養老孟司 竹村公太郎「本質を見抜く力 環境・食料・エネルギー」

  PHP新書 2008年9月
  
 「水の未来」を読んでいたら、買ったまま読まずにいた本書を思い出した。竹村氏は元・建設庁河川局長で、養老氏の紹介で読んだ「日本文明の謎を解く」「土地の文明」が大変面白かったひとである。その対談。
 まず、ピーク・オイル論からはじまる。そこで示されている面白い話。昭和15年の石油産出のダントツはアメリカで当時中近東などはほとんどゼロ。日本はアメリカから石油の90%以上を輸入していた。それなのになぜアメリカと戦争をはじめたのか? なぜまじめに満州で石油を探さなかったのか。それは本気でなかったから。軍部には自分たちがモノで支えられているという発想が希薄だった。高級な軍人さんにとって重要なことは、戦争があり、そこに生き残ること、そうすれば爵位がもらえる、なのだった。しかしヒトラーは本気だった。だから不可侵条約を破ってソ連に侵入した。コーカサスの油田がほしかった。20世紀をアメリカが制することができたのは、石油の力によるものである。それがわかないのがモノに鈍感な人文学者の困ったところである。
 日本は石油がでないから省エネに道を走った。しかし石油がある(と思っていた)アメリカは相変わらず、石油を大量に消費する文明を続けた。そのライフスタイルを変えることは不可能なのではないか?
 ここで竹村氏が面白いことを言っている。自分は西欧的ライフスタイルを享受してきた。それをまもりたい。それにはリッター100km走れる車を開発できればいい。今、30kmである。技術の力でできないはずはない。インフラ整備に生きてきたひとなのだなあと思う。
 日本の明治以前のエネルギー源は木材であった。そのためペリーが来たとき、日本中の山は丸裸であった。ペリーがもたらした蒸気機関化石燃料によって、日本の山の緑は復活することができた。日本の山の緑の多くは人工的なもの、植林によるものである。屋久島のような不便なところにしか原始林は残っていない。
 古代文明があったところはいまはみな荒れ地である。
 桓武天皇の平安遷都も、奈良盆地のエネルギー枯渇が原因であろう。そういうことろに考えが及ばないのが人文学者の困ったところである。
 縄文時代はいまよりも5m海面が高かった。寒冷化でそれが低下し、そこで生まれた平野が稲作を可能にした。
 日本が植民地時代に独立を維持できたのは資源に乏しかったからである。ペリーが要求したものも水と薪だけだった。
 日本の食糧自給率は40%といわれるが、これはカロリーベースなのだそうである。しかし生産額ベースでは80%くらいはあるという。生産額ベースとは食糧に使うコストの8割が国産ということで、摂取カロリーに高い比率を占める牛肉などは輸入が多いので、カロリーベースでは40%になってしまうのだと。今のわれわれは栄養の取りすぎであるから、80%の自給ができていれば食糧の輸入が止まっても餓死することはない、ということであるらしい。しかし日本の漁業は本当に衰退しているらしい。
 第6章では、神門善久さんという人が加わって鼎談となる。農業経済学の専門家らしい。「正論」派であって、本当の農業、本気の農業をやっていない、農地を錬金術の手段としてしか見ていない「自称」農家への怒りを隠さない。それが日本に本当の民主主義が育っていないためだという方向の議論に進むので、養老氏と竹村氏というなかなかのタヌキたちがたじたじとなっているところはなかなか面白い。神門氏は土地からの不労所得というのがとにかく嫌いらしい。自分の正義をかかげて「青い」議論で、両氏に敢然と反論していく。なかなかの見ものであるので、ここは読んでもらうしかないかもしれない。自称「冷血な近代経済学者にして、心情的にはマルクス主義者」の神門氏の議論は大変説得力があるのだけれど、わたくしなどはそれは「人間の業、欲を理解していない」議論であるという竹村氏のほうに共感してしまう(こういう批判を司馬遼太郎氏の議論への批判をよそおいながら出してくるところが竹村氏のタヌキである所以である)。人間というのは度しがたい存在である思いが養老・竹村両氏にはある。神門氏はその著書が有力な賞をとったにもかかわらず、農業関係者からは無視されていることを嘆いているが、おそらくそれがいいのかもしれないのであって、氏が万一権力を握るようなことがあると、とんでもない暴君になるかもしれないとも思う。
 神門氏は理論派であるように思うが、養老氏も竹村氏もモノ派である。モノ派即理科系ではないかもしれないが、少なくとも非人文系であって、データ重視派なのである。データのいいところはその前では冷静になれるということである。
 理論の議論をはじめるとどこまでも熱くなってしまう懸念がある。理論に水をかけるものがデータである。あるいは山本七平氏風にいえば《水をさす》ものがデータである。当たり前のものとして流布している考え方(「空気」@山本七平)に理論をぶつけてもそれを壊すことはできない。しかし、データをぶつけると時によっては概念にひびを入れるくらいのことはできることがある。この本も今の世の中の「空気」を変えることはできなくても、それに「水をさす」くらいのことはいささかならできるのかもしれない。
 
 

本質を見抜く力―環境・食料・エネルギー (PHP新書 546)

本質を見抜く力―環境・食料・エネルギー (PHP新書 546)