(5)2011・3・22「神戸・淡路大震災」

 
 「1995年1月・神戸」「昨日のごとく」をぱらぱらと読み返している。これは当時神戸大学の精神神経科の教授であった中井久夫氏がまとめた神戸の震災についての記録である。
 中井氏は書く。「震災の中心が神戸とは家族の一人としてつゆ思わなかった。「神戸に千年震災なし」を私も信じていた。」 おきる前には、何らかの論拠があってそのように信じられていたのであろう。しかし、おきた後では、それがおきたことは自然界に当然おきるべきことがおきただけのように、もうわれわれは思うようになってしまっている。なにしろそれは事実としておきてしまったのだから。
 その時の神戸の病院では、最初の3日は外科・整形外科が主役であったという。その後は内科に舞台がうつり、最初は「挫滅症候群」それからストレス性の消化管出血となったそうである。福島県いわき市の南部にある勿来の病院で文字通り孤軍奮闘している高校の同級であるN君も地震発生1週間の時点で救急医療の枠割は終った、これからは慢性疾患とメンタルが問題だと書いていた。
 また中井氏は書いている。われわれの医学は、ガス、水道、電気の存在を空気のように前提としている、と。いずれ明らかになってくるであろうが、今度の震災の中心から少しはずれているので、ほとんど報道の対象にはなっていない茨城のあたりでも、ガス、水道、電気などのインフラが途絶え、医療はほとんど停止状態になったらしい(現在でもまたまだ大変な状態らしい)。われわれの医療はコンピュータ化された医療であって、直接の医療機器はいうまでもないが、ごくありふれた日常診療さえ電気がとまってしまえばきわめて継続が困難となる。
 避難所のようにむきだしに生存が問題である時にはPTDSは顕在化しないという。仮設住宅に移住した後にそれはおきてくるのだ、と。避難所生活で一番精神的な問題がおきやすいのは避難所の責任者であるという。学校などがしばしば避難の場所となるが、校長先生などがその責任をおわされる。もともとそういった訓練を受けていない人間がいきなり管理者の立場となり、避難民と行政の調整という大変な問題に直面する上に、マスコミにも対応しなければならない。神戸の震災の時、ボランティアとして作家で精神科医加賀乙彦氏も参加しているが、加賀氏が担当したのが、校長先生の話を聞くことであったのだという。
 震災時の医療で一番避けなければならないのは、医療行為をしていても空しいと感じられるような局面が生じてくることであるという。人間が燃え尽きないためには、どこかで正当に認知 acknowledge され評価 appreciate される必要がある、と。
 弱音を吐けない立場の人間は後で障害がでるのだという。
 米国と違うのは災害に続く略奪・暴動・放火・レイプがなかったことであり、これは今回でもその通りであり、諸外国から注目され称賛されているらしい。「要するにコミュニティが崩壊しなかったことだね」というのが土井健郎氏の説らしい。しかし、中井氏も書いているように、日本でも関東大震災においてはこれらのことが起きたのである。これがなぜなのか、考えてみなければならない問題であると思う。信じがたいことに、この時の神戸では物価が下がったのだそうである。隣の店が崩壊している時に商売していて暴利をむさぼるなんてとんでもないと言った人もいると書いてあった。しかし今回のことでやはり信じがたいことに一時大幅な円高となった。国際社会にはコミュニティ精神などはないのだということなのであろう。
 氏が平常心を取り戻したなと思った時に、それまで氏の頭の中で鳴っていたのが吉田満戦艦大和ノ最期」であり、大岡昇平の「レイテ戦記」、豊田譲の「ミッドウェー」なのであったことに気づいたという。戦場なのである。吉田健一氏などは「戦艦大和ノ最期」の中にも日常があるという立場であるから(「安息の場所というのは、外では大騒ぎが起っている時にそこに逃げ込んで頭を隠すということはなくて、そこが出発点でもあり、終焉の地でもあって、我々は銘々の場所を得てそこに息づいていなければならない」)、中井氏とは見方が違うのかもしれないが、外科や整形外科が主役になる時期の災害医療というのはやはり日常のものとはいえないとしても、「挫滅症候群」や「ストレス性の消化管出血」の時期が過ぎてしまえば、医療も段々と日常のものとなっていくということなのかもしれない。
 わたくしの勤務する病院でも時々、防災訓練というものをしている。しかし、それが役に立つのは、せいぜいボヤがでかかって大事にならずに済んだという程度のことがおきた場合までであろう。福島の原発施設でも当然、防災訓練などもしていたはずである。「想定外」のことがおきたら、「状況がすべてである」ということになるのであろう(これはドゴール将軍の言葉らしい)。今、原発の事故現場では「状況がすべて」なのであろう。時々刻々、最優先事項は変わる。「何ができるかを考えてそれをなせ」というのが災害時の一般原則である、と中井氏はいう。神戸の震災において、有効なことをなしえたものは、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであったし、実は医療における治療とはそのようなものである、という。指示をまったものは何ごともなしえなかった、統制、調整、一元化を要求するものは現場の足をしばしば引っ張った、と。
 ボスの行うべき最大のことは、それぞれ現場のものがおこなったことを包括的に承認し追認することなのであるという。現場に乗り込んで説教しどなりつけるなどということは、ボスとしてしてはいけないことであるということらしい。トップの最大の責務は現場の士気をいかにして維持させるかということにあるのだから。
 今度の大戦の時の米軍から見た日本軍の評価はトップは無能だが、兵隊さんは優秀ということだったらしい。今度の原発事故への対応をみていると、変わっていないのだなあ、ということを感じる。
 

1995年1月・神戸――「阪神大震災」下の精神科医たち

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昨日のごとく―災厄の年の記録

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文学の楽しみ (講談社文芸文庫)

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