三木成夫 「内臓のはたらきと子どものこころ 増補改定新装版」

  築地書館 1982年8月20日初版


 養老孟司の本を読んでいると時々三木成夫の名前がでてくる。たとえば、「脳が読む」「考える人2003年春号」など。なんとなく気になっていたところ、偶然、丸善本店で見つけた。.
 大変な本であるが、ここからすぐに連想されるのが、夢野久作の「ドクラ・マグラ」であり、D・H・ロレンスの「無意識の幻想」であり、グレゴレイ・ベイトソンの「精神と自然」である。なんだかどこかオカルトであり、ニュー・サイエンスであり、反近代でもあったりするわけで、現在の科学の世界からは完全に無視される運命にありそうな本である。しかし強烈なインパクトをもつ本であることは間違いない。三木も養老もどちらも解剖学者であるが、どうして解剖学者というのは、そろいもそろって変なことを考えるようになるのか?
 養老によれば、三木の大学での講義では終わったあと拍手が起きたのだそうである。本書は講演の記録であり、そういうことがさもありなんと思わせる独特の魅力が横溢している。
 さて、三木によれば、さまざまな動物のなかで、内臓感覚が一番麻痺しているのが人間である。体の中の蛋白や脂肪が足りているかなどということはまったくわからない。しかし、たとえば、われわれの胃には一日のリズムがあり、一年のリズムがある。だから夜寝ている間は胃も眠っていて、空腹を感じないし、夏には食欲が減退し、秋は食欲の秋となる。それが敷衍して、朝型のひと、夜型の人があり、夏に弱い人、冬に弱い人がある。
 一般に動物は子供を産む場所と餌をとる場所がはっきりと分かれている。鳥には渡りがあり、サケには回遊がある。植物は移動しないのでそのようなことはないが、成長繁茂の時期と開花結実の時期がはっきりと分かれている。そのように生き物には太陽系の運行リズムがインプットされている。
 切れる頭とはいうが、切れるこころという言い方はない。暖かいこころはあっても暖かい頭はない。あたまは考えるもの、こころは感じるものである。そのこころとは、内臓された宇宙のリズムのことではないかというのが三木が提案する仮説である。そして、その宇宙のリズムはあらゆる動物にあるが、それを意識して感じるのは人間だけではないか、というのがもう一つの仮説である。ほかの動物ではそれは存在していても自覚はされない。感情というのはもちろん最終的には大脳皮質で感じるものであるが、その発生の場所は内臓ではないかというのである。
 そしてこれがおそらく一番問題の仮説なのであるが、われわれの中には太古からのさまざまな記憶がインプットされているのはないかという。内臓がもつ一日のリズム、一年のリズムというのは後天的にわれわれに与えられるのではない。それは進化の過去の歴史が細胞の中に(DNAの中に)刻み込まれているのであるという。

 こころの座をわれわれは脳にあると思っているから、三木の説、内臓に、はらわたに心の起源があるというような仮説を読むと異様な感じがする。精神医学はこころを扱うが、だれもがそのターゲットは脳であると思っている。向精神薬は脳内伝達物質に作用する。感情もこころも、脳がかかわるということについては誰も否定しない。しかし、ああいいお天気だ!とか、ああ夏になったんだ!というようなことは頭で感じているのではなく、内臓で感じているのだといわれるとなんとなくそのような気もしてくる。
 熱いものに触ったとき、痛いと感じるのは指である。しかし本当は脳が痛いと感じている。脳を麻痺させれば、痛みは感じなくなる。それと同様に感情を最終的に発現させるのは脳であっても、それは内臓から表出された情報に基づくということは、仮説として十分にとりあげる価値のあるものである。
 問題はわれわれは常住坐臥、皮膚感覚を感じているが、内臓感覚についてはほとんど自覚していないという点にある。
 したがってここで三木が述べていることは、科学として検証がほとんど不可能なことである。学術雑誌に投稿するというような性質のものではない。日常、科学の世界のささやかな Neues ばかりを聞かされている学生が、ここにあるような壮大な仮説をきくと感動するであろうことはよく理解できる。しかしフロイトの無意識と同じで壮大な法螺話でないという保障はない。たとえ法螺話であっても、フロイトの説がわれわれの思考にとっての尽きせぬ刺激の源であるように、ここで言われていることもわれわれの思考をさまざまに刺激するものであることは間違いない。
 これを読んでいて、養老孟司が最近主張している人間における視覚と聴覚の統合としての言語という発想のもとも三木にあるのではないかと思った。
 それから、胎生38日の胎児の顔は、橋本治の「ひらがな日本美術史6」にでていた、縄文文化の代表としての土偶の顔そっくりであると思った。


(2006年5月7日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)


内臓のはたらきと子どものこころ (みんなの保育大学)

内臓のはたらきと子どものこころ (みんなの保育大学)