E・ウォー「ブライズヘッド ふたたび」

 
 この前の日曜日に胆石発作をおこし、来月、手術することになったので、さて病室にどんな本を持ち込もうかと思い、その候補の一つとして、これを本棚からとりだしてぱらぱらと見ているうちに、面白くなり、もう四分の一ほどは読みかえしてしまった。入院前にはとっくに読みおわってしまうことになりそうである。三読・四読してももちろんいいのだが。実に豊かな小説である。
 ちくま文庫1990年刊。吉田健一訳。文庫であるからどうということはない造本であるが、そのカバーに映画の場面のような写真映像が使われている。「カバー 写真提供 GRANADA TELEVISION 」とある。ネットで調べてみるとテレビのミニシリーズのようで、原作に忠実な豪華絢爛たる作となっているらしい。入手して見ようかとも思うが、日本語字幕はないわけだから、映像をみてよくききとれない台詞をきくだけになる。それでもいいのかもしれない。また原作を朗読したCDもでているらしい。これまたいいものらしい。
 ウォーは日本ではあまり知られていない作家で、そのためか、本書も現在絶版らしい。それでもある程度読みたいひとがいるらしく、しばらく前に復刻版が単行本として刊行された(ブッキングというところから2006年刊行。復刊ドットコムへ寄せられた読者のリクエストにより復刊、とある)。ふつうの白い装丁の単行本で、シンプルで、いかにも自分で造本してくださいというような感じの作りである。いずれそうしてみるのも面白いかもしれない。これも現在、絶版のようである。
 これは最初「筑摩世界文学大系79」「ウォー・グリーン」の巻(1971年)のために訳出されたものらしい。この文学体系は細かい活字の三段組で、これと「事件の核心」を収載している。やはり三段組というのは読みにくく、読むのならこの文庫か復刻本のようがよさそうである。
 最近、岩波文庫から小野寺健氏の翻訳で「回想のブライズヘッド」として翻訳が刊行された。Waugh の Brideshead Revisited の翻訳としてはこれが一番容易に入手できるものであろう。しかし健一ファンであるわたくしとしては、健一訳のほうがいい。おそらく健一訳は一般的にいえば、原文直訳体の読みにくいものとされているのであろうが。
 吉田健一

「私は前にここに来たことがある、」と私は言った。確かに私は前にここに来たことがあって、最初はセバスチアンと一緒に今から20年以上も前に、空には雲一つない六月の或る日、牧場の空堀がしもつけの花で埋められ、空気が夏の色々な匂いで重くなっている時に来たのだった。その日は素晴らしくて、それからここに何度も来たことがあったが、最後にここに戻ってきた現在、私の胸に甦ったのは、その最初の、セバスチアンと来た時のことだった。

 小野寺氏訳

「ここには前に来たことがある」と、わたしは言った。たしかに昔来たことがあったのだ。最初はセバスチアンといっしょに来た二十年以上前の、雲一つない六月のある日、空堀という空堀シモツケの花で真っ白になり、大気にはありとあらゆる夏の匂いがたちこめていた時のことだった。その日は特別の輝きにみちていて、その後もここへは何度も来ているし、そのたびに違った気分を味わったのに、今こうしてふたたび訪れたとき、わたしの心がたちかえっていったのは、この、最初に訪れた時のことだった。

 原文。

'I have been here before,' I said; I have been there before; first with Sabastian more than twenty yaers ago on a cloudless day in June, when the ditches were creamy with meadowsweet and the air heavy with all the scents of summer; it was a day of peculiar splendour, and though I had benn there so often, in so many moods, it was to that first visit that my heart returned on this, my latest.

 この「確かに私は前にここに来たことがあって」の「あって」が健一節であって、最初の文が「来たのだった」まで一文となり、「来たことがあって」「来たのだった」という構文になる。小野寺氏訳では「あったのだ」それは「時のことだった」と最初の文が主文、その後が説明の文となっている。原文をみると、やはり一文として訳したほうが原文の勢いが伝わるのではないかと思う。また健一訳では「 in so many moods 」が訳されていないが(あるいは「何度も」にふくませてしまっている?)、健一訳の方が原文の悲調をうまく伝えているように思える(ひいき目からの意見かもしれないが)。
 倉橋由美子さんは「偏愛文学館」の「ピンフォールドの試練」のところで、「ウォーが気に入っている理由の五十パーセント近くは、ウォーの小説を吉田健一訳で読んでいるということのようでもあります。他の人の訳ではこうまで読み心地がいいとは思わなかったでしょう」といっているが、まったく同感である。倉橋氏の「夢の浮橋」で、主人公の大学生の桂子さんは、卒論を最初はイヴィリン・ウォーにしようとし、しかし、その英語が難しいので、ジェーン・オースティンにしようとしている。ウォーとオースティンというのがいかにも倉橋氏である。
 吉田訳になれてしまうと、その、人によってはぎくしゃくと感じるであろうような訳文が麻薬のように心地よくなる。このひと、どう考えても、英語のほうが日本語より得意であったらしく、日本語としてはこなれが悪くても、英語の論理的な文脈が背後から透けてみえて、すっきりと頭にはいってくる訳出をする(とわたくしには思える)。上の小野寺氏の訳では、「最初は」以下の文が一瞬、その前の文とどのように関連するのかが見えなくなるとわたくしは感じる。しかし吉田健一中毒になると困るのが、書く日本語が影響されてしまうことで、わたくしの書く文にも、「あって」が頻出し、本来逆接となるべきところが順接となっているところがたくさんあるはずである。「あいつは金があるのに、けちである」⇒「あいつは金があって、けちである。」。英語だと、多分、but でなく、and でつながる文なのである。
 ウォーの「黒いいたずら」の吉田氏の訳もまことに楽しい。しかしこの「黒いいたずら」は「政治的には正ししくない話」であるから現在では翻訳刊行することさえ叶わないかもしれない。何しろ原題は「Black Mischief」である。「Yellow Mischief」なら「黄禍」なのだから、「黒いいたずら」とは何ともうまい訳を思いついたものである。
 しかしタイトルではかわしても本文では、「「君を公爵にしよう、コノリー」と(セスは)言った。「それはどうも。私はどうだっていいけれども、あの黒んぼの牝が大喜びするよ。」「それからね、コノリー。」「何だ。」「君の奥さんが公爵夫人になったら、君も何か特別な名前で奥さんを呼んだらどうかね。つまりね、私の戴冠式にはヨーロッパから名士が大勢来るだろうと思うんで、人種的な差別というものをなるべくなくしたいんだよ。そして君の奥さんの呼び方は、そりゃ家庭での愛称としてはそれでいいんだろうけれど、外では君が奥さんを人種的に差別してるという印象を与えることになるかもしれないんだ。」「なるほどね、セス。人がいる時には気をつけることにしよう。しかしどうも私にとっちゃ、あれはいつまでも黒んぼの牝だろうと思うがね。」
 いくら1932年に刊行された小説だからといっても、これはまずいのではないだろうか? 「おことわり」として、「本文中には、今日では差別表現として好ましくない用語が使用されています。しかし、これが第一世界大戦後の植民地を背景にしている小説であることを考え、これらの「ことば」は改変しませんでした。読者の皆様のご賢察をお願いします。」などとしてもだめだろうと思う。(やはり絶版とされているようである。そうなのだろうなあ。)
 この「黒いいたずら」の「解説」で吉田氏は「最後に、この小説の大きな特徴が雅(elegance)ということあることを指摘しておきたい気がするが、それは今日の日本で行われている文学上の常識からすれば、少し無理ではないかと思われる」と書いているが、「少し」どころか「全然」無理なのではないかと思われる。Politically collect と「雅」は真逆である。
 なお、この「ブライズヘッド ふたたび」については、すでに感想を書いていた( id:jmiyaza:20061211 )。
 

ブライヅヘッドふたたび (ちくま文庫)

ブライヅヘッドふたたび (ちくま文庫)

ブライヅヘッドふたたび

ブライヅヘッドふたたび

回想のブライズヘッド〈上〉 (岩波文庫)

回想のブライズヘッド〈上〉 (岩波文庫)