鶴見俊輔 上野千鶴子 小熊英二 「戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く」

   [新曜社 2004年3月10日 初版]


 わたくしは市民運動というのが大嫌いであって、だから市川房江もその弟子の管直人青島幸男も大嫌いであるし、「ベトナムに平和を! 市民連合」などというのをやっていた小田実も大嫌いである。まあほとんど生理的嫌悪感であるから理屈ではないのかもしれないが、一言でいえば「偉そうにしやがって!」ということなのかもしれない。大して実効性のないことをやって売名だけしているというか、ただただ人前で偉そうな顔をしたいからがためにそういうことをしているのではないかという疑念というか邪推が消えない。それともう一つ付けつわえるならば、「やるんなら命をかけろよな!」ということもあるのかもしれない。一週間に30分でもいいから自分でできる範囲で自分のできることを、などという運動が胡散くさくて仕方がない。赤い羽根共同募金とどこが違うんだという気がする。ただただ自分がいいことをしているという気休めのための行為というのが不純に見えて仕方がない。
 そういうことで「べ平連」の中心の一人であった鶴見俊介氏についてもそのような偏見のもとに見てきたわけであるが、小熊英二氏の「民主と愛国」を読んで鶴見氏に興味をもったこともあり、その小熊氏が聞き手の一人となったこの本を読んでみた。
 
 これを読んで感じたのは鶴見俊輔というひとが膨大な「狂」を内に抱え込んだひとだということである。わたくしが今まで感じていた市民運動家のイメージというのは「狂」とは無関係の「合理的」な人間というものであって、それゆえに市民運動家が嫌いであったのだなということを改めて認識した。どこかに「狂」の部分、「不合理」な部分を抱えていない人間は信用できない。そういう点では信用できる人である。その鶴見氏は丸山真男も「狂」の人であるといっている。クラシック音楽への偏愛などにそういう部分はでているのかもしれない。自己の内にある超越的なものへの希求、過度にロマンチックなものへの志向をクラシック音楽の中にのみ解放し、学問の中へは持ち込まないようにしていたひとなのかもしれない。

 鶴見氏は「俺は悪い人間だ。だけど悪をする自由だけは保ちたい」「正義というのは迷惑だ。全身全霊正義の人がいたら、はた迷惑だ」というのが信条であるという。まさに同感だけれども、こういう信条と市民運動がどう結びつくのかがわからない。
 以下、鶴見氏の言。
 日本のファシズム国粋主義・欧米文化排撃は西洋文化を享受していた都市の金持ちへの反感から生まれた。
 日本の大アジア主義というのも、ひっくり返された白人崇拝。
 一番病の知識人が日本を動かしてきた。1905年日露戦争終結の辺りから、本当の能力ではなく、学校世界で一番をとった人間が日本を動かすようになってきた。こういう人間は「作られた人」であって自分で「作る人」ではない。学習能力はあるが、前例のないことには対処できない。総理大臣にはなりたがるが、なって何をしたいわけではない。ただなりたい。
 共産党も東大出が偉いところ。
 大学をでていない人間の方から自前の思想がでる。

 鶴見氏は自称「やくざ」であって、筋を通した人間を評価する。それと内助の功を評価する。しばしばあの人がああいうことができたのは奥さんが偉かったからだと言う。それに対して、上野千鶴子が、許せない、しかし鶴見さんがいうことなら仕方がないかとでもいうような対応をするのが微笑ましい。上野千鶴子も懐が深いのかな? ただリブとかにからむ話では急に公式的になるが。だから従軍慰安婦問題ではそれがもっと目立つ。
 上野氏はかなり柔軟な人であると感じたが、小熊氏はこの鼎談あるいは聞き書きではそれほど目立たない。鶴見氏や上野氏のような背骨がまだ見えない。

 この本は「戦争を知らない子供たち」が鶴見俊輔氏に戦争体験をきくという本でもある。上野氏はわたくしとほとんど同世代で小林秀雄吉本隆明にいかれたことがある点など、わたくしと似た読書体験をしている。小熊氏は40歳になったばかりで60年安保も全共闘運動もリアルには知らない世代である。戦争をしらない世代にも随分と幅ができてきたわけである。

 鶴見氏は自前の人である。それはよくわかったが、なぜ氏が市民運動なのか、それはこれを読んでもやはりよくはわからなかった。