三砂ちづる 「オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す」

  [光文社新書 2004年9月20日初版]


 トンデモ本である。女性の幸福はよいセックスをして子どもを産むことにある、ということをいっている。
 この本はしばらく前から話題になっていたことは知っていたのだが、際物であろうと思って手にはしなかった。それが偶然、本屋で、内田樹さんが「抱腹絶倒の目ウロコ本である」なんて帯で言っているのを見て、買ってみる気になった。しかしこの本は読者の笑いを意識したようなひねりのある本ではない。著者は大真面目に子どもを産むのが女の幸せといっている。それなのに抱腹絶倒である。「そうか、こういう見方もあるのか」と内田さんは笑っているのである。こういう帯をつける編集者も人が悪いと思う。

 それで、著者がいうには、女性性を生かし、女性の身体をフルに使い、子宮を空にしないことが女性の幸福である。何の才能もない普通のあるいは普通以下の女性でも、セックスをし、子どもをつくることだけはできる。それなのに、昨今の日本の晩婚化、少子化、未婚女性の増加は不幸な女性を増やし、女としての喜びを知らないためにヒステリーになる怖い女たち(オニババ!)を増やしていくのだ、とまあいいたい放題である。冗談ではなく、本気でいっているところが怖い。オニババである。
 イリイチのヴァナキュラーなジェンダーという論もでてくる。イリイチは確信犯の反=近代産業社会論の人だから、論はその方向で一貫しているのだが、三砂氏には、イリイチほどの徹底性や覚悟はないようにみえる。近代社会など滅びてもかまわないといいきるだけの強さがない。だから議論が不徹底でどこか滑稽なものとなる。とにかく女性が子どもを産むことにこだわっていて、「金のある男はめかけをもて、そしてめかけにも子どもを産ませろ」と真面目に主張している。いまどきの人に妾なんて言葉がわかるだろうか? もう死語になっているのではないだろうか?
 イリイチにしてもD・H・ロレンスにしても、近代というものの大きな流れは絶対に逆転できないことを知っていて、なおかつ近代がいかに悲惨な時代であるのかを示した。だからその主張は悲劇的であった。一方、三砂氏はたかだか女性が出産するようになる(それも病院外で)という位で何とかなると思っているようである。その論がどこか喜劇的となる所以である。
 この本の一番変なところは、女がオニババ化しているということについて、なんら具体的な事例が提示されていないという点である。もしもそれが事実でなければ本書の前提は根底から崩れる。また仮にオニババ化しているのだとしても、それが女性の出産と関連しているということにも何の証拠もない。ただ著者がそう思っているだけである。
 もしも著者がいうことがある程度まででも正しいのであれば、子どもを4人も5人も、しかも産婆さんがとりあげて産んでいた時代の女性は、今の女性よりもずっと幸せな生涯うきを送ったことになる。
 著者は本気でそう思っているのかもしれないが、だれよりも当事者である現在の女性がまったくそうは思っていない。しかし著者は現在の女性にむかってこういうであろう。「あなたがたは自分のことを不幸とは思っていないかもしれないけれども、本当はあなたがたは不幸なのです。子どもを産んでみなさい。人生観が変わります!」 これは不敗の論法であって、もしも子どもを産んでも、人生観が変わらなければ、それは病院で産んだからいけないのだし、病院外で産んでも変わらなければ、いいセックスをしていないためだし、いいセックスをしていてもだめならば、あなたはいいと思っているかもしれないければ、あなたは本当には今のセックスには満足していないからです、とかいえばいいし、要するに著者は絶対に間違うことはないのである。
 これを読んでいて思い出すのが、「女たちよ!男たちよ!子供たちよ!」(文春文庫)におさめられた伊丹十三氏と村上節子氏の対談である。対談は1977年におこなわたもので、それこそ本当に抱腹絶倒なのだけれども、村上氏がセックスの時の女性の感じがいかにすばらしいものかを滔々と弁じたてると(「性は女が神と交合するための儀式で、男はその儀式の道具になって生を燃焼しつくす・・・」)、伊丹氏が白けて、「とてもついていけない話ね、なんで神がでてくるのかね。どうも女の人というのは肉体、あるいは生理について過大な意味づけをしたがる・・・。そういう思い込みは一種の性の神秘化であって、むしろ性差別の産物なんじゃないのかね」というあたり、あるいは三砂氏の論への批判になっているのかもしれない。
 女性が性に(必要以上に?)過大な意味づけをするのは現実世界で女性が抑圧されていることへの反動であるとしたら、この本は、三砂氏がおそらく大嫌いであるだろうフェミニズムにエールをおくるものともなりかねないものに、皮肉なことだが、なっているのかもしれない。


【2004年4月23日付記:
 その後の言を見ると、内田樹氏は本気で三砂氏の論を評価しているらしい。本論中に記したわたくしの見解は検討違うであったようである。どうも、内田氏にはわからないところがある。】


(200年4月23日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)