片岡義男 「なにを買ったの? 文房具。」

  東京書籍 2009年4月
 
 片岡氏は小説家であると思うが、その小説は読んだことがない。「日本語の外へ」「影の外に出る」「音楽を聴く」などは読んだことがあり、ちょっと日本人離れした、乾いた、もたれ合いをきらう独特の感性のひとという印象をもっている。
 本書は文房具を選び、それを写真にとって、文をつけたといったものである。前に同じような趣の「文房具を買いに」という本も出ていて、それに簡単な感想を書いたことがある id:jmiyaza:20030924 。その巻頭にはモールスキンの手帳が紹介されていた。実はその本ではじめてモールスキンの手帳を知った。そのころにはあまり町ではモールスキンの手帳をみなかったような気がするが、最近では普通に見るようになった。片岡氏のこの本はその普及に一役買ったのかもしれない。わたくしもいつからか使うようになって、手許には十数冊の使用済みの手帳がある。それだけ手帳が積んであると、なんだか少しは仕事をしたような気分となる。その他に、ロディアのパッドとかミードのライティング・パッドなども「文房具を買いに」の写真を見て買いたくなり入手した。まだ使っている。10冊も買えば、相当に持つ。
 本書では冒頭に、ステッドラーの鉛筆がある。それでわたくしも欲しくなり丸善ステッドラーの鉛筆を買ってきてしまった。6本入りの缶ケースで、そのケースから手許にあった今は筆箱にしているファーバー・カステルの《1761年〜1983年》とある発売222年記念の1ダース入りの缶ケースを思い出して、ファーバー・カステルの9000番の鉛筆まで伊東屋で6本ほど買ってきてしまった。
 鉛筆なら三菱のユニやハイ・ユニ、トンボのモノなどをそれぞれ1ダースもっている。読書のときに傍線を引くためだけに使っているのだから、三菱とトンボのものだけでもおそらく一生かかっても使いきれないかもしれないのだが、ついつい買ってきてしまった。鉛筆としての性能だけなら日本製のほうが絶対にいい。しかし、色彩ということになるとステッドラーの青やファーバー・カステルの緑のほうがしゃれていて、それも捨てがたい。(もっぱらBか2Bを使っているのだが、ファーバー・カステルのものなど、HBかHではないかと思うような硬度のものが時々まじっている。日本製ではそういうことは絶対にない。しかし、実用だけではないので、眺めとしては、ステッドラーやファーバー・カステルのもののほうが様になる。机の上の景色がよくなる。)
 前の感想のとき、「文房具集めというのは男の趣味ではないだろうか」といったことを書いたら、ある女性から「女でもそういう趣味のひとはいます」と抗議された。しかし男に多い趣味とは思っている。実用と鑑賞の合間のような微妙な領域というのは、どちらかといえば、男の領域なのではないだろうか?
 鉛筆やノートにいくら凝っても、それほどお金はかからない。作家の文具というと、満寿屋の原稿用紙とかモンブランの何万円もする万年筆とかがでてくることが多い。本書での片岡氏の選択は、それ自体が、そういう巨匠趣味に抵抗する美学を表しているのであろう。
 見て楽しい本である。

なにを買ったの? 文房具。

なにを買ったの? 文房具。

文房具を買いに

文房具を買いに