矢野 暢「20世紀の音楽 意味空間の政治学」

 [音楽之友社 1985年4月10日初版]


 政治学者の矢野暢氏が書いた20世紀音楽論である。昭和60年刊行の本であるが、音楽と政治というようなことを「丸山真男 音楽の対話」を読んで考えているうち、読みかえしてみたくなった。
 本の半分がショスタコービッチについての考察にあてられている。
 氏はまず、音楽に感ずる<アンニュイ>ということから話をはじめる。一九世紀末までの作品で埋められた演奏会のプログラムを見て、「その曲がいまから演奏されることの必然性をめぐって」わだかまってしまう、のだという。様式をもち形式にしばられた古典的作品が感じさせるアンニュイ。
 20世紀においては、音楽が音楽独自の論理だけでなりたつ余地がなし崩しに奪われていく時代であり、音楽は、政治あるいは体制あるいは機械といったものとの関係のなかでしか成立しなくなっている。そういうなかで、ぬけぬけと古典派を演奏するのは一体・・・。
 20世紀の音楽は、音楽だけでは音楽が成立せず、なんらか音楽外への知的なかかわりをその存在の基礎にしているのだから、聴き手が全体を知的にきくことをしなくなれば、成立しなくなってしまう。
 さて、矢野氏は、ショスタコービッチについて、例のヴォルコフの『証言』から、「ユローディヴィェ」という言葉をとりあげる。これは愚者をよそおった政治批判者といったようなものなのだが、帝政ロシア以来のロシアの反権力の歴史のなかに連綿と続いている存在であり、この「反体制的な道化」こそがショスタコービッチのやりかたであったのだという。
 この道化はしたたかなのであって、体制派でもあり、反体制派でもある。それは、一市民の力がきわめて微弱である社会で、知的にいきていくための方法でもある。
 ショスタコービッチは、オペラ<ムツェンスク郡のマクベス夫人>が党の批判をうけ、(一見)自己批判的に「交響曲第5番」を書いたことはよく知られているが、実は、ショスタコービッチが一番書きたかったのはオペラなのだと矢野氏はいう。
 つまり、オペラは<個人の論理>を描ける形式である。ある時期、ショスタコービッチは、<個人の論理>がソビエトにおいても受け入れられると思っていた。しかし、それが叶わないと知ったときに、二重言語的な交響曲作家となってゆくというのである。ショスタコービッチは古典的なヒューマニストであって、社会主義的なヒューマニズムというものを理解していなかった。
 
 以上が、矢野氏のえがくショスタコービッチ像のラフなスケッチである。
 ショスタコービッチは体制から何度か批判された。しかし批判されるのは問題にされるからであり、相手にされているからでもある。西側の作曲家など、そもそも無視されるだけで、世の中からは相手にもされなかった。アメリカにおける「バルトーク晩年の悲劇」。音楽を書いても、大海に注ぐ目薬一滴。「失われた酒」とちがって一瞬の酔いもおきない。
 それに比べれば、敵と扱われることは、まだ力をみとめられていることでもある。
 ショスタコービッチは結果として<あざとく>ソビエト体制を生き抜いたが、相手をつねに意識することによって、聴衆を意識する音楽を書かざるをえなかった。それは、聴衆がまったく見えなかった西欧世界の作曲家より<幸福>であったかもしれず、ある外枠を与えられてしまったことによって、まったく自由に音楽を書けた西欧の作曲家よりも、かえって<自由>に音楽を書くことができたかもしれない。
 20世紀に「交響曲短調」などという曲を書くなどというのは、西側の作曲家からは笑止のことに思えたかもしれない。しかし、西側の作曲家が方法の袋小路に入ってしまった頃、<音楽>がそこに保存されたということもあるかもしれない。
 ショスタコービッチは、<音楽が音楽独自の論理だけでなりたつ>音楽を書くこと自体が許されなかった。したがってそこでの<個人>は否応なく、外部と関連する。
 ベートーベンの時代には、外部にむかって伸びていこうとした<個人>は、ここでは外部に翻弄されてすすり泣いている。その時代のソビエトに生まれたことは、ショスタコ-ビッチ自身には悲劇であったのかもしれないが、それが同時に、ある普遍的な感性を表現させることへもつながったとすると、悲劇であったとばかりも言えないのかもしれない。
 そして同時代の西側の作曲家たちの作品も、ある意味では、現代における「個人」の無力ということの反映であるのか知れないが、それは外部の誰のところにもほとんど届かなかったのである。それが現代そのものであるといえば、たしかにそうなのかもしれないが、自らほとんどコミュニケーションを拒否するような作品を書くことが、現代の個の孤立を表しているというのは一つの思想の表現ではあるかもしれないけれども、音楽の表現としては、何も言っていないのである。


(2006年3月11日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

  • 矢野氏はセクハラ事件をおこして学問世界、公的世界からは抹殺されてしまったようである。ここで書かれている音楽論だけみても、氏が学者として何ものかであったことは間違いないと思われる。ショスタコーヴィッチというのは音楽から見ても政治から見てもきわめて厄介な問題をかかえたひとであり、それをここまで論じきる力量はなかなかのもである。ショスタコーヴィッチが本当に書きたかったのはオペラであり、それを体制に封じられたため、やむなく交響曲弦楽四重奏曲を書いたのであり、それはオペラを書けないことの代償であったという指摘だけでも重要な問題提起である。寡聞にして、このような指摘をしている音楽評論家を他に知らない。氏自体は学者として抹殺されてしまったとしても、書いた本は残っているわけである。(2006年3月11日付記)