小谷野敦「男であることの困難」

  新曜社 1997年10月
 
 漱石の「それから」を読んでとても面白かったので、それに言及している本を探しているうちに本書を思い出し、その関連する部分を読み返してみたらとても面白く、それ以外もあらかた読み返してしまった。
 多くのひとがそうかもしれないが、わたくしが小谷野氏の名前を知ったのは評判になった「もてない男」によってであった。「もてない男」は、本書の最後におさめられた「男であることの困難」を読んだ編集者がそこの部分だけに焦点をあてた本を書くように依頼して、できたものらしい。その「男であることの困難」の章では、石原千秋氏が「三四郎はどう考えても、露骨にいえば童貞ですよね。あの当時、二十三歳の男で童貞というのは、異常な出来事だろうと思うんです。だからやっぱり三四郎をみんなで笑ってあげないといけない」といっているにのかっとなったとし、特に石原氏が才能あふれる色男といった容子をしてたのでよけいに腹がたったと書き、私は、断固、もてない男の側に立つ。・・「もてる」輩は、個別撃破してやる、と宣言している。なにしろ、村上春樹の小説は主人公がやたらともてて、すぐに女の子と寝るのがけしからん、断固粉砕するというのである。こういう方向からの村上春樹批判というのは例がないであろう。
 
 小谷野氏は、人文科学は《「今・ここ」における「私」》の問題から発すべきである、といい、それにもかかわらず社会学に欠けているのは、「この私」という意識なのであるとする。もしも文学研究に何らかのアドヴァンテージがあるとすれば、「この私」を問うことのなのだから、それをしない文学研究などは直ちに滅びてもかまわないという。
 それは、テキストというものが客観的なものとしては存在しているとしても、それは読まれることによりはじめて作品になる、読者の数だけ作品があるという、テキスト論のいろは(客観的な文学作品などはない)をいっているだけかもしれない。しかし、一方では、小谷野氏は比較文学の学問的手続きについて、学者としての訓練も受けているひとでもあり、その主観と客観のせめぎあいが微妙なのであろうと思う。
 小谷野氏の著作はその後もいくつかは読んできているので、本書に書かれたことが現在の小谷野氏の見方と相当異なっていることは想像できるが、以下に書くことは、97年に刊行された氏の若書きのテキストに沿っての感想である。
 
 それで《「今・ここ」における「私」》である。
 ある小説は、あるいはその小説について書かれた誰かの感想は、それを書いたひとの《「今・ここ」における「私」》を示すのかもしれない。それでは《「今・ここ」における「私」》とかかわらない小説やそれについての批評は、存在する意味がないのだろうか? そうなのだと、小谷野氏はいう。人文科学は「今・ここ・私」から出発すべきなのだが、、そうなっていないと小谷野氏はいう。なぜなら、学問には客観性が要求されるから。だが人文科学の中でも、少なくとも文学研究にもし意味があるとすれば、研究するひとの《「今・ここ」における「私」》が反映されたものでなければならない、という。
 それでは小説を書くひとは《「今・ここ」における「私」》がどのようなものであるかを示したくて書くのだろうか? あるいは、《「今・ここ」における「私」》がどのようなものであるかを探るために小説を書くのだろうか? 小説の批評は《「その時・そこ」における「作者」》がどのようなものであったかを探っていくことなのだろうか?

 漱石を読んでいて特にこのようなことを考えるのは、漱石の周囲にそのような神話ができあがっているように思えるからである。漱石の全作品は、その時々の漱石の《「今・ここ」における「私」》を示しているものであり、全作品を系統的に読んでいくならば、漱石の思索の発展の道筋をたどることができる、それを明らかにすることが漱石を読むということなのである、とでもいった神話である。
 漱石には門弟というか門下生というか漱石をあがめるお弟子さんたちがおり、それはあたかもイエスとその使徒といった関係を想起させる。主を一番理解しているのは自分であるとみなで争っているようなところがある。
 そうであれば漱石は聖人君子あるいは苦悩の人、といった像にならざるをえず、困ったことに、漱石もいやいやであるのか進んでであるかはわからないが、自分でその役割を演ずることを拒否していないようにみえる。だから、漱石の作品をひとつ二つつまみ食い的に読むなどというのは言語道断なのであり、すべての作品を系統的に読んで漱石の全体像をつかむことが大事であるということがいわれるようになる。作者から独立したテキストではなく、作者を探すためのテキストになってしまう。大事なのは、漱石が書いた作品ではなく、漱石そのひとであり、漱石が何をどのように考えたかであるということのようなのである。しかし、われわれが漱石に興味をもつのは、漱石が残した作品があるからなのであるから、なんだか話がおかしい。
 もっとも、漱石の《「今・ここ」における「私」》は、われわれにとっては《「昔・そこ」にいた「一知識人」》なのであるから、明治の時代とそこにおける知識人の生き方を考えるためには、格好の資料であるとはいえる。漱石の《「昔・そこ」における「一知識人」》を、《「今・ここ」における「私」》である読者が読む、というのがわれわれにとっての読書の構造であるが、小谷野氏という個人の《「今・ここ」における「私」》は恋愛に一番関心を持つ。小谷野氏は恋愛を考えてみたいので、それで漱石を読む。
 ここで注意しなければいけないのは、小谷野氏のいう恋愛とは相思相愛ではなく、片思いである、ということである。あるひとが異性(同性でもいいのかもしれないが)を好きになる、それが恋愛である。しかし、自分が想った相手が自分をもまた想ってくれるとは限らないではないか、だから相思相愛などということが成立することがそもそも不思議であるというのが、小谷野氏の恋愛観の一番根底にあるものである。
 それにもかかわらず、しばしば相思相愛とみえる事例が多く存在するのは、好きになってくれた異性を自分も好きになるというメカニズムが働くからではないか、というのが小谷野氏の本書での主題の一つとなっている。たとえば、漱石の作品では、自分を好きでないひとを決して好きになることはできないという心理に満ち満ちているではないかというのが、小谷野氏の卓見である(「夏目漱石におけるファミリー・ロマンス」)。
 本来恋愛とは相手が自分を好きであろうとなかろうと相手を愛するというものであるはずなのに、相手が自分を好いてくれた場合にのみ相手を好きになるという心理は偽善であり、そんなものは本当の恋愛ではないと、漱石自身も思っていたにもかかわらず、実際にはそういう偽善的な恋愛しか書くことができなかった、と小谷野氏はするのである。それが漱石の原罪意識・罪悪意識の根底にあったものである、とする。自発的、内発的でないものは悪であるとするのである。
 女が男に、あなたはわたしを口説いてもいいですよ、口説いてもわたしは拒否しませんよという信号を発信する。男はその信号をみて相手を口説く。それならそこに相思相愛が成立するのはあたりまえではないか? しかし、本当の恋愛とは相手が自分をどう想っていようとそんなものにはお構いなく好きになるものをいうのではないか? ストーカーこそが本当の恋愛行動者である。相手が自分を受け入れるという信号をみてからおずおずと行動をはじめるような臆病な行動者は恋愛などはしていない、そう小谷野氏はいいたいわけである。漱石の小説において、ストーカー的な恋愛行動者は「こころ」におけるKだけである、と小谷野氏はする。しかし、Kは鈍感な野暮で魅力に乏しい青年として書かれているのではないだろうか(「こころ」を読んだのは高一か高二のころでほとんど覚えていないが)。そして「こころ」の主題は、それにもかかわらず「先生」がKのような恋の狂気をもてない醒めた人間であることに抱く劣等感なのではないだろうか?
 なぜ女が最初に発信するのか?、それはどういうわけか口説くという行為が男がするものであることになっていているからである。わたしを口説いても、あなたは恥をかくことはありませんよ、だからあなたは自信をもってわたしを口説きなさい、というのが女の発信する信号である。それでは女はどういう相手に信号を出すのか? それは自分を充分に保護してくれるもの、もっと露骨に言ってしまえば自分を養っていってくれるものに対してである、と小谷野氏はいう。少なくとも明治の時代においては、女は力のある配偶者を得るということが最大の生き残りの道であった、女はそのために信号を発信したのである、と。
 女は自分のより良い生活のために信号を出す、男は自分の自尊心が傷つかないことが確認できてからはじめて行動をはじめる。そのどこに恋愛があるのか、と小谷野氏はいう。
 まことにその通りなのである。だから、そういう虚偽から発したものではない、本物の恋愛を描くためにはまず自立した女性が存在しなければならない、そう考えて、漱石は(まだ明治期には本当には存在していなかった)自立した女性をまず小説の上で創造しようとして、「虞美人草」で藤尾という奇妙な女性を提示した。しかし彼女は自殺してしまう。また「三四郎」の美禰子は結局は嫁にいってしまう。その方向はうまくいかないと覚った漱石は、架空の産物ではない、その当時に普通に存在した女性を前提に恋愛を描く道を探ることになる。「それから」である。
 とすれば今度は男が変わる番である。明治にいた自意識過剰の、自分にしか関心のない知識人が、恋愛によって自己放棄を知り、変わっていくさまを描くこと、それを「それから」はめざしたのであろう。事実、構成の上では、そう読めるように作られている。
 しかし、問題は「それから」の代助が、小説の進行とともに変わっていくように読めるかである。最後まで代助は自分だけにしか関心がない人間、恋愛による自己放棄ということができない人間として書かれているように、わたくしには読める。
 一見、この小説が代助の自己放棄の物語として読めるのは、恋愛の結果、代助が父の保護を失い、生活の糧をえる道を失うようになっていく過程が示されているからである。代助は恋愛を貫くことによって、社会から放擲されるようになることをあえて選んだことになり、それは、世間よりも三千代を選んだと読めるからである。
 二種類の恋愛がある。ウエルテルのそれと、「自負と偏見」のそれ。後者は恋愛とはいわないのかもしれないが、感情ではなく理性による相手の選択。もっといってしまえば打算による恋愛であり、オースティンの世界では、それが賛美される。
 それなら代助はウエルテルなのか? 「それから」を読んでそう感じるひとは誰もいないだろう。徹頭徹尾、宗助に関心があるのは自分だけなのである。前半においては、代助の規範は「近代人」として悖るところがないか?、である。後半においては、自分が自分を尊敬できるか?、である。そして、三千代が自分に気があるという信号を発信している以上は、自分は三千代の上にたてるのであり、それならば三千代が自分の自我を破壊してくるということがないことを確信できて、はじめて代助は恋愛に踏み切れるのである。
 小谷野氏はさまざまな二分法、あるいは三分法を提示する。自然(ピュシス)・法(ノモス)、あるいは、自然(ピュシス)・技(テクネー)・法(ノモス)=情熱・恋愛・社会。ここで、恋愛が、自然に属するのか、技に属するのかが問題になる。「それから」で代助がいう「自然か意思か?」という図式では、恋愛=情熱=自然なのである。しかし、実際に描かれているのは、恋愛=技=意思なのである。
 漱石が描きたかったのは、近代人=頭の人が、古代人?近世人?=こころの人に、脱皮?逆行?先祖がえり?していく物語であったのであろう。代助から坊ちゃんへ、あるいは宗近くんに。しかし「それから」では代助は少しも変わっているようにはみえない。
 初めから江戸の人、あるいは天保老人である人を描くことはできる。その人物たちは魅力的ではあっても、時代からは取り残されていく過去の人である。漱石はしかし、明治という時代がもはや後戻りできないことを知っていた。漱石は、それを西洋という外圧のためであるとしていたようである。しかし本当は、それだけではなく、西洋がもたらした「個人」の魅力に負うところもまた非常に大きかった。
 漱石は誰よりも「個人」というものの魅力と毒の双方を知っていた。だから「それから」の最初の部分で、毒が総身にまわった人物である代助のさまざまな戯画を描き、それが恋愛によって救済される浄化される物語を書きたかったのであろう。意識のひとが無意識のひとに変貌していく様を描きたかったのであろう。しかし、意識のひとはついに最後まで意識のひとのままである。
 ところが、どういうわけか、漱石の読者は、漱石の小説の世界には「愛」や「エゴイズム」に悩む誠実な人間のみが住んでいる、そう思い込んでいると小谷野氏はいう。つまり文学とはそういう問題を考えるための装置であるという作者と読者双方の思い込みにもとづく共犯関係が、漱石の小説世界を成立させている、と。だから「それから」や「こころ」の本当の構造が読者にみえなくなる。
 だがそれは、読者ばかりでなく漱石をもしばり、漱石の小説世界をせまくしてしまったのではないか? 倉橋由美子は「漱石は小説家としても実に多様な可能性をもっていた人でした。弟子にとりかこまれた大文豪なんかにならず、大学の先生でもしながら気楽に小説を書いていれば、もっと型破りで面白い小説を沢山書いたのはないかと思います」と書いている(「偏愛文学館」の「夢十夜」)。
 小谷野氏は倫理的な文学と美的な文学ということをいう。日本では、倫理的な文学が主流となって、だからこそ私小説という奇怪なものが文学の主流となった。その私小説の書き手たちからは、漱石は自分の問題を棚にあげた高等講談の書き手とされた。漱石初期の「猫」や「坊ちゃん」は美的な小説であり、倫理的な小説ではないであろう。「草枕」は漱石自身では、美的かつ倫理的な小説であったのかもしれない。「虞美人草」から「三四郎」は美的な小説をめざしたものなのであろう。「それから」が転回点である。他人の物語を書こうとして、どこからか自分の物語になってしまった。「門」にいたって、美的な小説という方向の追求は放棄されたようにみえる。倫理的な小説の方向に舵がきられた。気楽に小説を書く道は断念された。
 さて小谷野氏自身はきわめて倫理的な人である。氏のもとめる文学は倫理的な文学である。《「今・ここ」における「私」》への関心とは、倫理・道徳・人生の問題への関心と繋がる。だから漱石についての評価は両価的となる。漱石はついに男の恋(つまり男が積極的である恋)を書かなかったからである。書いたのはいつも女の恋ばかり。男はその恋にただ応じただけ。
 しかし、漱石は男の恋に憧れていたのである。それは純粋さ、自然、天命としての恋であるのだが、現実には相手の想いに応じる報われる恋しか描かないのだから、小谷野氏に一番関心のある片思いの悲惨と栄光を、漱石はついに描くことはない。
 しかし、小谷野氏も認めているように、片思いはストーカーにつながる。そこには人間関係が生じようがないからである。そして小説とは個人を描くとともに人間関係を描くものなのだから、片思いの小説を成立させることは難しい。もしも片思いの小説というものがあるとすれば、それは個人の中の「狂」の部分をえがくものとしてであろう。われわれが「それから」を読んで感じる印象は、そこに「狂」が濃密に描かれているということである。それは巻頭の俎下駄や最後の代助の頭を領するさまざまな赤いものというだけではなく、代助の三千代に対する態度が「恋愛」という観念への片思いに由来するようにも見える全体の構造が、それを感じさせずにはおかない。つまり「純粋さ」への憧憬もまた「狂」に通じるのではないか?ということである。
 巻頭、漱石は代助を突き放して描写している。もしも、それが最後まで貫徹していると読むならば、これは滑稽小説である。後半にいたって突き放せなくなったとするならば、シリアスな小説である。小谷野氏もいうように、漱石の小説はシリアスに読むべしという先入観がわれわれにはあるらしい。そういう先入観を取り払ってみれば、「それから」は凄みを持つ滑稽小説という、とても豊かな小説として読むことができるのではないだろうか? カフカの「変身」を滑稽小説として読むという読み方もあるのだそうであるから、何も「猫」や「坊ちゃん」で笑うばかりでなく、「それから」で笑うという読み方もまたあっていいはずである。
 

男であることの困難―恋愛・日本・ジェンダー

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