A・フランス「神々は渇く」 アナトール・フランス小説集 2
白水社 2000年
これも前の「ジョゼフ・フーシュ」同様、開高健・谷沢永一・向井敏の鼎談「書斎のポ・ト・フ」の紹介によって知った。大分前に見つけ買ったままになっていたが、「ジョゼフ・フーシュ」を読んだので、関連するものとして思い出して読んだ。
アナトール・フランス(はじめて読んだ)という昔の小説家によるいかにも小説らしい小説というか、三人称で書かれ、多くの登場人物の運命が次第に一つに収斂していく、たくみに構成された物語。最初がかったるいというか、もたもたしているのも昔の小説の構成の典型なのかもしれない。一人の平凡な青年がフランス革命の潮流のなかで、次第に思想の虜となり、人々を次々にギロチンにかけるようになるが、自分もまた滅びてゆくという話。
登場する男たちは、積極的に政治にかかわり、あるいは政治にまきこまれ死んでいくのだけれど(神々は血に渇いているから)、多くの女たちは生き残る。最後のアンチ・クライマックスのような章で、残された女の変わり身の早さのようなものが描かれる。これがフランス小説なのかもしれない。男尊女卑といえば男尊女卑、理屈に生きる男の弱さ対現実に生きる女の強さを描いているといえばそうともいえる。
この小説だけ読めば、正義にとりつかれた人間の喜劇的な悲劇を描いた、明らかに革命を批判的に描いた作のように思えるけれども、フランスはかならずしも革命一般を嫌ったのではなく、ロシア革命には希望をもっていたのだそうである(向井敏「書斎のポ・ト・フ」による)。わからないものである。わたくしなどが読んで感じるのは、文化大革命の渦中の中国はこんな状態だったのではないかというようなことである。主人公ガムランはまさに造反有理、毛沢東万歳を叫ぶ紅衛兵である。
作中に、革命に対する地方の反乱としてヴァンデの名前が何回もでてくる。普通なら読み飛ばしてしまうところなのだが、それが気になったは、以前読んだ長谷川三千子氏の「民主主義とは何なのか」にヴァンデ戦争という言葉が何回もでてきたからである。長谷川氏はいうまでもなく保守の人である。氏は民主主義の愚を説き、その起源をフランス革命に求めるのだが、フランス革命の実態を何よりもよく示すものとしてヴァンデ戦争を論じている。長谷川氏はヴァンデの地方が革命政府に反抗したのは、政府がその地の地域共同体を破壊しようとしたからだけであるにもかかわらず、それに対してヴァンデのジュエノサイドを図った革命政府のやりかたに、自己の正当性を信じる狂気と大衆の熱狂の合体である革命の恐ろしさの典型的な発露を見ている。
「地域共同体の伝統」というのはまさに保守主義者としての長谷川氏の言なのであるが、「神々は渇く」を読めばそんな高尚な話ではなくて、物価は急騰し、食物は市場から消え、ということが問題なのである。生活がなりたたなければ人々はついてこない。主人公たちは、そうなるのもすべて反革命側の陰謀であるとして、ますます革命的情熱をたぎらせ、多くの者をギロチンの刃の下に送り込むことになるのだが、それで、ますます孤立していく。
「彼は、人びとがカトリック教会を ― その青春期には多数の犠牲者を食いつくしたが、今では年齢の重みで活気を失い、食欲も並で、この百年ほどのあいだにたった四、五人の異端者の炙肉を食ったきりで満足しているカトリック教を、在来どおり守りつづけることを希望していた」というのが作中の副主人公、ルクレティウスが座右の書である懐疑派のブロトーの言である。革命思想も民主主義もまた、青春期には多数の犠牲者を出すが、やがては年をとって穏やかになるものなのだろうか? それとも革命思想は永遠に若く、永遠に犠牲者を出しつづけるものなのだろうか?
こういう全集にはめずらしい挿絵入り。原著に添えられたものそのままのようである。
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