P・F・ドラッカー「ドラッカー わが軌跡」(5)第5章「トラウン伯爵と舞台女優マリア・ミュラーの物語」

   ダイヤモンド社 2006年1月
   
 トラウン伯爵とマリア・ミュラーというのは有名なひとではなく、ふたりはウィーンでドラッカーの生家の近くに住んでいたひとというだけである。伯爵は国立図書館の次長、マリアはウィーン国立劇場の女優。
 この章でマリアはどうでもよくて、問題は伯爵の方である。テーマは「社会主義の夢の死」。
 数奇な運命で結ばれた(詳細は本書にあたっていただくとして)二人のうち華やかなのは女優のマリアであり、伯爵はいつも控えめな影の存在でいる。伯爵の左半身は毀損され、義眼で頬に大きな傷があり、左手は義手、左足も不自由。これは若き日の登山の事故によるものとされている。
 ドラッカーギムナジウムを卒業したら、大学へはいかずに仕事につこうと思っていた。当時は大学に行かないことは不利でも不名誉でもなく、家業を継ぐものは大学にいかないのが普通だったのだそうである。大学は出席をとらず、宿題も試験もなく、4年在籍して、卒業試験に受かればよく、そのための予備校があり、数ヶ月そこに通えば卒業できたのだという。だからフルタイムの仕事についていても、大学をでることはできたのだ、と。
 ドラッカーは周囲からは大学にいくことを期待されていた。もしも大学にいくならば、それは教授への道を歩むということであるので、自分が学者として一流であるかを試すために、叔父の法学者に法哲学での最大の難問は「刑罰の根拠」であるといわれ、それについての論文を書いてみようと思った。そのために読んだたくさんの本(それによってドラッカーは、さまざまにいわれる「刑罰の根拠」は単なる理屈づけであり、本当の問題は「刑罰の根拠」ではなく、「犯罪の存在」であるという結論に達し、「犯罪がなぜ存在するか」という大問題は自分に解けることではないとして、学者の道をいくことをあきらめたのだという)の中で、たまたま、まともであるように思えた薄い二冊のパンフレットが、実は若き日の伯爵の書いたものであることが判明し、それにより伯爵の若き日の真情が回顧されることになる、というのが本章の根幹となっている。ところでこのパンフレットは「犯罪は資本主義の産物であって、社会主義が確立した後では、存在しなくなるか、大きな問題ではなくなる」ことを主張したものであった。伯爵は、「失われた世界と、失われた希望の話」を語ったのである。
 伯爵はいう。「あの頃は、誰もが社会主義者だった」「皆が、社会主義こそが新しい社会をつくると思っていた。ほとんど誰もマルクスを読んではいず、経済学にだって関心がなかった。みなが関心があったのは平和だった」「自分たちより上の世代は、戦争(第一次世界大戦)が起きるとは思ってもいず、起こっても数ヶ月で終わる19世紀のピクニックのような戦争ですむと思っていた」「自分たちは、戦争がおきればヨーロッパが破壊され、文明も崩壊するだろうと思っていた。そういう状況の中で、社会主義こそが唯一平和をもたらすことができるものと思われた」「1911年の社会主義インターナショナルの会議では、自分が事務局を務めた」「しかしいざ戦争になってみると、失うべきものを持たないプロレタリアとして国境をこえて連帯するはずだった各国の大衆は、社会主義ではなく、あっというまにそれぞれの国への愛国心へとむかってしまった」「第一次世界大戦は軍人や政治家や産業界によっておこされたのではない。本当に戦争を望んだのは、ほかならぬ大衆だったのだ。かれら自身が戦争を煽った。それにより社会主義は死んでしまった」「第一次世界大戦前の社会主義には希望があった」「今の社会主義にあるのは焼餅だけだ」「ムッソリーニは、戦争までは戦闘的な社会主義者だったのだ」「あの大戦はヨーロッパのリーダーになるべき人間を根こそぎ殺してしまった」「あの大戦で夢としての社会主義は終焉したのだ」
 この伯爵とマリアの運命。「ドイツがオーストリアを併合し、ドイツ軍が堂々とウィーンに行進してきた日、二人は静かに心中した」というのが、この章の結びである。
 
 この章と次章のポランニー一家の章は、「社会による社会の救済」という問題をあつかっている。ドラッカーの思想の一番根幹にあるのは、「社会による社会の救済」は不可能だというものなのだと思う。社会を変えることによって、人間の間に存在する問題を解消しようとするこころみは成功する可能性がない、ということである。いまのわれわれにはさまざまな問題がある。それは社会の歪みに起因するのだから、社会の構造を変えることによって、それらの問題を解消しよう、とする方向は追求してはならない、ということである。
 現在では社会主義というのはほとんど過去の思想という扱いであるが、わたくしが若いころはまだ生きた思想だった。ドラッカーはそれは第一次大戦で死んだというのだが、わたくしの周囲では、まだ現役の思想だった。「ほとんど誰もマルクスを読んではいず、経済学にだって関心がなかった」としてもである。わたくしも、中学1年(60年安保の年)か2年のときに「空想より科学へ」とか「共産党宣言」とかを読んだのが最後で、あとはマルクスの著作は読んだことがない。
 ドラッカーは、第一次大戦において、国をこえた労働者の連帯がおこらず、大衆が熱狂的な愛国者になってしまったことが社会主義を死なしめた、というのであるが、第一次世界大戦によってソヴィエトが成立したわけなのだから、それにより社会主義が「夢」から「現実」となり、そのために社会主義が死んでしまったのだ、という見方もあるのではないだろうか? 思い出すのが、上田秋成本居宣長を評した《やまとだましひと云ふことをとかくにいふよ、どこの国でも其国のたましひが国の臭気也》である。
 本書を読んで感じるのは、ここに出てくる知識人たちがよくいえばコスモポリタン、悪くいえば根無し草であることで、国境などというものにはとらわれていない。ドラッカーであれば、ウイーンから、ドイツへ、ドイツからロンドンへ、ロンドンから、アメリカへ、である。マルクスもまたドイツからイギリスへの亡命者である。それらコスモポリタンの典型がユダヤ人である。知識人には国境を越えた連帯が可能だった(「当時のヨーロッパは小さかった。教育のある若者はみな知り合いだった」)。だから、知識人たちは平和を希求した。しかし、大衆は戦争を欲したわけである。鉄鎖以外に失うべきものをもたなかったのではなく、失うべきものとして国(あるいは大地)をもっていたのである。
 知識人たちには国と国が対立する理由が理解できなかった。なぜ当然実現すべき平和が現実には得られないのかがわからなかった。その理由として一番真っ当に思えたのが「資本主義」というものの存在だったのであろう。平和の実現を阻害し、対立そのものが存在しない社会になることをさまたげているのが資本主義なのだから、それさえ無くすことができればいう思想あるいは夢想だった。しかし、そのような根無し草の夢よりも、土地に根ざすものの愛国心のほうがずっと強かったということなるのである。
 わたくしの周囲にあった社会主義というのは「現状に対するNo」だったのではないかと思う。人間が現在のような存在でしかありえないということはあまりに惨めである。もっと根源的に尊厳あるものとなることができるはずの存在ではないか? ということであり、そのための青写真を提供しているように見えたのがたまたま社会主義であったということなのではないだろうか? それは経済を論じた思想ではなく、ひとを根源的に変えて救済する道を示した何かなのであった。だから、ソ連・東欧の崩壊により社会主義が現実により否定されたように見えても、夢としての社会主義は残ってもいいわけであるし、あるいは「現状に対するNo」という思想であれば、まだいろいろとストックもあるわけで、フェミニズムでもイスラムでも選択肢は無数にある。ほとんどの反西欧思想もそれに該当するであろうと思う。「胸郭のない人間」(C・S・ルイス)「最後の人間」(ニーチェ)であることには耐えられない、というひとは多い。
 このことに対するドラッカーの姿勢はきわめて両価的である。「社会による社会の救済」を否定する立場なのであるから、「現状に対するNo」を志向するだけの思想には明確に否定的である。しかし、人間が「個」として生きる方向にもまた明確に否定的なのである。ドラッカーが志向するのはコミュニティである。コミュニティは「個」よりは大きく、「社会」よりは小さい。ある時期のドラッカーは日本の会社のようなものに期待していたらしい。それは単なる生活費を稼ぐ労働の場ではなく、コミュニティをも提供するものとしたということのようである。要するに、給与を提供するだけでなく、生きがいをも提供する場ともなっているのだ、と。しかし、わたくしには「愛国心」と「愛社精神」のあいだにどこかで明瞭な線を引けるのかが、よくわからない。
 ドラッカーには、「ポスト・モダニズム」「ニュー・エイジ運動」といった1970年代「現代思想」である反合理主義、反西欧主義といった「ラディカリズム」に相当接近している部分があると思う。しかしそれでありながら、現代の体制にかんしては概ね肯定的というか、接し方はとても微温的である。そのあたりがとてもわかりにくい。
 しかしそのことにかんしては、次章のボラ二ンー一家をあつかった章でもう少し詳しくみてみることにしたい。