床の仕事をすることを考えていたところ、たまたま卒後の臨床研修でお世話になった病院の先生から、学位もとれたのなら大学にいてもしょうがないから、うちにこないかという誘いを受けて、じゃあということで出た病院にでて、結局30年以上も務めることになってしまった。
そしてさらに特殊な事情があって、その勤めた病院というのが某大企業が設立した病院でいわゆる企業律の病院で(ある時期の大きな企業は中根千枝さんがいう「ワンセット構成」で本業以外に物流から金融までなんでも自前で一式もとうとしていた)、つまりわたくしはその企業の構成員、つまり会社員にその時点でなったはずなのだが、勤めて半年くらい自分はその病院に就職したのであって、その会社に就職したという意識がなかった。事実、就職時に労働契約書のようなものを交わした記憶もない。
病院に勤めはじめて半年くらいしたときに、ある先輩から、「君は会社員なのだから転勤もあるよね?」といわれてはじめて会社員になったことに気が付いた(その企業はその下にいくつかの病院を持っていたので、後から考えれば、その病院間での移動はありえたわけである。しかし就職時、その企業が他にいくつも病院も持っていることさえ知らなかった)。
いまから考えると、最近、雇用の問題でよくいわれる「メンバーシップ型」と「ジョブ型」という区分でいえば、わたくしは典型的な「ジョブ型」の採用であったのだと思う。命令により転勤があるなどということは微塵も考えなかったし、「君は内科で採用したけれど、明日から外科をやってくれたまえ」といわれることもないだろうし、ましてや「来月から医者ではなく病院事務をやってくれ」といわれることもないだろうと信じていたわけである。
日本的な雇用形態とはまったく異なるかたちで某大企業の社員であったという特殊な履歴をもつ人間が、産業医という仕事にも携わるようになったため、日本の会社組織というものにいやでも関心をもたざるをえないことになった。それで、このかなり読みにくい本も職業上の必要から、何とか読み通した。
そして以前から日本人論のようなものに関心をもってきたということも、もう一つの本書を読む背景となったかもしれない。山本七平、小室直樹、内田樹といった人たちの論を面白がって読んできたこと、特に山本氏の本から日本の軍隊組織が日本の組織の原型になっているのではないか、という示唆を与えられたこと、あるいはもっといえばやくざ組織のようなもの、一宿一飯の恩義、義理と人情、俺の目を見ろ、何にもいうな、黙って俺について来い、の世界が、会社という組織の一番根っこにあるのではないかというようなことを以前から漠然と考えてきたことなどもあって、あるいは村上奏亮氏らの「文明としてのイエ社会」のような本、あるいは河合隼雄氏の「中空構造日本の深層」のような本にも親しんできたこともあって、それについて考える補助線として本書の主張が使えるかもしれないと考えたことも、なんとかこの本を読み通すことができた背景の一つにあったかもしれない。(小熊氏は日本文化論的なものに批判的である。)
せめてこの後、第一章だけでも見ていこうかと思ったが、その章だけでも100ページもあるので、稿をあらためることにする。
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週刊文春の橘玲さんの論
「週刊文春」の最新号での連載「臆病者のための楽しい人生100年計画」の「ロマンス小説の読者が‟欲情”する男性像」で、橘玲氏が、「女には男とは別のポルノがある」という説を紹介している。ハーレクイン・ロマンスなどのロマンス小説がそれにあたるという。
このような話題にかんしては、昔、「女だけが楽しむ「ポルノ」の秘密」という「進化論の現在」というシリーズのうちの一冊を読んだことがあって(2004年)、そこに「ロマンス小説は「女性向けポルノグラフィ」と呼ばれている」ということがすでに書かれている。
橘氏の論が気になったのは、現代的なロマンス小説の原型がマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」であると書かれていたことである。動物学でのアルファ・オス」と「ベータ・オス」を転用して、ロマンス小説ではヒロインが、アルファとベータの間で揺れ動き、最後にアルファと結ばれるという構造なのだという。
ハーレクイン・ロマンスは一冊も読んでいないので大きなことはいえないけれど、ロマンス小説とは、アルファ・オスが数あるメスの中から自分を選んでくれるというストーリーなのではないかと思う。「風と共に・・」のアシュレーのようなうじうじとした造形の人物がでてくるとは思えない。
ロマンス小説の原型は、「いつか王子様が・・」であって、「白雪姫」から「シンデレラ」まで、その基本の構図は「玉の輿」なのであると思う。男の富対女の美貌であって、普通、富のある男は特定の女を求めるのではなく、多くの女を求めるものなのであるが、どういうわけかそうではない男もいて、自分という特定の女に求愛してくるという夢を飽かず描くのがロマンス小説なのだと思う。「風と共に・・」のアシュレーのような生活能力をまったく欠くが教養だけはいっぱしもっているなどという男が一時的にせよヒロインから愛されるなどということはロマンス小説ではありえないと思う。
そしてレット・バトラーがアルファ・オスであるかというのも疑問である。レット・バトラーは自分は二流である、本物ではないという意識を持っている人間で、大部分の人間は三流なのであるから、それよりは自分は上であるが、本当の一流という人間が稀にはいてそれには敵わないと思っている人物である。そして、「風と共に・・」で一流の役割を振られているがのがメラニーで、ロマンス小説に例をとるならば、ヒーローがメラニーでヒロインがレットということになるのではないかと思う。レットはスカーレットが上等な二流であるという点で自分と同類と思っているわけで、その世界が成立するためには本物の一流がどこかにいるのでなければならない。メラニーは寧ろ「永遠に女性的なるものが、われらを引きあげて、高みに昇らせてくれる」というゲーテ「ファウスト」にあるような男の困ったロマンティック幻想を体現したような像で、だからわたくしには「風と共に去りぬ」を書いたのが女性であるということが何だかうまく理解できないのである。
スカーレットは生活力のある、自分の足の上に立っているindependent な人間で、別にどこからも王子様がやってくる必要はない。どうも「風と共に去りぬ」がロマンス小説の原型という説には納得できないものを感じた。
橘氏は進化論的見方から人間のさまざまな行動が説明できることを啓蒙しているかたで、本論もその一環であるが、わたくしは男は自己批評的な性、女は自己肯定的な性であると思っていて、「風と共に・・」はむしろ、男女のその側面を典型的に描いたものではないかと思っている。男は自分を笑うことができる性であるが、女性はそれが苦手であって、だからこそユーモアというのは男の属性なのである。レット・バトラーはわたくしが12歳にして初めてであった偽悪的人間像で、とすれば偽善は女性の特徴、偽悪は男の属性ということになる。これもまた進化論的に説明可能なのだろうか?
バロン=コーエンの「共感する女脳、システム化する男脳」の巻末にふされた自己テストをやってみると、わたくしは男性としては著しく女性性が高いという結果になる。バロン=コーエンはもちろん進化論的観点から男女の差をみているのであるが、自己を笑うということは批評性の表れであるとすると、やはりシステム化の方向であり、男性側の属性ということで、これもまた進化論的にも説明できるのかもしれない。
本論の末で、日本ではロマンス小説の方向が、宝塚から「やおい」(ボーズラブ)という同時の発展をとげたとあるが、「女だけが楽しむ「ポルノ」の秘密」では、スラッシュ小説というアメリカを中心に進化をとげた一種のボーズラブの世界を描く作品群が紹介されている。その読者もほとんど女なのだそうである。ここでは日本では「少年愛」という少女向けのコミックジャンルがあることもちゃんと紹介されている。
「やおい」については日本のおいてその方面をほとんど一人で立ち上げたという中島梓さんの「コミュニケーション不全症候群」なども読んだことはあるが、なにしろマンガというのかコミックというのかの世界にはまったく疎いので、あまり理解できていないだろうと思う。
最近、映画になった「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」などというのも多分、ロマンス小説の変形で、原作者は多分、女性だったと思う。
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