中井久夫「日時計の影」

  みすず書房 2008年11月
  
 精神科医中井久夫氏の第7エッセイ集。その中からいくつか。
 
 「河合隼雄先生の対談集に寄せて」
 河合氏と土居健郎氏、木村敏氏の3氏が一緒の食事の席に同席したことがるという。ユング心理学精神分析人間学の大家が同席して食事をすることなど日本以外では考えれれないのだそうである。ユング心理学以外の人々からも河合氏は敬意をもってむかえられた。それは河合氏のもつ「治療的英知」のためであったのだろう、と中井氏はいう。氏にはユング自体に馴染まない者もひきつける魅力があった。だから「村上春樹河合隼雄に会いにゆく」などという本も生まれたのだ、と。
 大事なのは河合氏においてユングの原典が聖典化されていないということなのだと。ユングは対話的なひとではなく、グールー的な面さえある、と中井氏はいう。あるユング派の集まった会での外国からの出席者には、失礼ながら「魑魅魍魎に取りつかれたもの」や「国際的ホラ吹きとしか思えない人」もいたといい、ユング心理学は日本においては河合氏という濾過器を通ることで、浄化され、一般に通用する形になったという。河合氏はユングの「毒」も知っていただろう、と。
 シンクロニシティについて: それを中井氏は「偶然の一致のミーニングフルな「気づき」である」と大胆にいう。ここはユングを読むときの躓きの石であるわけだが、そう言いきってしまう。一方、科学の世界は性急に因果関係をもとめすぎるともいう。
 河合氏のもつ政治的な面も指摘する。敵を作らず味方を増やすことによって、アカデミックな心理学の中にユング派の市民権をかちえた、と。そもそも臨床心理学一般を世間にみとめさせたのも河合氏の功績である、と。それを可能にしたのはユングから「くせ」をとりさり、日常用語で語ったことが大きい、と。
 
 河合氏の著作は随分と読んだ。本棚には20冊くらいあるのではないだろうか。中井氏に指摘されて気がついたのだが、わたしはユングの原典を一冊も読んでいない。ユング派ではフォン・フランツの本を2冊、秋山さと子氏の本を一冊もっているだけである。さらに精神分析のほうだってもっているのは岸田秀氏のものがほとんどで、フロイトの原典は何冊か持ってはいるが、通読したものはない。通常の精神科医療についてでも、一番たくさん持っているのは中井氏の本で、あとは計見一雄氏とかのやや異端の本、あるいはR・D・レインなどの反=精神医学みたいな本である。
 原典とか教科書とかは読まずに、二次文献的な本でしか読んでいないというのはまずいという気がしないでもないが、日本の本読みにはそういうのが多いのではないかという気もする。日本の現実のなかでどういう意味をもつのかという視点をもって提供されるのでないと、精神分析とかの本はなかなか頭にはいってこないし、身につまされたものとはならない。
 どういうわけか、河合氏の本も、岸田氏の本も、日本の現状分析をしているときに抜群に面白い。日本人論といった視座で鋭い切れ味をみせる。日本人といってもたんなる集合体なのであり一つの人格をもつわけではないのだから、考えてみれば不思議である。結局はわれわれが文化の影響をいかに強くうけて生きているかということなのであろう。とすればフロイトの論であっても、フロイトの生きた時代の影響下にあるわけで、それをいきなり現在の日本にもってくれば、おかしなことになる。そういう点で、岸田氏や河合氏のフィルターを通ることでわれわれにとっても馴染めるものとなるわけである。
 河合氏の書く心理療法の本のほうは、正直、名人芸の披露という印象が強い。これはとても学問にはならないという気がする。臨床心理士の国家資格化の運動に河合氏は深くかかわったわけで、氏としてもつらいものがあったであろうと思う。一般に精神科医からは臨床心理士(あるいはカウンセラー)の評判はあまりよくないと思う。わたくしの印象としても、カウンセリングにいってよくなったひとをあまり経験していない。傷を深くしてこじれてしまうというケースが多いように思う。
 一般に、心理療法ほど患者さんとの距離のとりかたがむずかしいものはないはずで、あまり患者さんのほうに肩入れしてしまうといいことがないように思うのだが、患者さんにのめり込んでしまうカウンセラーがとても多いのではないだろうか。
 河合氏の本を読んでいると、患者さんとの距離のとりかたが抜群である。これは個人的なセンスとしかいいようがないものかもしれないくて、それを国家資格で認定するなどということは不可能のように思う。河合氏は患者さんとの関係を「あたたかく突き放し、冷たく抱き寄せる」といっていたのだそうである。しかし、こんな芸当ができるひとはそんなに多くはいない。あるいは河合氏だけかもしれない。
 どこかの本で、河合氏は日本にユングを紹介しようとするにあたり、正面からいったのではユングの「原型」とか「アニマ」とか「老賢人」とかはとても受け入れられないだろうと考えて、まず「箱庭療法」の紹介からはじめたのだそうである。この「箱庭療法」はもとは「砂遊び療法」というのだそうであるが、それをこう命名したのは河合氏なのだそうである。凄いセンスである。
 「アニマ」といった形のないものではなく、「箱庭」という目にみえるもので出す、そうしないと日本ではなかなか受け入れならないだろうという判断はおそらく正しかったのだろうと思う。そんなことを思うのは、いま、認知運動療法の関係の本を少し読んでいて、「間主観性」とか「オートポイエーシス」だとかという言葉がとびかっているのをみて、こういう硬い現実感に乏しい難しい言葉をつかっている限り、なかなか日本の中で認知されていくことは難しいのではないかなあと感じている、ということがある。そもそも「認知運動療法」という言葉も現実感に乏しい。「現実接触療法」とか「現実回復療法」とかのほうがまだいいではないかと思う。
 
 「医療はこのまま進んでよいか」
 氏は明治以後の、近代国家としての生き残りのために作られたさまざまな制度の中の一つとして医療があるとする。高度成長も福祉国家も近代化の延長にあったものであり、医学と医療制度が進歩していくことを自分は信じていたといい、社会保障制度もようやく西欧にちかづいたという。
 しかし、今、近代化と進歩を誰も信じない、という。さらには王権を制限するための思想であったはずの市場主義が王道となってしまった。
 大学病院も郵便制度などと同じく近代国家の条件の一つなのであり、効率などが優先すべきものではない。今、制度の保護がなくなって医者は一人ひとりが赤裸となって、巨大な資本力をもつ医療産業に対さなければいけなくなっている。またすぐに結果をだすことをもとめられるようになっている。
 ジャーナリズムが「赤ひげ」を讃えるのも困る。それは硫黄島での孤立無援の奮闘を激励したラジオ放送の再現である。政治の欠如を個人の犠牲で補えという思想である。
 
 「今、近代化と進歩を誰も信じない」というのがポイントである。そういう中で医療に何が期待されるのだろう。近代国家というものがそれでもいいものであり目指すべきものであるとされのであれば、その中における医療の位置づけも議論が可能である。
 しかし、近代国家というものがすでに目標たりえないということになれば、医療の位置づけは経済と経営の観点からしかなされないことになる。ここで中井氏が近代国家といっているものは何がしか「大きな国家」への議論とつながるあずである。もちろん、市場主義は「小さな国家」である。
 今のアメリカの動きを見ていると、それが「大きな国家」なのか「小さい国家」なのかがわからない。市場を守るために(すなわち私企業を守るために)国家が大きなお金を投入する、ということは何を意味するのだろう。
 多くの西欧の国家で年金制度はいずれ破綻することが予想されている。近代国家とか福祉国家の構想がどこかで崩れようとしているのかもしれないが、それは「近代」のもたらした成果によってである可能性が高い。
 福祉国家というのが維持不可能な目標であるかもしれないとしたら、医療はどうなっていくのであろう。
 
 「先が見えない中を生きる」
 ホモ・サピエンスが2万年前に現われてから現在までの総人口が推定100億人。今生きているのが60億人。これは異常である。産業革命以後250年の物質とエネルギーの消費はそれ以前の何億兆倍?
 石油はいづれ尽きる。食糧も有限である。第4間氷期が終わり、第5氷河期がきて、すべてがリセットされるのかもしれない。もっとも先がみえず、何がおきるかわからないからわれわれは生きていけるのであるが。
 
 医療で使用される資源の多くも石油に依存しているはずである。年金の破綻、福祉制度の破綻とは関係なく、石油の不足によって医療が立ちゆかなくなるのかもしれない。医療もできることがあまりなくなって、ベッドサイドで慰めの言葉をかけるのだけが医療の仕事という時代にまた戻るのかもしれない・・、というようなことはまずおきないとは思うのだが、しかし、医療がごく一部の恵まれたひとにのみ提供されるようになるということはありえないことではないようにも思う。
 

日時計の影

日時計の影