久坂部羊「日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか」 奥野修司「満足死 寝たきりゼロの思想」

  幻冬舎新書 2007年1月 講談社現代新書 2007年2月
  
 「日本人の死に時」は現役の医者(52歳くらい)である久坂部氏が、長生きも考え物だぜ、ということを述べた本。一方、奥野修司「満足死」はライターである奥野氏が、疋田善平氏という現役の医者(ただし80歳超)の活動を紹介したもの。疋田氏の主張は久坂部氏とは反対に、元気で長生きしようよというもの、あるいはもっといえば長生きさせよう、というもの(誰が長生きさせるのかといえば、医者がである)。
 久坂部氏は10年くらい前から老人医療をおこなっていると書いてあるが、おそらく活動の場は都会である。一方、疋田氏は高知県佐賀町という漁業の町の診療所の医師である。
 そういうことでさまざまな点で、非常に対照的な本である。
 まず、久坂部氏の本から。
 氏は決して長生きは幸せではなく、幸せでない長寿は医療の進歩がつくったという。最近流行のアンチ・エイジングも嘆かわしいという。もっとも、アメリカの抗加齢医学会の会長は、「アンチエイジングの否定は、文明の産物である空調や冷蔵庫の否定と同じ」といっているのだといっているのだそうだが。
 昔は、ものが食べられなくなれば自然に静かに死んだものだという。それに対して現在の医療がつくりだす悲惨な臨終ということをいう。
 安楽死の問題は近代医療以後にでたものだという。死にもしない助かりもしないという状況が生まれたからだという。自然には死ねず、無理やり生かされているのだという。
 癌は確実に死ねるからいい病気なのだともいう。
 現代は平均寿命は延びていても健康寿命は延びていないのだから、現在の平均寿命は無理やり延ばされているのであり、苦しさが延びているだけだという。それで氏が提言するのが、ある年齢から先には病院にいかないという選択である。
 現在は80歳まで生きて当たり前とみんな思っている。そうではなく、60歳を死に時とし、あとは余生と思ったらどうかという。
 もう一方の医師、疋田氏は? 
 氏は、大抵の老人の願いは《自宅でぽっくり死にたい》である、という。そのためには死ぬ直前まで元気でいなければいけない、と。そのためには死ぬまで働け、と。氏はもともと結核の医療にたずさわったひとで、それで予防医学を志したらしい。氏の診療所が管轄する地域の住民の健康管理を徹底的にしようとするのである。住民ひとりひとりの検査をし、病歴や家族歴を詳細にとり、信仰の有無なども調べ、往診のときにはトイレや冷蔵庫の中までのぞき、要するにその村そのものが一つの病院であるというような体制を作り上げたのだそうである。病気になってからでは遅い、病気にならないようにするようにするのが医療の仕事であるということである。
 この二人の医師の違いは何によるのだろうか? それは生命が操作可能であるかどうかということへの感覚の違いによるのだと思う。久坂部氏によれば、医療によって引き伸ばすことが可能な寿命は、動物としての人間に与えられた寿命ではないという。医療が延ばせるのは、管をつけたり、胃に穴を開けて栄養を与えたりすることによる物理的機械としての生命に過ぎないという。
 一方、疋田氏は、医療行為によって健康寿命を平均寿命とほとんど一致させることができるとしている。つまり疋田氏は基本的に現代の医療を信じているのに対して、久坂部氏はそれをどちらかといえば余計なこと無駄なことをしていると思っている。また久坂部氏が自分のしている医療が正しいのかどうかに、常に自信がもてず迷っているのに対して、疋田氏は自信満々であり、説教をするのが大好きである。「満足死の会」などというのを主催して啓蒙に努めている。
 わたくしがどちらに共鳴するかといえば、断然、久坂部氏のほうである。とにかく、わたくしは自信のある人、信念の人というのが苦手であって、疋田氏のようなタイプの人には絶対に近寄りたくない。毎朝2キロを上半身裸で走るのが日課という80歳過ぎの老人などというのはそれだけで敬して遠ざけたい。
 久坂部氏もわたくしと同じ気持ちらしく、「スーパー老人」の報道は困るといっている。九十歳を超えてなお現役の医師(あの人のことですね)などをマスコミがもてはやすのも困るという。そういうひとは例外であり、努力すれば誰でもそうなれるということではない。それが標準ということになれば、大部分の人は早死を嘆きながら未練を残して死んでいくことになるという。しかし、疋田氏は努力すれば誰でも健康長寿は可能であるとしているようなのである。
 わたくしの先輩のある先生は晩年いつも、「キミ、癌はいいね。癌は死ねるからね」といっておられた。百歳を過ぎてからの大往生であったのだが。
 わたくしがずっと知っているある患者さん(女性)は60歳前ごろ、「先生、もういつ死んでもいいから、病気がでたら何もしなくてもいいですからね」などといっていたが、80歳を超えた今、「先生、年寄りの気持ちって年をとらないとわからないですよ。わたくし、一日でも長く生きたいと思います」という。80歳過ぎで「長生きはしなくてもいいから、もう3年くらいは生きたいです」という人がひとりならずいる。
 人間の気持ちというのはわからないのだと思う。わたくしも万が一80歳まで生きてしまったとしたら、「死にたくない!」などとわめいているかもしれない。「まだ死にたくない」と思いながら死ぬほうが、「まだ死ねないのか」と思いながら生きているのよりもずっと増しであるようにわたくしは思うが、それはわたくしが60歳になったばかりで、本当には死というものがぴんときていないからなのかもしれない。
 久坂部氏は60歳を死に時とせよ、という。60歳をこえたわたくしとしては、なかなか複雑なものがあるが、実は胃の検診も大腸の検診もしていないから(血液と尿の検査はなんだか職場の規則であるので受けているが)、うまく癌で死ねるかもしれない。とにかく、60歳を超えたのだからあとは余生とせよ、ということなのであろう。
 吉田健一は五十七歳ごろに「余生の文学」を書き、そのあとに本当の仕事をした。氏が死んだのは六十五歳であるから、わたくしもあと五年の余生をとりあえず目標にするのだろうか?
 昔、「村の船頭さん」とかいう歌があって、船頭さんは「今年六十のお爺さん」なのであった。今、そんな歌詞があれば、六十歳を老人とは差別であるという抗議がきそうである。わたくしとしてもまだ、シルバーシートには座る気がしない。
 久坂部氏の本を読み、奥野氏の本で疋田氏の意見を聞き、また小松秀樹氏の本で氏の医療観を読んで、医療というものがカバーする領域があまりに広いことを、つくづくと感じる。
 医療とは何か、といった形で医療を一つのものとして見ることは、できるわけはないと思う。その人その人の医療があるだけとしか思えない。しかし、それではあまりに茫漠としているので、せめて共通言語としての科学も部分が強調されるのであろう。問題は、医療において科学が占める部分がどのくらいあるのだろうかということなのであろう。そこでも、久坂部氏、疋田氏、小松氏それぞれのスタンスはまったく異なっているように思えるが。

日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか (幻冬舎新書)

日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか (幻冬舎新書)

満足死  寝たきりゼロの思想 (講談社現代新書)

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