嵐山光三郎 「「不良中年」は楽しい」
[講談社文庫 2000年11月15日初版 単行本1997年11月初版]
以前、単行本でもっていたのだが、どこかになくしてしまったので、あらためて文庫本を買いなおした。それについている赤瀬川原平の解説が秀逸。
赤瀬川によれば、アヴァンギャルド、すなわち前衛とは、芸術の不良なのであるという。そして不良中年とは、人生のアヴァンギャルド。不良少年はそうではない。なぜなら不良少年には人生といえるようなものはまだないから。少年は、人生は結婚離婚は何回でもできても葬式は一回しかできないということを、情報としては知っていても、承知はしていない。しかし中年はそのことをずっしりと承知している。
そして赤瀬川によれば、嵐山が不良ということばでいっているのは、人間の心なのだという。いまの世の中で、心を大切に!などというと、みな、しらける。しらけさせずに心の大切さを訴える、それが不良中年になれ! という呼びかけなのだという。
わかるなあ!、うまいこというなあ! である。
ではあるが、本文をひらけば、望ましいへそくり額(500万円ほどは女房の知らない貯金をもて!)とか、好ましい妻以外の女性との性交回数(わたしの年齢だと、十数回から40回/年間、ただし相手の年齢による)の方程式なんてのがあって、ぜんぜん真面目な本ではないのであるが。
そもそも不良中年になる第一歩は会社をやめることなのだそうで、それがなかなか。まあ、せめて会社への帰属意識をすてることが、その第一歩かもしれない。
最近、女性が断然元気なのは、男が未練がましく会社への帰属意識をなかなか捨てきれないのに対して、女性は旦那への帰属意識なんてものはとうに捨ててしまっているという点にあるのである。そうであるなら、不良中年には断然女性が多いということになる。はたして実態は?