どうでもいい話

 
 本屋さんで黒沢明についての本を立ち読みしていたら、「椿三十郎」の原作である山本周五郎の「日日平安」に「にちにちへいあん」とルビがふってあって仰天した。わたくしは「日々平安」とばかり思い込んでいて「ひびへいあん」と読むのだときめこんでいた。このブログのタイトルも「ひびへいあんろく」と読むつもりである。
 ブログのタイトルを考えたとき最初に思いついたのは「一日一冊」で、もちろん「一人一殺」のもじりだが、いくらなんでも一日一冊づつ感想を書いていくなどというのはと思い断念した。次に思いついたのが「日々平安」であったのだが、山本周五郎の原作の題名そのものではねと思い「日々平安録」とした。原作が「日日平安」なら「日々平安」でもよかったのかなとも思う。
 イメージしたのは、ブラウニング 上田敏訳の「春の朝」で、「時は春、/ 日は朝、/ 朝は七時、/ 片岡に 露みちて、/ あげひばり、名のりいで、/ かたつむり、枝にはひ、/ 神、空に しろしめす、/ すべて世は 事もなし。」である。何もおきず事もない太平の日々をおくっている暇人の戯言の記録というようなつもりである。それで「日々平安日録」としようかとも思ったのだが、「日」という漢字が重なるのもと思い、「日々平安録」とした。いろいろなブログのタイトルをみていると、断腸亭日乗の影響か、○○日乗というのも多い。そこまで古風にすることもないし、さりとて「日々平安日記」というのもさえないし、「日」が重なるし、というようなことで、今のようにした。しかし、最初から掛け違っていたのであるということに、今日はじめて気がついた。