7 グーグル 

 わたくしも本書を読むまでグーグルとは単なる検索エンジンの会社であると思っていた。それにしても愛想のない作りの入り口であるなあ、という印象で、ごてごてしたコンビニみたいなヤフーをもっぱら使っていた。もっとも、出典のわからない文章を調べるときなどは、グーグルが断然よくて、そういう時だけグーグルを使っていた。本書を読んで、グーグルというのはとんでもない構想のもとに運営されている組織であることがはじめてわかった。それを知っただけでも本書を読んだ意味があったというものである。
 一方、「あちら側」というのはなかなかわかりにくかった。あるいは今でも本当にはわかってはいないのかもしれない。わたくしがホームページの作成をはじめたのは野口悠紀雄氏の「ホームページにオフィースをつくる」を読んだのがきっかけだった。この本の主張はホームページは他人に見せるためのものではなくて自分のためのものだ。自分のヴァーチャルなオフィースをインターネットの上においておくことは、仕事の能率を高めるというようなものだったと思う。今から思うと、情報を自分のハードディスクの中におくのではなくインターネットという公共空間におけというという主張である。本書で主張されていることの一部をさきどりしていたものであるようにもみえる。しかし、野口氏の本は2001年末に刊行されているから、ネット上にたくさんの発信者がいる中で自分の発信する情報が注目される可能性についてはきわめて懐疑的で、だからこそ誰もみてくれなくても自分にとって有意義であれさえすればいい、という主張となっている。検索エンジンが自動的に情報をえり分ける可能性についてはまったく言及されていない。わずか4年ちょっとで時代が変わってしまっているのである。
 グーグルが考えていることは、これからの情報はすべてネット上にある、すくなくとも情報の複製はネット上にあるべきであるということであるように、梅田氏の本では読める。そしてネット上のあらゆる情報は淘汰をうけ、意味のある情報とそうでない情報が自然にえりわけられてゆく。そうはいってもごく一部のひとだけが関心をもつ情報というものもあり、それはロングテールによって死滅はせずになんとか生き延びてはいく。だからここでの淘汰は、最適者だけが生存し生き延びるわけではなく、世界で3人しか関心をもたない情報もまた生き延びうるというという、修正版のダーウィン世界となっている。
 ある種の淘汰をうける人間の文化的産物というとドーキンスミームがすぐに頭に浮かぶ。グーグルの主張によれば、ミームが完全に公平に民主的に淘汰をうけることができるためには、人間の文化的産物のすべてはネット上に存在しなくてはいけないのである。それが民主主義を保障することになる。

ホームページにオフィスを作る (光文社新書)

ホームページにオフィスを作る (光文社新書)