梅田望夫「ウェブ時代をゆく −いかに働き、いかに学ぶか」(4)雪かき仕事
内田樹氏の「村上春樹にご用心」(アルテスパブリッシング 2007年10月」は「私たちの世界にはときどき「猫の手を万力で潰すような邪悪なもの」が入り込んできて、愛する人たちを拉致してゆくことがある。だから、愛する人たちがその「超越的に邪悪なもの」に損なわれないように、境界線を見守る「センチネル(歩哨)」が存在しなければならない…というのが村上春樹の長編の変わることのない構図である(ご存知なかったですか?)」ということ述べたを本である。知らなかったです、わたくしは。そういわれて見れば本当にそうである。なぜ気がつかなかったのだろう。内田樹さんは本当に頭のいい人である。頭のいい人は無条件で尊敬してしまう。尊敬ばっかりでは情けないので一言いえば、短編だってそういう路線が多いような気がするし、さらにぶーたれれば、これはレヴィナス(はわたくしは一冊も読んでいないが)の眼鏡をかけてみた村上春樹であるとも思う。
引用した文章で「センチネル」といわれているものは、ほかの場所では「雪かき仕事」とも呼ばれる。それはたとえば家事である。それは感謝もされず、対価も支払われない。でも、そういう「センチネル」の仕事は誰かが担わなくてはならない。『自分の努力にはつねに正当な評価や代償や栄誉が与えられるべきと思っている人間は「キャッチャー」(@サリンジャー)や「センチネル」の仕事には向かない。適性を論じる以前に、彼らには世の中には「そんな仕事」が存在するということさえ想像できないからである。』『自分でお掃除や選択やアイロンかけをしたこともなく、「そんなこと」をするのは知的労働者にとっては純粋に時間の無駄なんだから、金を払って「家事のアウトソーシング」をすればいいじゃないか…というようなことを考えている「文学者」や「哲学者」たちは「お掃除するキャッチャー」の心に去来する涼しい使命感とはついに無縁である』ということである。すみません、わたくしは生まれてから一度もお掃除や洗濯やアイロンかけをしたことがありません。でも一言弁解させてもらうならば、臨床の仕事というのは99%が「雪かき仕事」であるような気がする。ブラックジャックが快刀乱麻を断つような手術をするというような局面も臨床には絶対に必要ではあるが、そういう一部の「名医」「神の手」を除くその他大勢の医者のしていることは、ほとんどが「雪かき仕事」である。現状がそれ以上悪くならないように、水漏れ場所をとりあえず応急に塞ぐような仕事である。
「ウェブ時代をゆく」を読んでいて、内田氏のこの本を思い出したのは(読んだばかりということもあるが)そこで描かれているグーグルのエリートたちの姿が、《「そんなこと」をするのは知的労働者にとっては純粋に時間の無駄なんだから、金を払って「家事のアウトソーシング」をすればいいじゃないか…というようなことを考えている「文学者」は「哲学者」たち》とどこか重なるように見えたからなのだと思う。
「雪かき仕事」が大事、縁の下の力持ちを尊重せよ、などというのはいたって陳腐で月並みな道徳律であろう。内田氏の凄いところは、《世界の邪悪と対抗できるのはそういう雪かき仕事しかない》という命題を村上春樹の作品から抽出してきてしまうところにある。日々の「雪かき仕事」という平々凡々たる些事のみが世界を崩壊から防いでいる、というとんでもない話になる。村上春樹の作品が世界中で読まれているのは、「神」が(ポストモダン論でいう「大きな物語」が)失われて、生きる規範がどこからも提示されない時代に生きている人間に、それでも生を肯定するという生き方を提示しているからなのではないかと思う。健気な生き方とでもいうのだろうか?
グーグルという会社でいえば、創造的な知的エンジニアたちだけではなく、コックさん、掃除人、洗濯する人、理髪をする人もまたグーグルを支えているのである。あるいはオープンソースの世界でいえば、リーダーやその片腕たちばかりでなく、いつも筋も悪いコードを書いてきてみんなに馬鹿にされている初心者によってもその世界は保たれるのである。
シリコンバレーにはもともと平凡な人、普通の人は住んでいないのかもしれないが、世界中がシリコンバレーになってしまったら、世界は随分と生きにくいものとなってしまうように思える。
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: アルテスパブリッシング
- 発売日: 2007/09/29
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