(14)2011・4・4「よくわからないこと」

 
 最近の報道をみていて、よくわからないことがいくつかある。

 読売新聞の調査で、今後の日本の原発について、「現状維持」が最多になっていた。全廃論が多数になるかと想像していたのだが。これ以上は増やさないが、今あるものは廃止しないということなのであろう。これ以上の生活水準の向上は望まないが、さりとて生活の大幅な低下もいやということであろうか?
 割合はそれほどではなかったが、今後さらに原発を増やしていくという選択をしているひともいた。かりに事故がおきたとしも現在の程度ということがわかったので、それなら許容範囲内ということなのであろうか?
 われわれ素人は、最初のころは、原発の事故の対応は短期決戦とみな思っていたように思う。数日から数週間のレベルである。最近になって、数か月から年余にかけての対応がどうも必要らしいことが伝えられるようになってきた。廃炉というのは何十年からの時間が必要であるらしい。最初は本当に時間を争う緊急の対応が必要な時期があり、それをなんとかやり過ごすことができ、ようやく長期戦に持ち込めたということなのかもしれないが、そうだとすると半径20キロ圏とか30キロ圏とかの避難はいつまで継続することが必要なのだろうか? これが数年などということになれば大変な問題が生じてくることは必至である。今の避難圏は何らかの爆発がおきるといった事態を想定したもので、それらがとりあえず回避できる見込みがでてきたら縮小できるものなのだろうか?
 
 その避難に関して、地震津波で被災したひとは、なるべくその土地にとどまることを希望されるかたが多く、遠隔の地への疎開を望まないという話がでている。これもよくわからない。またある集団でまとまって移動する希望が多く、個々人ばらばらでの移動はきらわれるという報道がある。コミュニティから切り離されてばらばらになることからは実に様々な問題が生じてくることは想像に難くないが、神戸の震災などではどうだったのだろうか? 都会では「隣は何をする人ぞ」で、地域のコミュニティの形成はきわめて希薄である。その代用として会社が疑似コミュニティとなっているわけだが・・。
 わたくしは日本語が通用しないところではとても生きていけそうもない人間なので(内科の臨床はほとんどが言語によるものだから、日本語が通用しないところではわたくしは仕事ができない)国外にいけといわれたら困るが、日本の都会であれば(そしてインターネットが利用できる環境であれば)移動することにはあまり抵抗はない。根なし草なのである。第二次大戦の前後、ウイーンやブダペストなどからイギリスやアメリカに亡命した知識人は多いわけだが、母国語が通用しないところで生きていけるそういう強さはわたくしには想像もできないものである。まあそういう人たちは数か国語が読めて話せて書けるのが当たり前なのかもしれないが。
 今回の災害が、地域のコミュニティが強固であるところでおきた震災であるとすると、都会でおきた震災である神戸の場合とはいろいろな点で異なった問題がこれからでてくるのかもしれない。震災によってこれから生じてくるであろう様々なメンタルケアの問題も神戸の震災後に生じたものとはなかり異なったものとなるのかもしれない。
 
 不妊治療をしている婦人科の先生から聞いた話。不妊治療はしばらく中断して様子をみますというかたが増えているのだそうである。今はちょっと子供を産むにはいい時期ではないと思います、ということだそうである。日本の少子化はこれからますます進むのであろうか?