松浦寿輝「不可能」(3)

 
 第6章「ROMS」 第7章「判決」
 第5章までの平岡はスコットランドなどに出かけていたりはしても、基本的には家の地下室に一人ぽっちで閉じこもっていて、第5章の終わりではついに悟り?をひらいたのだが、この第6章以下では、その悟りを忘れ、外にでるようになる。正確には外に連れ出されるようになる。第5章までは傍役であったS・・君(彫像をつくった彫刻家)がメフィストフェレスに変貌し、平岡ファウストを地獄めぐりに引きずりだす。ゲーテファウスト」では、ファウストメフィストと契約をするわけで、ファウストの側にも主体性?があるわけだが、「不可能」ではもっぱらS・・君が仕掛けて、平岡ファウストはただもう引きずりまわされる。つまり第5章までの平岡の変貌の批判者としてS・・君は出てくる。「お前、悟りなんかひらいちゃっているけれども、こんな現実を見ても、それでいいと言うの?」ということである。
 それで第6章「ROMS」では、昭和20年3月10日の東京大空襲に立ち会う。そこでは大量に人が死んでいく。平岡は思う。「もしあのとき(軍医の馬鹿げた誤診をうけ即日帰郷とならずに)入隊していたらすべてが変わっていただろう。たとえ戦死という恩寵が訪れず、現実にそうなったように戦後日本に生き延びるというこの厭わしい不倖を背負うことになったとしても」 これが平岡の思いであるのか、松浦氏の書いた地の文であるのかが微妙であるが、少なくとも松浦氏による三島由紀夫批判であることは確かである。三島由紀夫がそのとき入隊していたら、晩年のあの兵隊ごっこはなかったであろう。しかし、この部分は同時に吉田健一批判にもなっていて、たとえば吉田の「十九世紀のヨオロツパで人間が事業の途方もない膨張に呑まれたならば世紀末、或は近代になつて際限もない分析で実感を伴はなくなつたのが人間の観念だつた。この状態に終止符を打つたのが両度の世界大戦だつたのは偶然ではない。もし人間が多量に眼の前で死んで行けばその一人一人が人間の姿を取戻さずにはゐないからである。これからどうならうと、我々は少なくとも再び人間になつてゐる。」(「世紀末の精神と今日」「詩と近代」所収)というような部分である。本当にそんなこと言い切ってしまっていいの、という疑問である。
 第7章「判決」は「鹿鳴館」の舞台設定を借りた「潮騒」と「春の雪」と「憂国」のパロディとでもいうべき章になっている(わたくしは「潮騒」は読んでいないのだが)。「おまえのような醜くしなびた爺いになるまで生き永らえるのはこっちから願い下げだ。・・俺たちの愛への、崇高な、そう、あえて言おう、俺たちの崇高な愛へのその侮辱を、俺は決して赦さぬぞ」「法の彼方の愛、法によっては制しきれない愛・・」「法を侵すこと自体が快楽なのだ。踏み越えてはいけない閾を踏み越える。そのおののきが愛を聖別するのだ。・・掟の閾を超えたその外部、法の力の届かぬその彼方に開かれる惨忍なエロスの反世界・・」 平岡は思う。「この野郎、俺のパロディみたいな奴・・教えこまれた紋切型を口移しに繰り返すばかりの文学鸚鵡。」
 第6章以下にでてくる「ROMS」というのは「悔悛老人クラブ」というふざけた組織のことなのだが(ROMSが何の頭文字なのかということは、当て字なのでどうでもいい)、吉田健一の「絵空ごと」などに出てくる清談をくりひろげる年寄(ばかりでは必ずしもないが)たちの集まりのパロディなのであろう。この「ROMS」の面々、枯れていないというかギラギラしているというか、生煮えなどこかできいたような論を、うれしそうに滔々と自分の創見であるかのようにふりまわす。
 しかし、そうではあるにしても、やはりここは吉田健一批判にもなっていて、吉田は総じて人間の中にあるドロドロしたものや超越への志向といったものをすべて封印してしまったが、本当にそれを封じこめることができるものなのだろうかという松浦氏の疑問である。松浦氏がこの連作を書き始めたときにはたしてこの第6章以下が構想されていたのかはわからない。当初は第5章までのようなものが意図されていて、しかし書いている内にどうしてもそれに収まらないものがでてきて、第6章以下が必要になってきたのかもしれない。松浦氏は吉田健一に深く説得されていて、基本的にはそれに帰依しているのだと思うけれど、それだけではさびしい。人間はそれだけではないともしているということである。とすると、第5章までと第6章以下は完全に分裂してしまうわけで、作としては収拾がつかなくなる。
 それで最終章の第8章「不可能」では、実は第7章までとは内容的にはあまり関係がないミステリ仕立ての遊びで幕を閉じることになる。ここは実に松浦氏が楽しげに書いているところで、面白い章なのだが、ミステリの種をあかすわけにはいかない。わたくしは読んでいないのでまったくの推測であるが、チェスタトンあたりを下敷きにしているのではないかと思う。最後の部分などはキングの「刑務所のリタ・ヘイワース」なども匂うのだけれども。
 ここで前面にでてくるのが世間をからかって楽しんでいる三島由紀夫という像である。「三島由紀夫氏の日ごろの言動を一種の冗談だとして受けとっていた人は多いはずで私もその一人だった」と倉橋由美子はその死の直後に書いている(「英雄の死」「迷路の旅人」所収)。わたくしもまたその一人であった。三島は死ぬ気なのだとは思っていたが冗談で死のうとしているのだと思っていた。冗談で死ぬということほど挑戦的な世間へのからかいはないと思っていた。だからその死後のニュースをみていて、一番驚いたのが、どうも三島が本気で死んだように思えてきたことで、それで三島の像というのがよくわからなくなってきた。あんなことに本気になれるなんて! あの頭脳明晰な三島がどうして?、ということである。
 その本気にうろたえたのが倉橋氏で、「三島氏のお説はもっともで自分も大体それに近い考えかたをしているという気になって安心」していた自分は「高をくくっており、つまりは根本的にふまじめなのであった」とし、「これは言葉を使い、したがって自分の思想を形成することを仕事にしている人間にとって致命的なふまじめであるというほかない。自分が使うことばを信用しないで何か思想らしいものをつくるというのは、一体どういうことなのだろうか。これは冗談とかおふざけではすまされないことになるはずであるが普通はそれですんでいる」と猛省している。
 しかし、後日、倉橋氏は立ち直り、「三島の死は事故死であった」と書いて、吉田健一の塁に撤退する。文学者が思想家を気取る傲慢を捨てるのである。この「不可能」の最後の章における三島=平岡はゲームをするひと、世間をからかって楽しんでいる人としての三島である。つまり三島の思想的?言動は(あるいは文学的言動もふくめて)すべて世間をからかう挑発なのであったとする線である。
 吉田健一に戻る。「文學の楽しみ」で氏は、「先日、エリオットに就てどうしても書かなければならなくなって、エリオットのことでその一派がこの何十年か言って来たことの大部分は嘘だということに気が付き、非常に驚いた。・・問題は、文学を恐ろしく真面目に取れば、どういうことになるのかということなのである」と書く。この「文学を恐ろしく真面目に取れば」というのが問題で、三島由紀夫は「文学を恐ろしく真面目に取った」のであったのだと思う。エリオットは、と吉田健一はいう。「何か言葉の他に欲しくなったのだと結論しないではいられない。彼も文学だけでは満足出来なくなって、神を彼の場合は求め、言葉の伝統から宗教の正統へと向い、キリスト教を文明の中心に置き、勿論、それで彼が幸福になったのならば文句をいう筋合いはない。/ 併し文学だけでは満足出来ないというのは、初めから文学に文学以外のものを求めていたということで、これは文学が凡てであると考えることから発している。」 三島の場合も「文学だけでは満足出来なくなって、西洋の神にあたる何かを彼の場合は求め、言葉の伝統から日本の正統へと向い、天皇を日本の中心に置き、勿論、それで彼が幸福になったのならば文句をいう筋合いはない」ということになるのであろう。しかし、三島は幸福になったのだろうか?
 吉田が「三島の死を事故死」とするのは、エリオットの神を蝶々の蒐集と同じエリオットの個人的な趣味としてしまおうという荒業なのである。もちろん三島の天皇も情事に淫する文士と同様の単なる道楽ということなのだから、その文学とは関係ないことになる。
 吉田によれば、もしも文学を何かを推進するための手段とするのであれば、「何故、文学をその手段に選ぶというような廻りくどいことをするのか」、またそれは「一歩進めれば昔の勧善懲悪に戻る」ということになる。エリオットの詩にわれわれが見るのは「その温かみ」であり「言葉使いの魅力」であり、「優雅」なのである、と吉田はいう。しかし、それならばエリオットは「温かみ」や「言葉使いの魅力」や「優雅」を示そうとして「荒地」を書いたのだろうか。エリオットは自分が見た現代の姿とでもいうようなものを描こうとしたはずである。たまたまエリオットは優れた詩人であったから、「荒地」に詩の本質である「温かみ」や「言葉使いの魅力」や「優雅」があらわれてきた。「荒地」がわれわれにとって魅力的であるのは、エリオットが優れた詩人であったからであって、エリオットが優れた思想家だったからではない。しかしエリオットは多くの読者をえることによって自分が優れた思想家であると勘違いしてしまったということはあるかもしれない。三島由紀夫もまた多くの読者をえたことによって、自分が日本をある方向に導く使命を託されたと錯覚してしまったのかもしれない。(村上春樹もまた多くの読者を得ることで、そのような錯覚に陥りつつあるのかもしれない。)
 サルトルは「飢えた子どもも前で文学は有効か?」というようなことを言ったらしい。文学は食べられないのだから、有効なわけはないのだが、ひょっとするとサルトルは文学は食糧の効率的配分を促進する力は持っていると思っていたのかもしれない。文学のもつ力へのあるいは文学者のもつ力への傲慢な思い上がりとしか思えないが、三島由紀夫もまた、単に小説を書くだけではあきたらなくなり、世の中に自分の爪痕を残したいと思い始めたのである。文学が「虚」の仕事としか思えなくなり、何か「実」のことをしたくなったのである。「文学だけでは満足出来な」くなったのは、「文学に文学以外のものを求め」るようになったということで、「これは文学が凡てで」あってほしいという思いがどこかで挫折したからである。三島由紀夫は文学も芸術の一つであると考え、芸術には途方もない力があると信じていたが、どこかでそれが裏切られたのである。
 松浦氏はずっと大人であって、子供のような三島の芸術信仰を笑う。そして80歳をこえた三島もまた45歳で死んだ三島の誇大妄想を笑う。しかし80歳をこえる三島からみると65歳で死んだ吉田健一もまた、おのれの焦慮を鎮めるのに精一杯であった途上の人とみえるかもしれないわけで、80歳をすぎた三島は余裕のひととなりゲームを楽しむのである。
 しかし、そういう三島を描く松浦氏はまだ60歳になっていない。そういえば「暁の寺」から「天人五衰」にかけて老醜をさらす本多繁邦を描いたのも40代前半の三島由紀夫なのであった。また、「不可能」で三島=平岡を翻弄するS・・君はまだ30歳前後なのである。
 

不可能

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詩と近代 (1975年)

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迷路の旅人 (1972年)

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文学の楽しみ (講談社文芸文庫)

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