
養老孟司の大言論〈2〉嫌いなことから、人は学ぶ (養老孟司の大言論 2)
- 作者: 養老孟司
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/03
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 5回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
「だから私はなんとか「自我を確立」しようと思ってきたので、おかげさまでいまでは「ヨーロッパ人以上にヨーロッパ人らしい」とヨーロッパ人にいわれるほどの、西欧的自我の持ち主になってしまった」のだそうである。「週刊文春」の対談では、「近代的自我がいけない。仏教の縁起でいこう」などといっていたが。「それじゃあ、日本にはなにがあったのか。家制度である。家とは、西欧市民社会における個々の市民の相当した、「公的に認められた私的空間」だったのである」という。明治以降の知識人は「家制度」と闘ってきたわけで、そしてそれは見事に成功したわけで(というのは東京という都会にすんでいる人間であるあるわたくしの感覚であり、東日本大震災の報道をみているとそこではまだ「家制度」も地域共同体も生きているのではないかと思えるが)、みなひとりぽっちになってしまったというわけである。しかし「近代的自我」に対するものとして「仏教的縁起」などといわれると、その縁起とは「村落共同体」のことではないかとわたくしなどはつい思ってしまうのである。今度の戦争をして敗れたことの最大の意義は「村落共同体」的なものを壊すことをそれが結果したことにあるのではないだろうか?
別にいう。「先を考えると、さまざまな問題にぶつかる。要するに先を考えない。そういうことで進めてきたのが近代文明だといっても、おそらくいい過ぎではないであろう。」 これは地震の後に書かれた文章ではない。だいぶ以前に雑誌「考える人」に掲載された文章である。

- 作者: 田村隆一,長谷川郁夫
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2011/02/10
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 1回
- この商品を含むブログ (3件) を見る
全集1と3をすでに買っているので。
今度の原発事故によって戦後日本を聖化あるいは聖別してきた唯一のものであるヒロシマ・ナガサキが相対化されていくであろうことを感じる。