N・ハンフリー「喪失と獲得 進化心理学からみた心と体」(2)
第5章「心身問題の解き方」
ハンフリーの主張。
最近の脳科学の進展によって、今日は何曜日かを思い出すときに脳のどの部位が活動しているかということが示せるようになってきている。したがって、こころと脳というのが一つの状態の異なる側面であること、精神状態(m)=脳の状態(b)であるということについては、あるいは少なくともそれが関連ある事象であるということは、多くの人がみとめるようになってきている。
しかし、それにもかかわらず、その本当の関係はわれわれの到達できる理解の範囲をこえているとするものも多い。
3つの立場がある。
1)たしかに相関はあるのだろう。しかし、それはたとえば神様の気まぐれによるのである(デカルトのやりかた)
2)たしかに相関はありそうである。しかし、この相関の理解はわれわれの能力を超えている。そういう無益な追求はしても意味がない(マッギンのやりかた)
3)たしかに相関はありそうであるし、それは何とか説明可能である(ハンフリーの立場)
3)の立場をとるハンフリーがいうのは次元の一致の必要ということである。
E=MxC二乗
という等式があった場合、その次元が一致していることですくなくとも、この式が間違いでない可能性があることはいえる。それなら、
精神状態(m)=脳の状態(b)
という等式がなりたつためにも、両者の次元が一致しなくてはいけない。
ところが現在、この等式の右辺を左辺で用いられている用語の次元がまったく違う。であるなら、まず用語を少々ねじまげてでも、次元の一致を図れるかを追及するのが、心身問題への最良のアプローチである、というのがハンフリーの主張である。
そのためにハンフリーがいうのが、感覚と知覚の分別である。感覚と知覚は同時に生じるものであるが、それにもかかわらず、感覚は、自己に今おこっていることへのものであり、知覚は外部世界の客観的な事実についての判断にかかわる。
進化の過程で、初期の生物は感覚をもつだけである。体表でおきていることをモニターするだけである。しかし、それが外部世界で何がおきているかの情報でもあるほうが淘汰上有利である。そこで知覚が生じる。
私に何が起こっているか→そこで何が起こっているか
前者だけならこころはいらない。反射だけあればいい。後者としてこころがでてくるのである。
以上みたハンフリーの議論は、ごくごく原理的な考察であって、これで心身問題が解決したというようなものではない。しかし、そこに解決への方向があるとすれば、こういう方向しかないという氏の主張はきわめて説得的である。
たとえば養老孟司氏がいう、心身問題は機能と構造という問題であるというのは、はじめから次元が違うといっているわけである。心臓を見ても循環はない、心臓は形であり、循環は働きである、それと同じで脳は形であり、こころはその働きである、という議論では、なぜある部分の脳が活動すると、ある種の心的状態が生じるかという点については何もいわないわけである。
ハンフリーの論は、脳の働きとこころの働きをかなり強引にでも同じ地平のものとして見られないかというものである。というか脳科学の進歩からそうであるはずなのだから、そうであるように用語法を変えていくべきである、という主張である。つまり、こころという言葉をもっと科学の議論にたえるようなものにしていこうということである。
本書でもハンフリーが言っているように、いきなクオリアなどといいだすと、いたずらな神秘主義にはまり込むだけである。茂木なんとか氏がクオリア云々といっているが、本当に大事な問題から逃げているようにしか思えない。ラマチャンドランの本でもクオリアが残された難問であるとされていた。しかしクオリアなどといいだすと、わたしが感じていることとあなたが感じていることは同じかという不毛な議論に落ちこむだけである。
色弱の人が見ている世界とそうでないわたくしが見ている世界は違う。というなら、犬が見ている世界とも当然違うわけである。それにもかかわらず、こころというものが生き物と世界とのかかわりに大きな役割を果たしているという事実のほうがよほど重要でああるはずである。
次元の一致などということは今まで考えたこともなかった。頭のいい人というのはいるものである。
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