渡部昇一「知的生活の方法」

 
 1976年初版の「講談社現代新書」の一冊である。わたくしが持っているのは1979年刊行の第26刷だから30歳過ぎに読んだことになる。刊行当時から評判は聞いていたのだが、絶対に読むものかと思っていた。「知的生活」という言葉に反発していたのである。その当時、本を読むということは、それ自体が目的であって何らか別の目的のための手段ではないと固く信じていた。それに対し、「知的生活」という言葉は、情報収集といった言葉を連想させてとても賤しい感じがしたし、「知的」という言葉も何か本を読むことは偉いことなのだという傲りのようなものが感じられた。
 それでも結局読んでみることにした理由はもう覚えていないが、読んでみれば予想とは全然違う本であった。一生を本を読んでくらすことに悔いない生き方を論じたというか、いわゆる「読書人」のことを書いた本なのであった。つまり手段としての読書ではなく、目的としての読書についての本であったわけである。
 本は新書であるから、何の変哲もないものであるが、これも何回も読み返したためにほどんどページがばらばらになってきてしまっている。新書というのは繰り返して読む前提で造本されてはいないのだろうか?
 いくつも覚えているところがあるのだが、まず佐藤順太という渡部氏が恩師とよぶ中学時代の英語教師の像である。少し引用してみる。

 先生の隠居所は広い建物ではなかったが、天井まで和漢洋の本が積んであった。英語の先生だから、英語の本があるのは当然である。漢文の古典と日本の古典は和本である。しかも積んであるだけではなく、先生はそれを読んでおられたのだ。(中略)二、三の例をあげよう。雑談の折に『伊勢物語』に対する江戸時代の注釈で一番よいのは藤井高尚のものである、というような話をなさって、和とじの実物を示されるのである。(中略)漢文の話になると、『孟子』でも、道春点と後藤点の違いを実物で示される。英語はすべてCODである。文学談義になればラフカディオ・ハーンの極美の全集を示され、「文学論には雲をつかむようなものが多いが、ハーンのいうことはよくわかるし、この程度のものはほかにることを知らない」と言われる。
 近ごろは、ハーンの文学論は学者の間で非常に高く評価されるようになってきたが、三十年前、ハーンと言えば、『怪談』の著者ぐらいにしか思われなかったころの話である。それを東北の田舎に隠居していた老人が、あの戦時にもその文学論を精読して、三十年後の中央の学者が言うような結論に達しておられたことになる。

 本書の主張の一つが、本は身銭を出して買って手許に置いておくようにしろ、というものである。これはわたくしもなるべく実行するようにしてきた。読書の楽しみの最大のものの一つは、ある本を読んでいて、あ! これは前に読んだ○○に書いてあったあのことと関係があるのではないかと思いつくことである。それも表面的には何の関係もないように見える本であればあるほど、その感興が深い。そういう自分なりの本の相関図とでもいうべきものを作り上げていくことが読書というものなのではないかと思う。そして、あ! これは前に読んだ○○に書いてあったことと関係がある!、と思いついたときにその○○をすぐに手にできるということが死活的に重要なのである。その関係がある何かは前言語的な何かで、きわめて曖昧なものなので、すぐに消えてしまうからある。

 別にこれという動機もないときに、いつか読んだ本がふと読みたくなることがあることをだれでも体験したことがあるだろう。その瞬間が極めて大切である。ところがそうしてふとある本を読みたくなったときに、それが手許にないことはしばしば致命的である。というのは翌日、あるいは次の機会に図書館から借りだそうというときには、その感興が消えていることが多いからだ。

 ところが買った本を手許に置いておこうとすれば、当然に本の数は増えていく。その置き場所というのが大変な問題になる。本書の白眉は設計図つきで示された書斎の設計図である。一番の豪華版は敷地100坪の邸宅の塀をすべて書庫とする設計のもので、一万8千冊の本が収蔵可能とされている。以下、60坪、40坪と段々と敷地が狭くなっていくのだが、主眼はただ一つ、いかにたくさんの本を置くスペースを確保するか、である。本当に涎がでるような設計が示されている。
 ある広さを確保して書棚を置き、整理して配架しておかないと、せっかく本を手許に持っていても読みたいときに見つけられないのである。あ!、あの本と思って探し回って、30分も一時間も空しくすごし見つけられないことが、段々と増えてきた。何冊くらいの本を持っているのか数えてみたこともないが、3千〜5千冊くらいなのであろうか? 父が死んだあと引き継いで使っている現在の書斎の書棚、以前に使っていた書斎の書棚、結婚して出て行った娘の部屋においた本棚、廊下においた本棚、職場の本棚の5ヶ所に本が分散している。多くの本棚は二重に本を収納しているから奥の本はほとんど背表紙がみえない。何とかそれを一ヶ所に収納したいなあというのが長年の夢であるが見果てぬ夢に終わるのであろう。
 ここでの書斎の設計図は青木康というひとのものらしい。この設計図をみていると、何かここにふさわしくないものがあるなあと感じる。何しろ家全体がほとんど書斎という設計なのであるから、それを思うように自分だけで使いたい。ということになれば、そこにいないほうがいいものがあるわけで、女房である。いかに多くの身銭を本を買うために使うかというのが知的生活をおくるための基本テーゼなのであるから、女房などというのがいて、お金をどんどん使ってしまうなどということになると非常に困る。というわけで、渡部氏は「大いなる知の目覚めのためには、異性が邪魔なのである」という。「まことに前途有望な学徒であった人が、結婚したとたんに、いっこう冴えなくなったということ」をよく見聞きするともいう。また「十全なる知的活動を維持するには、結婚しても軽々に子供をつくるべきではないであろう」とさえいう。さらには「西洋のインテリに、昔から同性愛が多かったのも」これと関係するのではなどと、たぶん見当違いであるようなこともいう。いずれにしても、わたくしがこの本を読んだ時には、時すでに遅く、もう結婚していて子供もいたのであった。
 この結婚のあたりのこともふくめ、いろいろと変なことも書いてある本で、チーズとワインが知的生活にいいとか、コーヒーがどうとか、わけのわからないこともたくさん書いてある。この辺りで感じるのは、渡部氏にとって、読書は何かのための手段ではなく、それ自体が目的であるとしても、食べるとか呑むとかいうことは、それ自体が目的ということはなく、知的生活のための手段となってしまっているのではないかということである。また、エロスの領域のような部分でさえ、目的に汚染されているような気配もあるのではないかと思う。一言でいうと、氏はあまり文学が好きなひとではないのではないかということを感じる。やはり学者なのであろうか?
 本書に伊藤整の「氾濫」が紹介されている。主人公の化学技師の真田佐平が何の見込みもないまま、ただ自分の関心から蒐集した接着剤にかんするデータが、統計学的な処理をほどこすことにより日の目をみて、画期的製品の開発につながり、それにより主人公が出世し、恵まれた生活を送るようになる話である。これが「多忙な人間が、どうしたら知的生活を維持しうるかのヒント」であるとされている。「氾濫」の主人公は黙々と集めたデータがたまたま自分の成功につながる。しかし、それが何ら成功に結びつかずに終わったとしたら、それでも真田佐平の人生は肯定されるのだろうか? 渡部氏のいう「知的生活」の定義からするとそうなるはずなのであるが、氏は「少くとも私の専門分野の方で言えば、一つのテーマに関するデータを、内外の文献から二十年以上も集め続けておれば、一かどの業績をあげうるだろうということは保証できる」ともいう。そうすると知的生活を続ける努力さえすれば、何事かをなしうるといっているようにも見える。そういう業績とか成功とかを少しでも頭におくことは「読書人」の風上にもおけないような気がするのだが。
 それよりもこの「氾濫」という小説があたえる印象が、ここで渡部氏がしている紹介とはあまりに異なるのである。わたくしが「氾濫」を読んだのは、「知的生活の方法」を読んだからであると思うのだが、とにかく暗い小説である。主人公真田佐平は成功しても少しも幸福にならない、むしろ成功が主人公の空虚をはっきりと示してくること、それがこの小説のテーマであって、真田佐平は知的生活などという言葉がもたらすイメージとはかけはなれた人間なのである。伊藤整の人間観は救いのないもので、人間ひとかわむけば金と色といった身も蓋もないものである。むしろ真田佐平は成功せず三畳間の書斎でカードを作り続けていたほうが幸福だったのかもしれない。(真田佐平にくらべれば村上龍の「テニスボーイの憂鬱」のテニスボーイのほうがまだ幸せであるような気がする。) どうもこういうあたり渡部氏は文学を情報としてみているところがあるような気がする(そうでない部分もあることは後で書く)。
 
 勝手なことばかり書いて申し訳ないと思うけれども、渡部氏の著作からは「知的生活の方法」から後、いろいろと教えてもらうことが多かった。以下少し書いてみる。
 「日本史から見た日本人」:いろいろと面白いことが書いてある本であるが、なかでも「和歌の前に平等な」日本人という指摘には唸った。キリスト教は「神の前において平等」、ローマは「法の前において平等」、しかし日本は「歌の前において平等」なのだという。万葉集には上は天皇から下は農民、兵士、乞食に至るまでが入り、男女の差別もなく、地域も東国、北陸、九州までをふくんでいる、と。
 「腐敗の時代」:その中の「戦後啓蒙のおわり・三島由紀夫」が面白い。氏は書く。浅沼事件のときに刺激されて読み返した小説が三島の「鏡子の家」であり、三島事件のときには石坂洋次郎の「青い山脈」だった。こういうことを書けるのが渡部氏が自前の思考をするひとである強みであって、こういう連想ができないひとの書くものは面白くない。
 社会党の浅沼委員長を刺殺した山口二矢少年は少年鑑別所で自殺したが、その壁に「七生報国」と「天皇陛下万歳」と書き残していた。「鏡子の家」はその前年に刊行されている。渡部氏は多くの批評家は「鏡子の家」を失敗作としたが、そこに自分を先導する思想家をみる右翼的心情をもった素人も別にいたのだという。渡部氏によれば「鏡子の家」は「戦後は終わった」と信じた時代の感情と心理を書きつくしたものである。そこに敏感に反応した素人がいたのだということである。
 さて、石坂洋次郎は今はもう読むひとはほどんどいないのではないかと思うが(わたくしも一冊も読んでいない。新聞連載小説をときどきみていただけである)、戦後民主主義の明るさの象徴のようなひとで、民主主義がいきわたることによって日本はこれからよくなっていくであろうというような気分がすべての著作の基底に流れていたひとなのではないかと思う。渡部氏がいうのは、「鏡子の家」はそのような戦後的明るさへのアンチとして書かれたということである。おそらく三島もまた戦後の世界を愛したのであろうが、それは戦後のアナーキーへの共感であって、民主主義などというものは一顧だにしなかったであろう。そのアナーキーが失われていくことことを三島は閉塞ととらえた。「鏡子の家」はその閉塞感を描いたものである。三島の暗さへの志向、それを渡部氏は「オカルトへの志向」と呼ぶ。戦後的明るさの対極にあるのがオカルトなのである。
 どこかほかのところで書いていたのだと思うが、渡部氏がいうには、多くのひとが三島の死を理解できないのは、きわめて知的な人がまたオカルトを信じることがあるということを理解できないからなのである。三島はああいう死に方をすることで二・二六の将校たちとまた会えると本気で信じていたのだという。だから「豊饒の海」の転生の物語も決して文学的技巧ということではないのだという。
 わたくしは戦後啓蒙というのが、西洋の啓蒙思想とは縁のないものだと思っているので、自分は啓蒙の側の人間だと思っているが、戦後啓蒙の「近代主義」は嫌いである。橋本治によれば、オカルトというのは「普遍」が地域の特殊をなぎ倒していくときに、その祟りとして出てくる地域の復讐なのだそうだが、三島もまた日本の特殊をなぎ倒していくようにみえた普遍主義に抵抗しようとして自滅したのであろう。わたくしはオカルトも嫌いで、どうもオカルトというのは「深淵」とか「根源」とかにこだわる人に現れてくるものなのではないかと思っている。犬や猫や馬に「深淵」とか「根源」などというものがあるはずはない。啓蒙思想というのは、人間もまた普通の生き物であることを説くものであり、戦後啓蒙は人間が民主主義などというものによって何か素晴らしい生き物に生まれ変われるというような考え方なのであるから、本当の啓蒙思想とは無縁なものであると思う。
 「新常識主義のすすめ」:「新常識主義のすすめ」と「不確実性時代の哲学」の二つを。
 「新常識主義のすすめ」は「彼-私の中の動物」(Him - The Animal in Me )というポルノ小説を論じたものである。この「彼」は現代の大作家が匿名で書いたポルノなのだそうであるが、日本で翻訳もでている。読んでみてなによりも小説として面白い。やはり大作家の作なのであろうと思う。この「彼」があたっためかその後この無名氏による人称代名詞シリーズが何冊も刊行されている。英語の勉強のため(?)何冊か読んでみたが、ポルノのいいところは英語がやさしい点で、なんとかわたくしでも読めた。
 この小説をねたにして渡部氏が展開する常識主義の擁護は必ずしも首肯できるものとは思えないが、こういう小説を教えてくれただけでもありがたいと思う。
 「不確実性時代の哲学 - デイヴィット・ヒューム再評価−」は、氏がサバティカルエディンバラで一年過ごしたことから生まれたものらしいが、ヒューム論であるとともにハイエクの思想の紹介にもなっていて、わたくしのヒューム理解とハイエク理解のかなりは本書によっている。西洋啓蒙思想理解の最大の鍵の一人がヒュームなのだろうと思っているのだが、哲学音痴のため、何回か挑戦した「人間本性論」はいつも挫折した。それでこういう論文で代用しているというのは情けないのだが、すぐれたヒューム論なのであろうと思う。
 「教養の伝統について」:もともとは『漱石漢詩』という題で刊行されたものが、講談社学術文庫におさめられるときに改題されたらしい。『漱石漢詩』という題のほうが内容に即していると思うが、明治期におけるスペンサー思想の影響といった重要な指摘もあって、いろいろと教えられるところの多い本である。わたくしの漱石理解のかなりは本書に負っている。なかでも「白雲郷と色相世界」が特に面白い。伊藤整の「氾濫」などは色相世界だけである。白雲郷がどこにもない世界というのはとてもつらいものがある。問題は漱石が白雲郷=漢詩、色相世界=小説とわけてしまったことで、小説のなかに白雲郷と色相世界の双方があるというのがほんとうの小説なのではないかという問題は残されているように思う。
 

知的生活の方法 (講談社現代新書)

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知的生活の方法 続 (講談社現代新書 538)

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氾濫 (新潮文庫 い 9-3)

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テニスボーイの憂鬱 上 (集英社文庫)

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日本史からみた日本人

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腐敗の時代 (1975年)

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