その2 梅田望夫「ウェブ進化論」

 
 HPをはじめて5年の2006年頃、記事の量の多くなり、HPソフトの動作が重くなり、更新に時間がかかるようになり、困ったなあと思っていたころ、さそわれてmixiに入った。mixiには日記を書く機能があった。「その1」に書いたように、わたくしはかつて日記というものを書いたことがなく、いわゆる日記(今日はこういうことがあったといったこと)を書きたいとはまったく思わなかったのだが、考えてみるとHPで書いていた読書の備忘のようなことをmixiの日記として書いてもいいのだというこに気づいて、それで確か最初は北方謙三さんの「水滸伝」、その次に梅田望夫さんの「ウェブ進化論」についての感想などを日記に書いてみた。「水滸伝」の感想をHPにではなく、mixiに書いたのがなぜなのか覚えていないのだが(娯楽読み物なので、そうしたのかとも思うが)、「ウェブ進化論」についてはソーシャル・ネットワーキングの問題も論じられており、mixiのこともとりあげられているので、mixiの日記でとりあげるのに適当な話題であると思ったことははっきりと覚えている。
 そうやってmixiで日記を書いているうちに、これはブログというものと同じなのだなということがわかってきた。「ウェブ進化論」ではブログのこともとりあげられていて、そのころ梅田さんは「はてな」という会社とかかわっていることも書かれていたので、それで「はてな」でブログをはじめることにした。はじめてみるととにかく更新が楽であった。記事を書くことの敷居が低くなった。それで以後、読書の感想もブログの上で書いていくことにし、mixiで書いた記事もブログに移動し、さらに時間があるときにHPの記事も(残す意味があるかなと思われたものは)ブログの方へ少しづつ移植していった。
 「ウェブ進化論」によればブログとは、「日記ふうに書かれた個人のホームページ」のことであるが、その語源をたどると、「ウェブログ(ウェブの記録)という意味で、個人が「ネット上で読んで面白かったサイトにリンクを張りつつ、その感想を記録する」ことだったのだという。わたくしの場合はネット上の記事ではなく、一般の書店で売られている本で面白かったものについてその感想を書いているわけであるから、ブログの原義とはことなるわけであるが、面白かったものの感想の記録ではあるので、かなりブログの原義に近いことをしているのかもしれない。
 mixiで「ウェブ進化論」の感想を書いている途中てびっくりしたのは、著者の梅田氏がわたくしの書いている記事をご覧になっているらしいことに気がついたことである。HPをはじめるきっかけになった野口悠紀氏の「ホームページにオフィスを作る」では、膨大なネットの海のなかでは自分の書いた記事など誰かに見られることなど期待しないで、自分(とせいぜい自分の関係した人間)だけが見れば十分であると考えてHPを作れということあったので、そのつもりでいて、誰かに読まれること、ましてや感想を書いた本の著者に読んでいただくことなどまったく想定していなかった。HPをはじめてから5年ほどの間に検索エンジンの機能が飛躍的に向上し、ロングテールの尻尾のほうに存在しているであろうわたくしの感想などもひろってくれるようになってきたのであろう。
 その後、感想を書いた本の著者の方からメールをいただいたことが数回あり(一回だけ、ただちに記事を削除せよとの抗議をいただいたこともある)、記事を書くときには以前よりは著者に失礼にならないように少しは気を使うようになった(海外の本については、著者が日本語のこのブログを読むことはまさかないであろうと思うので、どうしても筆がゆるんでしまうが)。
 梅田氏も、ブログの書き手の意識も「書いてもどうせ誰の目にも触れないだろう」から「書けばきっと誰かにメッセージが届くはず」に変わってきていると書いている。確かにわたくしの意識も、自分のためのHPから誰かに届くかもしれないブログへと変わってきていると思う。
 梅田氏によれば、ブログは玉石混交ではあるが、「面白い人は100人に一人はいる」。その玉石の混交の中から玉を拾い出すことにグーグルの検索エンジンなどが大きく寄与しているのだという。梅田氏は「ウェブ時代をゆく」でわたくしのブログとおもわれるものに言及してくださっているので、100人に一人の中には入ると評価していただけているのだろうと思う。
 「ウェブ進化論」では、ロングテールという言葉を知り、グーグルが真にめざすものが何かを教えられたし、何よりもそれはわたくしをブログに導いてくれた本であるのだが、個人的にそこで一番記憶に残っているのは「がっくりと肩を落としたコンピュータ業界の長老」というあたり(p126)なのである。というのはまったく個人的なことであるが、わたくしは某重厚長大企業の設立した病院に勤めているので、どうも自分が所属する企業の先行きは厳しいようだなあと思ったということがある。それよりも、たとえば電子カルテシステムというようなものを考えても、完全に閉じたシステムのなかでできあがっていて、オープンとかクラウドとかとは縁もゆかりもない世界なのである。つまり「こちら側」の世界なのである。そしてその一部をいじるととんでもないお金がかかる。ただでさえ厳しい病院経営のなかで、直接利益にはつながらないシステムの変更に億を越える請求書が来るのであるから本当に困る。Aという企業とBという企業が別々にシステムを作っていて、相互に互換性はない。これは壮大な無駄であるはずなのだが、なにしろSEの人件費は高いものらしく、システムの変更などという大げさなものではなくても、画面ではわずか数行の変更に数百万円が請求されてくる。
 というようじゃことはひょっとするとAPIの公開ということを完全に誤解して書いているのかもしれないが、「ウェブ進化論」から5年、未だにIT産業ではWeb2.0への移行は遅々として進んでいないようである。
 梅田氏にそそのかされてというわけではないが、2年半前からアフィリエートというのをおもしろ半分はじめている。ここで紹介している本をクリックして買ってくれるかたがあると、その売上げの3%くらいがわたくしに入るというものである。今調べてみたら、2年半で、売上げ件数976件、売上げ高約133万円、収入5万円ほどであった。月にして1600円ほどである。梅田氏によれば、月10万円稼ぐのは大変だが、月数万円なら少々の努力で、月数千円ならかなりの確率でたどりつく、ということであるが、何にも努力しないでいるとこの程度ということらしい。amazonの解説によれば、アフィリエイトをしているひとで月の収入が千円以下のひとが約70%であるらしいから、これでもまだましなほうなのかもしれない。ちなみに一万円以上稼いでいる人は5%くらいなものだそうである。少々の努力ではなかなか難しい商売のようである。何の工夫もいしないでほったらかしのお店ではこの程度であるとしても、もう少し愛想のいい店構えにすれば少しは収入も増えるのかしれない。いずれにしてもとても将来の年金の足しにはなるようなものではなさそうである。以上は、アフィリエイトを考えているかたへの参考資料として。
 今みたら、HPの更新は2007年の8月が最後であるので、ブログに移行してからもしばらくは更新していたらしい(ブログとHPの両方に記事をアップしていたように記憶している)。そのカウンターは 64000くらいの数字になっている。一方、このブログは現在PVが64万くらいで、アクセス数は39万くらいである。最初の5年と後の5年で随分とネットの参加するひとが増えてきているのかもしれない。
 「ウェブ進化論」で梅田氏はグーグルについて熱く語り、それと民主主義のかかわりについて論じていた。わたくしがそれを読んで感じたのは、氏のいう民主主義とは賢者の民主主義なのではないかというようなことであった。賢人政治というと賢者の独裁である。一方、民主主義はしばしば衆愚政治に転化することが懸念されてきた。賢者の民主主義とは、数人の賢者が治めるのではなく、かといってすべてのひとが参加するのでもなく、上から10分の一くらいのひとが統治するとでもいったイメージであろうか? おそらく日本の官僚政治も上から百分の一か千分の一の人間が治めるといったイメージであったのであろう。
 最近の日本をみていると民主主義への疑問と官僚政治への疑問の双方が噴出してきているように感じる。タリブの「まぐれ」などを読んでいて感じたのだが、ある時あるところである人がトップでいて、結果としてその組織がいい成果を挙げたとしたときに、その成果はほかのひとがトップであったとしたらなかったのであろうかということは、実は誰にものわからないことである。極端なことをいえば、ある時点においては誰がトップにいてもうまくいくというような時代があり、またある時代においては誰がトップであってもうまくいかないというようなことがあるかもしれない。誰がやってもうまくいく時代において、その時にトップであったものは自分が指導したからこそうまくいったのだと思い、そのやりかたを以後もそのまま踏襲していく。そしてある時代になってうまくかなくなると、今度はその時のトップの無能の故にうまくいかないのだとされる。しかし、その時はもう誰がやってもうまくいかなくなっているのかもしれないのである。
 この数年、日本のトップが頻繁に交代している。誰かうまくやってくれるひとがいるはずであるという前提があるから、うまくいかなければ、そのひとの能力がないとされる。しかし経済の成長さえあれば誰がやってもうまくいくのかもしれず、成長がない時代になると誰がやってもうまくいかないということがあるのかもしれない。それならば問題は、トップが誰であるかによって、トップの舵取りいかんによって経済が成長したり、しなかったりということがあるのだろうかということである。
 極端なことをいえば、中央銀行総裁が有能であるか否かによって経済の動向が左右されるというようなことがあるのだろうか? 日本が失われた10年とかいわれていた時代、中央銀行のトップが無能である、お札を刷って刷って刷りまくればおのずと問題は解決するというような議論があった。今、アメリカも以前の日本と同じような状況に陥っているようにみえないことはない。しかし、それに対してアメリカの中央銀行がドラスティックに有効な対策を打ち出せているようにはみえない。
 わたくしは経済学についてはまったく無知であるから完全な勘違いをしている可能性が高いが、そもそも経済学とはインフレをいかに防ぐかということをもっぱら研究する学問であったのだそうである。まさか現代においてデフレなどということが生じるとは想定もしていなかったらしい。だから現在の状況に対して経済学者が提示する方策はもう実にまちまちであり、まったく正反対としか思えない提案が正統的な経済学者たちから堂々と提示されてきている。ケインズは単年度の収支バランスにこだわることはないということをいったらしい。景気が悪ければその時は未来から借金をしてでも金をばらまくべきだとしたらしい。そしてあるときにはそれが有効であったとしても、それでいつの間にか常に借金をするようになり、気がつけばとんでもない借金の山になっていたということなのかもしれない。
 日本人はやたらと貯金をする国民らしい。景気を回復させるのは簡単らしくて、われわれの世代が貯金をするのをやめて金を使いまくればいいらしい。しかし、日本人が貯蓄をすることで銀行にたまりにたまったお金で銀行は国債を買い、そのことによって日本の借金はなんとか表面をとりつくろうことができているらしい。われわれが金を使うことにして銀行の預金を空にしてしまえば、今度は銀行は国債を買う原資を欠くことになる。そうなるとどうなってしまうのだろうか?
 グーグルは超秀才たちをあつめて成功した。しかし、それは秀才を集めたからなのだろうか? たまたまうまくいったのだろうか? グーグルの打ち出した広告モデルというのは本当に旧来の広告モデルよりも効率的で効果的だったのだろうか? そもそも広告収入に依存するモデルというのは、景気が悪化して企業が広告への投資を抑制するようなことになるとうまく機能していくのだろうか?
 そんなことを気にしても仕方がないのだけれど、すでによくいえば成熟期、悪くいえば老年期に入った先進国は新興国の若さと活力に依存してかろうじて何とか生き延びているようにみえる。橋本治さんは資本主義というのは「金はあるが体力はない老人が、金はないが体力はある若者に金をだして働いてもらうシステム」だというようなことをいっていた。しかし新興国であってもいずれは老人化するわけである。地球上のすべての国が老熟してしまったらどうなるのだろうか? そんなことがすぐにおきるわけはないし、「長期的にみればわれわれはみな死んでいる」のであるから、わたくしには関係ないことではあるが、「長期的にみればわれわれはみな死んでいる」というケインズの言葉の呪いがじわじわと現在すでにいろいろなところで効いてきているような気がする。
 アメリカというのは不思議な国で、老いというものと関係がない国である。成熟せず文明化もしない。グーグルのような組織もあるいはアマゾンのような会社もアメリカでしか生まれなかった組織ではないかと思う。ヨーロッパはヨーロッパを出ることはできないし、ドイツやフランスはいつまでたってもドイツやフランスでありつづけるしかない。しかしアメリカという国は賢人だけが生き残るというような選択があるいはできる国なのかもしれない。
 クルーグマンは1997年に書いている。

 ぼくらに確実にわかっているのは、2011年には1946年に生まれた人が65歳になるってことで、そしてその人たち−そしてその後四半世紀に生まれた莫大な数の人たち−が引退しはじめたら、連邦予算は怒涛のように、支えきれない赤字に突入する。
 これを書いてる時点では、アメリカの政治で「長期的」というとき、それは7年ということだという不文律がある感じだった。それ以降に何が起こるか、だれも話そうとしない。

 わたくしは1947年生まれで、明日くる2012年には65歳になる。
 

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

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ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

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貧乏は正しい! (小学館文庫)

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クルーグマン教授の経済入門

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