23 「考える人」2006年秋号

 買ってきたばかりの「考える人」(新潮社)の最新号をぱらぱらと見ていたら、昔なつかしい、ヘルメット・覆面・ゲバ棒のスタイルの面々が安田講堂の時計台を背景にデモ?している写真が目にはいった。佐藤卓巳さんという人の「セロンに惑わず、ヨロンにもかかわらず 日本的世論の系譜学」という連載で、「第6回 全共闘的世論のゆくえ」とあった。「考える人」はバック・ナンバーを揃えているが、この連載はまったく読んでいなかった。
 佐藤さんは1960年生まれとあるから、わたくしより完全に一世代下の人で、1968年から69年にかけての時代は、小学校低学年であったはずである。だから全共闘運動というものへの共感というようなものは一切なく、その当時の雰囲気もまったく知らない人のように思え、その書かれた内容には違和感を感じるところが多かったが、示されている統計的数字が面白かったので、主にそれをみてみたい。
 
1)1968年の大学進学率:約2割 全共闘世代は同時に「集団就職世代」

2)過半数の大学自治会は代々木=民青系の影響下
    1969年7月時点で反代々木系自治会は37%(内閣調査室報告)

3)大都市圏21大学学生の政治意識に関する読売新聞社調査(1986年8月)
    自民党を中心とする保守集団   10%
    一般学生集団          61%
    過激派を含む革新系集団     21%
    あらゆる問題に無関心な集団    8%

4)教育社会学者新堀通也氏の推定(1969年)
    活動的な「政治型学生」は全学生の2%、全国で3万人

5)「世界」による「東大闘争と学生の意識」調査(対象:東大学生・院生)1969年2月
   全共闘への態度
     1968年7月  9月   11月  69年1月
支持       24%  27%  18%  19%
参加        8%  10%  15%  17%
中立       36%  24%  15%  15%
批判的      25%  28%  29%  21%
対決        7%  10%  22%  28%

   信頼する思想・運動団体
    なし      68%
    民青      14%
    反帝学評     5%
    フロント     5%
    革マル      3%
    中核       3%
    ML       2%
    ブント      2%
    その他      6%
    
   家庭状況
    一般学生   豊かな家庭
    民青     貧しい家庭
    全共闘    中流の家庭
    
   全共闘参加者の卒業後の希望進路
    研究者   37%
    官庁     2%
    経営     1%
    
   機動隊による安田講堂封鎖解除について
    やむなし       31%
    遅すぎた       13%
    学生の力で排除    13%
    非暴力で排除      8%
    あくまで封鎖続行   15%
    いったん撤収、再封鎖 16%
    
6)「学生運動に関する世論調査」(内閣調査室 1968年11月)
     学生運動に対する概括的意見
      困ったことだ   52%
      厳しく取締れ   26%
      共感をもっている  6%
      支持する      1%

     学外の暴力的デモについて
      許せない     89%

     騒乱罪の適応について
      当然だ      26%
      やむをえない   32%
      適応疑問      9%
      絶対反対      2%
      
7)安田講堂攻防戦のテレビ視聴率 72%
 
8)「警察の警備活動に関する世論調査」(総理府 1969年2月)
     安田講堂実力排除について
      むしろ遅すぎた   15%
      当然だ       27%
      やむをえない    35%
      やるべきでなかった  6%
      わからない     17%
      
     学生運動に対する警察の取締りについて
      なまぬるい     30%
      この程度でよい   38%
      行き過ぎだ      9%
      わからない     24%
      
9)「大学生意識調査」(対象 全国大学生 総理府 1970年3月)
      どの学生運動組織にも「好感」をもたない  64%
      無関心                  15%
      
 以上の統計をみていると、安田講堂の陥落を契機に、学生の多くは学生運動への関心を失い、世論の支持も急速に失われていったことがよくわかる。
 ところが小阪氏の本では、「事実、六九年には全共闘運動はいっそうの拡大を見せ、日本はきなくさいイメージに覆われていく。革命が近いと錯覚する人間がでてきても不思議ではない雰囲気だった」とされているのである。同時に「東大で全共闘ははっきりと少数派になり、全共闘運動は実際問題としても孤立への道をあゆみはじめていたのである」とも書いている。小阪氏によれば、それは組織のないゆるい連帯としての全共闘運動は沈滞していくが、全共闘運動と併走していた(あるいはその中に潜在していた?)政治運動部分が剥きだしになってきたので、その部分が派手に見えてきたということなのである。その中にいて小阪氏は方向を見失っていたのであろう。「自分としても六九年に頭が「正常」であったかどうかは自信がない」というのはそのことなのであろう。一方では全共闘運動が後退してきていることは自覚しており、もう片方では「革命」という言葉が「あたりまえ」の言葉となり、それが明日にも実現しそうな雰囲気をも感じているのである。小阪氏はしばらく東大闘争の理念を文化闘争として持続していく試みをしたあと、70年代の初めぐらいには「運動」から足を洗うことになったという。三島由紀夫との討論のころにはまだ「運動」にかかわっていたようであるが、この「討論」も69年5月という後退期におこなわれているわけである。
 小阪氏は大学を中退し、バイト生活のあと映画学校に入ったり、写真ととったりしたあと、塾の講師をはじめたらしい。それと同時に勉強もはじめたという。それで70年代の終わりから、物書きの仕事もはいってくるようになったらしい。そして現在にいたるということなのであろうが、「運動」から足を洗ったあとの氏の生きかたが「運動」の経験とどのようにかかわるかということが本を読んでもよくわからない。そして、氏の生きかたは全共闘世代としても例外的なものであるはずで、もっと多数派であったはずの企業でサラリーマンになっていったひとたちに全共闘運動での経験がどのような影響をあたえたのと氏が考えているのか、それもよくわからない(いろいろと書いてあるのだが、それでもわからない。要するに企業に入っての経験が、全共闘運動の経験をどのように評価させたか、企業で実際に働いてみると、自分はなんと愚かなことをしていたのかと考えたのか、それとも企業で働く上でも、全共闘運動の経験はプラスに働いたとされたのか、それについて小阪氏がどう思っているからがわからない。それこそが「思想としての全共闘世代」の問題であるはずなのだが)。さらには、ここで示された統計によれば、全共闘運動は同世代にとっても多数派ではなかったわけだから、運動の外にいた多数派に全共闘運動がどのような影響を与えたと氏が思っているのかが分からない。全共闘世代という言い方をしても、その世代の過半数全共闘運動に批判的であるか無関心であったわけで、その多数派にどういう影響を与えたと考えているのか、それもわからない。さらには、全共闘運動に参加して、その結果、その運動の原理に根本的な疑問を感じ批判をした人も多いはずで、それらの批判にどう応えるのかという視点も小阪氏には乏しい。もっといえば68年〜69年の全共闘運動というものも、実は少しも新しいものではなく、歴史上数多見られる政治運動の(さらには人間行動の)ヴァリエーションの一つに過ぎないのではないかという見方も欠くように思う。小阪氏は自己愛的に過ぎ、自己の経験を絶対視しすぎるのである。