P・F・ドラッカー「ドラッカー わが軌跡」(8) 第15章「お人好し時代のアメリカ」

 
 あちこち寄り道しているうちにドラッカー熱が大分さめてきたので、いずれまたとりあげることもあるかと思うが、とりあえず今回でいったん打ち切りとしたい。それでドラッカーを有名にしたGMの調査といった部分は全部とばして、最終章の「お人好し時代のアメリカ」をみてみることにする。
 ドラッカーが1938年のはじめにヨーロッパへの取材に出かけるときに移民局の役人が再入国の書類をみて、あなたの前年の収入なら移民局に勤めたらずっとましな給料がもらえるよ、というところから章がはじまる。
 当時のアメリカは不況である。その不況の時代のアメリカに特有だったのが、人の好さと行動力だった、とドラッカーはいう。嫉妬や羨望には無縁の世界で、誰かの成功は皆の成功だったのだという。ヨーロッパではそのようなことはなく、不況は、疑念、敵意、恐怖、羨望を生んだだけだったという。アメリカがそうであったのは、その当時のアメリカではコミュニティがまだ健全だったのだ、と。
 しかし、それは部族的なもの、郷党的なもの、地域的なものが強化されることでもあった。まだこの当時のアメリカ人は、自分達は旧大陸の悪徳、憎悪、抑圧、罪悪とは縁のない別世界にいると思っていた。アメリカは国ではなく政体なのであり、抽象的な理念である憲法に誓うことによってアメリカ市民になるという国なのだった。ニューディールとはその理念の確認だった。しかし、その信条をまもるためには、世界の政治には参加せず、孤立主義を貫く必要があった。
 そのアメリカがヒトラー台頭の時代において、自己の抽象的な理念をまもるためにも、孤立主義を捨ててでも世界政治に参加しなくてはいけないというのではないかという選択肢を提示されたとき、危機が生じた。アメリカは孤立主義と国際主義に分裂しようとしていた。その危機を救ったのが日本の真珠湾攻撃だった。アメリカはひとつになり、世界に参加する道を選んだ。それと同時に、お人好し時代のアメリカも終わった。アメリカは大国にならざるをえなくなったのである。

 ドラッカーのキーワードなコミュニティである。人間は個人として生きたのでは不幸で、なにかのコミュティの中で生きることでしか充足を得られないというのが大前提で、氏が企業を論じる視点もそこにすべてを発する。
 氏の処女作「「経済人」の終わり」はそのタイトルから想像されるのとは異なり、ナチス・ドイツ台頭への警告書なのであるが、ナチスというのはいかに魅力的であるかということがよくわかっているひとなのである。
 コミュニティへの挺身は保守思想につながる。ナチス思想は一切を根底から否定する革命思想なのであるから、当然、保守思想とは対立する。しかし、個人主義を否定するという点においては、保守思想と通底するところも持っている。アーリア民族の優越ということは、究極のコミュニティの主張と、いえないでもない。
 《不況が、疑念、敵意、恐怖、羨望を生んだだけだった》ヨーロッパを必ずしも、ドラッカーは否定しているわけではない。ヨーロッパの文明の中で獲得されてきた《個人》から否応なく生じてしまう副産物として、認めてもいる。
 つまり、アメリカが、《嫉妬や羨望には無縁の世界》でいられたのは、まだアメリカが若い国、成熟していない国、文明化していない国であったからでもある。アメリカは、その若さを保つために世界から分離され、孤立している必要があった。抽象的な理念などというのは文明の産物ではないのである。
 ドラッカーは、現代世界がもはや個人で動く時代ではなくなっていることを認める。組織が必須のものであることを認め、われわれがそれと無縁に生きることはできないと主張する。そうであるなら、その組織がわれわれを押しつぶし、圧殺するものでないようにするにはどうしたらいいのか、組織の存在がわれわれの生を意味あるものとできるためにはどのような条件が必要か、それを考える。
 氏の組織論、会社論は、組織がどうすればうまく機能するか、会社がどうようであればいまくいくかではなく、うまくいっている組織、うまくいっている会社では、個人がうまく活かされているはずだ、という観点からいつも論じられている。
 これからの日本は不況におちいっていくのであろう。その中で、さまざまな疑念や敵意、恐怖や羨望が渦巻いていくのであろう。しかし、そうであるからといって、《夫婦相和し、朋友相信じ、忝倹己を持し。博愛衆に及ぼし》などという世界を夢見てもいけないということをドラッカーは言っているのである。