P・C・W・デイヴィス「ブラックホールと宇宙の崩壊」

    岩波現代選書NS 1983年8月
 
 昨日の皆既月食で思い出したわけではないが、30年近く前に読んだ本である。岩波現代選書の一冊であるから新書版よりやや大きい、どうということのない装丁の本である。
 著者のディヴィスはアメリカの物理学者にして科学ライターである。
 なんでこれを読んだのかはもう覚えていない。本につけられたメモで1983年の11月に読了し、翌年の1月にもまた読み直している。なぜすぐに読み返すほど面白かったのかというと、第二章の「無限大とは何か」の章なのである。というかこの章以外は重力の話もブラックホールの話もほどんど覚えていない。「光円錐」とか「事象の地平面」とかの言葉だけはなんとなく覚えているが。
 この章を読んで、はじめて「無限」ということの面白さを知った。整数の無限と偶数の無限の数は同じとか、無限からみると整数と分数の数は同じとか、でも無理数の数は整数より多いとか、無限の濃度には何種類かあるとか。それでカントールという奇妙な数学者のことも知った。その「対角線論法」というのには感嘆するとともに笑ってしまった。
 翌年、チュイリエというひとの「反=科学史」などという本を読んだのも多分この本の影響なのではないかと思う。「神、カントール、無限」という章によれば、「カントールは聖パウロと聖アウグスティヌスの神のうちに超限数の究極の基礎をみいだしたのである」とある。彼は「カトリック神学に耽溺し」「教皇に喜んでもらいたいばかりに」その仕事をしたのだそうである。
 たぶん、このディヴィスの本を読んで、数学基礎論などという方面にも興味をもつようになり、それで「不確実性の数学」などという本も読んだような気がする(タイトルはうろ思え)。そこでゲーデルの「完全性定理」とか「不完全性定理」とかも知ったのだと思う。
 わたくしは物理数学まるで駄目の人間なので、それでしかたなく医者になったのだが、それでもこういう本を読むのは好きである。
 それでデイヴィスも追いかけているのであるが、何だか変なのである。「宇宙はなぜあるのか―新しい物理学と神」なんて本を書くようになっていて、例の「人間原理」のほうにどうも傾いているような感じなのである。「ビッグ・バンのときに生じた物質の生成の比率がほんのちょっとでも異なっていたら、現在のような宇宙は生まれなかった。現在のような宇宙が生まれなければ、生命はなく、われわれ人間のような知的生命体も生まれることはなかった。よってビッグ・バンは偶然のできごとではなく、われわれのような知的生命体を生じさせようという「何か」の意思が働いていたに違いない、という論である。もちろんこの「何か」を「神」と呼びたい気持ちがありありなわけである。科学で「なぜ」と問うとなぜか神がでてきてしまうのである。
 どこかで、デイヴィスさんもカントールの末裔となってしまう。キリスト教の伝統というのは本当に恐ろしいものだと思う。
 

ブラックホールと宇宙の崩壊 (岩波現代選書 NS 535)

ブラックホールと宇宙の崩壊 (岩波現代選書 NS 535)

反=科学史 (1985年)

反=科学史 (1985年)