E・トッドほか「「帝国以後」と日本の選択」

   藤原書店 2006年12月
   
 トッドの「帝国以後」(藤原書店 2003年4月)id:jmiyaza:20030524 を知ったのは養老孟司氏の毎日新聞での書評での紹介であった。本書はトッドへのインタービュー、「帝国以後」への様々な人の批評(養老さんのその書評もふくむ)、トッドを加えた座談会、日本人だけの座談会などからなる本であり、トッド自身の論文は一つもふくまないというちょっと羊頭狗肉的なところもある本である。
 トッドの「帝国以後」が刊行されたのは、アメリカがイラクへの侵攻に成功した直後であった。そこに「アメリカは強くない!」という主張の本が刊行されたのであるから、なかなか刺激的であった。その頃にはケーガンの「ネオコンの論理」(光文社 2003年5月)id:jmiyaza:20030618 も出版されて、それもなかなか説得的であった。だが、イラク侵攻から時間がたった現在になってみると、ケーガンの本よりもトッドの本の方が未来を見通す力をもっていたことが判明してきているように思う。
 そういうことで、イラクでのアメリカの当初の一見した勝利から時間がたった現在という時点で、トッドの意見をきき、それについて論じようとすることは、時宜にかなったことであるのかもしれない。
 トッドはインタービューに答えて、「今ではアメリカは、ヨーロッパ人にとっても日本人にとっても、あらゆる点で質のおとった国であることが明らかになった」という。ヨーロッパ人はもう一人でやっていけるのでアメリカを必要としない、と。
 それを覆い隠しているのは英語の優位である、という。トッドは世界後はフランス語であって欲しかったというが、まあ英語の優位は仕方がない、ラテン語が中世で果たした役割と同じであるからという。アメリカは文化的にも衰弱してきているのだが、同じ英語圏であるイギリスが文化方面で、依然として重要性を失っていないために、その衰弱が目立たないのだという。
 トッドによれば、アメリカは現在非常にイデオロギー的な国なのであり、市場や株式の美徳への素朴な信仰をもっている。それに較べれば、ヨーロッパのほうがずっとプラグマティックである。
 トッドはケーガンなどのような人間を「教壇軍国主義者」と呼ぶ。ケーガンは真の力は軍事力であるというが、そうではなく力は産業なのであるという。その産業においてアメリカは衰退している、と。
 今回のイラク戦争ソ連アフガニスタン侵攻に類似している、という。
 それで、何人かの保守系の日本論壇人が意見を述べているのであるが、それが如何にも大時代的なのである。井尻千男氏などは、トッドを「家族に発するところの歴史的共同体を保守せんとする守護聖人の覚悟を固めて、暴力的に文化破壊をつづけるアメリカニズムと戦っている」といい、「まさに「共同体原理」と「市場原理」の大激突だ」などと興奮している。トッドは世界は大きな流れでみれば民主主義の方向へと進んでいくが、その民主主義の形態は、それぞれの民族文化の背景にある家族制度によってさまざまなものとなるということをいっているのであって、家族に発するところの歴史的共同体を保守せよなどということは一言もいっていない。むしろ識字率の向上によって古くからの文化形態は否応なく崩れざるをえないということをいっているのであるから、井尻氏の論は誤読としか思えない。とにかくアメリカ憎し、グローバリズム憎し、であって、アメリカの敵は自分の味方という粗雑な論理としか思えない。
 三木亘氏(中東学者らしい、この人は左なのかもしれない)も「大地に根ざした地域社会あるいは共同体」ということをいい、かっての中東は治安がよく、「大地に根ざした地域社会や家族親族、コミュニティが健在」であったといって、歴史を持たない国アメリカにくらべて豊かな文化をもつ中東を称揚している。これまたトッドは識字率の上昇によって家族構造の権威関係が変り、男女関係も変り、古くからの共同体は解体の方向にいかざるをえないということをいっているのであるから、ほとんど的外れである。
 その三木氏は「世界でこのわずか30年くらいの間に進んだ貧富の差の急激な増大」ということをいっている。
 また、一番最後のトッドをふくまない日本人だけの討論会で、小倉和夫氏(外交官)は「世界全体での保守の台頭」ということをいっている。日本における小泉首相であり、フランスも保守政権、イギリスも労働党であっても伝統的な労働者の党とはいえない。ドイツも保守政権。それに対するオルタネティブであったはずの共産主義社会主義はもうどこかに消えてしまった。市民運動などは具体的な政治勢力ではない。これだけ格差が広がれば、何かが起こらなければおかしいのに、あまり目立ったことはおきていない。世界は自由経済と小さい政府に収斂しつつあるように見える、そう小倉氏はいう。
 それを受けて、榊原英資氏は、ソ連や中国のような社会主義だけでなく、ヨーロッパ的な社会民主主義福祉国家路線も破綻したという。
 西部邁氏は、ヨーロッパでは民主主義は最悪ではないというだけの政治制度という認識が、まだぎりぎりのところで保たれているけれども、アメリカでは民主主義は最高に近い形態だと思われているのではないか、という。
 榊原氏は、自民党的な族議員体質、利権政治も民主主義の一部分なのだ、という。
 また小倉氏は、ドイツやフランスでは国民が政府の役割を重く考える伝統があり、小さな政府への抵抗が大きいという。それに対して、アメリカでは「とにかく自由に、小さい政府でやればいい」ということになっているので、それが権威や制度に対する不信が生じる震源地になっているのだという。そういうものすべてを壊してしまっていいのか、破壊してしまっていいのか、という。
 その座談会にはトッドは参加していないのだが、トッドは、世界の歴史は識字率が向上していく歴史であるとしており、初等教育の普及により識字率が向上すると、権威への疑問が生じ、社会構造が変化し、その結果として社会は平等化するのだが、さらに教育が普及して高等教育までもが普及してくると、社会はふたたび階層化し、寡頭支配的になっていくとしている。先進国ではエリート主義とポピュリズムの混在の体制になっていくのであり、民主主義はその誕生の地でふたたび衰退に向かうという暗い見通しをもっているようである。
 
 わたくしがこういう問題に関心をもつのは、日本の医療体制の現状がきわめて危ういことになってきているということが背景にあると思う。
 日本の医療福祉体制はこのままでは立ち行かなくなるという認識が多くの人によって共有されてきている。その原因の大きな部分は高齢少子化である。トッドによれば、少子化識字率の向上の結果であり、女性が自分で出産をコントロールできるようになると必ず出生率は低下する。実際に女性の権利がどの程度実現されているかは出生率をみればわかる、としている。中東世界において、いまだ女性の顔がヴェールで覆われているとしても、出生率は確実に下がってきているのだ、ということをトッドは重視する。
 また、医療をふくむ福祉厚生部門があやうくなってきているのは、先進国での景気の停滞も大きな原因である。これまたトッドによれば、途上国で教育が普及し識字率が向上することによって、賃金の安い途上国での工業生産が可能になったことが、先進国の労働者の賃金を抑制しており、その結果として消費が停滞しているためなのであるから、どうしようもない歴史の流れである。また、高等教育が普及し、一部エリートのみが社会で必要とされる人間であるとされ、残りの多数は必須の存在ではなくなるとしているのであるから、格差の拡大もまた、教育の普及の結果ということになる。
 そういうことで、早晩、日本の医療保険制度は破綻することが避けられなくなる可能性が高い。われわれ医療の内部にいる人間にとっては、とても困った事態である。なんとかもっと資源を配分してもらいたい。そこで誰でも思いつくことは、消費税率の引き上げであるが、世界が医療のためにあるのではなく、医療が世界のためにあるのであるから、消費税アップということに国民が賛成するかである。
 まったく根拠のない意見であるが、どうも日本人は、自民党的な族議員体質、利権政治的のような私的な公?はみとめるが、国家としての本当の公は大きくなってほしくないと思っているのではないかと思う。したがって、少なくともヨーロッパ並の20%にも達する消費税などには耐えられないのではないかと思う。だから、段々と日本の医療は綻びて崩壊していくのではないか、という暗い予想をわたくしはしている。
 一方、日本人は格差の拡大ということには非常に敏感なのではないかと思う。それにもかかわらず、本書でいわれているように、ヨーロッパ的な福祉国家路線もすでに破綻しており、またトッドのいうように高等教育の普及自体が格差を広げていくのだとすると、今後も格差が縮小することは期待できないように思うので、日本はこれから、非常にとげとげしい社会になっていくのではないかと思う。
 そういう社会の緩衝材として「大地に根ざした地域社会あるいは共同体」が機能していくことはありうるのだろうか? そういうものは、教育の普及により崩壊していくとトッドはいうのである。
 アメリカは「あらゆる点で質のおとった国」であり、ネオコンサーヴァティズム、超過激共和党支持、ダーウイン説の排斥(それをトッドは、文化的退行現象という)などという信じられない状態にある。ケリーとブッシュの対立は左派と右派ではなく二つの文化の対立なのだと、トッドはいう。世界の標準はケリーなのであり、ブッシュ側は他の国であればマイナーな極右政党の主張でしかないような現実を見ないイデオロギー的夢想に過ぎないものであるはずなのに、それが政権を握っているアメリカという現実に世界は辟易しているのだ、ともいう。そして、世界はアメリカから離脱をはじめているのだ、という。
 わたくしはアメリカ嫌いであるので、トッドの本を読んでいて嬉しくなるのだが、そうかといって、本書での日本論壇のアメリカ嫌いの右派も左派もともに感心できないなあとも思う。自分は結局ヨーロッパ派なのだなあとあらためて思うのだが、ヨーロッパの中でも独仏よりはイギリス派なのである。ところが本書でのイギリスの位置は微妙であって、独仏よりもアメリカに対しとても歯切れが悪い。同じアングロサクソン圏ということがそうさせるらしい。
 それにもかかわらず、イギリスはアメリカと違って観念論、イデオロギーの国ではないと思う。ダーウイン説の排斥などということは、イギリスでは考えられない。日本もまた観念論、イデオロギーの国ではないとわたくしは思っている。
 そして本書でもトッドは日本の立場というものもよくわかっていて、それでもせめて今のようなアメリカべったりではなく、もう少し距離をおくことはできるのではないかとしているようである。
 もっとも、その方向を探っていくと、日本の核武装という問題がかならずどこかででてくるようで、それがでてくると日本の国内がおさまらない、だから日本は親アメリカ以外の選択肢をもてない、という悲しい状況にあると榊原氏はいう。タイトルに「日本の選択」とあるが、実は日本には選択の余地がないというのである。

「帝国以後」と日本の選択

「帝国以後」と日本の選択