M・ドラブル「碾臼」

   河出文庫 1980年10月
   
   
 これを読んだのは「イギリス的人生」で、小野寺健氏が激賞していたからなのだが、小野寺氏がいうほど優れた小説とは思えなかった。
 びっくりしたのはこの1965年に出版された小説があまりに真っ当な手法で書かれている点である。なんの衒いもない正攻法で書かれていて、時間は一直線に流れるし、話者は一人だけである。一種の成長小説というか教養小説の趣もある。こういう地味な小説がベストセラーになったそうであるから、イギリスというのは分からない国である。20世紀後半にこういう小説を平気で書くのであるからドラブルという人もなかなかいい度胸だと思う。これに比べると、村上春樹の小説などはなんと前衛的なのだろうと思う。
 筋はいたって単純で、一人の女性が遊戯的な性交渉の結果妊娠してしまうが、未婚の母として生きる道を選ぶという話である。この女性は中流の上くらいの階級の出で、頭脳明晰という設定になっているのが小説としてはやや目新しいかもしれない。書物の人であり、書物を通して観念で世界を見ていた女性が、妊娠・出産の過程で現実を知っていくという話である。
 この女性は、エリザベス朝の詩人か何かを研究して学問の世界でキャリアを築きつつある人であり、自立して生きることの出来る能力と自信を持っている人間として描かれている。現実を知るといっても、知的な学問世界への懐疑は最後まで生じない。学問の世界も能力のあるものが日の目をみるという牧歌的なところとして描かれている。「文学部唯野教授」などの嫉妬と足の引っ張り合いの世界とは大違いである。日本でこういうシチュエーションであれば必ずでてくるであろう世間の圧力というようなものは、ほとんどでてこない。
 わたくしなどは主人公の人生がこれから始まるところで小説が終ってしまっているという印象を持つ。出産後1年くらいまでが描かれているだけであるから、主人公は観念の殻を破って外界へまだでてきたばかりであるように思う。本当の生はこれからではないかと思う。とても大人になったようには思えない。そういう点で教養小説として、中途半端ではないかと思う。
 当然、病院が頻繁にでてくる。どうして小説にでてくる医者というのはなんでああも魅力のない存在として描かれるのであろうか、というのは以前からの疑問である(知っている限り、例外はカミュの「ペスト」くらいであろうか)。ここにでてくる病気の描写には医学的にいささか疑問を感じた(いとも簡単に治ってしまい過ぎるように思う)。
 ちょっと意外であったのは、未婚の母の生き方として、子供を養子に出すという選択が一番常識的な選択肢であるように描かれていることであった。日本においては、あまりそういう選択肢がでてくるとは思えない。
 などということを小説の感想として書くのは変であるが、どうも主人公の生き方があまりにうまくいくように描かれていて、いささか現実感が稀薄であると感じた。この主人公はただ一度の性交渉で妊娠する。ほとんど処女懐胎である。なんだかメルヘン的でもある。とにかく動物的なところのあまりない主人公であり、最後まで理知的なのである。本当の女性はこんなものじゃないなあと思うのはわたくしの偏見であろうか。女性の怖さとか恐ろしさといったものが全然描かれていない。作者は女性であるのだが。「春夏秋冬 女は怖い」吉行淳之介氏なら、この主人公は女じゃないよというのではないかと思う。


碾臼 (河出文庫 501A)

碾臼 (河出文庫 501A)