C・ギンズブルグ「糸と痕跡」

     みすず書房2008年
 
 本書および著者の名前を知ったのは、少し前の朝日か毎日の新聞の書評で富山太佳夫氏が紹介しているのを見てであったと思う。富山氏の名前を知ったのはたしかウォーの「大転落」の翻訳者としてだと思うが、その解説が面白く、またその後、ときどき見かけた批評もみな筋の通ったものであると思えた。それで名前を記憶していたのだが、氏のことをイギリス文学者と思っていたので、このイタリア人歴史家について(そして、同時にアウアルバッハの「ミメーシス」について)熱っぽく論じているのに、意表をつかれた。
 入手したのはもう半年くらい前だと思うが、とにかく難しい本で(議論されている人や著作が初耳ということも多い)、ぽつりぽつりとつかえながら読んできた。一応、読み終ったが、とても理解できているとは思えない。しかし、とても大事なことが書かれていると思えるので、以下、見当違いの論も多くなると思うが、感想を書いてみたい。
 富山氏の「英文学への挑戦」を読むと、氏が植民地帝国としてのイギリスという観点から英文学と接していることがわかる。わたくしは福田恆存氏を経由したロレンス、吉田健一氏を経由したフォースターやウォーなどからイギリス文学のイメージを作ってきたので、あるいは吉田氏の「英国の文学」や小野寺健氏の「イギリス的人生」といった方向からそれを見てきたので、大帝国主義国家としてのイギリスという方向はあまり考えたことがなかった。フォースターの「インドへの道」は英国のインド支配そのものをあつかっているが、異文化相互の理解という、政治とは次元を異にする問題意識が根底にあると思えるし、小野田氏のオーウェル賛も「象を撃つ」のオーウェルではない。
 西欧近代は植民地支配という「悪」のうえに成立してきたものであり、ポスト・モダンもその罪の意識の上に成立してきたものであろうから、最近いくらポスト・モダン陣営の旗色が悪いといっても、ポスト・モダンの側にも三分の理はあるわけで、この「糸と痕跡」もポスト・モダン思想を批判するのが基本姿勢でありながら、なぜポスト・モダン思想がでてこなければならなかったのかという点についての理解を手放すまいとする態度も一貫しているように思った。『「奢侈の追求は進歩を刺激する」というマンデヴィルの考えは、ヨーロッパ諸国家内でのみ該当する話であって、それは世界の体系的な収奪の結果得られたものである』とすれば。
 一貫したテーマは歴史と物語の関係である。あるいは歴史を書くことと、物語ることはどう違うか(あるいは基本的に同じ行為なのであるか)ということである。ある歴史家が第一次世界大戦について語っているとする。それが1914年にはじまり、1918年に終ったということは事実である。少なくとも、1914年6月28日のサラエボの事件があり、1918年11月にドイツが休戦したのは事実である。その歴史家の論について、サラエボの事件などというものは本当にはなくて、それはその歴史家の頭の中にだけある空想であるなどという批判がおきることはない。とにかく事実があるという前提がなければ歴史は語れない。しかし、なぜ第一次世界大戦がおき、なぜそれがドイツの敗戦という結果に終ったかということについてのその歴史家の論をフィクションであるとする見方は根拠のあるものである。そうであるなら歴史を書くことと、フィクションとしての物語を書くことには、基本的には差がないのではないだろうか? というのがポスト・モダンの側から出された歴史への批判であった。
 歴史は歴史家によって構築されたものである。歴史家は中立ではありえない。自身のもつさまざまな偏見に汚染されている。そうであるならその歴史家の言は、その歴史家については何事かを語っているとしても、歴史については何も語っていない。基本的にわれわれが何事かを理解しえるのかについての深い懐疑が、ポスト・モダンの論の根底にある。歴史の語りは「科学」でありうるか? それは単なる主観の産物ではないか?
 いついつ何があったかをただ列挙しただけのものは歴史ではない。街頭にある監視カメラはなんらの意志もなく、ただカメラの前にあるものを記録している。しかしスティーグリッツの写真の後ろにはスティーグリッツという個人がいる。その個人は積極的に見ている。ポパーは「バケツとサーチライト」ということをいった。ベーコン流の帰納の理論をバケツ(外界が受動的にはいってくるだけのもの)として批判し、われわれは何らかの理論(偏見)をもたなければ外界をみることができないとした。われわれは積極的に世界を探勝する存在である、と。ポパーは科学哲学者のなかではポスト・モダンからもっとも遠いところにいると思うが、それでもポスト・モダンと無縁ではない。
 ギンズブルグは、フィクションか真実かではなく、虚偽のもの、あるいは真実であると見せかけているものに注目しようという。かつては(ギリシャやローマの時代には)歴史の真実性を保証するものは、その叙述に生彩があり、生き生きとしていることであった。現在では記録資料(エヴィデンス)である。ギンズブルグはある時代に書かれたフィクションもまた記録資料であるとする。それはそれが書かれた当時の生活感情をつたえるエヴィデンスなのである。
 歴史と詩、真理と想像、現実と可能性、ということがギンズバーグの一貫した関心なのだが、これは現代における科学の地位という問題をすぐに呼びよせる。科学もまた科学者の主観の産物であって事実ではないのか? 科学もまた一つの詩であるのか?
 ヴォルテールの「哲学書簡」の一節。『「わたしたちはキリスト教徒です。またよきキリスト教徒たらんと努めています。でも、頭に少しばかりの塩といっしょに冷たい水をふりまくのがキリスト教だとは思っていません」とそのクエーカー教徒は言うのだった。』
 本書でしばしば論じられるアウエルバッハは、亡命してトルコにいて、ケマル・アタチュルクの政策をみて、「俗悪なもののインターナショナルと文化のエスペラント」といっている。「世界的規模の無差別な文明」による、標準化、差異の喪失、一様性の進行。市場の合理的な法則に規制された文化的に等質な大衆社会の到来をアウエルバッハは予見していたのだ、と。アドルノとホルクマイスターのいう啓蒙の両義性の問題。啓蒙主義はヨーロッパの白人男性が産みだしたものではないか?
 明らかに、科学は世界の等質化を進めている。科学は世界のどこにいってもなりたつと啓蒙の側の人間は思っている。
 スタンダールはフランスを退屈であるとし、イタリア人の情熱と英雄主義を賛美した。イギリスとアメリカとフランスに、ただ金への情熱をのぞけば、すべての情熱が消えてなくなってしまう暗澹たる退屈と陰鬱の未来の到来を予想した。それは近代産業社会の必然であるとした。現在のイスラム圏からの欧米批判そのもの、グローバリズム批判そのものではないだろうか? 「心には理性が知らない存在理由がある」とパスカルは言った。「世界が魔法から解放される」と、「人間の本性は格下げされる」のではないだろうか?
 ゲティスバーグにおける戦闘で南軍が勝って、二つの共和国にわかれていたら世界は変っていただろう。(その可能性があったことを論じる歴史書が紹介されている。)クレオパトラの鼻が・・。トルストイがいうようにボロジノの戦いの前にナポレオンが風邪をひいていなかったら・・。そしてスタンダールの「パルムの僧院」でのファブリスのワーテルローの戦いや「戦争と平和」でのアンドレイ公爵やピエールの戦闘参加。個人には戦争の全体はまったく見えない。しかし、渦中にいるひとの視点は、全体を俯瞰する目には見えないものを教えてくれる。「神は細部に宿る」?
 断片へのこだわり、全体的視点の抛棄はポスト・モダン思想の特徴である。しかし、そこには葉だけがあり、木の幹も枝もない。そこにはコンテクストという視点がない。
 
 ポスト・モダン思想は「大きな物語」の消失ということをいったらしい。それならば、科学もまた消え去るべき「大きな物語」の一つなのだろうか? それは西欧近代でしかなりたたない一文化なのだろうか? 科学は西欧の産物である。西欧近代は科学なしには成りたたなかった。そして植民地支配も科学なしにはなりたたなかった。
 世界の西欧化は現在、着々と進行している。世界は均質化し、金銭への欲望のみに駆動されて動いていくようにみえる。世界は世俗化の方向に動いている。しかし、人間を動かすものは本当は金銭ではないのかもしれない。それはおのれの尊厳への希求であるのかもしれない。現在ではおのれの尊厳をたもつためになにより必要とされるものが金銭であるだけのことかもしれない。理性は金銭を求め、心は尊厳を求めるのだろうか?
 最近、気がついたのだが、中井久夫氏の「治療文化論」の「あとがき」に、大貫恵美子氏とカルロ・ギンツブルグが自分には思考がもっとも身近に感じられるとしている。1990年の時点ですでに知るひとは知っていたのだなと思う。
 

糸と痕跡

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英文学への挑戦

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イギリス的人生 (ちくま文庫)

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ミメーシス―ヨーロッパ文学における現実描写〈上〉 (ちくま学芸文庫)

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客観的知識―進化論的アプローチ

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治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)

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