「橋本治と内田樹」

  筑摩書房 2008年11月
  
 なんとも奇妙な本で、こういうタイトルになっていて橋本氏と内田氏の対談なのであるけれども、内田氏が幇間をして橋本氏をヨイショしているような本で、もっぱら論じられるのは橋本氏で、内田氏は蚊帳の外である。だいたい、橋本氏は内田氏のことをよく知らないらしい。レヴィナスって誰?、という感じで、ようするに橋本氏は難しいことはわからないひとなのである。
 橋本氏はインテリではなくて、内田氏は典型的なインテリ、だから、最初から話がかみ合わない。ふたりはほぼ同じころに東大に入っている。すなわち全共闘世代なのだが、内田氏が典型的な全共闘世代であるのに対して、橋本氏はノンポリである。橋本氏が67年入学。内田氏は70年入学? わたくしが66年入学だから、橋本氏はわたくしよりは一学年下ということになるらしい。
 二人して、自分の下の学年から(70年以降から)学生の雰囲気が変わったという。内田氏のいうのは、70年から後は学園闘争が後退局面に入ったので、学生の気分が陰惨になったということなのだが、橋本氏は、入試中止後の学生からはロックの話ができるようになってきたというのである。要するに、70年以降の学生について内田氏は否定的であるのに対し、橋本氏は肯定的である。
 橋本氏がインテリではないとすれば、何なのか? 氏は職人なのである。
 橋本氏のいうところによれば、氏はイラストレーターとして生きていこうとしていたのだが、ある日、突然、ミュージカルが頭に浮かんできたのだそうである。週刊新潮の挿絵を書いていた橋本氏は、それを書きとめて、担当者に見せたら、ミュージカルはわからないといわれ、普通の戯曲に直してもっていったら、その当時あった「書き下ろし新潮劇場」という戯曲の叢書が、売れないから中止になってしまった、といわれた。
 それで、芝居を上演するためには、劇団ももっていないし、有名になるしかないか、と思って小説家になろうと思った、というのである。何を書けばうけるかと考えて、女子高生の話ならいいか、と思って「桃尻娘」を書いた。それが「小説現代新人賞」佳作になった。佳作ということはなにかがまだ足りないということである。それで一人前の小説家になるにはどうしたらいいか、一生懸命に勉強した結果が今日の氏である、ということになる。
 どうも橋本氏は小説家というのも技術の修練が何よりも大事であると思っているようで、あまた書いている評論もその修練の一つで、小説を書くための日本の現代の把握のためとされているようである。
 わたくしは橋本の書いているものを相当に読んでいるほうだと思うけれども、小説は読めないものが多い。橋本氏が尊敬する山田風太郎の小説を読むと、山田氏の視座がはっきりと見える。「くの一忍法帖」であってもそうである。しかし、橋本氏の小説の場合にはそれが見えない。任意の視点から書いているとでもいうような感じで、作者がどこにいるかが見えない。
 橋本氏は小説を書いていて、批評でいわれたいことはただ一つ、「書いたものに絵がみえる」ということなのだそうである。これは職人の言である。批評は通常、「作者の姿勢とか思想とかがどうこう」というようなことをいう。
 イラストレーターというのは、注文があって、それに応える形で仕事をするものではないかと思う。しかし純文学というのは注文に答えることによって書かれるのではなく、自分の内発的な声に応えて書かれるものだということになっている。橋本氏の場合、氏を小説にむかわせる内発的な声が見えないのである。そしておそらく、内発的な声を持つのがインテリであり、そういうものがなく注文に応えるという形で書くのが職人なのである。 ここでいうインテリの典型が、たとえば丸山真男である。
 一時期の吉本隆明氏が丸山氏らのインテリに対し、強い破壊力を発揮できたのは、氏が自分をインテリではないと自己規定できたためであろう。インテリとはつねにインテリでないものに対して、優越感と劣等感の複合である存在なのである。インテリ同士の議論であれば、知識の量の多いものが大抵の場合、相手を圧倒できる。しかし、インテリとそうでないものの議論においては、インテリでないものが発する「え?、それは誰ですか? 聞いたこともない!」「そういうの全然理解できない!」「なんでそんなことが面白いのですか?」という論が相手を圧倒できるのである。
 「小林秀雄どころか、その前後何も読んだことがないんですよね。評論つーので読んだのって。山本七平何冊かと、あと何冊か・・・。ほかはないんですよ。俺はもう、「お話」しか読まない人だから」なんていわれると、インテリはたじろぐのである。
 内田氏の卒論はメルロ・ポンティなのだそうだけれども、橋本氏はメルロ・ポンティは知らないけどカルロ・ポンティなら知っていると20歳のころいっていたのだそうである。(今、ネットで調べてみたら、カルロ・ポンティさんはイタリアの映画プロデューサーでソファア・ローレンの旦那さんらしい。) 「今日も対談引き受けたのはいいんだけど、俺、難しいこと知らないんですよ、実は。」という相手と話すインテリはつらいだろうと思う。
 内田「抽象概念がダメなんですか?」
 橋本「わかんないんです。・・・それが具体的にどういうことなのかと考えちゃうから。」
 内田「若いときって、言うことがすごく空疎じゃないですか。何しゃべっても空語というか、言葉に身体的な実感が伴ってないでしょう。」
 橋本「そういう話ができなかった子ですから。大学に行ってとても困ったもん。大学生のする話ができないんですよ。」
 内田「大学生の話って、ほとんど現実味ないですからね。」
 橋本「本を読んで覚えた言葉ということでしょう。学生運動の時代だから、何とか的とか何とか主義なとか、「それってどういうこと?」って聞くと、まだ穏やかな段階だったら人に聞いてもいいけど、過激になってきたら、そんなこと聞いたら「ふざけてるのか」って思われるだけだから・・・。」
 内田「あれは誰に聞いても答えてくれないですよ。だってみんな知らないだけだから・・・。」
 橋本「だって使ってるんだから、って思うんですよ。」
 内田「流通はしているけれども、意味は誰も知らない言葉っていっぱいあるんですよ。」
 橋本「わからないと話をジョイントさせられないんですよ。」
 内田「だから、それは誰にもわからないんですってば。「貨幣」とか「市場」とか「資本」とかだってみんな、「要するにどういうことなの?」って訊いたら、誰も答えられない。誰も答えられないけれど、それでもみんぜんぶ知っているというような顔をして使う。」
 橋本「使えないですよ、俺は、だから」
 内田「橋本先生、だからそれは私はよっくわかっておりますけれども!(笑)ふつうの人間は意味のまるでわからない言葉を平気で使えるんですって。先生はそこが一般人と違うんです。」
 
 インテリのもつ劣等感というのは、「若いときって、言うことがすごく空疎じゃないですか。何しゃべっても空語というか、言葉に身体的な実感が伴ってないでしょう。」というのが若いときだけでなくて、いまでもそうなのではないか、空疎で実感がともなっていない言葉をもてあそんでいるのではないか、という感じがいつになってもとれないところにあるのだと思う。
 ここで内田氏が持ちだしている「貨幣」とか「市場」とか「資本」というは、どこか橋本氏の論点を外していて、「貨幣」とか「市場」とか「資本」とかの言葉はインテリ用語であって、それが実体を持たないということについては、インテリの間でもかなりの合意ができている。しかし、本書で橋本氏が持ちだしている「土地」という言葉についてはそれはインテリ用語ではなく、普通の言葉なのであって、それも具体的な土地でないとイメージできないというのは、橋本氏の特異なところとしかいいようがない。
 土地という言葉に対してはインテリはまったく平気で通りすぎてしまうであろうし、非インテリはそのような言葉にはまったく反応しないであろう。「土地? いろいろな土地があるよな」って考えるというのはきわめて例外的な反応なのである。橋本氏の特異なところは抽象語を受けつけない体質でありながら、「考える」ということを続ける点なのである。インテリは抽象語に抵抗がなく、「考える」ということに抵抗がない。一方、非インテリは抽象語を受けつけず、「考える」ということもまたしないのである。
 橋本氏は一つ一つの抽象語をこれは自分で納得できたというかたちで腑に落ちるものとする努力をし、その理解できたと思う抽象語のみを使って本を書くことをしてきたひとなのである。内田氏がいう。「橋本さん、どんな脳の作りになっているのか、ほんとうに不思議ですね。」 本当に不思議である。
 橋本氏は他人が謎であるといい。内田氏は自分が謎であるという。自分が謎というのはインテリ特有の、それもおそらくフロイト後の(あるいは近代以後の、吉田健一の言いかたでは「世紀末」以降の)感覚である。それに対して「あいつは何考えてんだか?」というのは普通の感覚であり、おそらく狩猟採集時代以降のヒトに普通に備わることになっている感覚である。
 橋本氏はどこかに近世の人を残している。その近世の感覚(すなわち職人の感覚)から近代の“変”や“おかしさ”を発見する。普通、インテリは、《若いときって、言うことがすごく空疎で、何しゃべっても空語、言葉に身体的な実感が伴ってない》というところから出発し、その病をどのように癒していくかということに、それぞれの工夫をその後、重ねていくことになるものなのだと思う。言葉に身体的な実感があった子供時代から、その実感を喪失する青年時代を経て、ひとそれぞれのやりかたで大人になっていく。子ども時代と青年時代には、そこにまったく別の二人の人間がいるとしか思えない断絶がある。しかし、橋本氏にはそれがないようなのである。子供時代から中年を過ぎるまで断絶がないようなのである。実に不思議である。
 
 本書に収められた対談は3年前におこなわれて、そのままオクラ入りになっていたらしい。橋本氏は編集者が「こんな内容のないものをどうするのか」と悩み続けた結果ではないかという。たしかにこの本がだれの役に立つのだろうかと思う。要するに、橋本治というひとがいかに変わったひとであるか、ということだけが延々と論じられているのである。
 それならわたしはなんでこの本を読んだのだろう? 自分とはまったく違う発想を知ることが自分を知るうえで有用と思っているからなのだと思う。わたくしもまた《自分が謎》の側の人間、つまり普通のインテリで、若いときに罹った病から未だに充分には恢復していないと思っているからなのだと思う。それともう一つ、以前から橋本氏がいっていたこと、たとえば《機械による大量生産をやめて手工業に戻れ!》というようなことは、「言っていることはよくわかるけど、でも・・」としか思えなかったのだが、昨今の世界の経済状況をみていると、あながち、滅茶苦茶な議論ともいえないのかなと思えるようなところがでてきていることがある(もちろん依然として無茶な議論なのだけれども)。
 今までの時代は「豊か」ということが前提でできあがってきたわけだけれども、今後は「貧しさ」が前提へと変わっていくかもしれない。そうなると「貧乏は正しい!」といい続けてきた橋本氏の論が、現実を離れた抽象的な議論なのではなく、具体的な生きかたの指針であるということが明らかになってくるのかもしれない。
 

橋本治と内田樹

橋本治と内田樹