岡田正彦「がん検診の大罪」(1)

  新潮選書 2008年7月
  
 こういうタイトルであるが、特にがん検診だけを論じたものではなく、医療の場に存在しているさまざまな「常識」について、それへの疑問を提示したものである。著者の専門は予防医療学ということである。臨床のひとではなく、疫学あるいは Medical Engineering などを守備範囲とするようである。
 最初にまず統計の話からはじまる。主に疫学を論ずる本であるのだから、当然、統計のことがまず論じられるわけである。しかし、統計あるいは確率の話はきわめて難しく、数学と物理学が不得手なわたくしのとても苦手な分野である。「あなたの手術がうまくいく確率は80%です」などという言葉にどのような意味があるか、それが「多分うまくいくでしょう」というのと、どのように違うのか、それがわからない。手術はうまくいくかいかないかであって、80%うまくいくというのはどういうことなのだろうか? 量子力学がわれわれにぴんとこない以上、これを理解できなくてもやむをえないのではないだろうか? シュレディンガーの猫のような50%生きている猫などというものはわれわれの世界にはいなくて、われわれは生きているか死んでいるかのどちらかなのである。電子が観測によって位置が確定するように、術前80%であった確率の手術は、終わってみれば、うまくいった(100%)、失敗した(0%)のどちらかに収束するのである(波束の収束?)。
 あるいはこのコレステロールの薬をのむと、将来、心筋梗塞になる確率が20%減少する、というのが意味することはどのようなことなのだろうか? のまない場合は、将来心筋梗塞になる可能性は1%、のめば、0.8%に減少するということが意味するものは何なのだろうか? これは心筋梗塞にはまずならないでしょう、という以上のことは言っていないのではないか? しかし、病気になれば100%、ならなければ0%である、などといっているわたくしは、すでに統計学と確率について何もわかっていないことを露呈しているのであろうと思う。したがって、以下に書くことは、統計の理解の不足による歪みをたくさん持つであろうことは覚悟している。
 
 最初が「特定健診」俗にいう「メタボ健診」の話。
 この健診は今年の4月からはじまったもので、40歳から74歳までの健康保険加入者を対象とするものである。「糖尿病等の生活習慣病、とりわけメタボリック・シンドローム内臓脂肪症候群)の該当者・予備軍を減少させるため、保険指導を要する者を的確に抽出するため」におこなわれるものである。
 わたくしは本書ではじめて知ったのだが、このメタボリック・シンドロームという言葉はすでに50年前からあったのだそうである。それが有名になったのは1998年にWHOが、糖尿病を撲滅するためのキャンペーンとして、その診断基準を示したことによる。
 a)糖尿病の検査が異常で、かつ、b)高血圧・肥満・高脂血症・たんぱく尿のうち、2種類以上が異常のものを、メタボリック・シンドロームであるものである。これをみればわかるように、スタートは糖尿病である。
 一方、日本では2005年に8つの学会が合同で判定基準を出した。
 それによれば、
 a)腹囲がある一定の基準をみたして、かつ、b)高脂血症・高血圧・高血糖のうち、2種類以上が異常のものを、メタボリック・シンドロームとした。その考えの根底にあるのは、内臓脂肪がある種の物質を産生放出し、それがインスリンの働きを不十分にし、そのために高血糖になり、高脂血症になり、高血圧になるという見方である。
 従来、心筋梗塞などの冠動脈疾患の原因として、コレステロールが重要であることは知られていたが、最近ではメタボリック・シンドロームもまた重要であるということになってきているのだそうである。
 現在、腹囲は男性85センチ以上、女性90センチ以上が異常とされるわけだが、それはCTで測定した内臓脂肪断面積が100cm平方以上となるのが、ほぼ男性では85cm、女性では90cm以上の腹囲であることを根拠にしている。さらに内臓脂肪断面積が100cm平方以上のものには糖尿病、高脂血症、高血圧などの合併頻度が高かったということがあり、現在の基準ができた。
 岡田氏は、内臓脂肪といろいろな疾患の相関をしらべる際に、背景因子の影響が考察されておらず、多変量解析もされていない点を問題とする。そうであれば、これは真の関係であるとはいえない可能性があるとする(ある原因が、内臓脂肪を増やし、また糖尿病をも惹起するならば、内臓脂肪が糖尿病をおこすとはいえない、という議論)。また、もし真の関係があるのであれば、同じものを二度数えるという統計学ではしてはいけないことをしていることになるという。さらに内臓脂肪面積と腹囲の関係は、相関係数が0.65程度であり、腹囲から内臓脂肪を推定するというのもきわめて問題があることも指摘する。
 さらに根拠になった調査が横断調査(ある時点での調査)であり、経時的な調査でないことも問題にする。そうであるなら、肥満があるから血糖があがるのか、血糖があがるから内蔵脂肪が増えるのか、どちらが鶏か卵かわからないではないかという。また、内臓脂肪の定量のためにCTをとることは、放射線被爆の問題もあることも指摘する。
 BMIについては、それと寿命の関係をみた論文があり、それによれば、BMIは27まで、腹囲は102cmまでは寿命と相関はしないのだそうである。さらに腹囲は、BMIと年齢から高い精度で予測できるという報告もあるのだそうである。
 また特定健診で血糖の基準値の110以下から100以下にかわったことも問題にする。もともとこの110という基準値は1979年にNIHの報告書で出されたものなのだそうだが、2003年にアメリカ糖尿病学会が100以下という基準を示したのが混乱のもとになっているのだそうである。さらに困ったことに、2006年にWHOが、ふたたび110でいいと言い出したのだそうである。
 アメリカ糖尿病学会もWHOも同じ論文から違う結論を出しているのだそうで、その論文では血糖値と糖尿病網膜症の関連を検討した3つの研究を論じているが、その内の一つの研究は血糖100をこえると網膜症が増えるとし、ほかの二つは110をこえると増えるとしているのだそうである。そのどちらを採るかということで、どちらが正しいということではないのである。同じ論文から違う結論がでるというのは確かに困ったことである。そしてメタボリック・シンドロームを提唱したWHOが最近(2006年)出した糖尿病の判定基準からは、メタボリック・シンドロームという言葉は消えてしまったのだそうである。さらに、国際糖尿病連合(IDF)の最近の公式レポートでは、メタボリック症候群は正体不明であり、そんな言葉を作って何かいいことがあるのかといっているのだそうである。
 本書の88ページに「高脂血症の主役はLDLコレステロールだが、これはメタボリック症候群に関係しないことから、特定健診・特定保険指導の判定基準には含まれていない」という記述がある。ここは読んでいて、かなりひっかかった部分である。なぜなら岡田氏はメタボリック・シンドロームという概念をあたらしく臨床の場に導入することの当否を主として疫学的な観点から問うているにもかかわらず、LDLコレステロールが、メタボリック症候群に関係しないという提唱者の説明をまったく批判なく受け入れてしまっているように見えるからである。前に引用したように、「従来、心筋梗塞などの冠動脈疾患の原因として、コレステロールが重要であることは知られていたが」どうもそれだけでは説明できない部分が残り、その部分を説明するものとして「メタボリック・シンドロームもまた重要であるということになってき」たというのが、メタボリック症候群という概念が導入された発端である。したがって提唱者にとっては、LDLコレステロールと独立にメタボリック症候群が存在しているというのが、そもそもの前提である。しかし、それを批判する側の岡田氏は、それが独立ものか、共通の背景因子をもつのではないかという風に論をすすめるのが当然であるように思うのだが、そこを素通りしてしまう。
 わたくしがそんなことをいうのも、日常臨床でみていると、中性脂肪とLDLコレステロールBMIはかなり平行して動くような印象をもっているからである。もちろん例外はあるが、中性脂肪が高いひと、あるいはLDLコレステロールが高いひとは圧倒的に肥満のひとに多いように思う。
 しかしメタボリック症候群の背景としてインスリン抵抗性を想定すると、高中性脂肪も、低HDLもインスリンの作用として説明できるが、LDL高値は説明できないらしい(わたしくの脂質代謝の理解がずさんなので間違っているかもしれない)。メタボリック症候群というのは、実験室のデータから想像されてでてきた症候群であって、疫学のデータから導かれたものではないのだろうと思う。診断基準に高中性脂肪と低HDLがでてくるのはあたりまえなので、理論上はそうなるはずなのである。だから現実の人でみてみたらそうならないではないかという批判は、批判にならないだろうと思う。なぜなら実験室ではそうなるのである。LDLがすべてを説明できかったように、メタボリック症候群もまた残りすべてを説明はできないかもしれない。そうなればまた第三の因子が追求されるまでである。
 国民をだしにして壮大な実験をしようとしているのだと思う。「特定健診」などと偉そうなことをいっても、やることは太りすぎの人を少し痩せさせようということなのだから、太りすぎが痩せることがマイナスとなるということさえなければ、この実験は研究者としては正当化されるのだと思う。それが現実に合わないという批判は痛くもかゆくもないだろうと思う。実験室という一定の系で予想された結果が人間というとんでもなく複雑な系のおいては得られなかったとして、それはそれで貴重なデータなのである。
 岡田氏は、中性脂肪が高いこともHDLコレステロールが低いことも、ともに冠動脈疾患を増やすことも総死亡を増やすことも疫学のデータからはしめされていないという。しかし、理屈からはそうなってほしいのだから(それを示すために導入された概念なのだから)、そうならないとすれば、その時にまた考え直せばいいのである。
 岡田氏のいっていることは帰納の論理である。一方、研究者がいうのは演繹の論理である。研究者が興味を持つのは永遠の真理なのである。だから、たかだか10年から20年のわれわれの生活習慣の変化がその真理をどう修飾するかなどということは、本当は関心の外である。一方、臨床の現場はただいま現在が勝負であって、永遠の真理などは知ったことではない。疫学というのは、その中間にいる。岡田氏の論がなんとなく一貫性がないように見えるのは、あるときは真理の側にゆき、あるときのは現実の側に立たねばならないという疫学がもつ微妙な立場に由来するのではないかと思う。
 今、健診の現場にいる人たちは「特定健診」というものを、なんとも困ったものがはじまったと思ってみているだろうと思う。根拠があるない以前に、こんな効率の悪いやりかたで成果があがるとは思えないからである。ある対象を選択して個別に指導するというやりかたはきわめて能率が悪い。熱心に指導をすればある程度の成果はあがるかもしれない。しかし、それは大海に注いだ美酒であって、大きな集団からみれば、微々たる数であって、あっというまに葡萄酒の色は失われる。つまり統計的に有意な差がでるようなものになるとは思えない。
 この問題は次の章の「薬の有効性」の問題ともつながってくると思う。臨床がもつ特殊性である。要するに臨床は個々の人間を相手にする営為であって、集団を対象にしたものではないということである。臨床家は目の前の患者がこれをして助かったという。しかし、それは大きな母集団の中に入ると消えてしまう。
 臨床で個々の医療者が個々の患者にしている行為はきわめて効率が悪い。だから医者を志したものが政治家になったり、井戸を掘ったりするようになる。そのほうが多くの人を救えるわけである。個々の人を相手にするよりも、集団にキャンペーンをおこなったほうがずっと効果があるはずなのである。
 厚生労働省のキャンペーンはそれなりに成功したのではないかと思う。メタボリック症候群という名前がとにかくも人口に膾炙し、なんとなく腹がでていることは具合が悪いのだなと思うひとがある程度は増えただろうと思うから。
 それなのに、メタボリック症候群の定義がおかしいとか根拠が曖昧であるとかいっても方向が違うように思う。この健診を主導している研究者の一人が「今、基準値の議論をするよりも、診断基準を積極的に活用し、その有効性を検証することが重要である」といっているのは意味深であると思う。
 厚生労働省は、これで国民が自分で自分の健康管理をする方向にいけば、少しは医療費が減るのはないかと思っているし(そしてまた自分の天下り先が増えることも期待し)、研究者は内臓脂肪が分泌するサイトカインがもたらすインスリン抵抗性の状態がさまざまな生活習慣病の根底にあるという仮説を検証することができるし(そしてまたそのことが学会政治においても大きな意味をもつし)、製薬会社は健診の基準が厳しくなれば患者数が増えて薬の売り上げも増えるのではないかと期待している。同床異夢なのである。矛盾があってあたりまえなのだと思う。
 結局は製薬会社の思惑が正しくて、病人が増え、薬剤費が増え、医療費がさらに増えるだけに終わり、厚生労働省の意図は今回またしても想定外の結果を生んでしまうのかもしれないが、いずれにしても、それはここで岡田氏がしている議論とは全然関係のないところで決まってくるのだろうと思う。メタボリック症候群の定義が正しいかといったことによるのではなく、とにかく肥満が悪いと思うひとが増え(それが厚生労働省の期待)、一方、コレステロールとか血圧とかを気にするひとも今以上に増える(それは医療者の期待であり、製薬会社の期待でもある)、そのバランス如何によって、未来は如何様にも違ってくるだろうと思う。
 そして、5年後、10年後の日本人の肥満の程度などということを議論しているうちに、石油が枯渇し、水が足りなくなって、世界の景気が停滞し、農業生産も需要をまかねえないなどという事態になるかもしれず、そうなればキャンペーンをしなくても、みなが栄養不良になって、肥満など自然に問題にならなくなっているかもしれず、そもそも医療にまわすお金なども消えてしまうであろうから、必需品ではなくて、贅沢品という要素が強い今の医療は継続できなくなり、何も症状がなく10年先を心配しておこなっている高脂血症の治療などは医療の課題ではなくなってきてしまうかもしれない。そもそもみなが栄養不良になって、高脂血症の患者数が激減するかもしれない。糖尿病にかかっている人間など非国民といわれるようになるかもしれない。
 などと支離滅裂なことを書いているけれども、毎日困っているのである。健診の結果判定画面にやたらとLDLコレステロールに赤信号がつくのである。中性脂肪にもつく。いまのLDLコレステロールの判定基準はいくらなんでも厳しすぎるのではないかと思う。もしもこの基準が正しいであれば、みなばたばたと心筋梗塞で倒れていくのではないかと思うが、そんなことはない。翌年また元気で健診にやってきて、数字はさらに高くなっているのである。
 しかし、その話は次の「薬を飲んでも寿命はのびない」の章をみながら論じたほうがいいと思うので、長くなったので、稿をあらためることにする。
 

がん検診の大罪 (新潮選書)

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