1.工学的な知

 最近刊行されたばかりの「文学環境論集 東浩紀コレクションL」(講談社 2007年4月)を買ってきてぱらぱらと読みはじめた。古い世代の本好きからみると何だかなあ、という造本の本で、箱に緑と桃色のソフトカバーの本が二冊入っているという奇妙な構成になっている。今後、「東浩紀コレクションS」「東浩紀コレクションD」が刊行され、あわせて「LSD」となるという仕掛になっているのだそうである。東氏の過去の未刊の文や対談などを、そこに収めていく予定らしい。
 東氏の本は「動物化するポストモダンid:jmiyaza:20070226と「ゲーム的リアリズムの誕生id:jmiyaza:20070321の二冊を最近読んで、わたくしの関心領域について論じている人らしいという見当はついたが、同時にわたくしがまったくこれまで関心をもってこなかった領域(「機動戦士ガンダム」とか「新世紀エヴァンゲリオン」だとか「美少女ゲーム」だとか)についても実に滔々と論じる人でもあって、なんだかよくわからない人でもあった。今回、氏の過去の文章を収録した本書を読んでみて、「動物化するポストモダン」などの背景がもうすこしよく見えてきた。これから刊行される「S」と「D」もふくめ、順不動で、目についた文章につき、時々思いついたことを書いていくことにしたい。
 
 最初は、2001年に書かれた「誤状況論」の第8回(p585〜596)をとりあげる。テーマは「工学的な知」である。
 氏は東大の教養学部の科学哲学科を卒業している。教養学部はDept. of Leberal Arts であり、中世ヨーロッパの大学に起源する、言葉と数に関する学問(文法・修辞学・論理学・算術・幾何学・音楽・天文学)の伝統を継いでいる。そこには文科系と理科系の区別はなく、人間と世界の関係を考える学問として相互を補完する学であるとされていた。
 科学哲学は、そういう文系と理系を架け橋する学問としてはもっとも理想的なものであり、科学哲学科は、教養学部の理念を体現する科であるという自負を伝統的にもっていたのだという。氏もそのような理想を期待して科学哲学科に入った。しかし、入ってみると現実は違っていた。ボーアやハイゼンベルクアインシュタインゲーデルの牧歌的な時代は疾うに終っており、第二次大戦以降の科学技術は、哲学的な裏づけなど一切関心がなく、巨大産業と結びついて、すさまじい勢いで拡大拡散していた。科学者も哲学には関心がなく、哲学者も科学を見通せない時代になっていた。
 それで氏は大学院では「表象文化論」へと進んだ。それはフランス現代思想が、理科系の修辞を多用していたことに惹かれたのだという。氏は生きることの意味の追求や世界の存在への驚きといったいわば文学的な問題を、理系のあるいは科学的な思考によりアプローチしたかったのだという。
 しかし、氏が修士課程に進学した1990年代には、フランス現代思想はもはや知を総合させようという熱気を失い、学問の主導権は社会学に奪われる状況になっていた。思想も抽象的な議論から具体的な問題へと移行したのである。
 しかし、それだからといって 、それを批判して、Leberal Arts の伝統を復活させることなどできるだろうかというのが、氏の提示する問題意識である。
 「時代の空気」は変っていたのだ、と。Leberal Arts 的な教養がなんとも白々しくみえる時代になっていたのだと。「教養」は白々しく、「実証」的な細かい研究をやるしかないことが身に沁みる時代になっていたのだと。その「空気」の変化を、氏は「ポストモダン化」あるいは「動物化」という言葉で呼ぶのだが、その根底にあるのは「工学的な発想の拡大」なのだと、東氏はいう。
 工学は理系とみなされがちだが、実は文系でも理系でもなく、それは Leberal Arts には属さない。それは職人的な技ではあっても知としての体系は作らなかった。工学が大学に組み込まれたのは19世紀の後半である。工学的な知とは近代の産物なのであり、それはたかだか150年程度の歴史しかもたない。
 しかし、20世紀を変えたのはその工学的な知である。それはわれわれの世界観をも規定するようになった。遺伝子工学金融工学、経営工学、社会工学・・・。
 文科系あるいは理科系の知の中心には神がいた。つまり、人間と世界の関係という問題意識がその学の根底にあった。しかし工学部には神がいない。人間と世界との関係についての思弁をまったく必要としない。工学者が考えるのは、目の前の問題を効率的に解決するための具体的な方法である。抽象的な世界観は必要とされない。
 氏があるソフトウエア工学者と対談したとき、その工学者は、技術者には独特の美学があり、たとえばネットワークの自由という問題を論じるとき、「言論で戦うよりも、盗聴ができないネットワークを普及させればいい」と思っている、といったという。
 自由が脅かされた場合でも、工学者は自由とか人権の原理などには関心がない。そこにおいて、人権を武器に法廷や世論にうったえる方向をとる文科系的発想とわかれる。工学者は充分に強力な暗号装置の開発へとむかう。
 現在はそのような工学的発想がどんどんと優位になっていく世界なのだと、氏はいう。現在は、文科系と理科系の知の総合としての教養という理想が、工学的な知の侵入の前に脆くも崩れようとしている時代なのだという。社会学の優位もそれを反映している。社会工学なのである。人文社会の工学化である。だから、東氏は、新たな教養というものがありうるとするならば、それは工学者を惹きつけるものでなければならないという。
 
 ポストモダンというのが「大きな物語」の消失によるというのは、以前読んだ東氏の著作でも強調されていた。「大きな物語」の消失というと、わたくしなどはすぐにマルクス主義の権威の失墜といった方面に頭がいくわけであるが、マルクス主義が失墜したのはいいとして、それに変る別の大きな物語がなぜ採用されないのかということについては東氏の「動物化するポストモダン」などを読んだ限りでは明確ではないように思った。どうもわたくしには思想を打ち負かすのはまた別の思想であるという思い込みがあるようで、「大きな物語」の消失のあとの無数の「小さな物語」への拡散という図式は素直に飲み込めないものがあった。工学が思想を打ち負かすなどという発想がまったくなかったわけである。
 20世紀から21世紀にかけての工学の勝利が大きな思想をすべて白々しいものとしたという東氏の説明はきわめて説得的であるように思える。端的にいえば、工学がもっとも効率よく機能する体制は、マルクス主義による計画経済ではなく、市場経済体制であるということなのかもしれない。そして「豊かな社会」をもたらすものも思想ではなく工学なのだとという信念が多くの人々に共有される時代に今われわれは生きているということなのかもしれない。
 つい最近とりあげた養老孟司氏の、アメリカという文明は石油が生んだという意見もid:jmiyaza:20070410、ここに深くかかわっているのだと思う。石油は物質であり、そこには思想もなく神もいない。にもかかわらず、その石油が文明の礎となる。石油なしには現代の文明は存在しえない。工学も石油なしにはありえない。
 養老氏の議論を思い出せば、文科系の知も理科系の知もともに石油以前の知なのであり、工学系の知は石油以後の知であるとでもいうことになるのだろうか? 思想や教養は石油に負けたのである。あるいはマルクスが思想を構築したのは石炭の時代であり、石炭が石油に負けたのである。
 大学教養学部の時代に、ゼミでポパーの「歴史主義の貧困」(中央公論者 1961年)を読んだ。そこでポパーは漸次的社会工学ということをいっている。これはユートピア的工学と対比されているもので、要するに計画経済的な青写真によるトップダウンの社会計画ではなく、その時その時の問題をつぎはぎ的に繕っていくやり方のほうが望ましいとするものである。これを読んだ当時(1966〜67年ごろ)、なんとつまらない考えだろうと思った。社会をつぎはぎ的に繕っていくなどというのは、まったく人を鼓舞しないものだと思った。なにしろ大学紛争直前の政治の季節である。もっとも、この「歴史主義の貧困」はマルクス主義陣営の人が翻訳していて、ポパーハイエクの盟友などということもよく伝わっていなかったのかもしれないが、あとがきにいろいろとわけのわからないことが書いてある。ポパーの翻訳として一番問題の多い本であるかもしれない。タイトルも「歴史法則主義の貧困」とするべきものらしい。誰かが翻訳しなおすべきで、そうすれば、もう少し印象が違ってくるのかもしれない。
 しかし、それから40年。時代は変ったのであろう。漸次的社会工学がメインストリートとなり人を鼓舞するものとなり、思想によって社会を変えていこうなどということには誰も惹かれない時代になった。空気が変ったのである。
 医療も理科系の学問ではなく、工学系の学問なのであろうか? それは職人的な技に依存するところが大きく、しばしばその場の問題についてのつぎはぎ的な取り繕いが要求される。しかし、それでも、人間と世界の関係から無縁でいることはできない。 Leberal Arts と関係ないというわけにはいかない。しかし、医療の進歩が起きているのはほとんどがその工学的な部分であり、Leberal Arts としての医療は五十年前や百年前とほとんど変っていないのかもしれない。思想の領域でおきている問題は、また医療の場においても平行しておきてきているのだろうと思う。

文学環境論集 東浩紀コレクションL

文学環境論集 東浩紀コレクションL