読んできた本(1)

 来年の1月に75歳、後期高齢者になるので、この機会に今まで読んできた本を少しふりかえって見ようかと思う。何しろ記憶力がとみに低下してきているので、随分と事実とは違っているかもしれないが・・・。

 小学校時代は算数少年だったのであまり本を読んだという記憶はない。唯一覚えているのが江戸川乱歩の少年探偵団シリーズで、まだテレビのないラジオの時代、そこで「少年探偵団」もやっていたので、それで読んでみたのかもしれない(その主題歌は「勇気凛々 瑠璃の色」とか今から思うと随分と難しい言葉を使っていた)。
算数少年としては、小学校高学年になると、旅人算とか流水算とかは計算間違いをしなければ、解き方がわからないとうことはないといささか天狗になっていたので、麻布中学の受験で解き方がわからない問題に初めて遭遇して、それで理系志向から文系へと方向を変えた。
因みに解けなかった麻布の入試問題というは、例によってAさんが出発してしばらくしてBさんが追いかけるという旅人算だったのだが、直線上を追いかけるのではなく、正四角形の道を追いかけ、二人が初めて同じ辺の上に乗るのはいつでしょう?というものだった。追いつくのではなく同一辺上ということには気がついたからいくらかの点はもらえたと思うが、あとからきくと1600人ほどの受験者で正解者は2人だったそうである。(その内のひとりは、ひょっとすると、後に東大理学部数学科の教授になったM君かも)しれない。)
これに関してもう一つ驚いたのは、後に子供が中学受験の準備でかよっていた学習熟の問題をみていたら、この麻布の入試問題が小4あたりの普通の問題としてでていたことで、さらにその問題集のわたくしにはさっぱりわからない問題を天下の東大理3出身の研修医にみせたところ、彼等もまた誰も解き方がわからなかったことである。うろ覚えだが、空気の薄いところでの登山の問題で、それには酸素が必要、途中に2か所中継基地があり、そこには3個までボンベをおける。酸素は中継地にいくまでに切れる。登山には3個までボンベを携行できる。最短の時間で登頂するにはどうしたらいいでしょう? というような問題だった。

 ということで、中学で文転したあとにことは次回に。

朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね 

 これは、敗戦の翌年、皇居前広場(当時は人民広場と呼ばれていたらしい)でおこなわれた食糧難を訴えるデモで掲げられたプラカードに書かれた文言らしい。餓死者が続出していた時代である。

 最近の小室氏あるいはその周囲へのバッシングには何かそれに似たものを感じる。おれたちは日々食べていくのにやっとなのに、あいつら仕事らしい仕事など何もしていないのに、国の金でのうのうと暮らしやがって許せないという感情である。

 敗戦後すぐに天皇制を廃止していれば、勿論こんなことはおきなかったわけだが、占領軍が日本統治のためにも天皇の存在を必要としていて、押し付けた憲法にも第一条に天皇条項があるのだから、そんなことはいうだけ無駄である。

 しかし今は、日本の統治において天皇制が必要とされることはないはずであるから(そもそも政治に介入することが禁じられている)、今後天皇制の存続の議論が出てくることは避けられないだろうと思う。(一部の保守のかたは、日本が日本であるためには天皇制の存在が必須であり、もし、それがなくなれば、日本は日本でなくなり、どこにもある唯の国の一つになってしまうと本気で思っているのであろうが・・)

 日本は戸籍制度のある世界で唯一つの国になってしまった。これも「個人」ではなく「家」が大事であるという考えが今だ残存しているからであろう。
 日本は今後、少子高齢化が急速に進行し(その原因の一つが「家」制度の存在であることは間違いないだろうが・・・)、衰退が進むことは必須である。

 そういう状況のなかで、本日の選挙に、今回の騒動が何らかの影響を与えるのだろうか?

 今日の朝日新聞の朝刊には、小室氏の記事がどこにも見当たらなかった(わたくしの読み落とし?)。一私人のことは記事にはしない? 何らかの忖度? うっかり記事にすると部数が減る? わたくしの見落としでなければとても変な感じである。

 

夕刊が午後三時にくるようになった

 わたくしがととっているのは朝日新聞だが、夕刊の配達時間が段々と早くなり、最近では午後三時ごろ配達されるようになった。
 当然その日の午前におきたことなどを記事にできる時間などはないはずで、もっぱらあらかじめ作成してあったようなものばかりである。
 1面は上2/3がコロナワクチン次世代型の開発状況。下三分の一は宣伝(シジミ成分 カラー)
 2面は「嵐」のライブ映画の話。下三分の一はズワイガニ紅鮭の広告(白黒)。
 3面は半分が若狭の観光案内。下半分が萩野公介選手の話。
 4面は全面「週刊株式」
 5面は上半分、最近亡くなった方の追悼記事。下半分がBS・CS ラジオ・FM・テレビ欄
 6面は連載漫画とジャーナリストへのインタビュー。映画紹介。合唱コンクールの話題。そこに三段ほどの「米FDA5~11歳へのファイザー製接種緊急使用許可」という記事があり、これが今日の夕刊での唯一の報道記事かも知れない。
 7面は上2/3が「スマホで投票できたら」という話。下1/3が広告。
 8面は上1/3がテレビ欄。下2/3が宣伝(軟骨成分)。

 合計すれば2面弱が広告である。
家庭ではテレビ欄のみが見られているのかもしれない。
 新聞社では本当は夕刊をやめたいのだが、広告をのせるためにやむなく紙面をつくっているのかもしれない。

 新聞というメディアは完全に断末魔の時期が来ているのかもしれない。

 朝日新聞は土曜朝刊の読書欄をみるためにとってるようなものだったが、最近はそこも本当につまらない。
 貧すれば鈍するで、読書に値する本を読める文章で薦められる、達意の文を書ける評者には依頼でききる資力さえなくなってきているのだろうか?

 昔の朝日の文芸時評欄には石川淳丸谷才一がまるまる一面を使って、まあ言いたいことにのびのびと筆をふるっていたこともあったように思うが、そういうものは夢のまた夢なのであろうか?

デノンのCDプレイヤー DCDシリーズ

 デノンのこのシリーズは外観がコンパクトでスマートということで購入したのだが、暫く使ってい てトラブル続出となった。
 この機種はCDの出し入れがトレイ式ではなく、挿入口にデスクをある程度までいれると機械があとは引き入れてくれる方式なのだが、まず引き入れてくれないことが多々ある。入っても、unsuported とか no disk とか出て演奏してくれない。はいったCDはでてこない。それで引き出すための小さなピンセットを買った(笑)。 
 困ったな、不良品かなと買い替えかなと思ってネットで見て見ると、不良品とか欠陥品とか悪評さくさくである。確かにこの製品、CD挿入部に問題があるらしい。

 しかしその中で、挿入前にCDの表面(曲目などが書いてある面 裏のCD情報が記録されている面ではなく)を眼鏡ふきのようなもので拭いてから挿入するとトラブルが相当に減るということを報告している方があった。
 それで早速試してみると、あら不思議、数回に一度であったトラブルが数十回に一度にまで減った。一回で演奏してくれないCDでももう一度拭いてから試すと今度は演奏してくれた。

 それにしても、CD面ではなく表面を拭くといいというのが不思議である。そこにも何らかの情報が刻まれているのだろうか?

 この機種を購入してトラブルにお悩みのかた、ぜひ眼鏡ふき方式を試してみることをお勧めする。


 

そうですねえ

オリンピックのテレビをみていると解説者がやたらと「そうですねえ」といっている。「いや違います」というひとはまずいない。同調圧力? 

パラリンピックというのをみていると、あらゆる競技が男女別であることに疑問がわいて来る。男女をわけずにしても、たまには女性が勝つこともあるだろうと思う。男女平等社会を目指すというのであればそうでなければいけないと思う。
そしてドーピングも何でもありにしなければ、おかしいと思う。車椅子などの性能が向上していることで差がでるのであれば、外部だけでなく内部の改造も認可されるべきではないだろうか?

客観的な医療

今、コロナウイルス感染の増大のため、疾患の重症度によって入院の適応を決めるという提案がなされている。
その適応を決めるのがパルスオキシメーターによる酸素飽和度の数字なのである。

医師であれば、この提案をみて唖然としないものはないだろう。
病気が数値化されている。95を越えたら中程度とか。

時に癒し しばしば支え つねに慰む

これは出典がわからない言葉らしいが、いまだに医者に出来ることなど限られている。しかし、患者さんを支えること、慰さめることならできる。
「先生、苦しいです。」 おもむろにパルスオキシメーターで測定し、「94%ですな。もう少しお家で様子を見てください。」というだけなら機械でもできる。

今度の騒動をみて、お偉いさんは医療をそういう目でみているのだなということがわかった。
 国会議員も各大臣、総理大臣、都知事・・みな同じである。
 おそらく、そういうかたがたは患者を慰めるロボットでも作ることでも考えているのかもしれない。

オリンピックへの暴論(2) 勝って来るぞと勇ましく

 高校野球などで、出場校の地元の公民館などで地元のひとが集まって旗などを振っているのをテレビで見ることがあるが、死ぬほど不愉快である。これは現在批判の的になっている同調圧力そのものである。

勝ってくるぞと勇ましく
ちかって故郷を 出たからは
手柄たてずに 死なりょうか

 今のオリンピックのテレビでの放映をみて、この軍歌を思い出す。別に“死なりょうか”ではないにしても、とにかく悲愴かつ、お涙頂戴。それをもう朝から晩までやっている。

 日本は根本のところで、昭和16年以前と変わっていない。

貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため

 これも日本の会社社会にまだ脈々と受け継がれているのではないだろうか?