第10章.医療という仕事

  
   第10章.医療という仕事
 
 吉田健一氏は不思議な人で、その書いていることだけで見ると前後が矛盾しているようなことをしばしば書いている。勿論、矛盾と見えるのは字面だけの表面的なことであり、深い文意の流れからいえば少しも矛盾はしていないということなのであろう。あるいは、それが矛盾と見えるということが、われわれが根深く捉えられている偏見を示しているということかも知れない。例えば、吉田氏は現在の東京の住み難さを述べ、それに較べれば戦前の東京は町とよびうる落ちつきをはるかに備えていた、ということを繰り返し論じている。町が町たりうるためには地着きのひとが何代にもわたってそこに住んでいることが必要なので、現在の東京のように絶えずひとが入れかわり、自分の住んでいるところに何の愛着も感じていないひとばかりとなってしまっては、そこが落ちつきのある住みやすい場所となるはずがないというのである。しかし、吉田氏は小説「絵空ごと」を次のように書き出す。
 
 この頃の東京は東京でないと言ってしまえば簡単である。併しそれで東京に住んでいるものはどうすればいいのか。
 
 先ず人間は生きなければならないのである。今住んでいるところを住みにくいなどと文句をいっていても仕方がないので、住みにくければ住みやすいように変えてゆけばよいではないか、そう吉田氏は主張しているように見える。事実、「絵空ごと」は東京に住んでいてそこでまともに暮すことを望んでいるひとたちが、そのための場を確保するため、一軒の家を建ててしまう話である。そのようなことは「絵空ごと」であって現実にはおきえない、しかし、東京にいて地に足がつかない生活をしているひとの暮しの方が本当は「絵空ごと」なのである、そんな意味を氏はこの題に込めているように見える。それならば吉田氏が戦前の暮しに戻ることを望んでいるのかというと、決してそうではないのが不思議で面白いところである。毎年、夏になると日本人が大挙してグァムにでかけ、軽井沢を占拠する。そういったことは人間のまともな生活とは無縁の全く無意味な行動であると吉田氏はいう。そして、戦争前はそんな馬鹿なことはなかった。しかし、それがなかったのは、その頃のひとが今よりまともな暮しをしていたためでは必ずしもなくて、身分とか分相応とか世間並とかいう符丁に縛られていたためなのである。戦後、そのような符丁による重しがとれて、みんな浮かれて走りまわっている。それは確かに愚かなことではあるが、やがてみんな自分がやっていることの愚かさに自然と気がつくであろう。今はそのための過渡期なのである、そう吉田氏は主張する。だから、
 
 今になって昔のことを思い出すと今の我が国が昔よりも格段によくなったという感じがする。そしてそれは国全体がであってまたここで言う昔というのは明治以来の時代を指してのことなのである。・・・この格段の何というのか住み心地のよさに向っての前進は疑いの余地がない。(思い出すままに)
 
 今ここに引用した文章と、東京はもはや住めたところではないという主張も矛盾していると言えないこともない。しかし、もしも人間が住めたものではないところにいるとするならば、そこを必ず住みやすい場所に変えてゆくに違いない、そういった人間に対する信頼が吉田氏にはあるように見える。一言でいえば、吉田氏は人間の進歩ということを信じている。だが、ヨーロッパ十九世紀は科学と進歩を盲信した愚かな時代だったというのも吉田氏の主張であった。これもまた矛盾だろうか。だが人間の進歩とは、人間が人間以外のものに変るということではないので、自分が今いる場所を住みやすくしてゆこうということならば、あらゆる動物が皆やっている。
 さて、それならば、医療にも進歩ということがあるのだろうか。戦争前に較べて戦後の医療が進歩しているなどということがあるのだろうか。しかし、その前に考えておかなければならないことが一つだけある。それは、一番始めに立ち返ることでもあるが、そもそも医療の進歩といったことを論じるのにどんな意味があるのかということである。科学哲学という哲学の一分野がある。これは科学とくに自然科学がどのような認識論的背景をもっているかとか、科学における真理とは何かとか、科学者が自然を探求しようとするのは何故なのか、といったことを議論する。そのような論に影響されて、一人の科学者が自分の研究テーマを無価値と感じて放棄したり、別の研究テーマを選んだりすることはあるかも知れない。しかし、今やっている研究についてどのような実験をしたらよいかについて科学哲学が教えてくれるということは絶対にない。医療について論じることと医療との関係は、そのような科学哲学と科学の関係と同じと言ってよいのであろうか。
 その昔、どこかに富岡多恵子氏が、男たちは、仕事、仕事、忙しい、忙しい、などといって毎日走りまわっているが、なあに、あれは死ぬまでの時間を何とかやり過ごすための暇潰しなのである、といったことを書いているのを読んだことがあって、妙に記憶に残っている。またこれは山崎正和氏であったと思うが、サルトルが、飢えた子の前で文学は有効か、といった意味の発言をしていろいろと物議をかもしていた頃、それを批判して、サルトルの発言は文学という仕事に対する思い上がりを示している、何故なら、われわれは飢えた子の前で大工は有効かなどという問いを出すこと自体思いつかないからである、といった主旨のことを言っていたことを思い出す。医療という仕事は、どうも現在の日本においては、その実情を離れて大袈裟に考えられているところがあるようで、それをいいことに、何かもっともらしい言葉をつらねることはいくらでも可能である。しかし、それはしばしば医療という仕事の思い上がりを示すことにもなる。医療というのも一つの仕事である。あらゆる仕事は、結局、暇潰しの一種であるという見方もあるのであるから(その考えによれば、科学哲学を論ずるというのも、勿論、一種の暇潰しである)、あまり畏まって考えないで、時には肩の力を抜いてのんびりすることも必要である。あるシンポジウムで、生真面目な川喜田愛郎氏が、医者はなんとしてでも人の命を助けるように努力するべきであるというのは原則としては絶対に崩してはならないにしても、個別の場合においてはカレン事件のように必ずしもそうとばかりは言っていられない、そのことについてどう考えるか、と質問したのに対し、中根千枝氏が、医者はプロではないか、プロは自分がやりたいことをやるのではなくて、お座敷を待っていてその要請で動くものである。家族がもっと生かして欲しいといえばそうすればいいし、もうやめてくれといえばそうすればいいではないか、そんなことについて医者自身が思い患う必要はない、といったことを答えている場面があった。もう少し力を抜きなさいということなのであろう。しかし、力を抜くことは容易ではない。何故なら、こと命に関する限り、日本全国どこでも力が入っているからである。人の命は何よりも尊いことになっており、一人の人間の命は地球より重いなどという感傷がまかり通っているのであるから、ある患者の治療をどうしてほしいかについての家族の本当の意向をききだすのは容易なことではない。家族としてもなかなか本当のことは言いにくいようである。どこの病院にも厭がられている患者というのはいる。家族からも疎まれていて、みんな内心、あの人まだ生きているなどと思っている。しかし、いざ死という場面になると厳粛な雰囲気で惜しい人を亡くしました、大変残念でしたといった顔をする。医者と家族が手をとりあって、やっと終りましたね、よかったですねといえる、そんな夢のような時代がいつか来ることがあるのだろうか。それともそんな時代は、人の道も倫理も道徳も失われた悪夢のような時代なのであろうか。やはり、「かのように」ということが大切なので、祭するに存するがごとくせよ、ということになるのだろうか。
 発熱で苦しんでいる患者にとりあえず解熱剤を出すか、それとも何もせずにもう少し様子をみるかといった、一見、医療技術、医療経験だけで決められそうに思われる決定にも実は深く医療者の側の価値判断が関係しているのだということをブローディは述べている。だとすれば、医者がプロとしてお座敷の要請に従って行動するというのもなかなか容易なことではない。患者に意識があれば患者の意向、意識がなければ家族の意向を尊重するなどといっても、ことは少しも簡単にはならない。R・D・レインは「引き裂かれた自己」のなかで、他者を人間としてみることも有機体として見ることもどちらも方法論的には完全に成立しうるものであるが、それは相手のなかに精神と肉体といった意味での二つの実体があるということではなく、相手をどのように見るかという視点の違いに過ぎない。しかし、両者が容易に混同されうることには注意しなければならない、と述べている。だが、医療においてこの二つの見方を分別するのはほとんど不可能なことである。医学の教科書は有機体としての人間を扱っているようにみえる。それだけでは不充分であると考えるひとは、それに精神身体医学的視点といったものを加えることで全人的な医療を期しうると主張する。だが、痛みといった非常に単純かつ基本的な感覚であり、有機体としての観点から充分に扱いうるようにみえるものも、実は人間としての経験に深く依存しているということは、メルザックらが詳細に論じているところである。
 科学者がある仮説を立てれば、そのためにどんな実験をすればよいかということは仮説の側だけから導出される。しかし、医者が患者を見てある診断を下したとしても、その診断から一意的にある治療が決定されるとは言えない。Aという医者とBという医者は同じ患者を見て同じ診断を下しても同じ治療をするとはいえない。医療という自立した世界は存在しない。そこではあらゆるものが混然一体となっていて区別できない。われわれがある医療行為をしているのは教科書の記載に従っているのではない。同じひとりの医者でも三十歳のときと五十歳のときでは同じ病気に対して違った治療をするかも知れない。以前なら治療をしたような場合でも、今度は何もしないかも知れない。それはその時々の医療技術の変化、あるいは進歩によるのではない。ある細菌による肺炎に対しどのような抗生物質を用いるかはかなり狭い範囲でほぼ自動的に決めることができる。しかし、そもそも肺炎の治療をするべきか否かについては教科書は何も教えてくれない。
 キャッセルは「医者と患者」の中で、肺炎を併発した八十六歳の脳卒中患者に、インターン抗生物質の点滴を開始したのを止めさせた、そういう自分の経験を紹介している。「この八十六歳の老人がほどなく死ぬことはほとんど確実であった。たしかに奇跡があるにはある。このような患者が時に回復し、数ケ月間病院で生き長らえることがある。けれども、それは、失禁や蓐瘡、感染やなおざりにされることなど、問題を山積しながらの生であり、このような緩慢に蝕む死をわれわれの大半は、われわれ自身、あるいはわれわれの両親にえらばないであろう。」 しかし、キャッセルのこの見解に絶対に同意しないひともいるはずであって、その両者がいくら議論したとしても何らかの同意が達成できるとは思えない。この老人をうまくいけばもう数ケ月生きるように努めるために必要なのは医療技術だけである。しかし、抗生物質を投与しないこと、あるいは脳卒中の治療自体をしないことなどを決定するための基準などというのは何もない。病院の中になんとか委員会を作って多数決で決めるなどということも出来るわけがない。将来、血液を一滴とればあらゆる診断がつき、それをコンピューターに入れれば治療方針がすぐにプリントアウトされて出てくるという時代が来るかもしれない。そんな時代にも、もし、医者というものに存在理由があるとすれば、それは医療の場におけるその時々の選択について責任をとるということを措いては他にはないように思われる。コンピューターは責任をとらないのである。しかし、近年の医療は医者だけが行うといったものでないことは言うまでもない。医者、看護婦、様々なパラメディカル・スッタフの協力によって、それは行われる。とすれば、医療に対する見方についても極めて多様な人々が一人の患者の治療にあったているという事態はしばしばおこりうる。医者は点滴中止の指示を出したが、看護婦がそれを不満に思っているということはありうるし、その逆もありうる。ターミナル・ケアといったことで一番問題となるのはそのことではないだろうか。そして、そいうことについて全員一致の見解など得られるわけがないということが、現在の大部分の医療が、命が何より大事という見解に従って行われている最大の原因となっているのではないだろうか。医療を行っている人間も本当のところは命が何よりも大事とは思っていないのだが、そうかといって、それを自分以外の人間に強制する自信もないので、一応現代の日本で常識になっていると思われる見解に従っているということである。集中治療室の医者がアンケートに答えて、自分が患者であるとしたら今自分がしているような治療は絶対にして欲しくないと答えているのを何かの雑誌で読んで唖然としたことがある。一人、二人がそのように答えているのではない。十人が十人そう答えているのである。自分には絶対して欲しくないことを延々と患者にし続けている医療というのは一体何なのだろうか。しかし、翻って考えれば、われわれのまわりでごく普通に行われている医療についてみても、自分であればしてほしくないことが随分と行われているかもしれないのである。
 医療の進歩ということを考えるのが難しい理由はその辺りにある。医療技術ということだけみれば、それは進歩する一方である。科学が進歩するかどうかということは科学哲学におけるもっとも大きな問題のひとつらしいが、科学技術ということについてなら、ただそれは進歩するだけである。かっては、とにかく患者の命を何とかして護るなどといっても、実際に医療がなしうることはほとんどなかった。だが、医療技術が少しづつ進んできて、患者の命を何とかして延ばすということが全く不可能な達成目標ではなくなってきて、初めて、患者の延命を図るという医療の最も基本的な前提であると思われていたものが懐疑の対象となるようになってきた。もしも、とにかく少しでも長生きするのが医療の目標であるのなら、医療が進歩するだけであるのは解りきっている。だが、医療技術が進歩しても医療をうける側は少しも満足していない。それが問題なのである。とすれば、少しでも長く生きるという前提が間違っているのであろうか、という疑問が当然生じてくる。そして、もし間違っていたとするならば、それに代りうる医療の前提がありうるだろうか、というのがもう一つの問題となる。
 「長生き」の代りに、いわば「生き心地のよさ」といったものを代置してゆくこと、もし本書に主題というものがあるとしたら、そういったことであるかも知れない。しかし、何をもって生き心地をよいと言うかについての共通の認識などはえられるはずがない。だから今まで書いてきたことも、こちらにとってどのような状態が生き心地がよいかということを、吉田氏の著作に依りながら縷々述べてきたに過ぎない。吉田氏は自分の主張が個人的な趣味によるものではなく文明という普遍につながるものであること、日本は明治になって一旦文明が失われたが、最近になって再び文明を回復しつつあることを信じていたように見える。吉田氏の信念が正しいかどうか、それは解らない。また論じて結論が出ることでもない。問題は、われわれのまわりの様々なことをわれわれが正常なことと感じているかどうかである。もし、どこかおかしいと感じるのであれば、何故そう感じるのかを考えてゆくことである。もし誰もが変だと感じていることがただ惰性で続けられているといったことがあれば、それは廃されねばならない。それが文明ということである。
 
 クリスマス前夜、十二時だ。
  「いまみんな膝まづいているのだよ」
 年寄がそういった。家中が集まって
  炉の火の燃えさしを囲んでいる時。
 
 私どもはおとなしい優しい動物を目に描いた。
  みんな小屋の中の藁の上にいるのだ。
 私どもはただ一人として
  動物が膝まづいているのを疑わなかった。
 
 こんな美しい想像はいま誰もしまい
  この時世だ。だが私は思う。
 誰かがクリスマス前夜に言ったとする
  「さあ、牛が膝まづいているのを見に行こう」
 
 「向うの山かげの淋しい農家の庭だよ
  子供のとき、よく遊んだところさ」
 そしたら私も彼と暗い道を行くかも知れぬ
  本当であってくれと思いながら。(トマス・ハーディー「牛」福原麟太郎訳)
     
 この詩にあるのは、夜の静けさと闇の深さである。このような静けさがわれわれの生活から失われてしまった、少なくとも、都会の生活からは失われてしまったということは言えるかも知れない。しかし、その静けさと同様のものを、われわれは都会でもどこかに持っているはずなのである。そうでなければ、都会の生活は既に文明ではない。あるいは、都会の喧騒もまた一つの静けさでありうる、ということでもある。その静けさを得るために必要なのは、ただわれわれが自由にものを見ることだけである。それでも、それに干渉してくるものは無数にある。かっての西欧においては、それは神であり、またヴィクトリア朝的な道徳律であったのかも知れない。そして現代では、何よりも科学がその元兇となっている。その事情は西欧でも日本でも変りはしない。われわれはもっと自由にならなければならない。
 われわれのまわりの風通しをよくすることが必要なのである。何かタブーのようなものがあって、われわれがそれに目を向けたり論じたりすることを禁じたりするようなことはあってはならない。例えば、もしも命が何よりも大事であるならば、戦争というのはもう考えるまでもない絶対の悪である。しかし戦争がいかに無駄で無意味なものであっても、その無駄と無意味を賭して守らなければならないものがあるという立場もありうるわけであって、どういう社会だろうと、どういう体制だろうととにかく生きていくのだというのも一つの立場ではあるが、今度の大戦でヒットラーが敗れたのは途方もない犠牲の上にであり、しかもそれは偶然にであって、悪が正義に敗れたのではない。ドイツ人が、ハイル・ヒットラーと叫んでいたのはそんな昔のことではない。天安門広場の前で、大群衆が毛沢東万歳と叫んで赤い手帳を振りかざしていたのはごく最近のことである。あの時のドイツ人やその時の中国人はそんなことは少しも信じていないのに、そうしないと命の保証がないからそうしていたのであろうか。そうとは思えないが、少なくとも、命が何にも増して優先するという人ならそうするはずである。吉田氏が言うように、もし命が何よりも大事であるならば、命令に従わなければ殺すと脅かされたならば、どんなことをしてもかまわないわけである。そうなれば倫理とか道徳とかいったものは生じようもないが、倫理も道徳も知ったことではない、とにかく生きていればいい、というのも一つの立場ではある。しかし、それはあくまでも一つの立場なのであって、それが論じるまでもない絶対的な立場であるということはありえない。一つの命は地球より重いなどという考えはどこかおかしいとする立場もまた尊重されねばならない。
 医療はあくまでもわれわれの生のためにあるのであるから、もし医療が誤った前提の上に成立しており、その前提がわれわれの生を曇らせるものであるのなら、もし、その前提を捨てさることによって医療が崩壊してしまうとしても、それは捨てなければならない。大切なのはわれわれの生であって医療ではない。医療がなくなったら、少なくとも今あるような医療体制がなくなったら本当に困ったことが生じるであろうか、ということも一度は考えておいていい。義務教育のうちに筋肉注射や静脈注射のやりかたを教えて誰でもできるようにしておき、抗生物質や鎮痛剤を含むあらゆる薬剤を自由に市場で買えるようにしておいたら、今の医療制度のかなりのものは不必要になるのではないだろうか。そうなれば、虫垂炎から腹膜炎をおこして死ぬものは増えるかも知れない。しかし、今の医療があるがために死んでゆくひとはいなくなるわけだから、差し引き勘定がどうなるかは難しいところである。イワン・イリイチが言うように現在の医療体制はないほうがましだとは思わないけれども(それはこちらが医者であるための歪んだ判断かも知れないが)、それでも、今ある医療技術が本当に総て必要であるかは極めて疑わしい。必要であろうとなかろうと医療技術は進んでゆく。それは技術というものの必然である。しかし、それは単にわれわれに利用しうる手段が沢山あたえられたということに過ぎないのであって、あるもの総てを使わなければならないということはない。利用しうる手段が増えるということは進歩である。進歩ではあるが、その進歩がわれわれの「生き心地」の向上にすぐつながるとは言えない。むしろわれわれの「生き心地」の大部分はそのような技術とは関係ないところで決っているかも知れないのである。
 この頃の東京は東京ではなくても、東京に住んでいるひとは何とかそこに住んでいかねばならないように、今の医療にどれだけおかしなところがあろうとも、とにかくそこから出発するしかない。それに何といっても、技術が進歩したこと、われわれがとりうる手段が増えたことはいいことなのである。出産によって母親が死ぬのが稀になったのも、生まれてすぐ子供が死ぬことが少なくなったのもいいことなのである。結核が余りおそれる必要のない病気となったことも然りである。人間は齢をとってから死ぬのが正常なのである。だから、今われわれが医学に抱いている不満は、いわば贅沢な悩みなのかも知れない。現在の西欧の医療における最大の問題の一つが栄養の過剰摂取であるというのは象徴的である。だが豊かになりながらも、奇妙な飢餓感に西欧の人間はとらわれている。そのことが医療にも色濃く反映してきている。西欧の人間もわれわれも自分達人間がどんどん小さくなっていくと感じている。そこには神も自分を越えるものもなく、ただ自分がいるだけである。人間はついに動物であることに自足できない存在なのであるかどうか、それは解らない。もしそうであれば、人間はこれからもずっと、その滅びる時まで飢餓感を感じ続けてゆく他はない。吉田氏はそうでない道があると主張している。もし吉田氏の主張が正しいとするならば、今よりももう少し落ちついた、もう少し地に足が着いた医療が可能となるはずである。
 そして、そうであるならば本当に必要なことは医療について議論することではなく、各人が地道に豊かな生活をしてゆくことなのである。新潮社の「波」に「私の中の日本人」という欄があって、そこに吉田氏は樫村實という無名の新聞人を選んでいる。吉田氏によれば、樫村氏は「どうということをしたというような人間では」なくて、「その方面からすれば樫村さん程度の人間は幾らでもいる筈である」が、それにもかかわらず「仕事を普通にやって極めて平凡に生きてそれで人を惹かずにはいないということは」「充実がそこにあることを示している。」そういう平凡であるが充実した生を送るひとが増えてゆくならば、自ずと医療の質も変ってゆくはずなのである。だから必要なのは議論することではなくて、酒を旨いと思い、詩を賞でることなのである。昔はそういう人間を文人と呼んだ。
 医療を医療の中だけで、あるいは病院の中だけで変えることなどできるはずはない。医療を変えるためには、われわれの生活を変えていかなければならない。それは大変な遠廻りであるように見える。しかし、もし道があるとすれば、そこにしかないはずである。勿論、医療の個々の場面において不合理なところ、不都合なところがあれば、それを是正し改善してゆかなければならない。しかし医療がもし根本のところで間違っているとしたら、それは必ずわれわれの生への取りくみの歪みを表しているのであって、それを医療の中だけで正すことはできない。ホスピスという運動がどこか宙に浮いている理由がそこにある。もしホスピスを支えている理念が正しいとすれば、それはわれわれの普段の日常における生や死への見方を根本から変えることをせまるはずであって、それなしに病院の中でだけその理念を追求しても、それは生活と関係のない単なる観念に終るだけである。
 だから、急ぐならば廻らなければならない。そして吉田氏の著作を読むのもそのための一つの方法なのである。急いではならない。時間はゆっくりと流れなければならない。正月にお屠蘇をのむような気分で、道端の大木をのんびりと眺めるような気分で生きることができるようになったら、その時もう一度医療を見つめ直してみることである。その時医療は今までにない別の表情を示しているかもしれない。それまでは無駄口をきかないことである。
 吉田氏の「古い話」という文に、こういうところがある。
 
 格段に言うことがない時は黙っているという方法があることを、誰もが忘れてしまっているらしい。
 
 そうなのである。この本もそろそろ終りにしたほうがいいらしい。
 医療においてどうしようもないことは沢山ある。だから、どうしたというのだろうか。どうしようもなければ、黙っていればいいのである。医療について書くことも、もう尽きたようである。今引用した部分の続きを紹介することで、この本の結びとしたい。
 
 或は、忘れた顔をしているので、これは一つには、言うべきことがないのは対策がないからで、とここでその対策が求められている何か大問題を持ち出し、こういうことに対して無策でいられる程お前はのん気なのかと責め立てられるのが辛いからに違いない。人類が全滅したらどうするのか、東京の人口がもっと殖えて、余った人間が海に落ちたらばどうするか、それでも構わないのかとやられて、苦し紛れに譫言か、お座なりで答える。別に構わない訳ではないのであるが、我々にとってどうにもならないことの一つに、我々は誰だろうと一様に、何れは死ぬのだということがあって、このことに昔から、そして又これからも、変りはない。殖えた人口に押されて東京湾に落ちなくても、水爆でやられなくても、又、どんなに仕合せな生活をしていても、或は大事な仕事の最中でも、というのは、まだ一向に死にたくなくても、死ぬ時が来れば死ぬ。
 
 医療の仕事は、死ぬ時が来れば死ぬようにすること、そのことに尽きるのである。しかし、そのためにしなければならないこと、学ばなければならないことは無限に多い。