長木誠司「戦後の音楽」のなかの「戦後のオペラ」

 
 著者は「戦後のオペラ」あるいは「日本のオペラ」には、日本における西洋クラシック音楽受容におけるさまざまな問題が濃縮された形であらわれているという。それはそのとおりと思うのだが、わたくしは最大の問題は、戦後のオペラの聴衆はどこにいるのかという問題ではないかと思う。新国立劇場にオペラを聴きに来ている「正統的」聴衆と、「悪場所」の匂いが漂うらしいこんにゃく座にきている聴衆は層がまったく異なり、前者は目一杯スノビッシュであるという。そして本書でもっぱら問題になるのは、後者にどこかつながるところのある聴衆であって、前者のようなスノビッシュな聴衆はまったく視野に入ってこないのである。そういう聴衆はかろうじて「夕鶴」まではいくかもしれないが、「沈黙」や「ひかりごけ」にはいかず、もちろんこんにゃく座にもいかないであろう。しかし、オペラは西洋クラシック音楽の中でももっともスノビッシュな要素を多くふくんでいるのであって、そういうスノッブ達がたくさんいるところでこそ、はじめてそのアンチとしての前衛的な?こんにゃく座や十二音技法オペラがなりたってくるはずなのである。そしてそういうスノッブ達を満足させるようなオペラが日本では過去にほとんど書かれていないというのに、いきなり前衛的な?オペラを書きだしたということが戦後のオペラの最大の問題点であるはずである。山田耕筰が「黒船」などのオペラを作ろうとした理由というのが、「大衆を音楽化するのに」それが最適だからというのである。しかし日本人が作曲家の創作したオペラを聴いて、音楽に目覚めたなどという人がはたして何人いるのだろうか?
 この「戦後のオペラ」の章を読んでびっくりしたことはたくさんあるが、たとえば山田耕筰がめざしたオペラとうのがワーグナーの楽劇であったという指摘である。山田耕筰の歌曲だけをみる限り、ワーグナーなどというのはまったく頭にうかばない。そしてわれわれの多くにとって山田耕筰は歌曲の作曲家である。そしてまた驚いたのが、戦後オペラを書き出した作曲家のほとんどがモツアルトの歌劇を見たこともなかったであろうという指摘である。「戸田(邦雄)以外の、戦後日本のオペラ作曲家たちにとって、またモーツァルトオペラなど、ほとんど見る機会がなかった。」「ヴァーグナー受容にはじまった日本のオペラ界では、ヴァーグナーよりもモーツァルトの方がはるかに遅れて紹介された。」
 そうすると「ラ・ボエーム」も「椿姫」も「アイーダ」も「カルメン」も「トゥーランドット」も「こうもり」もなにもかも観たことがなくて書いたのであろうか? あるいはモツアルトは観たことがないが、「バラの騎士」ならなるとか? 伝統のないところに反抗だけがあるなどということがあるのだろうか? シェーンベルクにしてもベルクにしてもドイツ音楽の伝統の重圧というものがあったからこそああいう音楽を書いた。そういう伝統が一切ないところでいきなり前衛的な何かを作曲するということ、それは十二音技法の問題についても同じであろうが、日本における西洋クラシック音楽受容における最大の問題点がそこに潜んでいるはずである。
 十二音技法であれば、西洋クラシック音楽におけるシリアスな音楽の流れがあり、とにかく日本の作曲家の多くはそのシリアスな音楽に惹かれて作曲家の道を選んだのであろうから、そこに一筋つながる道筋はある。しかしオペラはもっとも夾雑物の多いシリアスでない部分に富む音楽であり、そもそも音楽+αであって、音楽だけではない。小林秀雄がどこかで、俺はオペラなんか観ない。もし観るとしたらずっと目を瞑って聴いている、というようなおかしなことをいっていた。舞台作品ではなく音楽だけということになればそういうことになるのであろう。戦後のオペラ作家はしばらくは純粋音楽としてオペラを書いていたのだろうか?
 イタリア音楽とドイツ音楽の対立ということがある。音楽は「歌」であるという方向と、音楽は「様式」であり「形式」であるという方向である。オペラはどう考えても「歌」なしには成立しない。オペラはもっとも形式から遠い音楽であろう(さがせばソナタ形式に則ったオペラなどというのもあるのだろうと思うが)。「今日はちゃんと高いCがでていたね」などということが議論の対象となる曲芸に近いところもあり、作の進行の途中で拍手をしていいことになっている例外的な音楽でもある。「成駒屋!」というようなものである。お客さんは「芸術」ではなく「芸」を見に来ている。日本で歌舞伎通というようなひとがいて「六代目がどうこう」というようなことをいう、それと同じようにヨーロッパでは「ルチア」の何とかは誰でなければというようなひとがたくさんいて、また一方では「メリーウイドゥー」とか「チャルダッシュの女王」とかを飽きず観ているようなひともたくさんいる。そのなかで「ルル」も「ヴォツェック」も書かれるということなのだと思う。
 日本にもオペラファンという人たちが一定の数はいるのであろうが、その多くは新国立劇場のスノップのくちであろう。なにしろ海外からのオペラのチケットというのはべらぼうに高い。スノッブになれるようなひとでなければ実物をみることさえ容易ではない。以前はLPかCDで音をきくしかなかった作品も、最近はDVDなどで自宅で舞台をも鑑賞できるようになったが、もともと多くはないクラシック音楽愛好家のその一部であるオペラファンはそう多い数ではないであろう。しかもその多くは新国立劇場スノップ派であるとすると、日本人の作曲したオペラを聴きにいく聴衆というのはほんの一握りなのではないかと思う。そうするとそういうオペラというのは一体誰のためにかかれているのだろうということである。ここで紹介されている戸田邦雄氏の「あけみ」というオペラはちょっと面白そうである。しかし物語にいかにも華がない。非日常性がなくて、スノビズムに訴えるものがない。着飾って聴きにいこうという気にさせるものがない。つまりこんにゃく座むけ。しかしねらっているのは明らかに芸術作品なのである。それでは林光氏が書いたオペラは芸術を志向したものではないのか? なにしろ見たことも聴いたこともないものでありなんともいえないが、日本のオペレッタを書こうとしたのではないだろうか? 山田耕筰清水脩、あるいは團伊玖磨のオペラが新劇であるとすれば、林光氏の作は井上ひさしさんの「こまつ座」のようなものではないだろうか? とかく新劇というのが頭でっかちで観念的なものであったとすれば、面白いお芝居を井上氏は提供した(などと書いているが、わたくしは井上ひさし作の戯曲もひとつもみていない。大江健三郎井上ひさしコンビの眼鏡が嫌いなのである。ああいう眼鏡をしているひとは偽善家に違いないという気がする。とんでもない独断と偏見であるが)。
 オペラというのは「トゥーランドット」あたりで終わった形式なのではないかと思う。1924年の作である。山田耕筰の「黒船」が1940年。このあたりのずれが日本のクラシック音楽を象徴しているように思う。
 あと日本語をどう音楽にするかということがいろいろと論じられているが、そもそもイタリアの人はイタリア語のオペラの歌詞を耳できいてわかるのだろうか? 台詞を歌ってしゃべるなどということ自体が不自然なのだから、それをいかに自然な日本語としてきかせるかなどというのは、なんだか見当違いの目標のような気がする。オペラは不自然な話を不自然なきわまりない歌唱できかせるのが前提で、嘘を嘘として楽しむことがなければなりたたないように思うのだが。
 

戦後の音楽――芸術音楽のポリティクスとポエティクス

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