鹿島茂 「吉本隆明1968」 (3)芥川龍之介の死

    平凡社新書 2009年5月
 
 芥川龍之介の死を論じるこの章あたりからが本書の一番問題な部分となってくる。鹿島氏が採用するのが社会的出自論(個人の思想をその人の出自から説明しようとするいきかた)だからである。これは還元主義ではないかという批判がおきることは氏も充分に自覚していて、それでも「吉本隆明がその思想的な根拠を非ブルジョア非インテリ階級という出自に置いて、そこから思想的な出撃を繰り返したのだから、それを無視することは絶対にできない」とする。
 まずサルトルカミュが対比される。サルトルは高級なブルジョア階級出身。一方、カミュアルジェリアへの移民の息子で労働者というものを身近によくしっていた。労働者をしらないサルトルはそれを観念的にとらえ美化した。一方、カミュはそのような幻想を抱くことはなかった。
 次にとり上げられるのが、吉本氏の「芥川龍之介の死」(「芸術的抵抗と挫折」所収)である。中産下層階級出身であった芥川はその出自に劣等感を持ち、「知識という巨大な富」をバネにしてそこから脱出しようとしたが、その無理が本来の自分の資質をは合わない作品を書かせることになり、中流下層の庶民作家ではなく、主知的な作家であることを目指したために挫折した、というのが吉本氏の論の骨子である。なぜ芥川の内面に吉本氏がこれだけ迫ることができたのか? それは吉本氏もまた下町の中産下層階級という出自をもつからである。そして、その吉本氏の芥川分析を見事と思えたのも、自分もまた中産下層階級の出身であるからである、と鹿島氏はいう。
 その出自分析のゆえに、この「芥川龍之介の死」を鹿島氏は吉本氏の「私小説的な評論」とするのであるが、そうであれば社会出自論によるこの「吉本隆明1986」は鹿島氏の「私小説的な評論」ということになる。みずからの安定した基盤である中産下層階級からでて、「論理性を通貨とする」インテリ階級に上昇しようと志向することから生じる根ざし草としての居心地のなさ、鹿島氏が問題とするのがそれである。では芥川はその上昇を自ら意志で選んだのか? そうではなく高等教育を受けることで獲得する「知識と教養」はいやでも、ひとを安定した庶民階級から引き離してしまうのである。
 鹿島氏は、作家が書く作品の形式は、作家がどのような社会層に安定した自己意識を感じられるによって決まるという。論理性が通用する社会層に安定した意識を感じられるものは論理的に構成された作品を書く。論理があまり通用しない社会層に意識上の安定を感じる作家は頭も尻尾もない私小説的な作品を書くのだと。芥川は後者であったはずなのに前者を目指したのだと。芥川の有名な「人生は一行のボードレールにも若かない」というのは「百行のボードレールの詩も、下層階級の生活の一こまにも若かない」という反語を背景にもっているとみなければ意味がないと吉本氏はする。
 しかし、高等教育を受けることによる出身階級の生活感情からの離反というのは芥川だけが経験したことなのだろうか? この当時に高等教育を受けた人間のほとんどがそうだったのではないだろうか? そうであるならなぜ芥川だけが、そのような運命をたどらなければいけなかったのか? 社会出自論の弱点はそこにある。ある社会出自のひとがほぼ全員がそのようになるというのでなければ、社会出自論が強い説得力をもつことはできない。
 ここで鹿島氏が言いだすのが、「ランボーだのボードレールだのと騒いでいるけれども、おれのような日本人は、うまいみそ汁とおにぎりを出されたら、ボードレールランボーもいらないと放擲してしまいそうだな」という「庶民的実感」なのである。これは、あんまりではないかなあと思う。せめてモツアルトのシンフォニーと三味線でつまびく小唄の対比くらいにしてもらいたかった。このあたり庶民という言葉が何回もでてくる。本書の最初のほうでジョンソン博士の「愛国心は悪党の最後の隠れ蓑」という言葉をもじって「ワーキング・プアこそは左翼の「最後の隠れ蓑」」といっているが、「庶民こそが左翼の(悪党の?)最後の隠れ蓑」であるとわたくしは思っている。自分のことを庶民などというやつに碌なやつはいない、というのがわたくしの持つ抜きがたい偏見である。自分を市民というやつにも碌なのはいないけれども。このあたり鹿島氏はつい筆が滑ったのだと思いたい。家は万巻の書で足の踏み場もなく「子供より古書が大事と思いたい」ひとが庶民であるわけがないのである(もちろん鹿島氏も芥川と同じで、《みずからの安定した基盤である中産下層階級からでて、「論理性を通貨とする」インテリ階級に》参入したひとなのであり、もと「庶民」いま「インテリ」なのであるが)。鹿島氏がいうのは、万巻のフランスの古書を繙いても日本人という蒙古斑は消すことができないということである。何冊フランスの原書を読んでも、おれは日本人なんだよなあ、ということである。しかしそういう弱音を吐かないのが「洋学派」の矜持というものなのではないか? 何かを得れば何かを失うのである。あれもこれもというのは虫がよすぎる。「私は良かれ悪かれ昔気質の明治の子である。西洋に追いつき、追い越すということが、志ある我々「洋学派」の気概であった。「洋服乞食」に成り下がることは、私の矜持が許さない」(林達夫「新しき幕明き」)というくらいの格好いい啖呵をきってもらいたい。武士はくわねど高楊枝ではないか?
 それはさておき、「(芥川が)知識を得ることによって、下町の中産階級から欧米の最先端の文学へ一気に飛躍しようとした(あるいはそれが可能だと信じた)その心の持ち方が、明治以後の近代日本人のアーキタイプを成しており、近代の胚胎する問題のほとんどが芥川龍之介の死に象徴されている」というのがポイントである。ここらへんの論理の運びも今ひとつわからない。「近代の胚胎する問題」は一般命題である。「芥川龍之介の死」は個別の事象である。「近代の胚胎する問題」は森鴎外にも夏目漱石にも見られるはずである。よほど能天気でなければ、明治の作家が「近代の胚胎する問題」と無関係でいられたはずはない。和魂洋才!。それなのに芥川が《近代の胚胎する問題のほとんどを象徴する》とされることになるのは、江戸の前近代の安定から明治の近代の不安定への《成り上がり》が、階層移動の《成り上がり》とパラレルとされるからである。江戸から明治への変動が芥川という個人の履歴の中で短時間で再現される、というのが吉本氏の芥川論の根っこなのである。この前の「転向」のところで論じた転向の第一のタイプ(佐野・鍋山型)は地方の名望家層の出身者に多く、第二のタイプ(宮本顕治型)は都市型のインテリ階層の出身者に多いと、鹿島氏はいう。芥川は都市(下町)の非インテリ下層の出身だからどちらとも違うが、強いていえば第一のタイプに近いという。中産下層階級には前近代的な意識が色濃く残っているから、と。ここからさらに話が拡張される。宮本顕治タイプの極楽トンボで日本人性がゼロの「無日本人」タイプという稀な例外を除けば、明治以降のインテリゲンチャは大部分が日本的なるものと西欧的なるものとの葛藤を抱え込んでいる「半日本人」なのであり、芥川の死は、「半日本人」が無理に「無日本人」となろうとしたことによる自己のアイデンティティの齟齬に由来するのだとされる。そうであるならば、「無日本人」になろうとするのが悪いので「半日本人」でいればいいのだろうか? しかし「半日本人」はあるところにくるとメッキがはげていきなり「全日本人」になってしまう。吉本氏が芥川を取りあげたのも、佐野・鍋山のような無残な転向でもなく、芥川のような自殺にいあるのでもない生き方を「半日本人」である自分がすることができるかという問いにこたえるためであったのだという。
 西欧的なるものと日本的なるものの相克を持つ「半日本人」である近代日本のインテリゲンチャが抱え込んだ矛盾を吉本氏が徹底して追及しようとしたのが「高村光太郎」である。ということで次の章以下の数章では高村光太郎が論じられる。高村光雲の「根付けの国」対「雨にうたるるカテドラル」がもつ「普遍」の対比である。それについては、稿をあらためてまた検討したいが、高村光太郎が戦争中、天皇賛美の方向に雪崩れていったことはよく知られている。吉本氏もまた戦中、軍国青年であった。吉本氏にとって高村光太郎を考えるということは、自分がなぜ軍国青年となってしまったかという疑問の探求でもある、というのが鹿島氏の説である。とすると、本書が私小説的評論であるなら、伏在するものは、鹿島青年がなぜ若い時に全共闘運動に雪崩れていったのかという疑問であり、さらにいえば全共闘運動というのがきわめて土着日本的なものであったのではないかという疑問でもあることになる。
 近代化ということをとりあえず江戸から明治にかけての西洋受容ということとすると、「江戸対明治」という図式は「地方対都会」さらに「下町対山手」あるいは「中産下層階級対ブルジョア」「非インテリ対インテリ」など様々な対比と関連してくる。日本=江戸=地方=下町=中産下層階級=非インテリであり、一方、西洋=明治=都会=山手=ブルジョア=インテリ、となる。そして、江戸から明治への転換が日本が世界史の中に巻き込まれたことへの必然の反応であったように、学歴の上昇もまた教育の普及という世界の趨勢のしからしめるところであり必然である。地方はどんどんと都会化してくる。しかし、それでも日本は日本のままであり、日本が西洋となるわけではない。頭は西洋化しても、体は日本人、あるいは理論は西洋人のもので、感性は日本人のまま。だから、ランボーボードレールと対比されるべきものは、みそ汁とおにぎりではなく、歌謡曲とか演歌ではないだろうか。全共闘運動が東映やくざ映画と親和性をもったということは決して小さいことではないと思う。「唐獅子牡丹」である。「義理と人情を量りにかける」のである。それは地方の下町の中産下層階級の非インテリの運動だったのだろうか?
 
 というようなことを書いていると、自分の出自も書かないといけないような気がする。わたくしの父は小児科医である(東京帝国大学出身)。祖父は群馬にある味噌問屋の長男だが放蕩息子で家督を相続させてもらえず、なにがしかの財産をあたえられ、東京でぶらぶらと結局一生なにも仕事らしい仕事もせずに終ったらしい。父の代から杉並に住んでいるから、わたくしは都市(山の手)のインテリ層の出身ということになるのだと思う。父は一生勤務医であったからサラリーマンであり、ブルジョアということはないが、そうかといって下層でもないのだから少し前の言い方での中流ということになるのであろう。
 わたくしが父に感じていたのは「大正文化人」という像で、ゲーテファウスト」と「奥の細道」と「歎異抄」といった組み合わせの教養である。世の評判にしたがっているという感じで、自分の本当の嗜好ということになると何があるのだろうと思っていた。むしろ父を作ったのは戦争体験であったはずで、ブーゲンビル島という南の島に送られ九死に一生をえて帰ってきた。そこでの経験はおそらく筆舌に尽しがたいものであったと思われるが、ついにわたくしにも語ることなく終った。ただ自分の子どもたちの世代を戦争に送ることは絶対にしてはいけないという思いは強かったようで、晩年の父は社会党員であった。わたくしには日本共産党日本社会党も大正教養主義の一つの変奏のように思えるのだが、とにかく父が「村の家」の勉次の父孫蔵とは似ても似つかぬタイプであったことは確かである。大正教養主義が無日本人なのだろうか?
 わたくしの出自は、明らかに吉本氏や鹿島氏のものとは違う。自分が都会育ちの人間で山の手の人間であるということは決定的であるのかもしれない。田舎のひとがこわいし、下町のひとも敬して遠ざけたい。しかし都会そだちといっても東京という歴史のない街だから、京都のひとのような慇懃さというのも苦手である。
 集団でなにかをすることが嫌いで、じめじめしたものが嫌い。そしてファナティックなものが大嫌いである。丸谷才一氏の「文章読本」(中央公論社 1977年)の第八章「イメージと論理」にほぼ全文が収められている吉行淳之介の「戦中少数派の発言」(「吉行淳之介エッセイ・コレクション3」ちくま文庫 2004年 にも収載されている)が自分の感性に近いのかなあと思っている。吉行氏が中学5年のときのことを回想した部分をふくむ文章で、中学校で真珠湾の大戦果の報が発表されたとき、それをきいて校庭で興奮する多くの学生たちと、それに同調できず教室にひとりぽつんと残された吉行氏を描いている。吉行氏は中学は麻布中学であるからわたくしの先輩である。とするとこれは都会での話である。吉行氏の感性が都会で生まれ育ったことに由来するわけではないはずである。大多数の中学生は大東亜戦争開始に興奮しているのだから。吉行氏は自分のそれを思想ではなく生理である、という。「いたずらに甲高く叫ぶような人種を自分たちは信じない。学生運動が華やかだったころ革命前夜を呼号した学生指導者たちの目の中に、かつて自分にピストルをつきつけた敗戦前後の蹶起将校と同じ目の色を見た」という村上兵衛氏の言に、自分も同感すると吉行氏はいう。「声低く語れ(パルラ・バッソ)」(林達夫「新しき幕明き」)である。
 教養学部のころ(すなわち大学紛争の渦中にはいる前)には吉行淳之介を読んでいた。本郷に進学して全共闘運動を間近にみても、結局それにかかわることがなかったのは、第一には生来の臆病のためだと思うが、吉行氏の生理に近いなにかがわたくしにもあったからなのだとも思う。とにかく集団でなにかをすることが嫌いで、徒党を組むことが厭だった。全共闘運動というのは声が大きな運動だった。みんなと肩をくむなどというのはもう駄目で、善悪以前に恥ずかしいしみっともないし美しくないとしか思えなかった。それはかなりの部分、都会育ちということと関係していると思っていたのだが、この鹿島氏の論からは、わたしは「無日本人」となるべく定められていることになる。吉行淳之介というひとは「無日本人」なのだろうか? わたくしは文明開化の人間でありたいと思っているので「無日本人」に分類されても仕方がないなとは思うのだが、でも微妙な違和感はある。それで、出自論というのをあまりに遠くまで拡大していくことにはいささかの疑問を感じる。
 たとえば庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」の主人公の薫くんは「無日本人」なのだろうか? これは大の「アンチ=田舎」小説なわけで、薫くんはまさに《西洋=都会=山手=ブルジョア=インテリ》ではある。この本を最初に読んだときは頭をガツンとやられたような気がしたものである。後から思うと自分の非行動の正当化をそこに見たのだとは思うが、読んだ当時はまるで自分の気持ちがそのまま書いてあるように思えた。庄司薫氏は「無日本人」と分類されるのであろう丸山真男のお弟子さんなのではあるが。
 それで、日本人とは何かが問題となり、《典型的日本人》である高村光太郎の研究が次の論点となることになる。
 

新書459吉本隆明1968 (平凡社新書)

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文章読本 (中公文庫)

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歴史の暮方 共産主義的人間 (中公クラシックス)

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赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)

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