今日入手した本

先生とわたし

先生とわたし

 先日、四方田氏の「人、中年に到る」を読み、それで由良君美というひとも思い出して、由良氏の本を何冊か本棚から引っ張り出してきたりしたので、四方田氏が師である由良氏のことを書いたこの本も買ってみることにした。ちょっと誤解していて、この本は四方田氏が師との関係を小説にしたものだと思っていた。そうではなく、これは評伝でもなく伝記でもないが、小説ではなく、先生である由良氏とわたし(四方田氏)の関係を書くだけではなく、「先生とわたし」「師と生徒」との関係という一般論にも言及した本である。
 ざっと目を通しただけでもいろいろな感想が浮かぶ。かってはこういう学者というか風狂というのか奇人がいたのだなあ、学者の世界というのは大変なところなのだなあ、東大というのは嫌なところだなあ、駒場というのは微妙な立ち位置にあるのだなあ、いまだに学問の本流は西欧にあり日本はその輸入に汲々としているのだなあ、西欧の厚みに比べて日本は薄くて貧寒としているのだなあ、などなど・・。そして驚くのがこの博覧強記のような由良氏がほどんど日本の外にでたことがないひとだということである。西洋の学を日本でおこないながら、日本からそとへほとんどでていないのである。
 由良氏の同僚として名前のでてくる上島健吉というひとには駒場で習ったような記憶がある。とすると、わたくしはこの由良氏に習う可能性もあったのかもしれない。
 ここにでてくる多くの名前、ケネス・バークだとか、マリオ・プラーツだとか、ノースロップ・フライ、あるいはバフチン、スタイナー、エーコ、サイードといった名前にはじめて接したのがどこであったかもう覚えていなくて、山口昌男篠田一士あるいは荒俣宏といったひと経由であったような気がしていたのだが、この由良氏経由もあったのかもしれない。
 たしかにむかしはこういう人がいた。そしてその存立条件の一つが、こういう変人学者を世界で一番偉いひとのように思い献身的に支える奥さんというのがあったのではないかと思う。由良氏の奥さまがどういう人であったかはしらない。しかし、これからはそのような賢夫人がでてくることはまず考えられないであろうから、もはやこのような種は絶滅するしかないでのであろう。