ウルフ ペデルセン ローゼンベルク「人間と医学」(1)

     博品社 1996年
 
 本書は翻訳が1996年の刊行で、原著は1986年に刊行されている。原題は「医学の哲学」である。哲学者と内科医(消化器専門)と精神科医の三人の共著。
 本棚を整理していたら、出てきた。以前中途まで読んで、そのままになっていたようである。原著の刊行からすでに四半世紀がたっており、そこで論じられている治療の内容が古かったり(胃潰瘍の成因としてピロリ菌の話はまったくでてこないし、喘息は気管支の炎症説も考慮されていない)、インフォームド・コンセントについての考えも随分とパターナリズムよりのものだったりと、時代を感じさせる部分もあるが、それだけに、かえってそれがおもしろく感じられる部分もあるし、また医療について変わらない部分とかわっていく部分があることを理解させてもくれる。
 著者たちは全員がデンマーク人で、そのためか、キルケゴールが大きくとりあげられている。印象としては、やはり西欧のひとが書いた本である。一番大きなモチーフは、例の《病人はたんに「機械的な故障」をもった生物体ではなく、考え、行動し、希望し、悩む人間なのだ》というものなのだが、生物と無生物の間に太い線が引かれるのではなく、人間と人間以外の動物の間に引かれる。そういう点、神によって魂をあたえられた人間と、それ以外の単なる生きる機械?としての動物という見方が、その底に見え隠れしているように思え、著者らがデカルトに異議をとなえているにもかかわらず、キリスト教の伝統の重さということを感じさせられる。
 かなり広範なテーマが論じられているので、何回かにわけてみていくことにしたい。
 
 最初の章は「医学のパラダイム」と題されている。ということで、例のクーンのパラダイムから話がはじまる。クーンのいう《ノーマル・サイエンス》の研究に従事する科学者集団のひとつとして、医者集団もまたあるというのである。医者は胃潰瘍がどのようにしておこるかについては興味をもつが、医学とは何か、医療とは何かということについては自明のこととしていて、特に考えることをしない。だから医者は人体の機構には大いに興味をもつのだが、病気と環境とのかかわりといったことにはあまり関心がない。哲学はしばしば《椅子とは何か》といったことを論じるのだが、《健康とは?》、《病気とは?》といったことを、医者は普通は論じない。
 クーンは物理学者なので、コペルニクス革命や相対性理論といったことを《科学革命》の例にするのだが、生物学でいえば「種の起源」が《革命》をおこした。
 医学においては19世紀初頭に、《病気とはすなわち解剖学的病変のことである》という見方が革命をおこすことになった。現在のわれわれの医学はそこにはじまる。医学はそれにより自然科学の一部門となり、病気は解剖学と生理学の言葉で語られるようになった。「病気の機械モデル」がはじまった。
 1960年代に一つの転換期がきた。「批判的臨床派」が台頭し、薬効についての二重盲検法が臨床研究のスタンダードとなった。病気の機械モデルは哲学における「実在論」に相当し、二重盲検法といった方向は「経験論」と結びつく。そうであるなら、医学においても、「実在論」と「経験論」のあいだの緊張が存在している、そう著者らはいう。
 臨床医学が自然科学の応用としてだけあることはできなくなった。「批判的臨床派」の出現により、価値判断をふくむ行為であることが無視できなくなってきた。
 社会一般にテクノロジーの進歩への素朴な信仰が失われきたことは医療の分野にも大きな影響をあたえており、テクノロジーの進歩は生活の改善と結びつくのでなければ意味がないとされるようになった。
 クーンの《ノーマル・サイエンス》という考えは、自分がしていることの意味を考えない研究者を免責することになった。それに対してポパーは、「自分の所属する集団の行為を批判的にみることができないものたちは哀れむべき存在である」とし、科学のもつ最大の意味は「批判的思考の養成と助長」であるとした。
 以上が、第1章の概要である。おもしろいのは医療の問題を論じる視点として、「経験論」と「実在論」という哲学での古くからの論点を持ち出してくることである。わたくしは今まであまりそのような視点から医療の問題を考えたことがなかったので、その点が本書を読んで一番面白かった。「経験論」と「実在論」などというのは哲学という暇人の遊びにでてくるいたって抽象的で現実とは関係のない空理空論という印象があるのだが、確かにその切り口を持ち出すと、医療の問題のかなりの見通しがよくなるの事実のようである。
 
 それで第2章では、その哲学的問題が略述されることになる。
 まず、存在論と認識論が区別される。存在論は、世界にはなにがあるか?、実際に「存在」するものは何かを問う。それに対して、認識論は、世界についてなにを知ることができるかを問うものである、そう著者らはいう。なんのことやらであるが、要するに、わたくしの前にコップがある、ということと、それをどうして知ることができるか、というのはまったく別の話であるということである。コップはわたくしが見ているからあるのであり、見ていなければない、というのはもう滅茶苦茶な論であるが、哲学というのはそういうことを延々と論じ続けてきているわけである。コップは俺が見ていようと見ていまいとあるに決まっているではないか、というのが医療の前提となるのだから、そういう暇人の議論に臨床家はつきあう暇はないのであるが、そうではないのだというのは著者らの立場である。著者らの一人が哲学者であるのだから当然ではあるのだが。
 さて「経験論」は、あらゆる知識は知覚された経験に由来するとする立場の認識論である。しかし認識論上の立場としてもう一つ「合理論」がある。理性もまた知識の源泉となりうるとする立場である。それがどう医療と関係するのか? 「実在論」の側の科学者は「人体の機構」に大きな関心をもつ。一方、経験論の側に立つものはいくら理屈の上では正しそうにみえることでも、実際に統計学的に証明されなければ意義をみとめない。経験論者は存在論形而上学的な問題にまったく関心をしめさない。
 哲学の歴史においては、存在論が先行した。世界の本性、人生の目的、神の存在といったことが議論された。しかしケブラー、ガリレオニュートンといった人々の科学上の達成により、存在論に対して懐疑の目がむけられるようになった。そこから経験論がでてくることになる。ロック、バークリ、ヒュームといった面々である。
 因果律とか自然法則とか客観性といったものは実在論に属する。したがって、因果関係というものを経験論者は受け入れることができない。それは因果の関係はわれわれの観察とは独立に外界でおきていることを意味するからである。したがってヒュームはAがBの原因であるという言い方を了承せず、AのあとにはBがつねに観察されるだけであるとする(継起説)。それはわれわれの経験から生じる期待以上のものではない。
 同様に自然法則も否定される。たとえば極端な経験論者であるマッハによれば、自然法則といわれているものは、観察されることをできるだけ簡明に記述するための便宜的な知的構成物にすぎない。
 20世紀の論理実証主義は、意味のある陳述とそうでないものをわけ、検証可能でない言明には意味がないとした。その議論の大きな問題点は、たとえば倫理というような問題は意味がないとされ検討さえされなくなってしまうことである。それに《検証可能性の理論》自体の正否が、そもそも検証不可能であるという重大な欠点もある。
 一般に個々の出来事については検証は可能であるが、一般論について検証することはできない。しかし科学はつねに一般論を指向するものであるので、経験論は科学と背馳することになる。
 それを救済しようとしたのがポパーの論である。ポパーは観察から理論ができてくるという経験論の前提を否定した。われわれは理論をもつことによってはじめて観察することが可能になるとした。科学のスタートは観察ではなく、仮説の生成であり、その仮説を観察と実験で批判的にテストするのが科学の営為であるとした。そして科学者の目標は仮説の検証ではなく、仮説の反証であるとした。理論は一回の反証で否定されうるのである。
 論理的にはポパーの論は魅力的であるし、その論が重要であることは間違いない。だから問題は、それを現実の科学の営為にどの程度応用することが可能であるかである。
 たとえば医療では絶対的な命題ではなく相対的な命題のほうが重要である。潰瘍をもつ患者はそうでないひとにくらべると胃酸を多く産生する傾向があるというのはいいが、潰瘍患者はつねに胃酸を多く産生し、潰瘍がないひとは胃酸を分泌しないというようなことが医療で主張されることはない。
 外界の実在を信じるものが、経験論者であることには根本的な矛盾がある。それを解決しようとしたのがカントである。現代風にいえば、ひとはなんらプログラムされていないコンピュータとして生まれてくる(経験論の主張)のではなく、やがてうけとる情報を組織化できるようにプログラムされたコンピュータとして生まれてくるとした。たとえばわれわれは時間と空間の概念、量、質、因果性などといった概念で考えるように、一切の経験をしていない生まれ時点で、すでにプログラムされているとするのである。
 顕微鏡で組織標本をみても素人はなにもわからない。しかし病理学者であれば、それが肝臓の組織であり、炎症が強いといったことがすぐにわかる。理論あるいは知識をもたないと観察はできないのである。
 啓蒙期以前にあった途方もない実在論による形而上学理論に対抗して、啓蒙期に経験論がでてきたことはきわめて当然のことであった。しかし《自然法則が存在する》というのが科学の前提であるにもかかわらず、自然法則というものは実在論からしかでてこない。
 わたしたち人間の存在に依存するものと、そうでないものがある。前者を推移的、後者を非推移的と呼ぼう。科学とは非推移的なものを、推移的に表現する試みなのである。
 以上が第2章の理論的部分である。
 
 次の第3章では、医療における経験論と実在論という具体的な検討がはじまる。
 17・18世紀の医者と現代の医者では思考の課程がまったく異なる。昔の医者は思索したのである。体液説を信奉し、ある病気は多血質から生じるとし、瀉血などをおこなった。もちろん違う理論もあって、すべてが中枢神経系の失調であるとするものもあった。かれらはすべて「肘掛け椅子の思案」をおこなう医者であった。
 19世紀になって解剖学と病理学がそれにかわるようになった。医者は患者をみるようになった。だが、かれらは病気のメカニズムが存在することを信じる点においては実在論者であった。「病気の機械モデル」は、人間が作った推移モデルではあるが、それが非推移的な実在のある側面を反映しているものであるという信念がそれを成立させている。
 たとえば、ガヴァレは今でいう疫学的な証拠により治療の方向を決定すべきであることを主張し、思索的理論、論理的な演繹による治療を排斥した。しかし同時に疫学の証拠は病気の本性には触れることがないことも強調した。ガヴァレの生きた1800年代には、だが有効な治療はほとんどなく、疫学的な検討が威力を発揮することはなかった。この時代の医者が病気のメカニズムの解明に取り組んだのは、いつか十分な知識がえられれば有効な治療法を論理から演繹によって得ることができるのではないかと期待したからである。
 現在までの経験では膵臓インスリンを産生しているが、それは今までの経験であって、明日になれば膵臓インスリンを産生しなくなるかもしれないといったような経験論的な主張を医療の場で医者がもちだすことはない。したがって、医療の場には実在論が浸透しているということができる。そういって著者らがもちだすのが、アレルギー性の喘息では、特異アレルゲンが肥満細胞の脱顆粒化をおこし、遊離した物質が気管支のスパスムをおこすという説明である。これはわたくしが学生時代に習ったものでもあるが、今の学生は喘息の慢性炎症説という病因論を習っているはずである。その病因論の変遷にともなって、ステロイドをなるべく使用しない方向から、積極的に使う方向へと治療の動向も大きく変化している。ひじかけ椅子の思案ではなく、実験室での検討によっても、20年もたつと病気の説明は変わってくることがある。
 著者らは科学とは「経験にコントロールされた実在論」であるという。空理空論ではない実在論、つねに検証にかけられている実在論というようなことであろうか?
 一方、統計的な方向へいくことへの異議申し立てもある。ある治療は患者の70%に有効であるという数字は、目の前の患者さんの治療にどのような意味を持つだろうか。細心の観察、様々な検査を駆使すれば、個々の患者さんにとっての最善の治療は自ずと決まってくるのではないだろうか? つまり人体でのさまざまなプロセスについて十分な知識をわれわれがもつことができるならば、統計などは必要なくなるのではないかという見解である。生物学的知識の実地への応用が臨床であるとすれば、論理によって正しい臨床の方向を決めることができることになる。
 医学のユニークなところは、科学、テクノロジー、技術すべてとかかわる点なのだが、テクノロジーという言葉が誤解をまねきやすいとして、著者らは、生物学的医学、臨床医学、実地診療の3つ区別し、それぞれ、科学、テクノロジー、技術と対応するという。
 医学部の教育は生物学的知識の実地への応用が臨床医学であるという前提でおこなわれている。医学部の教育ではダブルブラインドによる治療研究の意義とか、生物統計学の重要性といったことについてはほとんど学ぶことがない。
 医療が科学だけで律しえないのは、生物が変異をともなうからである。純金は常に摂氏1063度で溶解するというような確実な予想は医療ではできない。また病気は患者の体内のさまざまな要因や身体外部の環境との関連で経過が修飾されるという意味で、確実な予想ができない。このことを十分に理解しているものが上に述べた批判的臨床派なのである。
 
 医学部の学生時代の授業に臨床講義というのがあって、患者さんのさまざまなデータがまず供覧され、次にその病気についての説明が続くという形式でおこなわれていた。それを思い出すと、そこでの関心がもっぱら病気のメカニズムの解説にあったことは間違いない。ここでいう実在論的な見方であって、どのようにして病気がおきるのかを理論的に説明できるという考えである。疫学的な知見については言及などはほとんどなかったように記憶する。
 一方、教養学部時代に唯一あった医学部関連の授業が、高橋晄正氏による「推計学」であった。高橋氏は日本の医療の分野に二重盲検法を持ち込んだひとの一人であったように記憶している。なにしろ、そのころの日本の医療界というのは、偉い先生が「俺が使って効いた」というと、薬として許可になるというようなとんでもない時代であったので、まことに時宜をえたものであったはずである。高橋氏は推計学こそが医学を科学にするというようなことをいっていて、つまり氏などが経験論のいきかたを日本に持ち込もうとしたわけである。そのころ一般に売られていた「グロンサン」という薬があって、要するにグルクロン酸であり、これを飲むと肝臓のグルクロン酸抱合を助けるというような話だったように思うが、高橋氏は経口的に飲んだグルクロン酸が肝臓までそのままの形でいくはずがないというような批判をしていたはずであるから、一方では実在論の方でも論陣をはっていたことになる。つまりこのころの日本の医療は実在論の側の論も非常にプアであったわけで、実在論も貧弱、経験論はほとんどかえりみられていないという、ほとんど科学以前の時代であった。
 こういう本を読むと、漢方あるいは東洋医学の位置づけという問題も想起される。中国医学は西洋医学にくらべて、はるかによく患者さんを観察していたことは間違いなく、舌とか脈のみかたの精緻はそれをよく証するものであろう。しかし、おそらく中国医学は解剖学や病理学といったものをとりいれることがついになかったのであり、したがって西洋医学的な臓器別の疾患という概念をもたず、病気というものの見方自体が西洋医学のものと根本的に異なっている。陰陽とか経絡とかいった中国医学の骨子をなす概念は、おそらく西洋医学における体液説のような実在論の側に属するものである。極端な形而上学的前提と精緻な観察が共存しているという不思議な構造が中国医学にはある。
 日本において漢方薬が保険収載される際、一切の二重盲検的な有効性の証拠の提示をもとめられなかった。何千年だかの歴史の経験がその有効性を保証しているというようなことだったように思う。こういうのもまた経験論であるとのかというのはいささか議論であるところであろうが、わたくしが中国医学にもつ根本的な疑問は、ポパーのいう《科学のもつ最大の意味は「批判的思考の養成と助長」》であるというような姿勢がそこには欠けているのではないだろうかというものである。おそらく漢方の分野でこれから新しい薬がでてくるということはまずないだろう。一方で分子標的薬のようなものが次々に開拓されてくる時代において、片方で何千年だかの叡智が証した効果などといっているという構図は、奇妙である。
 などと書いているのであるから、わたくしは実在論の側の人間なのだろうと思う。つまり、わたくしは法則性の存在を信じている。しかし本書の著者たちをふくめ多くの西洋のひとたちが法則性を信じるのは、どこかに法則を定めた神という見方を秘めているのではないだろうか。つまり西洋において実在論一神教的な神とうらはらなのではないかだろうかということである。プラトン実在論はそういうものとは直接は関係ないのかもしれないが、それが生き残ってわれわれに伝えられているのは、それが一神教的なものときわけて親和性が高いからなのではないだろうか?
 わたくしはそのような創造神あるいは法則や秩序の創造者としての神というようなものを一切信じていないが、それにもかかわらず実在論者であるのはどうしてなのだろうか? おそらく神を死なせたのは進化論なので、そうであるなら法則性は進化論から説明できなくてはならない。動物は法則性を信じたものが生き延びてきた。あることから別のことを予期できたものが、予期できなかったものよりも生き延びるチャンスが多かったに違いない。だとすれば、われわれは法則を信じたものの子孫である。われわれが法則性の信者であるのは当然である。カントがいっていたアプリオリというのは、このことなのではないだろうか? しかし困るのは、これは動物にはいえても生物全体には敷衍できないことである。植物は予期しない(のではないだろうか?)。あるいはしているのではあろうが、動物のしている予期とはあまりに異なるものなので、それがどのようなものかわれわれ動物はうまく想像できない。植物は認識しないのである(多分)。
 おそらく法則性を信じることがない人間は科学の世界には入ってこない。法則性を信じることのない人間が物理学や化学の研究をすることもありえない。生物学もまた物理学と化学のうえに成立すると信じるものはやはり法則性の側にたつ。しかし科学の世界にはいってくる人間は法則性を信じると同時に、その法則性を人間の知力で明らかにすることができると信じてもいる。法則性はあるにしても、われわれはそれを知ることができるか? ということになると、今度は認識論の側に問題が移ることになるが、科学の世界にいる大部分の人間は認識論についてはいたってナイーブなのである。大部分の科学の側の人間には哲学というのはいたって馬鹿馬鹿しいものにみえてしまうのは、認識論というのは、まったくどうでもいい議論としか思えないからである。
 結核という病気がある。と何気なく書くが、これがすでに大問題で、本書でも後のほうで、病気の分類ということが一章かかけ論じられている。結核という病名は(少なくとも現在では)結核菌というものの存在を前提としている。結核菌は1882年にコッホにより発見された。それではそれが発見されるまで結核という病気がなかったのかといえば、もちろんそうではなかったわけで、たとえば日本で労咳と呼ばれていたものの多くは現在診断されれば結核であろう。逆に、結核菌がいればみな結核という病気になるわけではなく、結核菌を保有するものの多くは症状がなく不顕性の感染である。しかしそのようなものも将来免疫能が低下したりすれば、結核を発症する可能性はあるわけで、結核菌を不顕性にでも保有しているものは、保有していないものと同じとみなすわけにはいかないという見方もあるかもしれない。結核菌に対する薬は抗結核薬である。しかし、結核の薬が発見される以前から、結核という病気が日本などではすでに減りはじめていたことはよく知られている。経済力の向上による栄養状態の改善が結核を減少させた。そうであるならマスとして結核に対する対策はまず栄養状態の改善である。しかし、今、目の前にいる結核の患者にとっては、栄誉状態の改善などというまだるっこしいことは言っていられし、そもそもそれが間に合うかどうかも疑問である。まず治療は抗結核薬の投与である。この辺りの複雑な事情が、医療における実在論と経験論がねじれをおこす原因なのであろう。
 医学部の授業において、結核の対策としての栄養状態の改善などということが言われることはまずない。臨床において問題とされるのはすでに結核という病気になってしまった患者であって、それをどのようにしておこさないようにしていくかということではない。もちろん公衆衛生学という部門はあるが、どうもそれは医学の中で随分と辺境に位置している印象であって、「あれは科学ではないね!」というあつかいをされているような気がする。
 結核を例にだすと何となくすっきりするのだが、高血圧とか高脂血症(最近では脂質異常症というようになった。HDLコレステロールの低値というのを病的状態とするようになったからである。以前は高コレステロールとか高中性脂肪とかだけが問題になっていた)などでは簡単ではなくなる。血圧が高くても脂質に異常があっても通常はまずなにも症状をおこすことはない(高血圧性脳症などをのぞけば)。それは将来の脳卒中や虚血性心疾患などの予防のために治療がされている。しかし血圧が高いひとがみな脳卒中をおこすわけではなく、コレステロールが高いひとがみな心筋梗塞になるわけではない。あくまで統計的に見たときに差がでるというだけである。つまり経験論が否応なしにでてくる。もちろん、高血圧と脳血管障害がどう結びつくか、脂質の異常がどのようにして心筋梗塞と関連するかということのメカニズムの研究こそが臨床での研究の王道であって、そこには因果関係が想定されているのであるから、まぎれもなく臨床研究は実在論の側にたつ。そしてそこで血圧の上昇と脳血管の異常、コレステロールの高値と冠状動脈の硬化が因果的に結ばれることになると、血圧は下げるべきであること、高コレステロールは是正されるべきであることが、まったく論理的に証明されたことになる。さらに血圧をあげる病態の機序、コレステロール代謝の詳細がわかってくると、どこに介入すれば血圧が低下し、コレステロールが低下するかも明らかになってきて、その方向から薬物も開発されるようになる。ダイナマイト工場ではたらく労働者には狭心症がすくないという経験からニトログリセリン狭心症の薬として使われるようになったなどという経験論の産物としての薬剤ではなく、論理的思考の産物として薬剤がどんどんと開発されてくるようになる。そうなればこれも実在論支配下にはいってくる。
 西洋医学が決定的に実在論の傾いたのは、抗生物質という魔法の弾丸の発見によるところが大きいであろう。いくら病原菌をみつけて細かく疾患を分類しても、それを治す手段がないのであればどうしようもない。医者にできることは予後の予言だけだった時代は随分と長かったはずで、ヒポクラテス以来の医療はほとんどの時代、予後を予想し、患者に不必要な害をなさないことを主眼してきた。患者を治そうなどという不遜なことを考えた医者のほとんどは結果としては、ほとんど害のみをなしてきたというのが医療の悲惨な歴史である。ペニシリンの発見はまったくの偶然の産物であるとされているが、東洋医学と違って西洋医学は、それがなぜ効くのかという方向に探求をすすめる性行をもっていたので、ただちのそれがペニシリンは細菌の細胞壁の合成を阻害するが、われわれのように細胞壁をもたない生物にはなんら影響をしないという、いたって理にかなった説明をあたえることになった。病気の仕組みを解明して、そのどこかに介入することで病気を治すことが可能であるという実在論の見方に立つ信念がが決定的に優位に立つことになった。現代における“正統的”な医者のほとんどはその立場をとるであろう。そして魔法の弾丸によって治せる病気は、その弾丸の威力と(おそらくそれ以上に)経済の発展による栄養状態の改善によって背景にしりぞき、昔は成人病、少し前には生活習慣病、最近ではメタボリックシンドロームなどと呼ばれることになる病気が前景にでてくることにより、治療の手応えがあまり感じられない病気ばかりになってきているという事情が一方にあり、それにもかかわらず、他方では、H2ブロッカー、Ca拮抗剤、さらには最近ではさまざまな分子標的薬といった生理学や病理学の理解から理論的に産生されてきた薬が多く使われるという二極分解の時代に、いま医療はなってきているように思われる。治せる病気はあらかた治療の方向が確立し、治せない病気についても薬物の進歩は続いている。そうであるなら“正統派”医師が実在論の立場を崩さないのは当然なのではあるが、一方では西洋医学にできることについては明らかに限界あるいは壁が見えてきているというのは多くの医療者が感じているところであり、若い有能な医師が漢方医療に大きな関心をよせるという時代にもなってきている。分子標的薬+プラセボ効果というのが医療であれば、それを両立させようというのは至難の試みとなる。
 それで「病気の機械モデル」「医学における因果論」「病気の分類」が次に論じられることになるが、それはまた稿をあらためて検討する。

人間と医学

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