嵐山光三郎 「頬っぺた落とし う、うまい!」

  [ちくま文庫2001年11月7日初版 原著は1998年10月初版]


 前から知っていた本なのだが、タイトルがなんとなく品がない感じなので手にとっていなかった。今回何となく山田風太郎の本とともに購入。
 一応小説であり、ストーリーがないこともないのだが、主役は明らかに、ここで語られる料理の数々である。嵐山氏は日本全国を旅してまわる人のようで、津々浦々で食べた様々な食べ物、それが小説を進行させていく。ここで紹介されているのは氏が食べ歩いて遭遇したものの千分の一、万分の一であろうから、要するに元手がかかっている。その元手の中から熟成してきた滴りのほんのエッセンスがここに示されている。知ったことをすぐに右から左に書きながすというような最近の貧相な書物の中で、例外的に豊かな味わいの本である。この人の食べ物談義がいやらしく、あるいはいやしくないのは、食べることに本気だからである。食べることと生きることが分離していない。そして、食べるだけではなく、作るひとでもあるからである。でてくる料理のほとんどに作り方が書いてある。もちろん、味噌○グラムに胡椒少々とか書いているわけではないから、これを参考書に料理を作れるわけではないが、『丸ごと串を入れたマツタケを三本、炭火にかざした。「強火の遠火で、気長にあぶるようにして焼くんです。焼きあがったら、醤油をたらして大胆に食べる。これが山の幸の一番です」』くらいは真似できるかもしれない。
 嵐山氏はまっすぐな人なのであろうと思う。だからおそらく喧嘩もする人でもあろう。血気のひと、侠気の人、そして幾分かは狂気の人でもあろう。いい人なのであろうが、自分のことを決してそうは思っていないであろう、自分のことを厭な人間であると思っているであろう。自分のことをいい人であると思っているような人はいい人であるわけはない。
 多分、わたくしに一番欠けているのが、嵐山氏のこの animal spirits である。自分は動物より植物に近いような気がする。何がなんでもサバイバルしてやろう意欲がない。そのくせ見栄っ張りである。難破船に10人残って、救命ボートには5人しか乗れないなどという状況になったら絶対に、「お先にどうぞ」とかいいそうな気がする。嵐山氏がそういう状況になったらどういう行動をするのかわからないが、どこかで潰瘍から大出血して死に損なったようなことを書いていたから、案外と恬淡としているかもしれない。わたくしだってこんなことをここでは書いているが、そうなったら他の人間を蹴倒して、ボートに乗ろうとするのかもしれない。その場にならなければわからない。
 Animal spirits などとここで書いているのは、ケインズを紹介している誰か著作でそれを見覚えたからで、ケインズは株で大儲けをした人のはずである。株は目的ではなく、したいことをするための手段であったのであろうが、どうもわたくしには投資というようなことへの意欲がない。バブルのころに投資をしない人は世捨て人であるなどという人がいた。結果として、そのころは世捨て人でいて正解だったのかもしれないが、別に先見の明があったわけでなくて、ただそういうことを考えもしなかった。
 またわたくしは自分で料理を作ったことがない。結婚まで親と同居していて、結婚してからは女房が作るということで、まったくしたことがない。最低最悪の男ということになるらしく、将来は《濡れ落ち葉》とかいうものとみなされて廃棄されることは必定の運命にあるのだそうである。でもそうなってダンボールにでも入って橋の下で暮らすようになっても(冬寒いだろうな)、誰かがお結びくらいもってきてくれるのではないだろうかと夢想するのである。そういう空想をナースに話すと、心底軽蔑した口調で、「馬鹿ねえ。先生から医者という肩書きをとったらただのおじさんで、誰も見向きもしないわよ」という。でも、〈ひも〉もどきくらいにはなれるのではないだろうかと思うのである。〈ひも〉というのは炊事洗濯くらいできなくてはいけないのだそうで、双方ともしたことがないわたくしにはとても無理なのであるが、でも傾聴アルバイトというのがあるのだそうである。一人暮しのお年寄りのところにいって、ただ話をきいているだけという仕事なのだそうで、いまはボランティアの仕事であるが将来的には立派な仕事になるのではないかという。親不孝な娘&息子は親を見捨てて近寄りもしないから、ただ話を聞くということが立派な仕事となる可能性があるらしい。人の話を関心があるがごとき素振りできいているというのは医者なら十分訓練していることである。そんなことが仕事になるのであれば、誰か適当な女のところに転がり込んで、話を聞いてあげさえすれば、お礼に飯くらい作ってくれて、一晩の宿くらいは貸してくれるのではないだろうか? などと考えるのはやはり animal spirits の欠如なのであろう。
 むかし、「きみ作る人、ぼく食べる人」とかいうCMがあってフェミニズム団体が抗議して、中止させられてしまったことがあった。野暮な話である。こういう抗議がくるというのは、本当は女性にとっても、飯を作るのは苦役であって、誰かに作ってもらってただ食べるだけがいいなと思っているからであろうか? 料理を作ることが楽しみであれば、こんな楽しみを男にわたしてなるものかと思うであろう。嵐山氏は料理することを苦役だとは思っていないようである。それがこの小説を血の通ったものとしている。
 やってみなければわからないが、将来“濡れ落ち葉”として追放されたとしたら、自分で作るようになるだろうか? 包丁をもったこともないものが、とてもそんなことはできるはずもないのかもしれないが、時々なら面白がって試みそうな気がしないでもない。ただ食器洗いというものはまずしないように思う。以前、将来一人暮らしに陥るリスクを考えて、関川夏央氏ら中年で一人で暮している人の本を、研究のために何冊か読んでみたことがある。みなさん、食事をつくるまではすることはあっても、食器洗いについてはまず真面目にやっているひとはいないようであった。わたくしもまず紙のおさらに紙のコップ、流しはそれでも洗い物の山ということになるのであろう。なんだかやだなあ、やはりコンビニで買い物かな。
 「少し講釈をすれば、婦は己を愛するものの為に梳るかどうか知らないが、スティヴンソンによれば(或はその未完成の遺稿を書き上げたクイラ・クーチか)女は男に食べさせることに情熱を覚えるものだそうで確かに我々が飼い犬に食欲がなくても心配するならば寅三が食べる具合を見てまり子が喜んでも別に不思議に思うことはない。(中略)まり子は寅三の為にもう一度焼いているパンにバタを付けてやる程もの好きではなかったが、そのパンが焼けるのを寅三が取る手遅しと待ち構えていてバタを塗りたくるのを見てまり子は、ここで満足だったと書くべきだろうか。フローレンス・ナイチンゲールではあるまいし、そんな女はつまらない」 吉田健一の「瓦礫の中」の一節である。なんだかあちこちからクレームがきそうな文章である。フェミニズム団体とか、看護協会とか。
 こういうことを書いているのだから吉田健一もまず自分では作らないひとであったに違いない。氏の「私の食物誌」でも山葵漬けが何につけてあるのか知らないなどと書いているくらいだから、作り方などには興味がなかったのであろう。もっとも傑作「饗宴」では、コットレット・ダニヨー・オーゾマール・トリュッフェ・マロン・シャンティーの作り方が書いてある。このコットレット云々がどのようなものであるかは読んでいただくしかないが、何かの病気で食べることを禁じれらた病人がいろいろの食べる物を妄想する話である。こういうのを読むと糖尿病の食事療法などをしている自分がつくづくと厭になってくる。吉田氏の文章をちらちらと読み直していたら「女房コック論」というとんでもないものがあった。そこには、「鮨を一つ摘むのにも、山葵はインド直輸入の粉山葵を涙で溶かしたものに限るなどという講釈を聞かされると昔は腹が立って、いや、台所のことは女房か料理人に任せておけばいいので、何も大の男が頭を使うのにこと欠き、と反撃したくなったものだった」などという文もある。こういう文章が平気で発表できたのだから、思えば昔は良かったのである。吉田氏の食べ物をあつかった文章には、「海坊主」「酒宴」など数えきれないほどの傑作があるが、「満腹感」という戦後の食糧難時代をあつかった文章も忘れられない。食べることの原点には腹が空くことがあるということを改めて認識させられる文である。吉田氏の食物談義が清々しいのは、そういう根本がどんなときでも忘れられていないからであろう。
 では清々しくなく、いやらしいのはといえば、たとえば丸谷才一氏「食通知ったかぶり」。嵐山氏の「頬っぺた落とし・・・」でも何年もののワインがどうたらこうたらというようなところもあるのだが、それが不思議といやな感じをあたえない。それなのに丸谷氏がやるとなんでいやらしくなるのだろうか? 思うに自分を相対化する視点がないのである。吉田氏のいう食べ物のことなんかに大の男がという視点が一方にない食物談義は、なんだかさもしいのである。
 さてそれでは、「頬っぺた落とし・・・」のストーリーはといえば、何だか浅田次郎ばりの人情話である。嵐山氏は「涙の茶漬け」という部分を書きながら泣いてしまった、と書いている。純情な人でもあるのであろう。不思議な人である。
 南伸坊の解説も素敵。嵐山氏は良き友人に恵まれているらしい。
 

(2006年4月1日ホームページより移植)