入院中の読書
急な入院で、本もパソコンも持ち込まなかったので、手許にはi-phone のみの状態だった。それで、本を読むのはキンドルに入れてあった数冊の本ということになった。
もうどういう経緯であったか覚えていないが、何かの時に読むかもしれないと思っていれてあったらしい長い小説、中井英夫の「虚無への供物」 S・キングの「IT」のそれぞれ前半部分を読んでしまった。
どちらも40年前くらいに一度は読んでいるが、もちろん細部はきれいにわすれている。どちらも広い意味でのミステリであるが、前者はアンチミステリ? 最後は読者よ、あなたが犯人だ!というとんでもないものであるし、後者は、若いときに仲間であった少年少女が中年になった姿が描かれ、ばらばらに生きてきた彼らが中年になって再び仲間となってITと戦う様が描かれる、もう老年になった人間には若いときに読んだのとはいささかことなる印象を与える。
入院生活というある意味では暇な時間をやり過ごすには、長い小説を読むというというのは一つの手ではあるようである。ということでまた少しキンドルに入れておこうかと思うのだが、さてどんなものがいいだろう。
デュマの「モンテ・クリスト伯」あるいは「三銃士」?
まさかいくら長いといっても「失われた時をもとめて」をいれる気はしないし。
入院の記
半年位前に一度自分の病気について書いたことがある。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
2020年後半から何となく調子が悪かったが、その年に亡くなった母の相続の問題などがあり、経過をみていた。
しかし、どうにも調子が悪いので、2020年の年末に血液検査。そこで強度の貧血が見つかりそのまま入院、輸血、内視鏡検査。それで二指腸潰瘍が見つかる。しかし潰瘍壁が固いなど、どうもおかしいとしてⅭTもとった。年末のため結果は年明け。年明けのCT検査報告書は「大腸癌・肝転移・・・」。
さらに検査が必要ということで東大病院消化器外科に1月5日から23日まで入院。(検査よりも食事が不味いのがつらかった。)
その最終診断結果は以下の通り。
横行結腸癌:十二指腸浸潤 肝転移(右葉に2ヶ) 肺転移?(微小結節 良性の可能性大?)
横行結腸癌の十二指腸浸潤というのはかなり珍しいらしく東大病院でも年に一人あるかないからしい。この浸潤が十二指腸潰瘍をおこし貧血の原因になっていたと推定された。
肝転移はまったく症状はなくCTで指摘されるのみ。
以後、東大消化器内科で、原則2週ごとの外来化学治療を現在まで継続中。すでに30回位を継続している。
治療の効果:大体3ヶ月に一度CTで経過を見ているが、退院後最初のCTで原発巣が半分くらいに縮小していた。「ふーん、抗がん剤ってこんなに効くこともあるのだ」と思ったが、その後は原発巣の径は増大もせず、縮小もせず、そのままの大きさで経過している。
通常の血液検査は、現在は軽度の肝機能異常(胆道系酵素の軽度の上昇)のみ。癌マーカーであるⅭEAは入院当初の15位から今は7~8で横ばい。
おそらく化学療法治療を受けているものとしては、ややいいほうの経過なのだろうと思う。
実は、去年7から8月にかけ腫瘍が縮小したので、手術できるかもという話がでてきた。手術は《原発巣切除、膵頭十二指腸切除、肝転移切除、肺転移?切除》という医療関係者ならわかるようにまあとんでもない大手術で、東大でも初めての手術といわれ、ゲッと思ったが、ICG検査という肝臓解毒機能の検査が悪く、手術に耐えないということになり、めでたく?化学療法継続ということになった。
副作用:一番は手先・足先の痺れと知覚鈍麻で、細かい作業がしづらい。字を書く、ボタンをかける、パソコンの打鍵などが特に困る。しかし副作用で辛くて動けない、食べられないなどいうことはおきていない。治療中、一時的に口内炎などが起き、だるくなるが、副作用は比較的軽いほうなのだろうと思う。
なお、最近、下腹部痛が時に生じるようになったが、普通のレントゲンでは問題なし、血液検査も問題なし。近々CTをとる予定。横行結腸の口側が長く腫瘍による通過障害が続いた結果、軽度の腸閉塞症状をおこしているのだろうということだが、食事を控え気味にしただけ既に現在では痛みは消失している。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
ここまでであるが、今回昨日まで約40日ほどまた入院していた。
じつは入院の原因は腰痛。これの原因は脊椎圧迫骨折であった。L1,4,5の三か所。圧迫骨折の痛みは2ヶ月くらいで軽快するらしいが、わたくしのも現在かなり軽快している。それで入院中いくつか検査し、やはり原発巣は少し悪化、増大しており、将来の腸閉塞の回避のための処置が必要として、今回、人工肛門造設手術をおこなって退院してきた次第。
入院の第一の感想は食事がまずい。絶食・点滴がうれしいくらいであった。
自分の病気のことなど書いてもしかたがないと思うが、一般的な感想など、これから、また少し書いてみるかもしれない。
復帰
約40日前から入院のため中断しておりましたが、本日退院のため
明日から再開の予定です
今日の朝日新聞朝刊一面の見出しに感じた違和感
「共和、下院で優勢 粘る民主 上院で伯仲 米中間選 激戦続く」というのが見出しである。違和感を覚えたのは、最後の「米中間選 激戦続く」の部分である。投票はもう終わっていて、開票作業に入っているのだから、戦いは終わっていて、あとは粛々と結果をまつだけのはずである。どこで「激戦が続いて」いるのだろうか?
もしも、結果が50.01対49.99(獲得議席数であるから、これほどの僅差にはならないだろうが)であればこれはもう誤差の範囲であって引き分けである。しかしそれでも僅差であっても対立政党をわずかでも上回れば勝利ということになるらしい。
民主党がボロ負けするかと思われていたが、共和党がそれほど圧勝することにもならなかった(よかった、よかった)というのが現時点での新聞をつくるひと、知識人たちのこの選挙への評価なのであり、それが透けてみえるのがこの見出しなのであろう。「粘る民主 上院で伯仲」
アメリカというのは不思議な国で、いまだに宗教国家の尻尾を引きづっている。だから、知識人たちはそれについて様々に論じて来た。ブルームの「アメリカン・マインドの終焉」(みすず書房 1988)、ローティの「アメリカ 未完のプロジェクト 20世紀アメリカにおける左翼思想」(晃洋書房 2000)、ドーキンス「神は妄想である 宗教との決別」(早川書房 2007)、イーグルトン「宗教とは何か」(青土社 2010)、S・ピンカー「21世紀の啓蒙」(草思社 2019)・・・
インテリ達はお互いに色んなことを言ってお互いを啓蒙?しあってきた。しかしそれは身内の争い(蛸壺のなかでの争い?)であって、「赤い帽子の農夫たち」には微塵も影響を与えることはなかった。
「銃保持の自由」対「妊娠中絶の可否」、こんなことが選挙の争点になる国がほかにあるだろうか?
米国は、信仰の自由を求めた清教徒が作った国である。ピルグリム・ファーザーズがその地ですぐにやったことの一つが大学をつくることだったのだそうである。食うや食わずの人間がそんなことをするのは正気とも思えないが、牧師の育成には大学の存在が不可欠だったからということのようである。
宗教というもの、信仰というものは本当にいやなものだなあと思う。
それはそれとして、日本のキリスト教関係者は妊娠中絶についてどのような立場をとっているのだろう。
わたしが高校から大学にかけて、アメリカでは「プレイボーイ」とか「ペントハウス」とかいう雑誌が続々と創刊されて「フリーセックス」などということが言われていた。1968年の頃の風潮のひとつだったのであろうが、今のアメリカではどうなっているのだろう?
日本では芸能人の情事をあげつらうのが流行らしい。同調圧力? 日本では「世間」、アメリカでは「宗教」ということなのだろうか?
コロナウイルス感染への日本の対応のやり方は世界でも特異なものなのだろうか?(3)
日本などアジア地域での新型コロナウイルスによる死亡率が、欧米地域などと比べて低いということがいわれている。これにも種々原因がいわれているが、いずれにしても、そのことを理由に、ウイルス感染に強権的に対応するか、なるべくゆるやかに対応するかを決めることができるだろうか?
インフルエンザ感染でも死亡率はゼロではない。そのため毎年その感染予防のためワクチン接種が行われているが、それを国家の負担で行っても、その予防効果で発症から入院にいたる人の数を減らすことが出来れば、医療費を大幅に削減することが出来、国としてはペイするのだという話を聞いたことがある。
人工呼吸器やエクモなどを使った入院治療というのはとてもコストがかかるものであり、それを用いた治療に習熟したスタッフの数も多くはないので、感染者数が一定数を越えれば医療現場が対応不能となることは目にみえている。そうなればトリアージが必至となる。この人は高度医療にまわしてもほとんど救命できる可能性はないから治療の流れには乗せない、この人は「生きがいい」ようだから頑張って治療してみようといったことになる。
しかしさらに患者数が増えてくれば「頑張れば助かりそう」な人も治療のラインに乗せることが出来なくなる。そうなれば「社会的地位が高い」といった何らかの裏基準を用いるしかなくなる。医療崩壊であり、あとは公衆衛生学的手段に頼るしかなくなる。
公衆衛生学の父といわれるゼンメルワイスは医者が手を洗うだけで産褥熱を劇的に減らせることを示した。1839年ごろの話であり、まだ病原菌の存在は知られていない時代である。
ナイチンゲールも「看護覚書」でひたすら「清浄な空気を!」といっている。彼女はクリミア戦争において、野戦病院にぎゅうぎゅうに詰め込まれていた兵士を互いに引き離すことで死亡数を大幅に減らせることを示した。
しかしそういう公衆衛生学の成果は抗生物質という《魔法の弾丸》の発見により後景に退いてしまった。病気は予防するものから治すものへと変わっていった。
とはいっても、ウイルスには抗生物質は効かないから、ウイルスのパンデミックのようなことがおきると、ふたたび《手洗い》とか《人と人を引き離す》といったまだるっこしい対策が前景にだてくることになる。人工呼吸器も時間をかせいでいるだけであって、肺の病変を治しているわけではない。
2020年8月に出版された佐藤優氏の「人類の選択 「ポスト・コロナ」を世界史で解く」(NHK出版新書)の序章は「連帯か孤立か、独裁か自由民主主義か」というタイトルである。そこで氏は医療崩壊が懸念される状況では、行政府による自粛要請は必要だが、それは国家による国民による国民の監視と統制の強化に直結します」とし「従来のリベラルな価値観」による異議申し立ては国民の共感を得られないだろうとしている。
「全体主義的監視」対「国民の権利拡大」。「ナショナリズムに基づく孤立」対「グローバルな団結」。「国家内の秩序」対「国際秩序」。戦争や災害や感染症の対応には迅速な対応が必要なので、どうしても権力が前面にでてくることになる。
こうしたことの是非についての答えは宗教・哲学・文学の中にあると佐藤氏はいう。氏はまた啓蒙主義とロマン主義の相克ということもいう。啓蒙主義と個人の内面化は近代に表裏一体のものとして出現した。啓蒙主義は神を個人の内面に押し込めた。それに対する反撥としてロマン主義が生じた。しかしロマン主義を経験していない国があって、それがアメリカである、と。
及川順氏の「非科学主義信仰」では、コロナの感染拡大(パンデミック)がアメリカの「非科学主義」の存在を浮き彫りにしたとしている。アメリカでの死者数は2022年の時点で100万人超(人口は3億人)(その時点で日本の死者は3万人、人口1憶人)。そういう中でも前にも書いた、ワクチンの中にはマイクロチップが入っていると主張する(要するに国家が個人を監視する手段の一つとしてワクチンを利用しているとする主張)強硬なワクチン接種反対派が多数存在している。マスク着用の是非も国論を二分しているのだそうである。マスク反対派は「自由」や「独立」といったアメリカの建国の理念に反するものとしてマスク着用に反対しているのだとか・・。共和党支持者にマスク着用反対の人が多いのだそうである。コロナ感染予防よりも何事かを強制されないということが重視されている、と。自分の主張を通せる社会こそが大事なので、それは「科学的知見」よりも優先順位が高いという。マスクの着用が政治信条のアイコン化したと。マスク反対派は「リベラルな価値観」に反発する者が多い、と。
アメリカでは、ジフテリア・破傷風・百日咳、ポリオ、B型肝炎、麻疹・風疹、水痘、肺炎球菌感染症、ヒトパピローマウイルスによる子宮頸癌など多くのワクチンの接種を受けることが義務化されていると思っていたのだが、これも反対運動にさらされているのだろうか? 日本ではヒトパピローマウイルスによる子宮頸癌に対するワクチン接種が一時その副作用を懸念する反対運動で義務化が停止されたが、最近再開された。このことによって子宮頸がんの動向がどうなるかは、もう少し先を見ないとわからない。
おそらく日本のコロナウイルス対策はそれが最善と思って策定されたものではなく、それしかできなかったからそうなったという側面が強いのだと思う。
「新型コロナ対応民間臨時調査会」の報告では、今回のコロナ感染は、改革をおこたってきて茹でガエル状態におちいっていた日本が、そこから飛び出るチャンスでもあるということがいわれている。また先進諸国の対応を見て、それら諸国が基本的人権の制限には極めて慎重だろうという思い込みがあったが、それも次々と行われるロックダウンをみて崩れたとされている。ここでは、1)法的な強制力を伴う行動制限措置をとらず、2)クラスター対策による個別症例追跡と罰則を伴わない自粛要請と休業要請を中心とした行動変容策の組み合わせで感染拡大の抑止と経済ダメージを限定化することの両立を目指すやりかたを《日本政府のアプローチ》と定義し、結果はまあまあと評価している。強制力を伴わない「ソフトロックダウン」により、日本経済はかろうじて持ちこたえ、社会の安定を保っている、と。しかし、それが偶然の産物であったのかもしれないことを忘れないことがで必要であることも指摘されている。
日本のコロナ対応は到底100点満点ではなかったとしても、70点から80点であったのだろうと思う(50点から60点という評価もあるだろうが) 様子見を続け、とてもこれは無理と思われる対策は初めから追及せず、この辺りが落としどころというところがみえたら、恐る恐るやってみる。やって無理と思ったらひっこめる。なんとか行けそうと思ったら続ける・・。だから大きくこけることもない代わりに、クリーン・ヒットもなかった。
時に無理を通そうと思ったら「専門家」の後ろに隠れて、責任は専門家に負わせる。だから、政府と科学者・専門家との間で責任分担がはっきりしない。
そしてある政府関係者がいっていたという「感染症の専門家は日本にはほとんどいない」というのは本当だと思う。日本の医学部卒業者の大部分は臨床に進む。感染症の基礎的研究者がほとんどいないのも当然である。厚生省は次々におきる事態への場当たり的対応に追われて国民への情報発信にまであまり手がまわらなかったのだという。
個人的には「日本医師会」の持つ問題が浮き彫りになったことも大きいと思う。今はもうそうではなくなっているのかもしれないが、公から個々の病院への連絡は原則ファックスでおこなわれていた。とすると病院から保健所への連絡などもファックスであったのだろうと思う。なぜそうなっているのかというと医師会員の一部の長老開業医の先生方がコンピューターを扱えず、メールでの連絡が不可能であるからであるからということであった。医療のIT化どころではないわけである。そもそも公が大きな病院に直接指示命令をできない、かならず医師会をとおさなければならない、というのでは非日常の突発事態には対応できるはずがない。日本でつい最近まで長い間、新しい医学校の創設がなかったのも医師会の反対によるものだったときいている。
まあそういう環境のなかで、持っている武器でなんとか凌いだということなのだろうし、同調圧力とか自粛警察などという問題にまで気をまわす余裕はなかっただろうと思う。
コロナの感染ということが日本の社会がかかえる病理をさらけ出したということは間違いなくある。その中でわたくしはといえば「世間」からなるべく逃げたい人間なので、そこからの被害はあまり受けていない方だろうと思っている。
もはや/ いかなる権威にも倚りかかりたくはない/ ながく生きて/ 心底学んだのはそれぐらい/ じぶんの耳目/ じぶんの二本足のみで立っていて/ なに不都合のことやある(茨木のり子)なんて偉そうなことをいう気もなくて、わたしはわたし、芥子は芥子、なんのゆかりもないものをという路線で行ければ充分と思っている。
以上、わたくしという真ん中から外れたところにいる人間の感想であり一般性があるものとはまったく思わない。
英国・ドイツ・フランス・イタリアあるいは米国のコロナへの対応はそれぞれに異なるはずで、それぞれの国柄がそこに表れているのだろうと思う。日本もまた日本という国に特有な対応をしたが、偶然?それでなんとか凌げてきたとしても、それは対策が優れていたからではなく、それしかできないことをやったらなんとかなったというだけのことだろうと思っている。
そうではあるが、やはり中国のような強権一本鎗の国に生まれなくて良かったとは思っている。しかし、中国にうまれていればゴリゴリの紅衛兵になっていたかもしれないし、アフリカのどこかに生まれていれば、コロナどころではなくとにかく今日の食べ物を手にいれることに汲々としていたかもしれない(というか、その条件下では、わたくしのような弱虫は到底、現在の年齢までは生きてはいない可能性が高いと思う。)
わたくしはヨーロッパ啓蒙を自分の信条として生きてきたが、今思うのは、それはとてもひ弱な花であったかもしれないということである。遠くない未来に、寛容などという言葉は相手にもされなくなる時代が来るのかも知れない。ツヴァイクはそう思って自死を選んだのだが、結局ナチスドイツは敗北した。だがそれはたまたまおきたこと、偶然の産物なのであって、正義の勝利、歴史の必然ではなかったのかも知れない。
東側の崩壊、冷戦の終結をみてフクヤマは「歴史の終わり」(三笠書房 1992)を書いた。この本はニーチェにかなり依拠した本で、タイトルも正確には「歴史の終わりと最後の人間」である。「最後の人間」とは「ツァラトゥストラ」でニーチェが唾棄すべきものとして描いた「気概を欠いた人間」、「肉体的安全と物質的豊かさ」のみを生の目的とする人間を指す。
コロナ感染の問題とはまさに「肉体的安全」という問題である。「肉体的安全」を目指す行為が「気概」を犯し、個人の自尊自律を侵害するということはあるかも知れない。
しかし、なによりも「肉体」が存続することが日本人の大多数が望むものであるとすれば、「気概」などが脇におかれてしまうこともやむを得ないのかもしれない、
以上のようなことを医者が書くのはいささか問題があるのかも知れないが、医者は自分の考えを押し付けるのではなく、患者さんの意向に沿うのが仕事である。だから近藤誠さんのような行為が問題となる。
ワクチンにはお上が民を操作するためのマイクロチップが入っているとして発砲事件が起きる国、誰が何と言おうと強権が強引に都市封鎖を断行する国よりは、日本はいささかなりともましな国で、何とかぎりぎり及第の対応をしてきたのではないだろうか?
コロナウイルス感染への日本の対応のやり方は世界でも特異なものなのだろうか?(2)
コロナの話から少し遠ざかってしまったが、要するに感染対策上何らかの行動制限が必要とされる場合、個々人は自己の判断でそれに応じたり、従わなかったりできるのかという問題である。
また「何らかの行動制限が必要とされる」という場合にはそれなりの根拠があるはずで、「ウイルスの感染力・感染様式」などについての疫学的・公衆衛生学的知見、感染した場合の経過と予後についての臨床医学的知見などから総合的に判断されるはずであるが、それが行動制限を正当化するかということである。感染した場合の致死率がかりに0.5%位というようなことが明らかになった場合に、それを許容できる数字とみるかどうかには価値判断が入ってくるし、さらに人生の目標がとにかく長く生きることであると考えるひとと、長生きより充実した人生を送ることが大事と考えるひとでも判断が異なるだろう。「尊厳死協会」に入っていて「無駄な延命はするな!」という書類にサインしている人が、いざ入院すると「出来ることは何でもしてくだ それ故、今回のコロナウイルス感染流行といった事例で行動制限の要請があった場合、それに無条件に従わなくてはいけないのかという問題が出てくる。
これは明治期以降、日本の知識人にとって最も大きな?課題であり続けてきた「個人の確立」という問題とも関連すると思う。
大学の教員などは知識人の典型なのだから、上記にたいして明確な態度を表明できなくてはならないし、「そういう行動制限が人々を抑圧し、自粛への同調圧力によって《異常な統制社会》が出現し、私権の制限を当然視する社会が出現してきている」ことにも、戦時中の私権の抑制がおこした問題を知っているはずの知識人ならそれに強く反発しなくてはいけないはずなのに、ほとんどその動きが見られないことも与那覇氏は問題視している。
ここに出てくるのは「世間」の問題と密接にかかわる問題であると思う。ということで、阿部謹也氏の「「世間」への旅 西洋中世から日本社会へ」(筑摩書房 2005年)などを参観しながら、それについても少し考えていきたい。
「世間をお騒がせして申し訳ない」という表現は今でも普通に用いられる。ここには「私は何も悪いことはしていないが」というのが、言葉にはしないが頭につくことも多い。
阿部氏は「西洋の個人は十二世紀に生まれた」としている。その結果として恋愛もまた発明されたとも(例えば「アベラールとエロイーズの往復書簡」)。 山崎正和氏の劇「おう エロイーズ!」(新潮社 1972年)でも舞台上の朗読者が「ときに、1118年。この年はまた、人間の心の歴史にとって記念すべき年だったといえるかもしれない。なぜなら人類はこのアベラールとエロイーズによって、初めて純粋な男女の愛というものを知ったと考えられるからである。」と言っている。日本の平安時代の恋歌などはゲームに過ぎない。それ以前には西欧の人々も我が国の「世間」と似た集団のなかに埋没して生きていた。西洋の個人は、「神」という絶対的なものに対して自己を確認しようとする試みの中から生まれてきたが、絶対神のいない日本では、明治以降も「家族をめぐる諸関係と人間関係一般」にかかわる問題は手つかずのまま残った。「世間」は続き、企業も行政もそれを前提としてことを運んでいった。そのため、西欧の社会での個人と日本の個 人はまったく異なるものになっていったのだが、しかし日本のインテリの大半はこれに気づいていないと阿部氏はいう。(例外の一人は漱石)
ここでは石牟礼道子氏もとりあげられているのだが、わたくしは石牟礼氏はD・H・ロレンスの系統の人と思っている。反近代の人であり、頭ではなく、プラトンの魂の三分説でいう「気概」の人だと思っている。
阿部氏は金子光晴氏もとりあげている。それに関係して、ヨーロッパの森と日本の森の違いであるとか、西欧の「個人」が持つ問題・・。阿部氏は個人の服装から態度物腰まで「世間」の常識にしたがってわれわれは生活しているとする。確かにわたくしは25歳の研修医のときに、指導の先生から「君、ネクタイしたほうがいいよ!」といわれてから50年間ネクタイをしてきたし、背広もきてきた。ネクタイなど実用的意味は皆無なのだから、世間のしきたりにしたがってきたということなのであろう。
わたくしは世間のしきたりに従う最大のメリットは目立たないということだと思っている。目立たなくて抛っておいてもらえるほうが自由に動ける。(ネクタイは西欧由来のものなのだから日本の世間が生んだものではないが、明治で西洋を受容して以来、西洋を模倣することもまた「世間」がわれわれにおしつけるものの一部となった。日本の男性のほとんどが帽子を冠っていた時代もある。
最近はネクタイの強制圧力も大分軽減したようだから、そのうちに誰もしなくなるのかもしれない。これを社会の同調圧力などと言えば大袈裟だが、わたくしは女性が化粧するのもまた、世間のしきたりにしたがっているだけなのかもよくわからない。上野千鶴子さんの赤い髪もよくわからない。私は私であるという主張なのだろうか? 誰かがおしゃれの要諦は、めだたないことであるといっていたが・・。
さて、金子光晴は欧州で長く暮らしたひとなので日本の「世間」に気づくことができたと阿部氏はいう。それで「寂しさの歌」を書くことにもなった、と。「あゝ、しかし、僕の寂しさは、こんな国にうまれあはせたことだ。・・・」(金子光晴詩集 岩波文庫)
また網野善彦も論じられる。「無縁・公界・楽」などを書いても網野氏は西欧文化の側の人だった、と。なにしろ氏はマルクス主義から学問の道にはいったひとなのだからと。(もちろん、歴史の中に「人間の息吹」を感じ取ることの出来る、きわめて有能な歴史学者ではあったとしているが)
ここで阿部氏は交響曲から最近やや距離を置くようになっているということを言っている。これは意外に大きな問題であるように思う。「ベートーベン問題」?である。小林秀雄はこの問題を「モツアルト」を書いて回避した。しかしヨーロッパの音楽の歴史がバッハとモツアルトで終わっていたら、それはなんとも詰まらないものだったはずで、そうであれば、西洋古典音楽は、今の日本での能や歌舞伎と同じような古典芸能となっていただろうと思う。
わたくしは西洋の歴史のなかでただひとりの個人の名を挙げろといわれたらベートーベンを挙げるけれど、それはベートーベンがロマン主義というものへの道をたったひとりで切り拓いたとんでもない人だと思うからである。ヨーロッパの栄光も悲惨もロマン主義の中にあるとわたくしは思うのだけど、ベートーベンの音楽は「世間」の音楽ではなく、「個人」の音楽であるからである。では「世間」の音楽とは? 社長さんが「教養」として?習う小唄・端唄など? 梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳ャなよなよ風次第 山吹や浮気で 色ばっかり しょんがいな・・・ これが「粋」というもの? 高村光太郎は「根付の国」を嫌悪した。
「おう又吹きつのるあめかぜ。/ 外套の襟を立てて横しぶきのこの雨にぬれながら、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。/ 毎日一度はきつとここへ來るわたくしです。
あの日本人です。/ けさ、/ 夜明方から急にあれ出した恐ろしい嵐が、/ 今巴里の果から果を吹きまくつてゐます。・・/ ただわたくしは今日も此處に立つて、/ ノオトルダム ド パリのカテドラル、/ あなたを見上げたいばかりにぬれて來ました、/ あなたにさはりたいばかりに、/ あなたの石のはだに人しれず接吻したいばかりに。・・」
なんとも凄まじい西欧崇拝である。ベートーベェンはあちらの人であり、日本ではどこを探してもいない奇人であり、変人なのである。
その変人が「英雄」や「運命」や「第九」や「悲愴」や「月光」や「熱情」を残したので(晩年のピアノソナタや弦楽四重奏でその解毒を図ったとしても)、ヨーロッパでは、ワーグナーからマーラー・ブルックナーにいたる一連の誇大妄想系の作曲家が生まれることになった。
阿部氏は交響曲から距離をとって、今は「親鸞」のほうに惹きつけられているというが、日本の知識人が自国に回帰するとみな「親鸞」のほうにいくのもわたくしは困ったことだなと思っている。それで、今のところはバッハとブラームス辺りで折り合いをつけている(つまり3Bからベートーベェン抜き)。
本論の出発点は「感染者への「コロナ八分」や「不謹慎狩り」」を見てもそれが自分の学問領域と密接にかかわる問題と気付けない歴史学者などはもういなくてもいいから、学問の世界から去れ! 「他人に共感する力」を人文学がかえって弱めるなら、そんな学などは消えてなくなれ!とする与那覇氏の気炎であった。ところで第九の歌詞など(シラーの作)まさに共感の強要である。
《時の流れが引き裂いたものをあなたの魔法の力がまた結びつけてくれる。すべての人々はあなたの に抱かれてふたたび兄弟となることができる》
しかし、いかに大人数で歌ってきかせようと、大オーケストラを鳴らそうと、「第九」を聴いて回心するする人などいるはずもない。
与那覇氏の論を読んでいると、氏がシラー&ベートーベンに成り代わって人文学者たちを鼓舞し説教をしているかのようである。「ひとびとの自立を妨げる声に和すようなひとは、ここから立ち去れ! 人文学にはもっと大きな可能性があるのだ! それを信じよう!」
コロナのパンデミックへの対応は、事実をどう見るかというによって決まるのだろうか? それとも何がわれわれにとって大事かという価値観によって決まるのだろうか?
それを考えていくと出てくるのが、自然科学と人文科学の対立ということであり、現在かなりの人文系の学者が抱いているかもしれない理科系の学問への劣等感なのではないかと思う。なによりコロナの問題の多くは理科系の言葉で語られている。それは事実の問題をあつかっているように見える。そこに価値の問題を持ち込んでも相手にされないというか、「それはあなたの考えでしょ。“科学的”な議論ではありません!」といわれるともうその先には切り込めないというような。
与那覇氏は最近の歴史学者は古文書に逃げ込んでいると非難するが、古文書という「モノ」「ブツ」があるのは「事実」で、その学者が自分がみつけだしてきた古文書について展開した議論自体はかりにまちがっていたとしても、古文書自体は残るわけで、まったくの無駄ではないというのが古文書学のもつ魅力なのではないだろうか?
そして公衆衛生学というのは理科系と文科系の中間に位置する学問で、過去の事例から得られた知見、その事例から抽出された規則性、いま検討している事例についてこれまで得られていることとそこから予測される今後の展開、そこに介入すると何が変わるか?・・・などを検討するわけであるが、予測される今後の事態というのはまだ見ぬ未来におきるわけで、「未来は開かれている」のだから、結局はやって見なければわからないことになる。
必要なのは柔軟性であって、自説が間違っていると思ったらいつでもそれを撤回できることである。「日本の人文学がもはや、社会でともに暮らす他者との「共感の基盤」を養う使命を忘却している」という与那覇氏がいう「事実」と、「新型コロナウイルスへの対策と称して、自粛への同調圧力が異常な統制社会-あたかも戦時体制が再来したかのような、私権の制限の当然視を眼前にもたらしているのに、過去を扱う専門家であるはずの歴史学者たちだけが、なにもしない」という氏の「判断」がいささか頑なではないかという印象がわたくしにはぬぐえない。それでここでだらだらと書いてきているのだが、論じていると議論がどんどんと拡散してきてしまったので、次にはコロナウイルス対応に論をしぼって稿をおえることにしたい。
コロナウイルス感染への日本の対応のやり方は世界でも特異なものなのだろうか?(1)
与那覇潤氏の「歴史なき時代に 私たちが失ったもの 取り戻すもの」(朝日新書 2021年6月刊)にある、コロナウイルス感染への日本の対応についての氏の見解にいささか納得できないものがあった。コロナの問題についてはまったくの素人ではあるけれども、少し考えるところを書いてみたい。なお与那覇氏この本の帯には《「医療」より先に「社会」が崩壊したこの国の傷を、どう癒すのか いまを正しく読む「歴史感覚」を身につける》とあり、ここにかなり氏の主張は集約されているように思う。
以下の本や雑誌を参照させていただいた。
1)「新型コロナ19氏の意見 われわれはどこにいて、どこへ向かうのか」農文協ブックレット 2020年5月
2)「どうする! コロナ危機」 雑誌Voice 2020年5月
3)「新型コロナ対応民間臨時調査会 アジア・パシフィック・イニシアティブ 2020年10月
4)日本内科学会雑誌 「特集 COVID-19」 2020 10月
5)日本内科学会雑誌 「特集 COVID-19パンデミック―二年を振り返る」 2021 10月
6)鴻上尚史 佐藤直樹「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」講談社現代新書 2020年8月
7)及川順「非科学主義信仰 揺れるアメリカ社会の現場から」集英社新書 2022 10月
8)阿倍謹也「日本人はいかに生きるべきか」朝日新聞社 2001
9)阿倍謹也「「世間」への旅 西洋中世から日本社会へ」筑摩書房 2005
与那覇氏の「歴史なき時代に」のp11には以下のようなことが書かれている。「新型コロナウィルスへの対策と称して、自粛への同調圧力が異常な統制社会-あたかも戦時体制が再来したかのような、私権の制限の当然視を眼前にもたらしているのに、過去を扱う専門家であるはずの歴史学者だけが、なにもしない。」 わたくしにはこの文章自体が、少し文脈がたどりにくかった。「私権の制限」をもたらしているのは何なのか? あるいは誰なのか? コロナ対策自体なのか? それともコロナ対策を策定した誰かなのか? 同調圧力は自然発生的にできてしまったものなのか? 誰かが意図して醸成しようとしたものなのか?
ここで与那覇氏が問題にしているのは、「他人に共感する能力」ということで、それを涵養していくことこそが人文学の主たる役割であるはずなのに、同調圧力が人々を委縮させる事態がおきているのに、人文学の側からはそれに対して何も声が上ってこない。それを与那覇氏は慨嘆していて、そんなことなら人文学などはもはや不要なのではないか?とまで言っている。
日本内科学会雑誌 「特集 COVID-19」 2020 10月をみてみると「ウイルスの病原性」「世界の感染状況」「感染の数理モデル」「コロナの疫学」「臨床象」「集中治療室管理」「診断」「診療」「日本医師会の対応」などの様々な論点の最後に「倫理的法的社会的課題と偏見・差別」という論点もとりあげられている。しかし、ここにははっきりと「公衆衛生上の危機においては、平時の社会で確立されていた秩序や規律を越えた対応が容認され、社会全体による協力が正当化されている」と書かれている。公衆衛生学という学問の立場からは私権の制限は正当化されるということである。
内科学会の学会誌なのだから仕方がないのかも知れないが、「自粛への同調圧力」の社会への様々な影響といった問題には関心はほとんどよせられていない。そもそもそれはあまり圧力ともとらえられておらず、パンデミック発生時には公衆衛生の観点からみても人々が甘受して然るべきものとされているようである。
それから1年後に刊行された「日本内科学会雑誌」2021年10月号では、全世界での感染者数2億4千万超、死亡者490万、死亡率2%(日本では170万超の感染者数で、死亡率は1%超)と書かれていて、ウイルス対応についてのこの間の最大の成果はワクチンの極めて速いスピードでの開発とされている。個々にみるともちろんいろいろな問題はあったとしても、全体としてはまあまあの対応であったという感じの総括である
そういう狭い医学からの観点ではないもっと包括的な観点からの議論は、当然一般誌などで論じられたわけで、例えば、20年5月号の「Voice」誌では、野口悠紀雄%氏の「連鎖倒産を助長する政府の愚」とか、日本にもCDCを作れとか、緊急事態宣言を出すのをためらうなとか、「自由と幸福の相克 集団と個人の問題」をどう考えるかなど、様々ななことが論じられている。養老孟司さんなんかは「日本はすでに「絶滅」状態」などと気炎をあげ、「都会の密閉空間が異常、日本の伝統家屋はすきまだらけ、これが感染を少なくする」とか、「長生きしてもやることがない」というのも問題で、多くのひとが自分の人生をコントロール出来ると思っているのがおかしい、とかのいつもの「都市主義批判」路線の養老節の後、日本では「世間」の束縛がきつく、周囲から浮いた行動がしづらいということも言われている。また、すべては状況によるのであって、共同体があるところでは必ず「穢れ」というみかたもでてくるなどと述べた後、コロナウイルスより少子化のほうがはるかに問題といって論を終わっている。
与那覇氏はまた、「コロナ感染による直接の被害は比較的軽微だった日本が社会的な共感の不足のため蒙った損害は世界屈指にのぼる」ともいっている。
この「社会的な共感の不足のため蒙った損害は世界屈指にのぼる」ということには特にその根拠は示されておらず、わたくしの実感とも合わない。
コロナの感染の当初、中国で武漢市のロックダウンがおこなわれた時、いやー凄いな。中国という強権国家だからできるのだな、日本ではこんなことはとてもできないな、と思った。つまり、日本では社会の雰囲気を何となく変えていくというまだるっこしい方法でしかいろいろなことに対応できないとわたくしは思っているので、かりに日本の対応が結果的にはうまくいったとしても、そもそもその方法しかなかった結果であると思っていた。
与那覇氏は「日本が社会的な共感の不足のため蒙った損害は世界屈指にのぼる」というが、「社会的な共感の不足のため蒙った損害」を各国のあいだで客観的に比較することができるのだろうか? たとえば、アメリカなどはどうなのだろう? 共感どころかほとんど国が二分されている状態で、きわめて深刻な感染状況であるにもかかわらずワクチンの中にはマイクロチップが入っていて、接種を受けると、その後は権力者から監視されるようになると信じるひとが少なからずいる状況では、「社会的な共感」など望むべくもない。
ここに記されていることのかなりは与那覇氏のいう「日本人の歴史感覚がどんどんと鈍麻してきていること」に歴史学者たちが気がついていない、あるいはそのことに手をこまねいていることへの与那覇氏の強い慨嘆と批判があり、その批判の系としてコロナの問題も出て来たもののように思う。
コロナの流行への対応をどうするか?というのはきわめて多くの学問分野にまたがる学際的な議論を必要とするものであり、そもそも「ひとの命は地球より重い。コロナ感染死もゼロにすべき」派から、「ゼロコロナなんていっていると社会が止まる。大きな声では言えないが、月に〇〇人くらいの死は許容してもいいのでは?」派、さらに「むしろ、老人にさっさと死んでもらうのは、これからの日本のためにもなるのではないか」派まで、コロナ感染という事実よりも、それをどう見るかについての見解がもともと論者の間で根底から違っているのだから、一つの結論に収斂していくことなどはまずありえないように思う。
パンデミックが来るぞという話はこの20年くらいの間、時々出ていて、それでわたくしはと言えば、大分以前(2004年)に刊行されたクロスビーの「史上最悪のインフルエンザ 忘れられたパンデミック」(みすず書房 2004)を読み返して、「ふーん、ひょっとすると昔々読んだ武者小路実篤の小説で主人公がインフルエンザで死ぬというのはこれだったのか? インフルエンザで死ぬなんてどうも昔の医療のレベルは低かったという感想は間違っていたのか?」などと呑気なことを思ったくらいで、それっきりパンデミックのことは忘れていた。
「ウイルス感染の世界的流行が来るぞ」という話が何度かでたがいつもたいしたことなく終わっていたので、今回もまたそうなるのだろうと多寡を括っていた。あれ?これは何か違うと思ったのは、2020年2月のダイアモンド・プリンセス号をめぐる極めてものものしい防疫体制の報道を見たときだったと思う。
「新型コロナ19氏の意見」には、コロナウイルス自体よりも、中国が事実上の国境封鎖をしたことで、世界経済が中国経済に強く依存していることが明らかになったことのインパクトのほうが大きかったという指摘があった(マスクさえ8割が中国製)。(内山節氏:哲学者)
内山氏は、各国の指導者がみな強い指導者を演じるようになった。それを支えるのが国家の権威と「科学」の権威なのであるとしているのだが、氏はこういう雰囲気に「気持ち悪さ」を感じるという。
与那覇氏もそれと同様の「気持ち悪さ」を感じているわけで、それが氏の今回のコロナ騒動への見方のベースになっているのだと思う。
「19氏の意見」にはそれ以外にも、①ウイルスとはどういうものか?(患者さんには細菌とウイルスとの区別がわからないひとも多く、抗生物質はウイルスには効かないことも理解していない人もある。) ②パンデミックの歴史(過去数千年で4回のコロナのパンデミックがあったが、過去20で3回。またウイルスではないが、ペストの流行がヨーロッパ社会に与えたきわめて深刻な影響。その根底にある都市化の問題。日本には感染防御の専門家が極めて少なかったという指摘。③日本経済はこれから大不況になるという予言。④この感染流行により「多様な社会」などどこかにいってしまったという指摘。⑤ドイツのメルケル首相のスピーチとそこでのソーシャル・ディスタンスの必要性の強調の背景など様々なことが論じられている。
一方、20年11月の「日本内科学会雑誌」では「COVID-19の倫理的法的社会的課題」をあつかった論考が一つだけあり、そこには「公衆衛生上の危機においては、平時の社会で確立されていた秩序や規律を超えた対応が容認され、社会全体による協力が正当化される」と書かれている。日本赤十字社が「病気」「不安・恐れ」「嫌悪・偏見・差別」のスパイラルに注意喚起したことも指摘されている。「専門家会議」が「前のめり」になりすぎたのではという指摘もある。
鴻上氏と佐藤氏の「同調圧力」では、「自粛警察」の問題が論じられているが、「世間」の同調圧力については、わたくしはこれは嫉妬の問題だと思っている。「自分は我慢しているのに、あいつは楽しんでいやがって許せない!」 戦時中であれば、「わたしは質素な格好で我慢しているのに、あの娘、ちゃらちゃらした格好をしてやがって、許せない!」
谷沢永一氏に「人間通」(新潮選書 1995)という実にいやーな本がある。全編、人間というのはこんなにいやしい浅ましいものなのだということがこれでもかこれでもかと書き連ねてある本である。「隣の貧乏、鴨の味 ことほど左様に隣人の不幸は喜ばしい」とか、「人間は何時でも僻んでいる。・・ゆえに性の次元で自由を享受している奴は許せない。性的放縦に対する弾劾が何よりの憂さ晴らしとなる」とか・・。最近の芸能人の恋愛スキャンダルへの執拗な弾劾などまさにこれであろう。「他人がなにしてようと関係ない」とはなかなかならないらしい。
さて、わたくしはずっと吉田健一氏に私淑してきた。山崎正和・丸谷才一・木村尚三郎三氏による「鼎談書評」(文藝春秋 1979)に吉田氏を論じたところがあって、そこで丸谷氏が「吉田健一にとって、人の足を引っ張るという日本社会の風習は不思議でしょうがないものだったんですね。吉田さんという人が一種の奇蹟的存在であったいちばん大きな特色は、こういう現代日本の村落共同体的性格に対する、ほとんど先天的な理解の欠如ではないでしょうか。」といっている。わたくしも日本の村落共同体的性格というものへの共感が いたって乏しいらしい。「人の足を引っ張る」という感覚がどうもピンと来ない。
与那覇氏が問題にする、日本の「社会的な共感の不足」というのは日本の「村落共同体的性格」に起因するもので、明治以降の日本の知識人は「個人」の確立という方向、あるいは「自立」という方向を目指すことでそれを乗り越えようと頑張ってきたはずなのだが、与那覇氏がこの本で描いている大学人の姿は、大学というきわめて小さな共同体の中での足の引っ張りあいに励んでいるまことに情けないものであり(SNSでちくりあったりしているらしい)、確かにこれならこの方々が消えてしまっても誰も少しも困ることはないと思うが、日本史の研究者が自分達が江戸以来の共同体的枠内で行動していることにあまり気づいておらず、それにいささかでも反省の目をむけていないようなのは不思議である。
話がどんどんとコロナから離れてくるが、もう少し続けて「村落共同体」の延長にある「世間」の話を考えていきたい。それで阿倍謹也氏の本を見ていくことにするが、長くなったので稿を改める。