22 丸谷才一 鹿島茂 三浦雅士「文学全集を立ちあげる」

 いよいよネタがなくなってきたので、買ってきたばかりの全共闘運動とは何の関係もない本を無理やり材料としてみる。
 全共闘運動とは関係ないのだけれども、鹿島氏は1946年生まれ、三浦氏も1949年生まれということであり、ともにいわゆる全共闘世代である。鹿島氏は運動に参加したひとだったように思うが記憶違いかもしれない。三浦氏もそうかもしれない。
 
 まず、巻頭、丸谷氏が“CANON”、正典ということをいっている。そして、それに関係して鹿島氏が、「新人作家が、ほとんど昔の文学作品を読んでいない」ということをいっている。丸谷氏によれば、CANONとは、知識人なら必ず読んでいなくてはいけない、あるいは読んだふりをしなければいけない本のことである。
 小阪氏は九州からでてきていきなり全共闘運動にまきこまれ、その経験がその後の生きかたを規定したというのであるが、《とりあえず自分の身の回りのことを書くと、もう書くことがなくなってしまう新人作家》にどこか似ているような気がしないでもない。一方にCANONがあり他方に自分の経験があって、自分の経験がCANONにより相対化されることが、経験の意味をかんがえていく上では必須の作業であると思うのだが、それがなされていないように思う。小阪氏には過去に「イラスト西洋哲学史」という著書がある。わたくしも読んだ記憶があり、小阪氏の「思想としての・・・」を手にしてみる気になったのも、そこで氏の名前を覚えていたということが大きいのだが、その西洋哲学史の勉強が、全共闘運動を遡ってかんがえてみることに役にたっているようにはみえない。
 小阪氏は、全共闘運動の時代のムードは実存主義的であったという。しかし、氏が実存主義的ということについて深く考えているようには見えない。
 だが、鹿島氏は以下のようにいう。

 僕が学生の頃、やっぱり実存主義実存主義っていわれて、一生懸命読んだんだけど、なかなかわからなかった。いまになってわかるんだけど、実存主義というのは社会が高度にブルジョワ的になって初めて出てくる思想です。つまり「オタク」が現れるようになってようやく理解できるんですね。サルトルは「元祖オタク」だったんです。(中略)(「嘔吐」は)今のオタクが、自然が怖い、女が怖い、と言っているのと同じなんですよ。それが僕の実存主義理解なの。

 小阪氏には、こういう相対化の視線がない。鹿島氏にそういわれて見ると、小阪氏もなんとなく「オタク」の一人であるようにも思えてくる。さらには「連合赤軍事件」も「オウム真理教事件」もともに「オタク」という視点から理解できるようにも思えてくる。
 さらに、

丸谷 透谷が左翼なの。そうかなあ。
三浦 革命を志して、挫折して、恋愛に救いを求めて、そこでまた挫折して死んじゃった。左翼の定番が三拍子揃ってるじゃないですか。
鹿島 僕が学生の頃は、透谷って人気があったんです。当時の新左翼が透谷をものすごく好きだった。ただ、透谷というのは、純粋にパトスというか、情熱だけで内容がない。たしかに全共闘のアジ演説に似ている。(中略)
 ただ、透谷のプロテスタンティズムが明治に与えた影響っていうんは、無視できないものがありますね。もし明治の段階でカトリックが入ってきたら、日本はまったく違ってただろうからね。
三浦 そうそう。カトリックだったら、尾崎紅葉硯友社、あの系列のほうがものすごく強くなってたね。緑雨も、紅葉も、露伴カトリック・タイプ。透谷、独歩、花袋という流れがプロテスタント系列でしょう。
鹿島 自然主義私小説というのがプロテスタント系列ですね。

 本書で志賀直哉神話といわれているもの、貧困と禁欲を核にした倫理観、文学とはいかに生きるべきかを追求するもの、それが「プロテスタント」系とされるのであるが、小阪氏の本を読めば、小阪氏はまぎれもないプロテスタント派である。カトリックが大人であるとすれば、プロテスタントは子供である。養老氏がどこかでいっていたように、カトリックは長い歴史の中でさまざまな悪をなしているから、後ろめたさというものを背景にもっている。プロテスタントにはそれがない。大衆団交における教授つるしあげは、免罪符を売っているカトリックへのプロテスタントの弾劾のようなものであったのかもしれない。
 日本文学篇の最後に大江健三郎がとりあげられている。そこで鹿島氏は、大江氏の小説がヴァーチャル・リアリティに基づくということをいっている。彼が「現実」といったものは、大江氏の想像力が生んだ「現実」で、彼のレアルはシュルレアルなのだといっている。小阪氏が、「ぼくはいまだに「現実」というものをよくつかめていない」というとんでもないことを言っているのは、全共闘運動の時に氏が「現実」とみたものが、実は氏の想像力の産物であるシュルレアルであったということに起因しているのではないだろうか? 日本の私小説はみな思い込み小説であると、鹿島氏はいっている。
 この鼎談の底流にあるのは、現代日本は求道性などということは見向きもされなくなっているということである(にもかかわらずアメリカという「帝国」が求道性の総本山のようになっているから面倒なのだが・・・)。小阪氏はそういう点で時代遅れの求道の人であるようにみえる。問題は日本の求道がしばしばみっともないことであり、あるいはみっともないほど真実に近いという誤解があることである。それは社交界が存在しないことに起因すると鹿島氏はいう。
 鹿島氏は社交界のルールはただ一つ「みっともないことはしない」であるという。それをした人は社交界から追放される。(内田樹氏が、学生運動の中で最大に尊重され徳目は逡巡しないということであったと述べていた。逡巡することは「みっともない」ことであるとされていたからであろうか?) 小阪氏の求道も、はたからみるとなんとなく「みっともない」部分があるように思える。小阪氏は、武士は喰わねど高楊枝、といった雰囲気はまったくない人である。
 東海林さだお氏に「ドーダ学」というのがあるそうで(鹿島氏)、「ドーダ、おれはこんなにエライんだぞ」と自慢することを「ドーダ」というのがそうである。「ドーダ」の典型は森鴎外。そして日本で一番うける「ドーダ」は「禁欲ドーダ」であって、その典型が西郷隆盛。小阪氏もまた「禁欲ドーダ」の人であるが、その「ドーダ」の提出の仕方が屈折していて、素直に自慢できない。本書でいう「陰ドーダ」である。せめて「陽ドーダ」になってもらうと、「思想としての・・・」がもう少し面白い本になったのではないかと思う。
 最後に「サブカル」の問題。全共闘運動というのも、当時の「サブカル」の一つであったのだろうか? 何らかの思想を生んだということではなく、その当時の若者が何らか自己を投影できる一つの“キャラクター”を生み出したということなのだろうか? 人が何かを考えるためには何らかの枠組みが必要で、それを提供したのが全共闘運動あるいは、それが持った「型」(ヘルメット、覆面、ゲバ棒)と「様式」(大衆団交、解放区)だったのだろうか? そうだとすれば、そこからなにが生み出されたかが大事であって、思考の触媒となった運動自体を分析することには、あまり生産的なものはないことになる。
 小阪氏の本が何かぐるぐる回りをしているように見えるのは、そこで生まれたものではなく、生むことを助けた触媒のほうにこだわり過ぎていることに起因するような気もする。
 

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