石原俊 「音楽がもっと楽しくなるオーディオ「粋道」入門」

  河出書房新社 2005年10月20日初版]


 この前に取り上げた許氏の本が深刻野暮な本であるとしたら、こちらはいたって気軽な本である。副題になるような粋な本であるかどうかは微妙なのであるが。前にとりあげた同じ著者の「いい音が聴きたい」の続編である。
 著者のいいたいことは一言、《オーディオにお金をかけすぎるのはいかがなものか》。立派なオーディオ装置はあるが、ほかに碌なインテリアもない部屋にCDは数枚しかなく、オーディオのローンに追われて、お洒落もせず、食べ歩きもせず、旅行にもいかず、コンサートにもいかないなどということがあったら変ではないですかと。実は著者もかつてはオーディオの鬼となり、Y野屋の牛丼を食べてでも良い音を追求してのだという。しかしそういう遊びのない余裕のない状態では、いい音がでない。美しいものを見て、恋をして、衣食住にも凝ってはじめて、オーディオも意味を持つのだと。そして著者は「音楽」こそがオーディオにとって一番大事なものなのだといういたって当たり前のことをいう。音楽についても知識もなしに音だけを追求することなど、できるはずがないと。それで本書では、クラシックの楽曲を何曲かとりあげて、それとの関連としてオーディオについて説明していくというやりかたがとられている。
 どうも著者の矛先は、オーディオにお金をかけすぎるのはいかがかということもさることながら、オーディオは音楽をきく道具なのだという点に向いているように思う。ききたい音楽があるからこそオーディオに意味があるはずなのに、録音がいいかどうかという観点からのみのCD評があるような状態は何かおかしいということである。そしてどういう音楽を聴きたいと思うかは、その人の生きてきた過去に決定的に影響されるであろうから、オーディオもその人生と切り離してはありえないことになる。
 とはいうもののあまりに安物のオーディオでは本当の音楽感動には至らない。《お金をかけすぎるのはいかがなもの》であっても、あまりにお金をかけないのも《いかがなもの》なのである。それで著者が提示するのがマーラー交響曲がそれなりに聴けるシステム。ここでとりあげられているのは第二番『復活』であるが、それを聴くために著者が提案するスピーカーが新入社員の初任給の三月分。まあ、それが上限で、あとはそれとあまり見劣りしない音システムをもっと安価に手に入れる方法をいろいろと提示していくのであるが(卓上において聴くのであれば、もっと安価なもので十分とか、ヘッドフォンシステムは抜群にコストパフォーマンスがいいとか)。
 「Sound&Life」というムックというのだろうか「ステレオ・サウンド」という雑誌の別冊に村上春樹へのロング・インタヴューが載っている。村上春樹が若いころ喫茶店をやっていたのは、そういう仕事であれば一日中音楽を聴いていられると思ったからなのだそうで(「会社勤めなんかしたら、忙しくて一日一時間も聴けないでしょう。」)、村上春樹は半端でない音楽好きのようなのであるが、そこで「若いころは機械のことよりも音楽のことをまず一生懸命考えたほうがいいと、僕は思うんです。立派なオーディオ装置はある程度お金ができてから揃えればいいだろう、と。若いときは音楽も、そして本もそうだけど、多少条件が悪くたって、どんどん勝手に心に沁みてくるじゃないですか。いくらでも心に音楽を貯め込んでいけるんです。そしてそういう貯金が歳を取ってから大きな価値を発揮してくることになります。・・・もちろん悪い音で聴くよりは、いい音で聴く方がいいに決まっているんだけれど、自分がどういう音を求めているか、どんな音を自分にとってのいい音とするかというのは、自分がどのような成り立ちの音楽を求めているかによって変わってきます。だからまず「自分の希求する音楽像」みたいなものを確立するのが先だろうと思うんです。」といっている。こちらのほうがよほど論理的である。石原氏もほぼ同じことをいいたいのであろうが、なまじ病膏肓のオーディオ・マニアなので、少しはましなオーディオ装置できいてもらいたいという老婆心が頭をもたげてきて、お金をかけすげす、さりとてけちらずといった中途半端なことになるのであろう。このインターヴューに村上春樹邸の写真がでている。壁一面LPレコードである。おそらく数千枚から万の単位であろう。いつか自分もせめて壁の一面だけでもCDで埋めてみたい。「Sound&Life」誌には西山さんという本の編集者の書斎兼仕事場の写真もでている。まわりの壁一面すべて本棚である。ただもう、うらやましい。渡部昇一の「知的生活の方法」にあった書斎の設計図も憧れであったが、こういう生活をしている人もいるのだなあと思う。また高久さんという音楽プロデューサーの箱根のセカンドハウスも紹介されている。素敵なオーディオ・セットだけがあって週末はそこで音楽三昧なのだそうである。うらやましい。わたくしは、本をすべて収容できる書斎をもつことも、音楽だけにひたれる別邸をもつこともできないままでこれからもいくのであろうが、本に囲まれて、そこで音楽も聴けてという生活ができればそれ以上の望みはないなあと思う。それにしても本の置き場所に困る。ああまだここにも本棚をおけるという夢を見るというのは山口昌男氏であっただろうか?
 著者の薦めにしたがってわたくしの総額10万円+αのオーディオでマーラーの「復活」を聴いてみた。駄目である。最初の低弦のゴリゴリとしたところから全然駄目。ブルックナーはそれなりに聴けるように思うのだが。これはブルックナーの音楽の方がマーラーにくらべてずっと単純にできているからなのであろうか? それとも演奏者の違いによるのだろうか? はたまた録音の違いなのであろうか?
 石原氏によれば、卓上に置くのであれば、小型のシステムでもそれなりのマーラーを目の前に出現させることは可能であるというのであるが・・・。はやりスピーカーが悪いのだろうか? というようなことを考えさせるのがこ手の本の困ったところである。オーディオ装置にはエージング効果というのがあって、使っている内に音がよくなってくるのだそうである。もう少し我慢して使ってみようか。

(2006年4月1日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

音楽がもっと楽しくなる オーディオ「粋道」入門

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