宮内義彦 田原総一郎「勝つ経済」

 [PHP 2002年8月14日 初版]

 なんだかこういう本ばかり読んでいる気がするが・・・。
これまた、田原氏が聴き手。宮内氏はオリックスの社長。
 宮内氏の後書きから。
 「(抵抗勢力といわれる政治家の)思想と言えるものは旧来の農本主義社会主義といったところが原点なのはないかと思う。かって日本社会の基盤であった農村、農家の安定を守ることが社会の安寧につながるという考え方、結果の平等こそが社会を構成する大多数の幸福につながるという考え方、もてるものがそれを負担するのが当然であり突出した成功というのは許せないという考え方、競争より協調、勝者より弱者をいつくしむという考え方(なのではないだろうか。)」
 しかし、こういう思想はこの10年ほどの社会の変化、日本の停滞の中でもはや正当性をもてないと宮内氏はいう。
 ここが問題なのであろう。
 こういう農本主義社会主義がなくなってしまったら、もはや殺伐とした社会しかなくなると見方が一方にあるのであろう。。
 一方では、今がいい社会であると考え、今後は殺伐とした世界になると考えるものがあり、他方では、現在を停滞した社会であると考え、改革によって溌剌とした社会になると考えるものがある。
 そういう農本主義社会主義は高度成長の時代にのみ奇跡的に可能であったのに過ぎないのであり、今後はもう期待することができないものであるとすれば、前者の考えはもはや後者の行きすぎをとがめるための批判としてしかなりたたないことになる。
 こういう農本主義社会主義のいきかたは、これからはもう日本には期待できないという見方がようやく日本のコンセンサスになろうとしてきているのかもしれない。
 それがなんとなく現在の不況をみなが受け入れているように見える原因なのかもしれない。

 以下、本文にそって。
 1989年は日本にとってもっとも幸せな時期だったかもしれない。その1989年にベルリンの壁が崩壊し、40年以上にわたって続いてきた米ソ対立が終焉し、資本主義が唯一の論理となった。このころから国境の壁が低くなりだした。
 このころ日本は世界を席捲しているように見えたが、それはきわめて効率のよい産業となった輸出企業(アメリカの120%)の勝利による。しかし輸出企業はその当時のGDPの10%にもみたない規模であったのであり、国境の壁の中にあったその他の産業は保護によって効率が悪いままに取り残された(アメリカの70〜80%)。しかしIT等の発達で国境の壁はどんどんと低くなってきている。
 85年のプラザ合意内需拡大につとめたことが、バブルをつくった。
 (宮内氏は)89年ごろから、当時の状態をおかしいと思い始めた。
 93年〜94年頃はみなバブルがはじけてよかったと思っていた。地価がさがって、これで本格的な開発ができると思い、これから本格的な成長ができると思っていた。
 3つの失敗がある。1)プラザ合意、2)バブルを人為的に強引につぶしたこと、3)経済の低迷後、彌縫策のみ講じて、抜本的対策をとらなかったこと、である。
 92年には宮沢内閣は不良債権処理にとりかかろうとした。しかし反対でつぶれ、93年「政治改革」問題で宮沢内閣はつぶれ、以後、細川・羽田・村山内閣は何もしなかった。
 GDPのみが問題にされるようになる、GDPを作り出す構造のほうには目がむかなかった。
 構造改革とは1940年体制の改革である。したがって、構造改革が短期間でできるというようなことはありえない。5〜10年の時間を覚悟すべき課題である。なぜなら1940年体制は日本の社会システムの隅々にまで深く入りこんでおり、守旧的体質で動かなくなっているから。構造改革とは、日本人の考え方を変える、社会のありかたを変えるということである。だから小泉政権は従来のものをつぶすことさえできれば上出来である。
 バブルが容易におきてしまったのも、1940年体制、すなわち間接金融中心で国がお金を全部コントロールする仕組みがあったからである。もしも直接金融中心の体制であったならば、あそこまで極端なバブルとはならなかったはずである。間接金融を大蔵省がコントロールするという体制を50年も続けてきたことがバブルを作った制度的な背景である。
 1940年体制の出発点になった戦時体制においては、「国家が経済を思うように運営できないのは金を儲けようとするやつがいるからだ」と考えた。「金儲けは個人のエゴの最たるものである。その金儲けをそそのかすのは株主である。ならば、株主をなるべく小さくしよう。資金調達を間接金融中心にすれば、みなは金儲けなどを考えずに国家につくすようになるだろう」そう考えた。その方式が機能するためには銀行がつぶれないということが必須の条件であった。そこから護送船団方式が生まれた。その基本は儲けない・競争しない、である。これは資本主義ではない。
 しかしこういう国家主導の傾斜生産体制はある時期までは有効であった(1947年まで?)。また労働運動や左翼運動もあり、経済同友会でさえ修正資本主義のようなものを考えていた。企業はゆりかごから墓場まで社員の面倒をみることが期待されていた。
 修正主本主義は、企業は富の生産だけでなく、社会の安寧にも寄与すべきであるとする。経営者も富を生み出す人よりも人格の方を重んじるというような傾向がでてくる。
 現在は社会性・公益性という責務と収益重視のあいだで企業はゆれうごいている。
 不況だといっても現在の生活程度は過去最高である。みなそれを守りたいという守勢にはいっている。
 市場経済は従業員のことを考えないというのは嘘である。従業員を粗末にして市場のアッピールできるはずがない。ただ従業員を大事にする仕方が問題であろう。
 デフレ克服のためには、儲からない企業を退出させて供給過剰をたちきらなければいけない。供給過剰がなくなればあらたしい需要もでてきて、雇用も創出されてくる。

 基本的には、儲からない企業が市場で淘汰されずに残っているのは変だということである。そして、儲からない企業を市場から退出させていくならば、(時間はかかるかもしれないが)日本の社会の仕組みが変っていくだろうということである。日本の社会の仕組みを、上からの指導で変えようとしてもそれはできないことである。しかし、市場にまかせておけば自然にゆっくりと変ってゆく。現在の日本社会は変らなくてはならない。そのためには市場が機能するような状態をつくることである、ということのようである。
 農本主義的日本は変らなければいけない、というのが大前提としてある。その場合、福祉国家的な考えというのは農本主義的な方に入るのだろうか? スカンディナビア型福祉社会というのは農本主義なのであろうか? 福祉国家というのも右肩上がりの経済成長下にしか成立しないものであるという考えが一方にある。
 一方で、自由な市場による資本主義があり、他方に高度の福祉社会があるというような社会を構築できるのだろうか? 前者は小さな政府、後者は大きな政府である。それが両立するとも思えないが。