高田里恵子 「グロテスクな教養」

  ちくま新書 2005年6月10日初版]


 高田氏の本は前に「文学部をめぐる病い」をとりあげたことがあり、何かいやな感じのする後味の悪い本というような感想を述べたような気がするが、本書もまた同様の印象をあたえる本である。何より困ったことに著者がそのことをよく自覚している。あとがきに、編集部に本の構想を話したら「一冊くらいは読んで『いやーな気持ち』になるような新書があってもいいでしょう、と励まされた」などとぬけぬけと書いている。
 その『いやーな気持ち』のよってきたるところは著者がドイツ文学を専攻しているといる女性という点にある。今時、ドイツ文学を専攻することにどんな意味があるのだという問いが、教養主義の背景となったゲーテの成長小説などへの論からおのずと浮かび上がってきてしまうという構図に著者はきわめて鋭敏で、しかも教養主義とは男性のためのものであったのではないか、自分の専攻している学問が現在においてほとんど存在意義を失っている基本的に男性のための学問であるのに、それに女性である自分が従事しているという自虐的な構えがいやでも見えてしまうしかけになっている。そういう自己言及を担保にしてあらゆるものを否定していくので、後には死屍累々、何も残らない、そういう印象である。
 さて著者によれば、教養あるいは教養主義は、わが国においては旧制高校や大学などの高等教育機関と深く結びついており、学歴エリートと不可分である。日本での教養論の混乱は男性学歴エリートの像がはっきりと見えないところに起因する。それは紋切型(旧制高校への愛惜)やピント外れ(大新聞などの官僚批判や学歴社会批判)であったりする。それでは等身大の男性エリート像とはというので著者がだしてくるのが四方田犬彦の『ハイスクール1968』である。これは「教駒」とよばれた東京教育大付属駒場高校での四方田氏の青春時代を描いた本なのだそうであるが(本はもっているが読んでいない)、著者によればそこでみるべきなのは、描かれた反体制的なメンタリティに彩られた青春ではなく、描かれた「天才少年たち」のその後なのである。彼ら天才たちは現在ではたんなる外交官、たんなる医者、たんなる高級官僚、たんなる会社幹部、たんなる東大教師になっており、かれらはいたってまともで普通である。彼らはそれなりに才能があり、つまりそれなりの才能しかない。しかも自分でもそのことをよく自覚している。そのことが問題なのであるという。
 以下、著者の論を追っていく。教養とは専門の反対語である。教養という考えの背景には自分自身を作りあげるのは自分自身であるという認識がある。これは子供が親の身分職業をつぐのが当然の社会ではでてこない考え方である。まず自分が自分を作るという特権は男に与えられた。高等教育機関において古典語や哲学を広く専門にとらわれずに学ぶことが自分をつくりあげていくことにつながるという考えがドイツから出た。であるから、教養主義批判とはそういうことでは自分自身は作りあがられないぞ、というものとなる。日本での教養主義批判は最初マルクス主義からきた。福沢諭吉の「学問のすすめ」はまさに日本での教養主義宣言のようなものであるが、そういうものが政治から逃避した立身出世主義とされてしまったのである。一方、現在では、自分自身を自分でつくるという考えは一部エリートだけのものではなくなり、あらゆるひとの脅迫観念にすらなりつつある。いわく自分探し、いわく自己実現。このように「教養」が一部エリートだけのものでなくなったことが「教養主義」の衰退の原因となっている。突出した才能をもった人間には「君たちはどう生きるか」などということは問題にもならない。それは二流の人の課題である。
 現在の日本ではエリートは受験競争を勝ち抜いたものであるとされている。しかし、受験勉強はなんら「教養」や「学問」と関係あるものであるとは考えられていない。とすれば、受験勉強の勝者も自分が単なる受験秀才であるだけでないことを示すためには、何か+αをもっていることを示さねばならない。日本では秀才とか優等生とかいうのは半ば侮蔑語なのである。だから、俺はたんなる受験秀才じゃないぞ!という叫びがでてくる。旧制高校教養主義と蛮カラ、マルクス主義と体育会系がそれを示している。そして教養主義の没落とは、文学書や思想書を読むことが、自分はたんなる優等生ではないぞ!という叫ぶための有効な手段ではなくなったということなのである。80年代中ごろの現代思想ニューアカ)ブームがその最後の徒花であった。
 その教養主義的反俗の一典型例として原口統三の「二十歳のエチュード」(1947年)が示されている(「僕は忸れ合ひが嫌ひだ。僕の手は乾いてゐる」「武士は食はねど高楊枝。全く僕はこの諺が好きだつた」)。また日本の教養論の分岐点となったものとして庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」(1969年)が挙げられている。知られているように庄司薫丸山真男の弟子であるが、「赤頭巾ちゃん・・・」は丸山真男的なものの危機への対応だったのだという。丸山真男的なものとは「自由なる主体の形成、自立した個人の確立」といったようなことである。丸山真男福沢諭吉を称揚したことはよく知られている。「赤頭巾ちゃん・・・」の舞台は日比谷高校である。「ああいうキザでいやったらしい大芝居というものは、それを続けるにはそれこそが全員が意地を張って見栄を張って無理をして大騒ぎしなければならない」、のであり、気概、意地が大事なのである。武士は食わねど高楊枝! 
 教養と啓蒙は不可分である。教師が学生を共同体仲間であると感じなくなれば教養は崩壊する。
 日本の高学歴者も奇妙なことにサラリーマンとなった途端に反知性主義的となる。それは日本の世間が異様なまでの反教養主義的だということの反映である。学歴は実力とは関係ないとされているのである。急激な近代化の過程で東洋型の教養への尊敬を失い、しかし西洋型のあたらな型も形成できなかった悲劇である。基本的に教養主義は近代日本にはまったく馴染まないものだったのではないか?
 教養の天敵は就職である。サラリーマン社会で重要視されるのは人柄であり、対人関係である(もっともこれからは奇人変人のほうが有用な人材となっていくのかもしれないが)。真の教養は学校の勉強とは別の場所にあるという意識は日本では連綿と続いている。
 教養のもう一つの伝統として良妻賢母思想をかかげる女学校教育があった。しかし、専業主婦というのが高度成長期までの徒花であることが理解されてくれば、良妻賢母もまた終焉する。教養主義は高学歴青年の思い上がりを背景にもっていた。
 
 わたくしがこの本を読んでいやーな感じがするのは、「自分はたんなる医者だけではいやだ!」と思っているところがあるからなのであろう。内科の医者というのはほとんど口先だけで仕事をしているようなところがある上に、医者という存在自体が患者さんへのプラゼボ効果をもつという避けがたい事実もあり、なんだか自分の仕事が呪術師かうらない師のように思えてくる時がある。もちろん呪術師もうらない師も立派な職業であり社会から必要とされているのであろうが、それでもである。その上、経営者的立場にもなって収支がどうのとかあまり意気のあがらない議論までしていると、こんなことをしているうちに一生が終わってしまうのはイヤだなあという気持ちになる。
 そういう自分が負わされている役割が絶対的普遍的なものではなく、たまたまそうなっているだけのものであり、それに対しては別の見方もできるのだということがどこかにないと気が滅入る、それでいろいろな本を読んでいるということもある。もちろん医療の世界でない世界も知りたい。そうしないと現在いる世界でのものの見方が絶対になってしまうのがこわい。いろいろな本を読んだりすることが本職に役にたっているのかどうかはわからないが、少なくともそれに役立てようと思って読んでいるわけではない。
 いずれにしても、ここに描かれた「自分はたんなる優等生ではないのだぞ!」といいたいことを動機とする教養主義という像は身につまされる。自分にはどこか反俗主義の尻尾を引きずっているところがあるのだろうなと思う。
 「二十歳のエチュード」を最初に読んだのがいつのことだったか覚えていないが(角川文庫の薄い本はなくしてしまったが、最近「定本 二十歳のエチュード」がちくま文庫で再刊されたので入手した。500ページに近い立派な本になっているのにびっくりした)、「武士は食はねど高楊枝。全く僕はこの諺が好きだつた」などという部分をよく覚えているところをみるとそれなりに感じるところがあったのであろう。
 「赤頭巾ちゃん・・・」は著者のいう教養主義のすすめとしてではなく、参加しないこと、逃げて逃げて逃げまくることの薦めの本、村上春樹的にいえばデタッチメントの薦めの本として読んだような気がするが(わたくしは福田恆存の影響下に読んだので福田の敵であった丸山真男的なものをそこから感じることはまったくなかった)、そこで描かれている日比谷高校生徒たちの気取りや虚勢というものに共感をもったのは事実である。
 どうもわたくしは本音主義というのが嫌いらしい。すくなくともそれを美的ではないと感じる。共産党がきらいなのもそれと関連していると思う。「命と暮らしを守る」なんてことをよく恥ずかしくもなく言えるものである。命以上に大切なものがなければ命にも価値はないではないか、などと医者が言っては具合が悪いのかもしれないが、でも命と暮らしが何より大事などという社会は生きにくい社会である。なんだかファッショ的な管理社会になるような気がする。
 要するに本を読んだりするのは、自分がどこか今生きている社会の中で居心地の悪さを感じるからである。その自分の感じ方が必ずしも根拠のないものではないのかそれを知りたい。本書で書かれているようにサラリーマンになると日本の学歴エリートというのが極度に現状肯定的になってしまうとすれば、そういう人は本を読む必然性がほとんどなくなる。
 医者になろうとした最大の理由がサラリーマンにだけはなるまいということであったのに、いつの間にか、気がついたら、医者でもあるがサラリーマンという変な身分になっていた。どうしてもそういう自分の現状が肯定できない。それがわたくしが本を読む最大の動機になっているように思う。社会から期待されている医者の像と自分が自身で感じている医者の像にもずれがある。それもまた本を読む理由である。
 どうもずれているという意識、それが本に向かわせる最大の力なのではないかと思う。だから自分では、《ただの○○ではない》と思いたいから本を読んでいるのではないと思いたい。むしろ気がついたらづれていたから、それがどういうことであるのかを知りたいから本を読んでいるのであると思いたい。本を読むことにより自分のずれを肯定できないと、自分が護れない、だから読んでいる、そう思いたい。
 しかし本書は、そんなこと言ったって本当は、あなたは他人とは違い平凡な人ではないと思いたいから本を読んだりしているんでしょ、でもそんなことはもう時代遅れなんですよ、ということを告げるのである、だからいやーな感じなのである。
 本書を読んで想起したのが渡辺昇一の「知的生活の方法」(講談社現代新書1976年)で紹介されている佐藤順太先生という人である。渡辺氏の中学の英語の教師である。すでに隠遁していたが敗戦とともに英語教師の需要が増えたため還暦をこえていたにもかかわらず教壇に再びたったのだそうである。家には和漢洋の本が天井までうずたかく積まれ、雑談で「伊勢物語」のことがでると江戸時代の注釈で一番よいのは藤井高尚のものであるといって和とじの実物を示す、漢文になれば「孟子」の道春点と後藤点の違いを指摘する、英語はすべてCOD、ハーンの全集をもち、ハーンの文学論を賞賛する(まだハーンの文学論などには誰も注目していなかった時代なのに)。猟銃と猟犬が趣味で、その方面の著述と文献のコレクションをもつ、そういう人である。高田氏の本のなかで探せば、大学の《名物教師》といって揶揄されている像、あるいは「三四郎」の「偉大なる暗闇」広田先生に近いのかもしれない。世に出る意思などまったくなく、ただ読むこと自体を楽しみにする人である。この佐藤先生のような生き方を渡辺氏は「知的生活」と呼んでいる。これは教養への志向とは微妙に異なる。東洋の文人、あるいは読書人というようなイメージにずっと近い。そこには卑しさというものがない。それがもつ知識はグロテスクではない。高田氏のこの本には参考文献として200冊近くの本が挙げられているが不思議なことに渡辺氏のこの本は挙げられていない。日本での教養論を考えるとき逸することのできない本であると思うが。まあ、渡辺氏の本はもともと反時代的な後ろ向きの論であるから高田氏の本の趣旨とどこでも交わらないからであるかもしれない。
 ここで渡辺氏が紹介している佐藤先生のようなただ本を読むことが無上の楽しみであるから本を読むというような人を高田氏はどう評価するのか、ちょっときいてみたい気もする。渡辺氏は普通でないひとで「知的生活の方法」でもいろいろと変なことも書いているが、そこで示されている書斎の設計図など今でもみていてうっとりする。
 わたくしももう少し枯れてただただ楽しみのために本を読むようになりたいものである。といっても文人だの読書人だのは今でいえばほとんど世捨て人なのであろうとも思う。教養がグロテスクになるのは邪念がすてられず煩悩から逃れられず、なかなか世を捨てられないからなのであろう。
 新書の習慣なのか後ろの扉(というのかな)に高田氏の写真がでている。なんだか金井美恵子氏をもう少しおっかなくしたような顔である。この人もこういう本を出すということはなかなか煩悩を捨てられないのであろう。わたくしもこういうHPを作っているのは煩悩が捨てられないのであろう。


(2006年4月16日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))