猪飼周平「病院の世紀の理論」(6) 第7章「治療のための病床」

 
 本章では社会的入院の問題がとりあげられる。社会的入院という言葉は一般にはあまりなじみのないものであるかもしれない。そもそも本章のタイトル「治療のための病床」というのも奇妙な印象であるかもしれない。「治療のためでない病床」とはなんのための病床なのか? それの答えが社会的入院なのである。「治療は必要ないが入院している」というのはたとえば、「もう退院してもいいですよ」→「今ちょっと家の改造をしているところです。ちょっと手すりをつけたり、段差をなくしたりしてしています。もう一月ちょっとで出来上がるのでそれまでおいてください」などというのはいいほうで、「病院にいると三食自分でつくらなくてもいいし、ずっとここにいたい。前のおばあさんも3ヶ月まではいる権利があるっていっていましたよ。わたくしもそうしたい」などという医療は必要としない入院をさす。厚生労働省によれば、これが日本の医療の諸悪の根源で、これを何とか是正して、欧米のように病床とは医療のために使われるものであるというようにしたいというのが彼らの悲願となっていた。必要のない入院に健康保険や税金から費用を補填するではたまらない。
 このような入院は日本の医療の特徴である開業医による個人立の病院においてひろくおこなわれてきた。わたくしがずっと以前アルバイトでいっていた個人立の病院では、「そろそろ寒くなってきたので、また2〜3ヶ月おいてもらいますよ」などといって風呂敷包みをもったおばあさんが勝手に入院してくるというような状況に遭遇したこともある。入院を決めるのは医者ではなく、ましてや病状ではなく、患者自身なのである。
 通常、このような社会的入院は1970年初頭の美濃部都政などからはじまった老人医療費無料化という政策の失敗に起因するとされている。しかし猪飼氏はそれを否定する。確かに外来の受診は老人医療費無料化によって増加した(病院の老人サロン化・・今日は○○さんこないねえ。どこか具合が悪いのかしら?)。しかし、社会的入院は老人医療費無料化以前からおこなわれていたのだ、と。
 社会的入院の抑制は、1)診療報酬体系の改変(入院費は入院早期で高く、長くなれば逓減されるようにすることで、病院側に長期入院受け入れのメリットをなくす)、2)医療法改正による病床機能の分離(先端医療をおこなう病院とそうでない病院をわける)、3)退院した場合の受け皿の整備(老人保健施設の創設や介護保険制度の整備など)、によって行われてきた。〔わたくしの見解によれば、これらの施策で、先端医療をおこなわない個人立の病院が老人保健施設などの病院以外の施設に転換していくことを厚生労働省は誘導しようとしたのだと思うが、それはうまくいっていない。個人立病院のオーナーである医者は医者であるがゆえに病院であることにこだわり、病院でない施設への転換を肯んじなったのではないだろうか?〕 にもかかわらずこれらの政策で社会的入院には一定程度の歯止めはかかるようになってきている。
 病院の歴史は長いが、そこが患者を治療する場、病床が治療するベッドであるというのは20世紀に特有なものであって、決して通時的に真実であるわけではない。かっては病床は休息の場であり、世話を受ける場であり、隔離収容の場でもあり、また保護される場でもあった。そこが終の棲家となることもあったし、遠来の患者のための宿泊の場となることもあった。そこは結局はベッドなのであり、ベッドが果たす機能なら何でも引き受ける場でもあった。つまり「病気を治すためのベッド」であるよりも「病人が寝るベッド」なのであった。
 20世紀はそういう本来多くの機能を果たしていたベッドが治療のためという単一の目的に収斂していく時代であった。病床は「一般病床」化していき、「一般病床」は「治療のためのベッド」化していった。「一般病床」と対立する「特殊病床」とはたとえば「隔離」を目的とする病床であり、病人のためというよりも社会のためのものであった。日本では1930代には「一般病床」の数が「伝染病床」の数を超えた。伝染病患者も隔離の対象ではなく治療の対象であると考えられるようになれば、一般病床の患者となっていく。
 日本の医療の特徴である所有原理型のシステムにおいては、ベッドへの需要があれば(それが治療の需要ではなくても)病床は増えていく。質的向上よりも量的拡充にそれは適合したシステムである。1960年代まではそれは日本の現状に適したシステムであった(当時は病床は量的にも質的にもまだまだ不足していたから)。一方、一般病床がもっぱら治療のためのベッドへと収斂していく傾向は先進主要国では1960年代以降に進行した。日本はそのトレンドから外れた。猪飼氏によれば、その原因こそが日本の医療の特徴である所有原理なのである。所有原理のもとでは、病床は治療のためのものである必要はない。そこから収入があがればよい。旅館の機能であっても別にかまわない。
 イギリスでは19世紀末から20世紀にかけて病院運営の主導権が理事会から医者へと移っていった。となれば病気でない者を病床から排除していくことになった。身分原理型であれ開放制原理型であれ、病床機能を医学的治療に限定していこうとする動きを内包している。経営と治療が分離していることが、病床を治療の場としていくためには必要なのである。
 日本の開業医によって設立された病院は基本的に外来診療を中心とし、その上に病床を追加した形であるため、プライマリケアセカンダリケアの区別が不十分ではなかった。また病院の規模が小さく多大な投資には適さないため、最先端の医療を実施することは難しかった。
 
 本書を通読してやや奇異に感じるのは、われわれが病院という言葉ですぐに連想するような高度先進医療をおこなうような大病院がほとんど議論に登場しないことである。今日問題になっている産婦人科や外科あるいは救急といった医療分野における危機的状況はまさにそのような病院で生じてきているわけであるが、ここで議論される病院のイメージは開業医が設立した中小病院なのである。それが持つ問題点はここで議論されている通りなのであろうが、そういう病院こそが通時的に病院がはたしてきた機能に沿ったものなのであり、20世紀における治療のための病床という見方のほうが歴史的にみれば例外的なのだと鵜飼氏はいうわけである。
 わたくしは医者になって40年になるが、その前半と後半で病院というものの機能が明らかに変わってきていることを感じる。前半は「収容のためのベッド」の時代であり、後半が「治療のための病床」の時代である。わたくしの勤める病院は25年前に改装をしているがその前後において病院が明らかに変わった。改装後、明確に急性期病院志向になったのである。そしてそれを主導したのは医者ではなく、ナースであったように感じている。「この患者さんはいつまで入院しているのですか?」という質問がしばしば発せられるようになった。もう治療は終ったではないかというのである。改装以前においては、一人の患者さんは最後まで面倒を見るという意識が医者には濃厚にあり、それはある程度、ナース側にも共有されていたのではないかと思う。それが改装の後くらいから、いつまでもだらだらと患者さんを入院させているような病院は低級な病院、治ったらすぐに退院させるのがまともで高級な病院という意識がはっきりとでてくるようになり、そういうちゃんとした病院でいたいしいるべきであるという意向がナース側から強くでてくるようになった。一人の患者さんを最後までみるというのは明らかに病院機能の分化に反する考えである。治療が終了した後でも入院を継続しているというようなケースの場合、医者のすることはほとんどなくなり、もっぱら負担はナースの側にかかってくることになる。そのような場面でのナースの役割である「ケア」というものこそが看護本来の仕事であるという見方もありうると思うのだが、看護界の主流(看護協会など)は明らかにそうではなく、急性期病院でおこなわれるような医療にかかわっていくことこそ看護師のめざすべき方向なのであるとしているように思える。看護師・准看護師問題の根もここにあるように思えるのだが、ケアをおこなうだけであれば先進的な知識は必要ないというのが今でも准看制度を維持しようとする医師会の考えの根にあるものなのではないかと思う(これは開業医の跡継ぎ問題でも時々きいた以下のような話に通じるのではないかと思う。自分が子供に後を継がせようとするのは、子供がそれほど優秀だとは思わないからである。医者に頭などいらない。医者など誰にでもできる。出来が悪いからこそ後を継がせようとするのである、などなど)。
 これは看護という仕事のアイデンティティにかかわる問題であると思う。看護の出自は育児とか高齢者の介護ということにあったのであり、だからこそ長らく看護は女性がほとんど独占する仕事であったと思うのだが、育児とか介護が専門家でなければできないことなのだろうかという問題である。だれでもできることのプロというのは何なのか? そういうアイデンティティへの不安というものを看護の仕事はつねに抱いていて、それゆえにあれほど膨大な看護論が書かれるのでもあると思う(「養護老人ホーム」はナーシング・ホームの訳だと思うが、それは当初、看護老人ホームという名称が予定されていたところ、看護協会の強い反対で現在の名称になったということをきいたことがある)。それゆえ絶対的に専門性を要求される高度医療にかかわることこそが専門職として国家資格を持つものとしての看護師の目指すべきものである考えは根強くある。
 「病院の世紀」の終わりということは「医師の世紀」から「看護師の世紀」へということでもあると思うのだが、看護師もまた「ケア」よりも「キュア」のほうに関心をもつものが多いということは、これからの「病院の世紀」の終焉を考える場合に無視できない問題であるように思う。もしも本来「在宅」でみていくことが可能である患者が「病床」にまだいるとすれば、そこでおこなわれるケアは本来、家族という素人でもできることをプロである看護師が(家族が楽をしたいために?)押しつけられてられているというような感じ取り方は、一部の看護師には根強くあることは否定できない。上野千鶴子さんのように今まで無賃の労働であったものが有償になるということは画期的なことであるというように受けとるひとばかりではないのである。
 わたくしは池上&キャンベルの「日本の医療」などから、戦前は公的な病院は陸軍病院などの富国強兵政策にそったものが中心で、それが戦後に国立病院などへと転換していったものと理解していた。キャンベルらの本でも公的病院は何らかの公的な補助をうけることにより不採算な高度医療の分野を担当してきたことがいわれている。開業医による軽装備の個人立病院なら採算をとれる設定の医療費で、重装備の高度医療をおこなったのでは採算がとれるはずはなく、そこに何らかの補助がなければ医療が継続できない。
 いわば不採算が前提であることが公的病院において経営と治療の分離を可能にしたのであり、そこではたらく医者は経営といったことを最優先にすることなく治療をおこなうことができた。ここでは所有原理型ではない医療が可能であったことになる。わたくしが一度も開業という選択を考えたことがなくずっと勤務医できた理由はセカンダリケアの魅力ということもあるが、この薬を使ったらいくら儲かるなどということを考えずに医療をおこなうことができるという点が一番大きかったように思う。それが可能である条件は不採算であることが許容されることである。たとえば国立大学病院などは赤字が当然であるとして運営されてきた。しかし独立行政法人化といった動きの中で、こういう病院も経営を考えざるをえなくなってきているようで、ベッドが空いていれば何でもみるという方向がでてきているようで、高度先進医療に属するような疾患ばかりでなく、プライマリケアに毛の生えた程度の病気でもどんどん受け入れるようになってきているようである。病院の機能分化という観点からは時代に逆行しているようにさえみえる。医療費抑制策の中で公的な補助を抑制して独立採算をめざすというようなことになると、病院のそれぞれの役割よりもとにかくベッドを空けておかないということが最優先されるようになり、なかなか病院のそれぞれの役割分担の明確化という方向にはすすめないのではないかと思う。
 
 猪飼氏のこの本は、1)日本の医療が開業医による個人立の病院(病床)が日本の医療を主導してきたという観点と、2)感染症主体の疾病構造から慢性疾患中心の疾病構造へと時代が変化していくなかで、病院中心の医療から在宅中心に医療へと今後の医療は変化していくという観点の二つの見方を中心に構成されている。ただ1)と2)の観点が相互に強く関連しているとはいえないところがあるように思えた。
 1)の観点はわたくしには今までのなかったもので教えられるところが多かった(もっぱら何らかの公的な性格を持つ病院でずっと働いてきて、それしか知らなかったということが大きいのだろうと思う)。2)の観点については日々切実に感じているところである。そもそも急性期病院というイメージが感染症を典型とする一過性で完治する病気の治療にあるのだと思うので、ほとんどの入院患者が高齢者というような現在の内科入院の実態とはまったく乖離している。わたくしは急性期医療という区分がおかしくて、医療を必要とするか必要としないかの区分しかないのではないかと思っているのだが、現在の急性期病院では、ターミナルステージの患者さんが、まだ当分は死にそうもないからというような理由で病院から追い出されるてしまうのである。もちろんターミナルステージも在宅でという方向もあるのであろうが、現実にはそれは経済的余裕と充分な人手がある例外的な環境以外ではきわめて実践が困難なものなのではないかと思う。
 そしてこれからの医療が「包括的ケア」の時代になっていくであるとすれば、その主役は看護師になっていくはずであるが、それについてあまり考察がない点は本書の不満として残った。p208に註として考察が付されているが、それはほとんどが准看問題という所有原理にかかわる問題であって、「包括的ケア」の観点からではない。氏にはぜひ、その点の議論も期待したいと思う。
 

病院の世紀の理論

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