内田樹「説明する人−橋本治」in 橋本治「明日は昨日の風が吹く」

   集英社 2009年9月
 
 以下に論じるのは、内田氏の橋本治論なのだが、橋本氏の既刊の6冊の「ああでもなくこうでもなく」から抜粋したコラムと「広告批評」に掲載されたまま単行本未収載のままであったコラムを収めた本「明日は昨日の風が吹く」に附された「解説」である。しかもこの本は、「まえがき」?で橋本氏が、内田さんの書いていることは大体その通りかなとも思うけれど違うところもあるよと書いている、そういう変な構成になっている。
 前に「橋本治内田樹」という妙な本があって、橋本氏の前で内田氏がただ、じたばたしているというような印象の本であった。そうなってしまうのは内田氏が普通の本を書くひとであるのに対して、橋本氏が本来なら絶対に本など書かないはずのひとであるからである(それにもかかわらずとんでもない量の本を書き続けているが)。
 要するに内田氏はインテリであるのに対して、橋本氏はインテリではない。知識人業界のなかでは内田氏はかなりの変わり者であるので、正統的知識人の硬直を斬るときには技がさえる。しかしそうではあってもやはり知識人ではあって、はしっこにいるにしても知識人集団の中にはいる。しかし橋本氏は知識人集団の外にいる。あっけらかんと知識人の常識を無視する。
 橋本氏がいい続けてきたことは「知識人は嫌いだ!」「俺には知識人の言っていることがさっぱり解らない!」だと思うのだけれども、内田氏は知識人の言っていることはちゃんとわかってしまうひとなのである。知識人社会の外にでることはない。なにしろ大学教授である。橋本治が大学教授になった姿など想像もできない。アカデミーの中にいるひととそうでない人の違いである。
 内田氏の「解説」はまず、橋本氏が批評家から無視されている(あるいは批評家が橋本氏を敬遠している、橋本氏から逃げている)ということろからはじまる。批評家は作者がその作で何をいいたかったかを探ることが仕事だと思っている。それを探るためには作者についての様々な情報が必要となる。その情報に照らして、「ここには作者の無意識な差別意識が表れている」というようなことを言うのが仕事とされている。こういう批評のやりかたをバルトは「大学批評」といったのだそうである。
 しかし、このようなやりかたでは橋本氏を批評することはできないと内田氏はいう。橋本氏は「言いたいこと」があるから書いているのではなく、自分が何を知っているのかを知るために書いているのだと。橋本氏自身の言い方を借りれば、「私の場合、『よく分かんないからこの件で本を書こう』というのがとっても多い。分かって書くんじゃない。分かんないから書く。体が分かることを欲していて、その体がメンドくさがりの頭に命令する − 『分かれ』と」ということである。
 本を書くのは何かを知るためであるというのは特にめずらしい見方ではない。「そのヨオロツパに、何か解らないことがあつたらそれに就て一冊の本を書くといいといふ格言がある。」(吉田健一「ヨオロツパの世紀末」後記)
 本を書くというのは考えるということであって、すでに解っていることを紙に記すのは、教科書を書くことではあっても本を書くことではない。本に記されているのは思考の軌跡であり、石川淳氏のいう「精神の運動」をわれわれは読む。
 何か文章を書くときに、われわれは自分にむかって書く。自分が自分に書く。倉橋由美子氏のいう「わたしのなかのかれへ」である。自分の中には二人の自分があって、一人の自分がもう一人の自分にむかって書く。こういう自分の分裂があるひとを知識人という。自分の思っていることに何の疑問を感じないひとは本を書く必要などはない。滔々と演説すればいい。知識人とは自信のないひとの謂いである。自分はこう思っているが本当にそれでいいだろうかと自問自答している。「自己内対話」(丸山真男)である。
 ところが橋本氏にはひとりの自分しかいない。「体が分かることを欲して」なのである。体が何か変だぞ、おかしいぞ、と警告を発する。しかし体は「知性」をもたないから、それは言葉にはならない。それを言語化するのは頭の役割である。
 橋本氏は体の指示を絶対のものとする。それに全幅の信頼をおいている。橋本氏の体は「近代」のものすべてを変と感じる。自分の中に二人の自分がいる、いうのも「近代」の産物なのであるから、「そんなのやめればいいじゃん!」である。くどくど悩むのが知識人の証と思っているひとは、そんなことをいわれたら立つ瀬がない。敬して遠ざけるに若くはないということになる。
 この「解説」で内田氏は、「「三島由紀夫」とはなにものだったのか」と「小林秀雄の恵み」を、それぞれ三島由紀夫についての説明、小林秀雄小林秀雄自身に対して説明しようとしていたことを感知することの試みであるとする。しかし、「「三島由紀夫」とはなにものだったのか」は「近代」の可哀想なインテリであった三島由紀夫に対する満腔の同情をこめた批判であるし(なんでそんなに自分にばかりこだわるの!)、「小林秀雄の恵み」は小林秀雄自身の「近代」からの脱出の試みを追体験しながら、日本の知識人を毒した「近代」というものを腑分けしていこうとした本だと思う。
 知識人はまず何かに毒される。そしてそこから脱出をそれぞれに試みる。まず罪を犯し、そこからの救済の道をさぐる、という構図である。それっておかしいのではないの? 罪なんて犯さないほうがいいに決まっているじゃないの、というのが橋本氏の(体の?)反応である。
 橋本氏が知識人社会の中で特異なのは、「お前もまた罪人(つみびと)だ!」といわれて、「え?、どうして?」と答えるようなひとだからである。橋本氏は「近代」に侵されていない。原罪を負っていない。近代の知識人ではなく、近世の職人なのである。批評家がどうあつかったらいいかとまどうのも無理はない。
 内田氏は「暁の寺」で三島由紀夫が展開する阿頼耶識についての滔々たる蘊蓄を、「その説明のあまりの巧みさは私にほとんど身体的愉悦をもたらした」としている。ここの部分は小室直樹氏も「日本人のための宗教原論」で絶賛していたところであるが、わたくしには何が何だかわからなかった。それは理屈のための理屈、理論のための理論としか思えなかった。頭で理解するのがやっとで、腑に落ちるなどということが絶対に生じない戯言であるとしか思えなかった。
 「「三島由紀夫」とはなにものだったのか」で、橋本氏もこの議論はわけのわからないものとし、阿頼耶識ミームドーキンス利己的な遺伝子」)説とでもいうべき強引な解釈を提示している。「「阿頼耶識」は「他人への影響力」と考えるべきである。そう考えなかったら、危険なことになる。世界はがらん洞で、自分は独りでいて、その周りに「阿頼耶識」という正体不明のものが充満していることになる。それを三島由紀夫流に言うと、《世界を存在せしめるために、かくて阿頼耶識は永遠に流れてゐる。世界はどうあつても存在しなければならないからだ!》になる。」
 しかし危険な思想家になりたかったであろう三島氏は《世界はがらん洞で、自分は独りでいて、その周りに「阿頼耶識」という正体不明のものが充満している》という〈本当のこと〉を読者に信じさせたかったのだろうと思う。読者が安穏とすごしている日常世界を崩壊させ、虚無の世界に独り茫然といる自分を現前させたかったのだろうと思う。
 この「暁の寺」の阿頼耶識論を展開する「十九」で、「世界は存在しなければならないのだ!」がほんのニページくらいのあいだに(わたくしの数え間違いでなければ)五回繰り返されている。異常である。ここにあるのは「説明」ではなく説得である。自分自身にとってもあまりに奇怪で信じられない理説をなんとか信じさせようとする説得である。三島氏の頭が三島氏の体を説得しようとしている。三島氏は頭のひと、橋本氏は体のひとである。三島氏がいくらボデイ・ビルをやって「太陽と鉄」を書いても駄目なのである。
 無茶苦茶なことを書くと、橋本氏はD・H・ロレンスなのだと思う。清水幾太郎氏の「倫理学ノート」の冒頭に記されているロレンスの言葉。「彼らは・・、何一つ善いことは言いません。彼らは、自分自身の殻に閉じこもって、そこから喋っているのです。一瞬の感情の発露もなければ、一片一粒の敬虔な気持ちもありません。私には我慢が出来ないのです。こういう人間と一緒にいたくはありません − ひとりでいる方がよいと思います。」 ここでの彼らとはケインズなどをふくもブルームズベリー・グループの面々なのでだが、ヴィクトリア朝の偽善を敵としたこのグループもロレンスから見ると、皮相な合理主義の軽率な信者に過ぎなかった。若い日の橋本氏の周囲にいた若者たちは体制を敵にしたのではあるが、橋本氏からみると「蠍のように噛みつく油虫」(ロレンス)のように見えたのであろう。
 だた橋本氏がロレンスと違うのは、ロレンスが生真面目なひとであるのに対して、橋本氏が冗談のひとであるという点にある。「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへゆく」である。橋本氏が本書で自らいうように、氏は「バカらしさ」を本質とするひとで、そちらが本業であとは余技なのだが、「ふざけているだけだと生きていけない。人から本当にバカだと思われる」ということがあるので、仕方なく、「バカじゃないもん」というところも見せている、それがたとえば「「三島由紀夫」とはなにものだったのか」であり、「ああでもなくこうでもなく」となるわけである。
 「花々や野蛮人の生活に同感し得たこと、頭脳で理解するのはなくいわば肉体の血汐によって共鳴し得たこと、しかもそのような生活には後戻りできないことを承知していたこと、しかし現代人の生活が生命を失ったものであることを痛ましいまでに常に感じていたこと、−これがロレンスの二重性であり、ロレンスの悲劇であった。現代文明にたいする彼の挑戦は、その主張が正しいにせよ誤っているにせよ、はじめから結果が分かっているものだった。戦いはロレンスの敗北にきまっているのである。」(小川和夫 ロレンス「無意識の幻想」あとがき)
 橋本氏は手工業の時代に戻れという。ロレンスは「過去に、野蛮人の生活に、後戻りはできないのだ。それは身うちにある宿命である」(「アメリカ古典文学研究」)とする。しかし、橋本氏は手工業の時代に本気で戻れるとしているようである。「だってぼくたちは少しも幸せではないじゃないか! 一緒に貧しかった手工業の時代のほうが幸せだったじゃないか!」、と。
 しかし、おおくのひとが、「そうはいっても後戻りはできないのじゃない」と思っている。「きみのことだから、その(ロレンスの)福音は真実だけれども、現実を無視してゐるなんていひかねないね。が、さういふ信仰の不足が、今日までいかに現実を無視し放置してきたか、そのことをもう一度考へなおしてみてくれないか」といくらいわれても(福田恆存(「ふたたびロレンスについて」)。われわれには信仰が不足しているのだろう。後戻りできるとは思えないのである。橋本氏がおかれている奇妙なポジションはそれによる。ロレンスが「火をおこし床をみがく」ような個人的仕事に最後の自足を見いだしたように、冗談に「アストロモモンガ」に「シネマほらセット」に打ち込むのである。
 ひとを夢中にさせる遊戯のように/ 仕事がきみを夢中にさせないのならば/ 仕事をしたってなにもならない。/ / ひとが仕事に入りこむとき/ 彼は生きている、春の木のように、/ 彼は生きているのだ、単に仕事をしているのでなく。(ロレンス「仕事」 詩集「三色菫」)
 「ロレンスという人は、仕事に、それがどんなに品がわるくみえようが、つまらぬものと他人に思われようが、そんなことにはいっこう無関心で夢中になり得る才能をもっていたばかりでなく、そのような才能を失ってしまったことが、多くの現代人を生きながら死なしめていることをよく承知していたのだ。」(小川和夫「同上」)
 ほとんど橋本氏のことをいっているようである。
 「現代は本質的に悲劇の時代である。だからこそわれわれは。この時代を悲劇的なものとして受けいれようとしないのである。大災害が起り、われわれは廃墟の真っただなかにあって、新しいささやかな棲息地を作り、新しいささやかな希望をいだこうとしている。それはかなり困難な仕事である。いまや未来に向かって進むなだらかな道は一つもないから、われわれは遠まわりをしたり、障害物を越えて這いあがったりする。いかなる災害が起ったにせよわれわれは生きのびなければならないのだ。」
 これはヨーロッパの大戦のあとのコンスタンス・チャタレイのおかれた状況であるばかりでなく、その百年後のわれわれがおかれた状況でもある。橋本氏もまた、敗北にきまった戦いを戦っているのあろうか?
 

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