その1 野口悠記雄「ホームページにオフィスを作る」

 
 このブログの前身である「個人的なHP」と名づけたホームページを開始したのが2001年の12月の末だからちょうど10年前である。なんでも10年続ければものになるというのは吉本隆明氏の有名な言葉らしい。はじめてから十年ではあるが、毎日記事を書いたわけではなく4〜5日に一度であり、その中には今日こんな本を入手したなどという純然たる記録も多いのだから、とても10年の持続などとはいえない。だから何かがものになったというようなことはまったくないが、それでもとにかく10年という時間がたったのではあるので、そのあたりをめぐって少し書いてみたい。
 
 最初、HPをはじめたのは、野口悠起雄氏の「ホームページにオフィスを作る」という本を読んだからだった。2001年11月25日の初版となっている。光文社新書の一冊である。インターネットを受け身で利用する(検索とか買い物などネット上にあるものを使う)のではなく積極的に発信することを提案している。その具体的な方策としてホームページを自作すること薦めている。
 しかしそんなものを作っても誰がみるのか? 発信をしても誰にも受信されないこともありうる。むしろ自分以外には誰もみない可能性も高い。しかし自分で見る、特定のひとがみる、グループで使う、企業の内部で使うというようなやりかたで使えばいい。不特定多数に発信するのではなく、特定少数へ発信すればいいのだと氏はいっていた。
 野口氏はいう。自分が使うだけでもいい。逆に自分にとって有用でもないようなHPは他人が見ても意味がない。また自分だけが見るのなら構えずに気楽に始められる。ネットワーク上に自分のデータベースをおけば、いちいち書きかけの原稿をコピーして持ち歩くなどのことをしなくてもいいし、いつでもそれを参照することができる。(ここでコピーの媒体として想定されているのがフロッピーディスクである。10年という時間での技術の進歩はとても大きい。) 野口氏は名刺に自分のHPのURLを書いておくことは名刺がわりに使えるという。
 この本を読みかえしてみて、時代を感じるのは検索エンジンがそれほど重視されていないことである。インターネットの規模が肥大化したので、検索エンジンの能力がおいつかなくなってきていると書かれている。2001年はようやく日本がブロードバンド時代にはいったばかりの年であったらしい。わたくしは、それ以前からCATV回線を使ってインターネットに接続していたが、いつごろ電話線からCATVに切り替えたのか記憶がはっきりしない。
 
 それで野口氏に扇動されてHPをはじめた。「個人的なHP」というタイトルはまさに野口氏の主張そのままであって、これは自分用のHPであって他人に見てもらうためのものではないということである。野口氏のいうようにHPを作ること自体は作成ソフトを用いればそれほど難しいことではなかった。しかし作成ソフトの選択を間違えたようで、最初は軽快に動作していたのだが、記事が増えてくるにつれて動作が重くなり、4〜5年の内には更新のアップロードに30分以上もかかるようになってしまった。それもあって5年ほどした時点て、HPから現在のブログに移行したのだが、それについてはまた別に述べる。
 それでなんでHPをはじめたのかであるが、第一に記憶力の悪さということがある。とにかく片っ端から忘れてしまう。このブログ上にある記事をみてもその本を読んだことさえ覚えていないものさえある。ましてや記事の内容についてなどいうまでもないことで、それで同じことをあちこちで何回も書いているだろうと思う。
 単に備忘のためだけであれば、自分のノートに書いておけばいいのだし、それが検索に不便であるというのなら、デジタル化したものを自分のパソコンなどにおいて適宜検索すればいいわけである。野口氏もいうように自分のパソコン上にあるデータは出先で参照することはできない。だからネット上にアップしておけば、いつでもどこでも参照のためには便利である。しかしわたくしは文筆を業とするものではないし、出先(ほとんどは勤務先)でここにアップしてある記事を参照しなければいかないような事態におちいることはほとんどない。
 しかし、HPをはじめるまでは自分のノートに備忘のために梗概をメモしたり感想を記録したりしたことはただの一度もなかった。そもそも日記というようなものをつけたことも一度もない。そんなことをしても嘘を書いているような気がして気持ちが悪くてしかたがないのである。「この本にはとても感動した」などと書いても「本当かね?」という疑問がすぐに生じてきてしまう。しかし、HPやブログに「感動した」と書けば、「感動したと書いた事実」は残る。わたくしが本当に感動したのかどうかなどということは自分自身もふくめて誰にもわからないことなのだが、しかし「感動した」と書けば、その事実は残る。それを実際には誰も読まないかもしれないが、読まれる可能性は残る。それは公的な場にさらされるのだから、そこに責任が生じる。
 夏目漱石が実際に何を思って「坊ちゃん」を書いたのかなどということは誰にもわからない。しかし「坊ちゃん」というテキストは残って、逆にそのテキストに漱石が制約されるようになる。「坊ちゃん」を書いた時点ではさまざまにあったであろう漱石の持っていた可能性がそれによって狭められてしまう。「坊ちゃん」が次の作品を規定し、「猫」がさらにまた次を規定する。その規定に漱石は逆らうかもしれないが逆らうこともまた規定となる。
 うまく言えないのだが、何かを書くことで、はじめて自分がそう思っていたということがわかるのである。その書くというのも自分の私的なノートにメモしたのではだめなので、何らかの(ポパー的にいえば)開かれた場に提示されなければいけない。今までは一冊の書物を著すということの意味はそういうことだったのだと思う。それがインターネットによって、本を書くことをしなくても実現できるようになってきた。わたくしはここに記事を書くようになって、以前にはどこかにあった「一生の間に一冊くらいは本を書いてみたい」という気持ちがほぼなくなってきた。ここに書けば十分なので、わざわざ本という形にしようというこだわりがなくなってきた。
 吉田健一が「ヨオロツパの世紀末」の「後書」に「そのヨオロツパに、何か解らないことがあつたらそれに就て一冊の本を書くといいといふ格言がある。これは本当であるやうであつてヨオロツパに就て今度これを書いてゐるうちに始めて色々なことを知つた気がする」と書いている。吉田氏が論じたような大きな問題であれば一冊の本が必要なのであるが、ちょっとしたことであってもある長さの文章を書くことではじめてわかってくることがある。「書いてゐるうちに始めて色々なことを知」るというのは本当なのである。
 わたくしは独創性というものがかけらもない人間で、空身で考えていたのでは何の考えも浮かんでこない。本を読んでいて「ああそうか!」とか「それは何か違うな!」ということがあってはじめて、何かを考えることができるようになる。自分で一番高揚するのは、ある本を読んでいて、「あ!、これは○○さんが「××」で書いていたことと同じことなのだな!」と感じるときである。「何」が同じなのか? それは漠然した感じとしかいいようのないもので、前言語的なものである。その「感じ」というのは長く持続しないことも多く、その場で確認しないとすぐに消えてしまう。そのため○○さんの「××」をすぐに読まなくてはいけない。蔵書をもっていることの意味はそこにあって、とにかくある感じが生じたらそれをすぐにその場で確認しないと、その「感じ」はすぐにどこかにいってしまう。書棚から「××」をとりだして読み返してみると「××」が今までと違う相貌をもって現れてくる。「××」が違う本になる。そういうのが読書の楽しみなのだと思う。
 「××」を思い出させた本が、「××」とはまったく分野の違う分野の本であればあるほど、感興も深い。自分の中で独自な本と本との関係がみえてきて、本についての自分なりの地図ができてくる。
 わたくしがここに書いていることが誰かの役にたつとは思えないが、もしもわずかでもそれがあるとしたら本の編集をしているかたとかあるいは書店のかたにであろうかなと思っている。ある分野の問題をそれとは全然別の分野のひとに書いてもらうとか、一見関係がなさそうに見える本を近くに配架するとか・・。
 内田樹さんが「「おじさん」的思考」のなかで、「あのね、私のホームページで「私」と言っているのは「ホームページ上の内田樹」なの。あれは私がつくった「キャラ」である」といっている。わたくしは何らか公的な意味があるかもしれないと思えない限りは私的なことはここでは書かないようにしているが、それは私的な自分というのが、このブログ上の「キャラ」である「わたくし」とは何の関係もないとしか思えないからである。
 「ホームページにオフィスを作る」を読み返してみると、10年の間にITの世界が大きく変貌していることを改めて感じる。10年前はまだブロードバンドがはじまったばかりで、検索エンジンもそれほど実用性がないものだったようなのである。われわれはすぐに現在になれてしまうから、インターネットでサクサクと検索することなどはるか昔からできていたような錯覚にすぐ陥ってしまう。しかし、30年前にわたくしが学位論文を書いたときには日本語ワープロなどというのはまだ普及していなかったのであるし、東芝の初代ダイナブックを使っていたときは2Mバイトのカード(メガである!)がとんでもなく高価であった。
 
 それでこの10年を考えるというわけではないが、野口氏の最新の本である「クラウド「超」仕事法」を読んでみた。これはあらゆる情報を手許におくのではなく、クラウドにあげろと主張しているのだが、10年前にホームページといっていたものがクラウドに変わっただけであって基本的な主張についてはあまり変わっていないように感じた(奇しくも発売日が「ホームページ・・」のちょうど10年後である)。ネット上に情報をあげる速度と容易さが、10年前にくらべて格段に改善しているということである。
 クラウドが個人にとってどのくらいの重要性をもつかは仕事の内容やスタイルで異なると野口氏はいう。一日中工場で機械に向かって作業している人にとっては、ほとんど何の意味もないし、一日中オフィスの決まった机に座ってルーチン的な事務処理をしている人も、大同小異である、と。わたくしがほとんどそれである。ウィークデイの7割は外来のブースにいる。つまりクラウドがほとんどメリットがない仕事である。仕事の情報をインターネットに上げたり、Gメールで仕事をすることを許可しない会社が、日本には多いが、その場合にもほとんど意味がないというのだが、まさにわたくしの場合それにも該当している。
 本書を読んでいるとGメールというのが非常な可能性を秘めた多機能のソフトであることがわかるのだが、わたくしはGメールもほとんど使っていない(今使っているメールソフトでは特定の個人におくると文字化けしてしまうことがあって(アンチウイルスソフトが双方に入っていると化ける??)、その場合だけGメールを使っている)。
 野口氏がTwitterもFacebookも使っていないとあって、うれしくなった。わたくしまたTwitterは使っていない。数か月前にFacebookに入ってみたのだが、どうしていいのかさっぱりわからず一月くらいで放棄してしまった。時々「お友達が・・」というメールがくるのだが、抛ってしまってある。どうもCLOSEDな印象で苦手である。野口氏はmixiも相性があわなかったと書いている。わたくしもmixiも開店休業である。ただし、ブログをはじめたきっかけがmixiであるので、あとでまた書く機会があると思う。
 流行に流される軽薄な人間なので、以前、野口氏に説得されてHPをはじめたころ「超整理手帳」を使ったことがある。しかしあの大きさにどうしても慣れることができなくて、結局3年ほどでやめてしまった。「ほぼ日手帳」も数年使ったがやはり続かなかった。単調な仕事なので、綿密なスケジュール管理もいらず、日々、手帳に書くことなどあまりないのである。それで今ではオーソドックスな能率手帳に戻っている。そういえばだいぶ前にはファイロファックスなどのシステム手帳を使ったこともあるし、学生時代には京大式カードというのも使った。PDAも使った。LX200というのがなつかしい。
 それで結局、今では、携帯電話にi-Pod touchと能率手帳である。本書はスマートフォンのすすめでもあるのだが、いまだに携帯電話である。そもそも携帯も電話機能を使うことはほとんどない。電車の事故などで遅れそうなときに職場に電話するくらいである(これはわたくしが病棟での勤務から離れているからで、病棟担当の医師は携帯電話なしでは生活できない)。携帯電話はもっぱらメールのためでこちらのメールは家族などのプライベート用。パソコンのメールは医師会や同期会の連絡などの半公的なメール。職場のメールはほとんどが病院内の連絡用である。あらゆる情報はクラウドに上げておけといわれても、わたくしの情報程度であれば、i-Pod touch で充分である。などといっているあいだに段々時代に取り残されていくのだろうと思う。
 電子書籍が話題になった時に文書や書類をPDA化しておくという話を読んで、早速Scan Snapなども買いこんだのだが、これもまたひと月ほとでいやになってしまった。スキャンしてもそれをもう一度みることがほとんどない。野口氏の押しだしファイル法での全然動かないファイルばかりなのである。
 野口氏の「「超」整理法」では、パソコンのファイル名の頭に作った日付を入れろというのがあって、これは今でも続けている。ファイルが時系列で並んでいるというのは本当に便利なものである。
 
 10年という時間が長いのか短いのか? 書いている内容には進歩がないけれども、書く環境は大きく変わってきている。
 

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