岡田暁生 「西洋音楽史 「クラシック」の黄昏」

  [中公新書 2005年10月25日初版]


 クラシック音楽西洋音楽の歴史のごく一部である。西洋音楽は千年以上の歴史を持つが、クラシック音楽は18世紀から20世紀初頭までのたかだか200年の歴史を持つにすぎない。われわれが通常耳にしている音楽がこのクラシック音楽であるので、これを普遍的なものと錯覚しがちであるが、ノートルダム寺院オルガヌム、16世紀イギリスのヴァージナル音楽、あるいはシェーンベルクの「6つのピアノ小品」をきけば、それがわれわれにとって自明でない音楽であることはすぐに理解される。それがなぜかということを納得するためには歴史を知る必要がある。古楽はクラシック以前、現代音楽はクラシック以後の音楽である、以上が本書での著者の基本的な姿勢である。「クラシック」以前と以後をわれわれにとって自明である「クラシック」音楽との関連で説明しよう、それにより一貫した西洋音楽の歴史を提示しよう、というのが本書の根幹となっている。
 著者によれば、西洋音楽もまた民族音楽である。それが世界最強の民族音楽であるとしても。
 さて本書は西洋「芸術」音楽の歴史を論じる。「芸術」音楽とは芸術であることを意図された音楽であり、楽譜として設計された音楽である。コンポジションである。とすると、民謡や民族音楽はそこから除かれる。それは書かれた=設計された音楽ではないから。ポピュラー音楽もまた設計された音楽ではない。それは楽譜に起こされることはあっても、すみずみまで設計されたものではない。芸術音楽とは知性の産物である。書かれたもの=エクリチュールである。
 過去において人びとの識字率はきわめて低かった。であるから芸術音楽は知的エリート(紙を所有でき字が読める階級)のものであった。楽譜として記録されるということは、他の土地にも運びうる普遍性を保障する。現代はアメリカ主導のポピュラー音楽の時代であるが、それは楽譜を前提し、クラシック音楽の時代に整備された楽器を用い、ドレミファの音階、ドミソやシレソの和音を用いている点で、クラシック音楽の直系なのである。
 はじめにグレゴリア聖歌があった。だがこれ自体は芸術音楽ではない。これは伝承的なものだから。西洋に紙に記録するものとしての音楽が生まれたのは9世紀であり、グレゴリア聖歌を母胎とするオルガヌムにおいてである。これはフランク王国による西洋世界の成立と一致する(イタリア北部・フランス・ドイツ)。ここからロシア・イギリスなどがはずれていることに注意しよう。アングロサクソンは西洋芸術音楽の主流ではなかった。これは現在のポピュラー音楽がアングロサクソン主導であることは対照的である。西洋音楽史はほとんど伊仏独芸術音楽史、EU音楽史なのである。
 フランク王国の成立とともにグレゴリア聖歌が紙に書かれるようになる。そこにはすでに対旋律(オルガヌム声部)が記載されている。対旋律は通常、4度・5度平行で動く。この当時曲をつくるとはグレゴリア聖歌に何かを加えることであった。まずおきた変化は対旋律が聖歌旋律の上におかれるようになることであった。それが11世紀末から12世紀初頭にかけて、かなり独立した動きをするようになった。
 12世紀末のノートルダム楽派において中世音楽は爆発的な発展をとげる。レオナンとペロタンという二人の「作曲家」の名前が残っている。レオナンのものは2声であるが、ペロタンのものは4声で低音のグレゴリア聖歌の上で複雑な動きをする。またこのころからリズムがあらわれてくる。当初は八分の六拍子である(三位一体の反映)。このころの音楽は第三音を欠く空虚五度による。意図されたものは神の国の秩序を音で模倣するということであったろう。
 13世紀のモテットにおいて二拍子系の音楽が導入される。三位一体を離れた世俗的なものとなっていくのである。
 15世紀、フランスのフランドール地方に大量の作曲家が輩出する。個人の名前を署名した曲ができてくるのである。ということは作品という意識がでてくることでもある。これらの背景に印刷技術の発達があることを忘れてはならない。
 16世紀には音楽の中心はイタリアに移る。
 バロック時代になって、われわれの音楽観と一致する音楽ができてくる。三和音、長調短調の別、拍子感などである。この時代に古楽がクラシックへと変わっていく。
 ルネサンスまではドイツは音楽史で重要な出来事はほとんどなかった。そこにバッハがでてくるので音楽史の見通しが悪くなる。イタリア中心の宮廷音楽の歴史と平行して教会を中心とするドイツ音楽が存在しているからである。この当時の音楽家がもっていたイタリア志向、宮廷志向、オペラ志向をバッハはまったくもっていない。バッハはその時代のもっとも偉大な作曲家であるが、その時代の典型的な作曲家ではないのである。音楽としても和声的なイタリア音楽に対して古い対位法で曲を書いた。
 著者岡田氏のバッハ観:自分にとっては理解が難しい作曲家である。まず音楽が抽象的である。聴いたときより譜面を見たときのほうがより偉大さがわかる作曲家であるような気がする。その宗教的背景が理解しづらい。19世紀西洋音楽の覇権を握った音楽後進国ドイツが、過去に偉大な神話的起源としてのバッハを発見したという政治的背景があると思う。軽薄なフランス・イタリア音楽に対する時代を超越した偉大なドイツ音楽という図式である。バッハの音楽はロマンティックな演奏にも十分に耐えるものをもっている。19世紀に再発見されたのはそういう要因もあるであろう。作曲家にとっては、バッハほど「書けた」作曲家はいない。職人としてあれだけ優れた作曲家はいない。そういう手本であろう。演奏家にとっては、運動感覚の面白さであろう。演奏上の指定は少なくどのようにでも演奏できるという面白さであろう。
 18世紀中葉からの啓蒙主義の運動と古典派音楽は連動している。市民による、市民のための、市民の心に訴える音楽である。18世紀にはワトーらに代表されるロココの時代がバッハと並立している。クープランスカルラッティらである。
 古典派になって、対位法が用いられなくなった。楽譜の出版が広く行われるようになった。市民たちは自分たちで演奏した。交響曲は演奏会という市民社会ではじめて成立した演奏形式と不可分の関係にある。ハイドンやモツアルトの交響曲には「公的な晴れがましさ」と「私的な親しさ」が均衡している。ソナタ形式は「対立を経て和解に至る形式」である。バロックの音楽では「対照」はあっても「対話」はない。「対話」と「議論」は啓蒙の時代の音楽形式なのである。
 ベートーベンの音楽は彼が貴族社会と縁を切ったという点においてハイドン・モツアルトの音楽と根本的に異なる。ベートーベンにはそれまでの音楽家にはなかった「右肩上がりに上昇する時間の理念」がある。軽いフィナーレから重いフィナーレへ。またベートーベンは集団的なものへの志向がある。典型が第九交響曲である。「エロイカ」の第一楽章は形式と想像力の均衡という点で空前絶後であり、その後のロマン派は想像力に走ると形式が崩れ、形式に走ると硬直した。シューベルトにはベートーベンにはある「言うべきことをすべて言い切った」という充実感がない。それがまさにここで終わらなければならないという必然性の感覚がない。言いたいことを言っているうちに突然止まってしまう感じである。
 18世紀までの音楽は消耗品であった。19世紀になって後世に残る傑作という概念が生まれてくる。やがて演奏会はリアルタイムの同時代の作品を演奏するものから、過去の不滅の傑作を陳列する美術館となっていく。それとともに大向こうをうならせる演奏効果が追及されていく。演奏するプロと聴くアマチュアが分裂していく。
 音楽の中心はパリとくにそのオペラ座を筆頭とする宮廷音楽を世俗化した社交の音楽であったのだが、それとは孤立してドイツでは堅実な教養市民層を基盤とする真面目な音楽が発展していった。われわれが抱くクラシック音楽のイメージはもっぱらドイツ語圏で発達したものなのである。交響曲弦楽四重奏曲、ピアノ・ソナタなどであり、ベートーベンが完成させたものである。他の国に真面目な音楽が伝染するのはもっと後からである。19世紀後半のフランスのフランク・フォーレ、ロシアのチャイコフスキーなどであり、シベリウスは20世紀の作曲家である。実証科学万能の19世紀では誰も宗教など信じなくなっていたが、ドイツ浪漫派では器楽曲が絶対者が顕現する場となった。擬似宗教となったのである。ロマン派の音楽はロマンティックな時代だから生まれたのではなく、無味乾燥の時代だからこそ生まれた。
 後期ロマン派は1000年にわたる西洋音楽史の最後の輝きの時代である。今日の演奏会のレパートリーはこの時代までの音楽がほとんどすべてである。第一次世界大戦西洋音楽を支えてきた社会的基盤を粉砕した。王侯貴族を継いだ19世紀ヨーロッパのブルジョア社会も消滅したのである。
 第一次世界大戦後の世界において、「調性」「拍子の一定性」「楽音」が破壊された。1920年代に登場した作曲家はロマン主義への嫌悪という点で共通する。さらにはオリジナリティの否定としてのストラビンスキーの「プルチネルラ」がある。
 第二次大戦後、前衛音楽がでてくる。しかし、そこでも作曲家という概念がそれまでのものと同じなのだろうかという疑念が生じる。それはもはやサブカルチャーになっているのではないだろうか? 一方、芸術音楽の主体は演奏に移っていく。誰がどう演奏するかが重要となっていく。そして音楽自体の主体はアングロサクソン系の娯楽音楽となっていく。その音楽構造は19世紀ロマン派音楽そのままなのであるが。
 第二次大戦後の最大の音楽史上の出来事はモダンジャズである。しかし、1960年代においてフリージャズと娯楽路線に分裂してしまう。ちょうどクラシックが前衛とポピュラーに分裂していったように。
 われわれはまだ西洋音楽、とりわけ19世紀ロマン派音楽から自由にはなっていない。
 
 まず、西洋音楽民族音楽なのだろうか? 出自が民族音楽なのは間違いないが、それが現在世界を席捲しているのは、それがどこかで普遍的なものをもっているからということはないのだろうか? 西欧文明がたまたま世界を制覇したから、西洋音楽も世界を制覇しているだけなのだろうか? モンゴルが世界を制覇していたらモンゴル音楽が世界音楽となっていたのだろうか? 歴史で一度しかおきなかったことは検証のしようがないが、西洋音楽にはどこか普遍的なものがあるのではないかとわたくしには思える。それは倍音理論とそれによる機能和声による音楽は西欧クラシック音楽だけであるからである。本書にも書かれているように西欧においても過去ある時代においてはドミソの和音は不協和音であった。われわれにとっては不協和的にきこえる空虚五度がその時代においては協和音なのであるから、ある音を快いと感じるかどうかは、時代と文化に依存しているのであって普遍的なものではないのかもしれないが、和声学などという学問が存在したのは西欧だけではないかと思う。和声学は機能和声とワンセットである。機能和声は方向性を持つ。それは単なる響きではない。ある和音は自動的に次の和音を要求する。クラシック音楽とは機能和声に基づく音楽なのであり、機能和声はある種の普遍性をもっているのではないだろうか、だからこそ、その機能和声によるポピュラー音楽が現在世界音楽となっているのではないだろうか? ドイツ古典派音楽とは機能和声のもつ力を最大限に追及した音楽ではなかったのだろうか? それが現在においてもクラシック音楽のなかでドイツ古典派からロマン派音楽がもっとも多く取り上げられる理由なのではないだろうか?
 そもそも、和音というのは複数の音が同時に鳴ることを前提とする。西欧以外の文明においては圧倒的に演奏家あるいはそれによる名人芸のほうが重視されたのではないだろうか? 演奏家が重要視されれば、それは個人の芸であり、合奏というようなことはなかなか発達する余地がない。そこで重んじられるのは音色あるいは声音あるいは響きであって、構築物としての音楽ではない。芸が重んじられるであれば楽譜に記載する構成されたものとしての音楽作品というものも生まれにくい。
 そしてこの構成されたものとしての音楽作品が著者のいう知的生産物としての西欧芸術音楽なのであるが、とすれば芸術概念というもの自体が普遍的なものであるのか、西欧の一地方文明あるいはそのある時代のみで成立する概念であるかということに問題は遡行していく。構成されたものとしての音楽作品という概念そのものが、神の創造したものとしての世界という西欧の根幹をなすキリスト教的な世界観の反映であることは間違いないから、あるいはもっといえばわれわれが信奉している芸術概念自体がキリスト教的世界観に深く浸潤されていると思われるから、芸術概念で西洋音楽の歴史をみていくという操作自体が自己言及的な部分をふくんでしまうのかもしれない。
 著者も書いているように、そういうことを考えていく場合一番混乱のもとになるのがドイツ古典派音楽の存在である。特にベートーベンの音楽である。どう考えてもそれは知的構成物としての作品といったものを超えていると同時に、われわれが抱く芸術家のイメージをつくった張本人がベートーベンであるかもしれないからである。ベートーベンの音楽は、「思想」とか「精神」とかいうものをいやでも連想させる何かを持っている。遅れたドイツという片田舎でなぜ突然そういうものが現れてしまったのだろうか? あるいはカント、ヘーゲルからハイデガーまで続く哲学の系譜がなぜドイツという辺境から出てきたのだろうか? これはただもうそういうことであったということであって、理由などないのかもしれないが、ドイツ古典派音楽ドイツ観念論哲学というものがなければわれわれはもっと幸福だったのかもしれないわけで、なぜああいうものが生まれてしまったのかという疑問はどうしても頭に浮かんでしまう。ヴィヴァルディやスカルラッティロッシーニの音楽しかなければ西洋音楽史は単純である。それは知的な構成物であるかもしれないが、あらゆる職人がつくるものはすべて知的構成物であるかもしれないのだから、その範囲を大きく超えるものではない。でもベートーベンの作ったものは何か違うのである。
 ベートーベンはあるいは西洋音楽史上もっとも才能のある作曲家であったのであり、同時に三流の思想家であったというだけのことであるのかもしれない。その三流の思想がなければ「エロイカ」第一楽章は生まれなかったのかもしれない。なぜ、突然あのような音楽が生まれたのか、謎としかいいようがないが、それはベートーベンが途方もない天賦の才能を与えられていたからであるのかもしれない。とにかくそれはそれまでの音楽とは画然と違ったものとなっている。でも「エロイカ」では冒頭楽章と次の葬送行進曲が重く、三楽章はそれまでの楽章より力が落ち、終楽章も上昇していない。これはシューベルトではないが第二楽章までの「未完成」としたほうがいい、あるいは最後のピアノソナタなみに二楽章で完結の曲としたほういい曲であったのではないだろうか? フィナーレの変奏曲は何だかよくわからない音楽である。どういう音楽をこの場合の終楽章におくべきかわからなくなってしまっているのではないかという気がする。ベートーベンはメロディーを作るのが苦手であるにもかかわらず、終楽章で使われている「プロメテウスの創造物」からのメロディーは自分としてはよくできたお気に入りで、それを使った音楽をただもうつくりたかっただけではないかという気がする。なんだか、とってつけたような終楽章である。
 ベートーベンが右肩上がりに上昇する時間の音楽を作ったのは何故かといえば、モツアルトのようなフィナーレが書けなかっただけだからではないかという気もする。モツアルトのフィナーレは音楽だけでできている。そういう流麗な音楽が書きたくて書きたくて仕方がなかったが書けなかった。しかたがないから意味ありげな不純物を混ぜることで、それを乗り切っただけなのかもしれない。そういう不純物の集大成が「第九」のフィナーレである。そしてその「不純物」がそれ以後の西欧音楽に大混乱をもたらしたわけである。あの「歓喜の歌」の馬鹿さ加減、能天気さ加減というのはいかんともしがたいものがある。あんな下らない詞に何十年もこだわって音楽をつけてしまうというのがベートーベンが三流の思想家である所以である。許光俊氏が「クラシックを聴け」で示している「第九」の歌詞訳(一部)。「あーい、ダチ公よ、こんな音楽じゃないぞ!/もっときもちいいヤツを歌おうぜ、/もっとハッピーなヤツをさ/(中略)/ダチ公どもよ、自分の道を前進せよ、/勝利に向かうヒーローのようにハッピーに。/何百万人というみんな、抱き合おうぜ。/このキスを世界中に!/仲間よ! 星空の向こうには/神様が住んでいるに違いないんだ。/(後略)。
 音楽だけでもたせることができないから不純物をいれるなどというのは一流の作曲家のすることではない。しかし、ベートーベン晩年のピアノソナタあるいは弦楽四重奏曲は比較を絶した音楽史の中でも位置を定めることが困難なそれだけで一つのジャンルを作っているような独特なものであって、どう考えても大作曲家の作である。だからベートーベンという作曲家は訳がわからない。「第九」だって、あの第一楽章の開始だけでも後世を束縛する大発明だったわけだし、第二楽章のティンパニのオクターブ、第三楽章の拍子の異なる主題の採用、それだけで画期的であった。フィナーレも、最初「歓喜の歌」が低弦ででてくるところは馬鹿みたいであるが、それが対位法的に受け継がれていくところは大音楽である。そういうベートーベンの訳のわからなさが後世の音楽を混乱させた。
 20世紀の音楽の反ロマン主義というのはベートーベン的思想宣伝を音楽から放逐しようというものであったのだろう(音楽における感情表現自体の放擲が根幹であるとしても)。しかし、問題は事実として音楽が人の感情に訴える何らかの力をもっているということで、それを放逐してしまうと音楽の持つ力の相当部分が殺がれてしまうということである。ある意味では野蛮な感情訴求力を徹底的に利用したのがベートーベンであったのであり、それがロマン派音楽に引き継がれた。それは音楽の一番不純な部分であるのかもしれないが、そもそも不純物がないものはひ弱なのではないかという問題もある。であるから、著者もいうように、いまだに19世紀ロマン派音楽の呪縛は消えていないのである。
 西洋音楽史の中でバッハは位置づけられない作曲家なのかもしれないが、わたくしはバッハは西洋音楽史における最大のメロディーメーカーだったのではないかという気がする。あれだけ複雑で入り組んだ面倒くさい音楽をそれでもわれわれが聴くことができるのは、その旋律の魅力によるのではないだろうか? 「マタイ受難曲」にしても、アリアなどの伴奏の旋律がどれも単純でありながら美しい。「主よ、人の心の喜びよ」にしても、あのどうということのないコラール旋律にあれだけ美しい旋律がつくわけである。あるいはさまざまな協奏曲の緩徐楽章でのオスティナートの上に紡がれる美しい旋律。
 さてそれならば、バッハという類まれな能力をもった作曲家がたまたまあの時代に生まれただけなのだろうかという疑問が生じる。同じことはベートーベンにも言える。西洋音楽史をたどることである種の必然的な流れをそこから掬いだすことができるか、それともある種の才能がいつの時代のどこに生まれるかはまったく偶然なのであるから、音楽史は偶然を跡付けるだけなのであろうかという疑問にそれは通じる。進化というのは地球という個別特殊な環境のなかで隕石の落下をもふくむ環境の変化という偶発的な状況の産物であるから、現在われわれがこのようであるのは一切必然的なことではないが、それでも進化をつかさどる原理というものを仮定することはできるように、音楽が現在のようにであることは必然的なものではないとしても、それでも音楽を今日まで導いてくるある種の原理のようなものを歴史から抽出できるのだろうか? バッハあるいはベートーベンという個が存在しなかったとしても、それでもそれほど現在のものと大きな違いがないものとして音楽はあるだろうか?
 そういうことを考える場合、本書では正面きって論じられていないけれども、音楽において進歩というのは存在するのかという論点が避けて通れない。バッハよりもベートーベンのほうが、それよりもシューマンのほうが、それよりもバルトークのほうが、音楽語法についてはたくさんのことを知っている。しかし、それは進歩であろうかということである。たくさんのことを知っているほうが必ずしもよい音楽を書くことに資するとはいえないという問題がある。いままで試みられたことのない技法を追求するということは進歩なのであろうか? そういう新しい語法の歴史として音楽史を語ることは可能なのだろうか?
 しかしそういう方法で歴史が記載が可能なのは著者がいうクラシック音楽だけであって、それ以前もそれ以後もそれで記載することは困難である。クーンの言い方を借りれば、クラシック以前もクラシック以後もクラシック時代の音楽とは共役不可能なのである。三和音音楽の「進歩」は語れる。しかしそれ以前の平行五度の音楽は和声学の禁忌であるし、それ以後の無調の音楽は言うまでもなく和声学と無縁の音楽である。
 無縁であってもそれを歴史の中で連続したものとしてあつかうために著者は「知的構成物」としての作品という概念を持ち出す。それであれば歴史は二つに区分される。知的構成物以前の「無名の伝承」時代と「署名のある作品」時代である。
 第二次世界大戦以後の前衛音楽は著者によればサブカルチャーであるという。いわばオタクの世界、仲間だけにわかればいいという世界、広い聴衆を想定しない世界であるという。しかし、それならば現代の「クラシック」音楽もまたサブカルチャーではないかと思う。過去の作品の再生の微妙な違いを論っているだけなのだから。音楽の本流がアングロサクソン系のポピュラー音楽である時代にである。しかしわたくしにはアングロサクソン系のポピュラー音楽も、本当に本流なのだろうかという疑問がある。それがほとんど歌詞なしでは成立しない音楽ばかりであるからである。あらゆる楽器の中でも声のもつ表現力は他を圧して圧倒的である。ベートーベンの第九ではないが、歌詞でいいたいことをいってしまうのは容易である。とすれば、アングロサクソン系のポピュラー音楽といってもその中で音楽の占める部分はそんなに大きいものではないように思える。旧態以前の和声進行にただ新しい歌詞という衣を着せ替えているだけのような気がする。しかも、歌詞といっても、《何百万人というみんな、抱き合おうぜ。/このキスを世界中に!》といったものと五十歩百歩ではないのだろうか? 感情の垂れ流しである。全然知的ではない。
 それで、知的構成物をしての音楽としてのモダン・ジャズを著者は高く評価するのであろう。それはほとんど声に頼らない器楽合奏であるし、即興のみかけに反して設計された音楽である。しかし、それも現在ではすでに歴史に中で回顧されるものとなってしまおうとしており、アクチュアルなものとはいえなくなってきている。
 とすれば、これだけ音楽があふれている時代において、実は音楽はほとんど死に絶えようとしているのかもしれない。「クラシック」の黄昏どころの話ではなくて、「音楽」の黄昏であるのかもしれない。すると過去においては確かにアクチュアルであった音楽を再生することを主眼とする現在のクラシック音楽鑑賞のありかたもそんなに的外れとはいえないことになるのだろうか? もっとも著者によれば、「名曲レパートリー」の「決定版」もほぼ出揃ってしまい、ネタ枯れはありありとしてきているのだそうであるが。私の世代が死に絶えたら、クラシック音楽というのも絶滅してしまうのかもしれないなという気もする。まあ、もともと200年くらいの歴史しかないものなのだから、それも仕方がないのかもしれないなという気もする。
 こういう本を読んで感じるのが、西洋史におけるドイツ人の果たす役割の不思議である。遅れた田舎の野暮天なのに、ドイッチュラント・ユーバー・アレス!である。世の中にたえてドイツ人のなかりせば春の心はのどけからまし。ではあるが、世紀末ウイーン一つをとってもドイツ人がいない思想世界はとても寂しい。でもあれはユダヤ人であって、ドイツ人ではないのかな? ユダヤ人だけがいればいいのかな? でもそのユダヤ人が一神教という人類の厄災をもたらしたのだし。
 なんだかんだいってもわれわれは骨がらみ西欧文明に毒されてしまっているのだから、その西洋文明に咲いた花であるクラシック音楽からも当分逃れられないのであろう。中でもドイツ古典派音楽からロマン派音楽にいたる西洋音楽は西洋の毒から一番たくさんの養分を得ている分、美しいのでもあろう。特にロマン派音楽は猛毒が全身にまわっているのかしれないが、その毒の故にいまだに魅力的でもあり続けているのであろう。スカルラッティの音楽などたまに聴くからいいのであって、世の中にそういう音楽しかないとすれば、それはとても寂しいことになってしまう。

(2006年4月1日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)