相変わらず北方水滸伝を読んでいる。現在第3巻の半ば。段々重たくなってきた。登場人物がみんな真面目なんだもの。敵役まで真面目で魅力がないというのはつらい。やはり敵役は「ふふふ、越後屋、お主も悪じゃのう」という風でないとね。
 岡田英弘氏の「この厄介な国、中国」によれば、現代中国においても戸籍は「都市籍」と「農村籍」にわかれているのだそうで、ましてや過去においておや、ということになる。都市の人間だけが社会の中枢となりうるのであり、農村の人間はその他大勢にすぎなかったとすれば、12世紀中国を描いた小説で、登場人物が「民の国を作らねばならぬ!」などというのはなんとも現実離れしたものということになるのではないだろうか? その時代には国もなく民もいなかったのだろうと思う。どう考えても、この小説は現代の国民国家概念を過去に無理やりに持ち込んでいるように思う。
 過去を舞台に現代を描くというやりかたは当然ありうる一つのやりかたなのではあるが・・・。


この厄介な国、中国 (ワック文庫)

この厄介な国、中国 (ワック文庫)